異世界麻薬王

iOvQi

0.29/とある麻薬商人の死

ツーミンはタバコの灰を落とした。




潮風が冷たい。



ジャンパーのチャックを襟元まで閉めた彼は、靴を一回払った。タバコの下に黒く染み付いた青いジャンパーがうっすらと見えた。



染み付いたのは彼のジャンパーだけではなかった。ツーミンの左手は赤茶色い塗料を塗りつぶしたように赤かった。



血まみれの手に触れたタバコもそうであった。乾き切った血痕が焼き付いていく。



ツーミンは、タバコからどこか血の匂いもするように思えた。




タバコを指で弾き、波の中へと捨てたツーミンは、隣にいるトラックのドアを叩いた。



ドンドンと響く音に、ランニングシャツの坊主が何かをくちゃくちゃと噛みながら、ドアの隙間から頭を突き出した。坊主はクンクンと鼻を鳴らし、顔をしかめた。



「うわ、くっせぇな、タバコの匂い。もう終わりました?兄貴」



「たっぷりなぁ」ツーミンがジャンパーの埃を払いながら答えた。



「オラァなんでタバコなんか吸うんか、さっぱりわかんないっすよ」



「俺は、逆になんでお前がそのつらでタバコを吸わないのかがわからんな」



「まーた意地悪なことを仰る」坊主がつぶやいた。「手袋いります?」



ツーミンは、返事の代わりに左手を持ち上げた。



「げっ」坊主が呆れた。「こりゃ、俺が運転して正解でしたね」



「どういう意味だ」



「ハンドルに血ぃ滲み込んだら洒落になんねぇっすよ。厄介ったらねぇ。手に汗でも出たら付いちゃいますからね」



「馬鹿なこと抜かすな」ツーミンが舌打ちした。「早くお客さん下ろしてやれ」



「力仕事はいつも俺っすよね」坊主がため息と共に車から降りた。



足音がバタバタと荷台に近づく。ギーッと、荒い音と立ててドアが開いた。



「こいつも油差しだな」



荷台の中には錆びかけたドラム缶が何個か置かれていた。坊主は、その中から一番錆びついたのを、転がしやすいように横にした。それから足でそっと押した。




トントトーン




鉄の塊がセメントの地面に落ち、派手な音がした。ツーミンが驚いてトラックの後ろに飛び込んだ。



「畜生、何だ?」



「さぁせん兄貴。手が滑りました」



ツーミンが坊主のすねを蹴飛ばした。



「間抜けが、周りに聞こえちまうぞ!」


「いつも言ってんだろ、気をつけろって。」


「猿も木から落ちて馬鹿を見るって言うんだ、シャオワンこのスッポン野郎!」



「ああっ!ごめんなさい、兄貴!うっ!」坊主シャオワンがツーミンの蹴りに跳ね上がった。



「わかったならちゃんとしろよ、シャオワン」ツーミンがうなり気味に言った。「ふざけてねぇで」



ツーミンが海の方へ転んでいるドラム缶を止め、立て直した。



「くっそ、重ってぇ」



「コンクリを半分は打っといたらしいっすよ」



「ほぉ、中々のやつみたいだな」ツーミンがドラム缶をトントンと叩いた。「おい、生きてらっしゃるか?」



依然として静まり返っていた。



「こいつ、くたばってんじゃねぇっすか」



「おい、蓋開けてみろ」



シャオワンが助手席からバールを出した。ドラム缶にはめ込み、体重をかけると、パンっと血腥ちなまぐさい匂いが上がった。



「うっ、畜生」シャオワンが空嘔からえずきをした。



ツーミンがドラム缶を覗き込み、つぶやいた。



「これ、息はしてんのか?」



ドラム缶の中は、ぶっ潰された残酷さだった。ドラム缶の半ばくらいにコンクリートが流し込まれてはいるものの、どこにも白の気配はなかった。



あるのはアカとクロのみ。元より黒かったのか、血を含んでさらに黒ずんだのか分からない服。そしてそれと一体化した身体からだには、両耳がなかった。



ないのは耳だけではない。右手があるはずのところにはべったりとした血の泡が立ち、彼の身体の半分を埋めたコンクリートの上には血が溜まり、陰鬱いんうつな泉と化していた。



