四十七幕 胸中

「おおおおおおおおおぉぉぉおおおおっ!」

「ラアアアああああァァアアアッ!」


 偃月刀があたかも竹細工の如くしなるほどの、馬上から渾身の打ち下ろし。

 呂布も自分の相棒でもある方天画戟ほうてんがげきを打ち上げる。

 鈍色の刃と刃が凄まじい速度で衝突すると、紅蓮の閃光がほとばしり、周囲を鮮烈に照らし出した。

 

 互いの得物が短い邂逅を終え、弾かれる。衝撃をまともに受ける形となり、呂布は二歩後退。関羽は馬ごとさらに宙へと投げ出される。


 しかしながら関羽の駆る馬も見事なもので、脚を折ることなく着地する。領主シエルから下賜されたフェルスタジナ領随一の駿馬なのだ。体格もさることながら肉付き、脚力においても、他の軍馬の追従を許さない。

 

 両者の間に間合いが広がった。

 が、それもほんの一瞬の出来事だ。

 疾風迅雷、二人の溝は瞬く間にかき消された。


 達人のみが立ち入ることの許される神速の世界で偃月刀と方天画戟ほうてんがげきが交錯する。一合、二合と増えていき、十、二十とかさを増し、数える暇さえ与えない。

 澄み切った金属音と同時に咲き誇る火華。周囲に漂う鉄を焦がすような燻んだ匂い。見守る騎兵たちは、二人の実体を目に留めることすらままならない。

 しかし残像だけは、瞼から焼き付いて離れなかった。


 速度スピードはほぼ同列、技量においても甲乙つけがたい。一見すると互角に見える打ち合いも、徐々に均衡が崩れていく。


「……ぬぅぅ!」


 少しずつだが、関羽の懐が浅くなっていた。受け手にまわる数が増えている。流石の駿馬もじりじりと後退を始めていた。

 やはり体躯の差が、如実に出始めてきたと言える。


 もとより関羽も、分かりきったことではあった。

 呂布の人らしからぬ異形とも呼べる姿を前に、単純な膂力だけで勝てる相手ではないことは、百も承知。


 だからこそ、初手から全力近くの回転力で打ち合っていたのだ。一撃の重さで敵わないのなら、神速をもって勝負に出る。

 

 出だしは上々。だが———。


 打ち合う数が増えるごとに、速さは質に削られていく。

 一撃の重さでは、わずかながら呂布にがある。その僅差が蓄積されて、形勢へと反映され始めている。


 打ち合うこと八十を超えてもそれと悟られなかったのは、当然ながら関羽の並々ならぬ手腕によるもので、常人には分からない領域での駆け引きであったのだ。


「———ま、マダたりぬ! か、関羽よ。お前をモッと、さ、サラけ出してミせろ!」


 どこまでも貪欲に、呂布が関羽の武を欲した。


 こんなものではまだ足りないと。

 足りぬ、響かぬ、満たされぬ。

 もっと、もっと、もっとだと。


 呂布の渇望は底なしで、関羽の全てを飲み込もうとしていた。

 

 劣勢を強いられながらも関羽ほどの武人なら、そう易々とは屈しない。

 だがこのままでは、敗北は免れない。

 

 関羽は防御に比重を寄せつつ一縷の隙を模索している、そんな時であった。


 呂布の意識が、関羽の中に流れ込んできた。

 

 ———自分はまだやれた筈。

 ———なぜ自分は、こんなところで死なねばならなかったのか。

 ———自分こそが無敵を誇る武人ではなかったのか。

 ———憎い。運命も、何もかもが憎い。


 呂布の力の原動力の何たるかを、関羽ははっきり感じ取った。

 この世界で再び生を手にしても尚、こびりついたもの。

 

 そう、無念。無念なのだ。

 呂布はただただ無念なのだ。


 人の姿を捨ててまで。こと強さにおいては、純粋だったあの武人が。魔物と見紛う姿に身をやつしてまで。

 悔恨の念に取り憑かれた、悲しき亡者なのだ。


(呂布よ……)


 戦いの最中に同情など怠慢もいいとこ。甘い感情だとは自分でもわかる。

 しかし関羽も武人である。それも類を見ないほどの。


 それ故に呂布の悲痛な思いを、真っ向から受け止めてしまう。

 

 だからと言っておめおめと負けてやるほど、関羽は夢想家ロマンチストでも、お人好しでも、まして卑劣者でもない。


 呂布を虚無の悲しみから救ってやる手立てがあるとするならば。それは真正面から衝突して、呂布を切り捨ててやることだ。


 関羽は心の揺れを修正し、真摯に呂布と向き合った。

 関羽の気持ちが宿った剛腕が、偃月刀の回転数をさらに高みへと押し上げていく。


「……そ、ソレでこそ、関羽ヨ。ワガ相手として、フサワしい」


 呂布と関羽の壮絶な戦いは、果てしなく続いていく。干戈を交える二人の姿を見守る兵たちも、そう思い疑わなかった。


 

 一人の男が、現れるまでは。

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