四十八幕 最期の覚悟

「カンウゥゥゥウウ! オメェがキメなきゃ、誰がソイツに勝てるってんだ!」

 

 一体何十、いや何百の返り血を浴びれば、ここまで深碧に染まるのだろうか。顔にへばりついた魔物の体液は乾き果て、凝り固まっている。

 その薄膜を裂くように煌々と輝く紅く燃ゆる瞳。左上腕の断面からは、さらに赤々とした命の残余を惜しげも無く撒き散らしながら。


 隻腕のアーディンが飛翔し、残りの命を燃焼させる。

 彼の代名詞。二つ名の由来でもある焔殺爆裂剣キルファイア・ソードで、呂布と関羽に割って入った。


「くらえぇぇぇぇえええええ!」


 流石と形容するしかない。

 アーディンの命を賭した奇襲であったが、呂布の方天画戟ほうてんがげきは意思でもあるのか、主の窮地を受け止めた。


 アーディンは頭上から振り下ろし、対する呂布がそれを受け止める形。地に根でも生えているのか、呂布は足元は微動だにすら動かない。


 だがそれでもだ。


「うおおおおおおぉぉぉぉおおおおおお!」 

「ぬウうううぅウ、木っ葉めガぁぁ!」


 アーディンの覚悟は決して軽くない。

 静止状態からさらに焔殺爆裂剣キルファイア・ソードを発動させ、剣に纏う焔を大炎へと昇華させた。


 凄まじい衝撃波が渦を生みだし二人を包む。呂布の足を地面に陥没させるほどの、アーディンの執念である。


 そしてまさに火渦の中から。


「カンウゥゥ! 俺ごとコイツを斬れっ! 俺の命が尽きる前に!」

 

 アーディンの叫びが轟いた。


 己を犠牲にしてまで得た好機チャンス。当然関羽にもそれは理解できる。呂布は今、アーディンの攻撃に対し防御にほぼ全力を注いでいる。それほどまでにアーディンの魔法剣は桁外れの威力を発揮しており、だからこそ寸刻の効果なのだと想像に難くない。


 アーディンの心意気を汲んでやる。戦場に身を置く武人であれば、それこそが素直で真摯な考え方だ。

 

 だが、関羽が出した答えは違っていた。

 

「……アーディンよ。助勢、痛みいいる。だが、友を失ってまで得る勝利に、何の価値があるのだろうか」


 生前の関羽であれば、また異なる答えが出たのであろう。

 アーディンの意気に応えることも、あるいは。


 関羽の答え———その理由とは、己の戦う目的が違うからだ。


 生前であれば、万億の民を救うため、漢王朝を救うため、そして義兄弟玄徳のため。もちろん戦いを通じ、友と呼べる武人もいたが、それはあくまで副産物に他ならない。


 しかし今はどうだろう。

 

 この世界で日の浅い関羽に、取り立てて担ぎ上げる大義はない。

 主従の契を胸に刻んだものの、シエルは友としての感覚に近い。言わずものがな、アーディンは友。そして、クルスも呂蒙も。

 

 ならば己の武の行きどころは、どこにあるのだろう。

 民のため?

 大義のため?


 いや、違う。どれも仰々しくて座りが悪い。

 自分が大切に思う友のため。

 それで、いいじゃないか。


 それが関羽と呂布の、決定的な違いであった。

 呂布は生前の恨み辛みに囚われて、前に進むことができなかった。結果、今の姿が成れの果て。


 だが、関羽は違う。

 過去はあくまでも過去として、今を大切に生きてきた。

 新たに人間関係を構築し、情を重んじ朴訥に気高く生きてきた。


 その差が、今の関羽と呂布の姿を如実に表していた。

 

 関羽は思う。

 自分も一つ間違えば、呂布のような姿になっていただろう、と。

 転生先がフェルスタジナ領でなく、異国を嫌い、徹底的に排除する小心者の領主が収める土地だったなら、生前の栄光や思い出にしがみつき、異形の姿になっていたかもしれない、と。


 ならば自分が。

 呂布に引導を渡してやるべきであろう。

 生前、同じ時代を生きたよしみでもあり、もしかしたら自分がこの世界に連れられた、役目なのかもしれない。


 あの悲しき武神の成れの果てに、みそぎの一刀を。

 

 関羽の迷いは全て晴れた。

 心を覆っていた薄いもやが晴れ、実に清々とした表情を浮かべた。


「ぬぅぅぅぅんんん!」


 関羽は力を溜めていく。体が淡く発光すると、手にした偃月刀へと乗り移り、大刃が蒼く蒼く輝いた。止めどなく己の力を、想いを注ぎ込むと、偃月刀は瑞々みずみずしさを増していく。


