p.29 わたくしの負けのようです(2022/12/25)

 そこは見渡す限りの星空であった。

 頭上だけでなく、周囲だけでなく、足の下ずっと向こうまで続く星の海。

 目を凝らしてみると、すべて星に見えていたうちの一部は銀の火を灯す蝋燭のようだ。静謐な灯りが形づくるのは一本の道。その先には浮き島よろしくテーブルセットが置かれ、よそ行きの格好をした魔女と魔術師が向かい合って座っていた。

 どこからか、甘やかなチェロの音色が聞こえてくる。

「まあ、魔術人形さんは、給仕もできるのですね」

 星蝋の夜と名付けられたこの空間に足を踏み入れたその時からどきどきがとまらない魔女は、葡萄酒を危なげなくグラスへと注ぐ魔術人形を見て、感嘆のため息をつく。

 しかし、ちらりとそちらを見やった魔術師は渋面だ。

「……あまりそれに構うな」

「ふふ、そうですね。今は魔術師さんとの、勝負の時間ですもの」

 なにやらじっと見つめてくる魔術人形に、魔女は褒めてほしいのだろうかと声をかけようとしたが、優先すべきことを考え、やめる。

 そうして、どこまでも優雅で贅沢な晩餐が始まった。

「ふあ……この宝石を溶かしたような、きらきらしたジュレが美味しすぎます」

「それは柚子だな。白身魚も一緒に食べろよ」

「……こんなにも透き通っているのに、色々な味がぎゅぎゅっと詰まっていて、だけど繊細で……。淡い朝焼けの空を掬ったみたいですね」

「コンソメは魔術を使った料理の定番だ。手順や材料の割合の調整など、類似点も多いからな」

「こ、これは……! ……はっ、美味しいと思った瞬間には溶けてしまいました。わたくしが今食べたものは本当にお肉だったのでしょうか……?」

「安心しろ。幻覚の魔術は敷いていない」

 前菜にスープ、あいだに口直しのソルベを挟んだ主菜が二品。どれもこれも素晴らしい味付けで、普段は素朴な料理を好む魔女にも食べやすい。

 聞けばすべて魔術師の手作りであり、夕暮れの麦畑の中でひと際黄金に輝く麦だけを使って焼かれたパンや、深みのある青い釉が美しい器など、どれをとってみても魔術師のこだわりを感じる。そのひとつひとつが今夜の特別な祝祭を彩っているのだと思うと、魔女は胸がいっぱいになった。


 魔術師が贈り物を出したのは、デザートプレートを食べ終え(魔女はその盛り付けの可愛らしさに珍しくはしゃいだ)、彼が手ずから淹れた珈琲を飲んでひと息つく頃であった。

 軽く指をはじく動作に、ふっと星空を隠すような闇の帳が下りる。

 光源はテーブル上のゆわりとした蝋燭たちの火のみ。

 どこか切実な響きを含むチェロの音がわずかな余韻を残して消えた。

「魔術師さん……?」

「俺からは、これだ」

 珈琲豆を挽く際にしとりとした夜色のジャケットを脱ぎ、几帳面にまくったシャツの袖から覗く腕が、淡い火を浴びてぼんやり光るのを、魔女は不思議な心地で見ていた。

 その手には虚空から取り出した細長い箱。

 受け取り、近くで見ると、それは黒檀でできた木箱であり、魔女はなめらかな表面を撫でるようにして慎重に開ける。

「これは……栞、の魔術具ですか?」

 箱の中では、艷のある青墨色のベルベットの台座に、美しい金属の板が鎮座していた。

 透かし彫りというより金属の糸を精緻に編み上げたような板には、深みのある夜空色の宝石が填められ、魔女には解読できない、魔術の記号が浮かび上がる。

 手に取ると恐ろしいほどに薄い。さらに蝋燭の火に透かしてみれば、暖色を通すことで複雑な紋様が光るのだ。魔女は「なんて綺麗なのでしょう……」と小さく溢した。

「ああ。本に栞を挟むように、時間に挟むことができるし、記憶を取り出すことができる」

「時間に、栞を……」

 あまり意味を飲み込めていない魔女に対し、魔術師は揶揄するように口の端を持ち上げる。

 それは、魔女が感動にはふりと息を吐くたび諦観の翳りが差していく、こっくりとした葡萄酒色の瞳に気づいていたからだろうか。

「長命の魔女は、どうせ些細なことを忘れてしまうだろ? 今回の勝負についてあとから文句を言われても困るからな、すでにこのひと月分の出来事は挟んである」

「つ、つまり、ひとつの記憶だけでなく、いくつかの思い出を挟んでおける……ということですか?」

「容量は人間ひとりが生きる時間分くらいだがな」

「まあ……。こんなに素敵な贈り物を貰ってしまったら、毎日のように思い出してしまうに違いありません!」

「……はっ、残りは好きに使えばいい」

「はい、ありがとうございます! 大事に使わせて貰いますね」

 思わぬ贈り物をぎゅっと胸に抱き、魔女は今夜何度目かの、しかし寂しげなため息をついた。

 しんと静まる夜の空間に、二人の息づかいだけが揺らぐ。

「…………勝負は、わたくしの負けのようです」

 その言葉は意外でもなかったのか、魔術師は片眉を持ち上げながら軽く鼻を鳴らす。

「いいのか? そんなことを言って」

「……勝負は勝負なのですから。昨日の魔術師さんより、今日のわたくしのほうが満足してしまったことは明白です」

 そうか、としたり顔で笑う魔術師。

 彼はまたしても気障っぽい動作で虚空に手を伸ばした。

 次の瞬間、手の中に収まっていたそれは、魔女にも見慣れたものであり、少し違う。

「メッセージカード……? けれど、要素はあの妖精さんのものではないようです」

「俺が作ったからな。これは来年の祝祭まで使える」

 これまでやり取りをしてきた香草のメッセージカードに似た意匠で、しかし明確に夜の魔術師らしさの滲むメッセージカード。

 昨晩、魔女からの贈り物を受け取ってから考え、ほとんど徹夜をして作り上げたものであったが、魔術師はそのようなことを微塵も感じさせない様子で愉快そうに笑う。

「今回の物語に満足できないなら、また来年、挑んでくればいい」

「……また、来年」

「愉しい物語を紡いでくれるなら、いくらでも相手をしてやるぞ」

 魔術師はそう言って、初めからテーブルの上に置かれていた贈り物の宝石――暖炉のような火を閉じ込めた石に、指を這わせた。

 ――生涯、ずっと。

 そのように、魔術を刻み込む。……否、魔術師は今夜、ずっと魔術の道を繋いでいた。

 お前はどうする? そう問いかけるように魔術師が視線をやれば、魔女はいつかと同じようなためらいののち、こくりと頷く。

「……で、ではっ! が勝負の結果に満足するまで、二人の祝祭を紡いでゆきましょう!」


 かくして、これから先すべての祝祭日において、魔女と魔術師はともに過ごすことが決定した。

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ユーリカの栞 ~アドベントカレンダー2022~ ナナシマイ @nanashimai

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