既に息が絶えているのか、男性であることが辛うじて分かる程度の肉叢ししむらの瞳は、ドラム缶越しの虚空こくうを見やっていた。




しかし、この全てはツーミンにちっとも興味を持たせなかった。



「な、シャオワン」



「何っすか?」



「助手席の下に酒があるはずだ。持って来い。」



生きているとは思えない男の静寂は、その顔に毒酒が注がれ、終わった。クウッという呻き声を発し、男が身体を捻った。




ツーミンとシャオワンには何ら意味のない足掻きであった。



「まだ生きてんじゃねぇか」ツーミンが酒を一口飲み、言った。



死んでいく男の身体が微かにうごめいた。



「まあ、悪く思わんでくれや」



ツーミンはジャンパーの懐から針金の束を出した。



「これ、VIPでもなきゃ普段やってやんないんだからな」



「何っすか、その針金は?」シャオワンが尋ねた。



「縛っとくんだよ」ツーミンが針金を解きながら答えた。



「余裕があったら船から投げりゃいいんだが、そうするには時間がねぇし、しゃあねぇだろ」



「ええーたださっさとやっつけちゃあ駄目っすか?」シャオワンが耳を穿ほじくりながらつぶやいた。



「馬鹿が、それだとマジで洒落になんねぇぞ。死体が腐って、コンクリに埋まってないところだけポンと浮かんできたらどうするんだ。あぁ?きちんと縛っとかなきゃちゃんと腐ってくれねぇだろうが」



はいはい、と答えるシャオワンを後目しりめに、ツーミンは再び作業に取り掛かった。




脛から膝、腰まで。適当にしているように見えど、ツーミンは敏腕びんわんであった。そうして今度は胸部を縛ろうと手を動かすところであった。



ツーミンは右手に何かが引っかかっているのを感じた。腕のほうに視線を移したツーミンの顔が、不気味に歪んだ。



「ほぉ、こいつ」



絶命同然であった男が、口でツーミンのジャンパーの袖に噛みついていた。何度も手を振っても外れそうにあらず、ツーミンは右腕を思い切り引っ張った。袖がピリッと裂かれた。



「こん畜生」



シャオワンは何故か満面の笑みで声を上げて笑った。



「笑うんじゃねぇ」ツーミンは噛みつくように吐いた。



ツーミンはドラム缶の男を睨みつけた。青い布片ふへんを口にかけている男の目は虚ろで曇ってはいたものの、どこか睨み返されているようだと、ツーミンは考えた。



暫くそうして睨んでいたツーミンが、突然苦笑した。



「参ったぜ、ったく」



ツーミンは心底、眼の前にいる男に拍手を送った。久しぶりだ、こんなにも足掻いてくるやつは。



それから、



「なぁ、兄さん」ツーミンが男の目を凝視した。「メンツもくそも、立てる時をちゃんと見極めようぜ」



身の程知らずにもほどがある。久しぶりであった。




ツーミンが男の顔を鷲掴みにした。見開いた瞳に50度をも超える毒酒が注がれ、角膜がアルコールで焼き尽くされる。クアーッという叫び声を伴い、男の身体が痙攣し、発作を起こした。



「どうせ逝くなら大人しく逝こうな」瓶に残っていた最後の一滴までドラム缶にぶち込み、ツーミンが囁いた。



締めは簡単であった。男はもう息さえ苦しそうに見えた。男の顔にまで針金を巻いたツーミンは、遠くでそれを見ていたシャオワンを手招きした。



シャオワンは無言でツーミンの前に立ち止まった。



「そろそろ終わらせるぞ」



仄暗ほのぐらい灯りが照らす埠頭ふとう。放置されているコンテナーが物騒さを増している中、二人の男性がドラム缶を転がす。



静寂を破る、ゴロゴロと転がるドラム缶の音、殺し屋たちの荒れた息の音。




水滴が飛んだ。



冬海ふゆうみの波が港にぶつかり、散っていく。



ドラム缶が止まった。



海は目前にある。




手についた錆を振り払い、ツーミンが静かに言った。



「まぁ、難しいだろうが、どうか極楽往生を。どうやらこの世では少しついてなかったみたいだな」




ドブン。




ドラム缶が波の底へ消えた。




トボトボと、軽めの足でツーミンとシャオワンはトラックに戻る。シャオワンがスッキリしたと言わんばかりに背筋を伸ばした。



「ああ、やっと終わった。これからどうします?兄貴」



「暇だし映画でも見に行くか」



「映画っすね、それもいいんっすけどまず飯行きません?」



「何か食いてぇもんあるか」



牛肉麵ニョウロウミェンとかどうっすか」



「いいぞ」



トラックの去った高雄たかおの海沿いには、波音のみが砕け散っていた。




とある麻薬商人の死であった。

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