 ふんだんに魔力を含んだ得物を掲げ、ゆったりと上段に構える関羽。


「———アーディン! 剣を体の前に構えよ!」

 

 玉座の間に咆哮が木霊した。

 意識が切れかけていたアーディンは、友の声でどうにか覚醒する。

 それでも意識は朦朧としており、どうにか体が関羽の言葉通りに動いたのは、心が通じあっているからだろうか。


「これで終わりだ、呂布よっ!」


 アーディンが剣の盾にするのとほぼ同時に、関羽渾身の打ち下ろし、水刀斬。

 間合いの外からの一撃は、刃から蒼い閃光が放たれた。

 迸る斬撃は、天井にも届くほどの巨なるもので、速度スピードも類を見ない。

 立ち位置的にまずアーディンに射程が迫る。

 だが彼の剣は焔殺爆裂剣キルファイア・ソードの残滓でまだ燃えている。

 彼の剣は綺麗に二つに折れつつも、水刀斬の斬撃を相殺し、アーディンの体を乗り越えた。


 そして呂布の視界を可能な限り覆い尽くす。


「———カ、関羽ゥゥゥぅぅううゥウッ!!」

「ここはお主のいるべき世界ではない。ゆっくり休め、呂布よ」


 しかし呂布も傑物の類。獣のような俊敏さで、方天画戟ほうてんがげきで防御に構える。

 

 だが無情にも、思いのほか呆気なく方天画戟ほうてんがげきごと呂布の体は左肩から斜めに両断された。


 水を打ったような静けさが一瞬訪れ、次にはどよめきと歓声が騎兵たちから湧き起こる。


 呂布が崩れ落ち、動かぬことを確認し、関羽は振り下ろした偃月刀を持ち上げて、姿勢を正す。


 そしてゆっくりとアーディンの元へと歩き出した。


「……あ、あぶねぇなカンウ……。俺まで真っ二つになるとこ……だったぜ……」

「あまり喋るなアーディン。傷に触る。それに俺の刃はな、友は斬れぬのだ」

「……はは、違ぇねえ。友達腐れ縁は、いくら鋭い剣でも斬れねえよなぁ……」


 相変わらず軽口をたたくアーディンを見て、何とか一命は取り留めるだろうと、安堵の息をついたその時だった。


「……か、カンうよ……。見事ナ一撃だッタ……」


 半身の呂布が息も絶え絶え、口を開く。

 関羽はそれを黙って聞いていた。最期の言葉なのであろう。ならば自分には聞いてやる義務がある。この胸に刻み込んで覚える責務がある。

 どこまでも、本当にどこまでも強く優しい武人であった。


 だが今回ばかりはそれが裏目に出てしまう。


「……おレはひとリでは……死ナン……」


 呂布が己の右目を抉り出した。

 その行動に関羽も戦慄する。


「……こノ右目ハ、魔物をアやつる魔力が凝縮サれていル。……これヲつ、ツブセば……」


 関羽の戦歴が警鐘を鳴らした。


「誰かっ! 早くアーディンを! いそいでここから退却しろ!」


 呂布の異様な光景を遠巻きに見ていた何人かの騎兵が、素早く動きアーディンの元へと集まった。


「して、関羽様は!?」

「俺のことはいい! 早くこの場から立ち去れっ! これは命令だ!」

 

 言われた騎兵たちに是非はない。

 アーディンを担ぐと、急いで撤退を促した。


「呂布よ、俺が最後まで付き合ってやる」


 関羽は右目を握った呂布の掌に手を置いて、己の魔力を流し込む。

 魔力には魔力で押さえ込む。

 関羽の賭けだ。


「ム、無駄だ、そんナことでは、爆発ハふせげん……」

 

 掌越しにグシャリと感触が伝わった。


「防げなくとも、爆発が少しでも遅れれば、それで良い」


 そうして呂布に、


「……お主はその強さ故に、孤独であったのだろう。この世界でもお主の強さを、誰も認めてはくれなかったのであろう」


 今際のきわとは思えない、言葉を投げかけた。

 呂布の残った左目から、小さな雫が溢れ落ちた。

 それは吸い込まれるような美しさだった。どこまでも純粋で、清澄で、無垢だった。


 

 この日、降魔城こうまじょうは大爆発をおこし、跡形もなく消し飛んだ。

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