Up To You/君次第 ⑦
この景色を見るのは二度目だった。
相変わらずの青い空、相変わらずの白い塔、相変わらずのひどい人混み。
だけど肺は苦しくならない。手術を終えてから数日経ったけれど、ここまで空気が美味しいことに未だに感動を覚えてしまう。
「よかったね。元から成功する運命で」
「うん。まあ、お金が浮いただけだけどね」
「いや、よかった。他人と運命を交換なんて、できるならしない方がいい」
もうひとつ、一度目とは変わったことがある。
大人びてて可愛くて美人な女の子と、ぶっきらぼうで無愛想で、だけどお人好しな男の人。
「本当に、二人ともありがとう。見送りにまで来てくれて」
ソフィアはもう、独りじゃなかった。
「門出を見届けるのは、友人として当然なことさ」
「色々言った後に放置は、なんか違う気がするからな」
そう。カメリアはともかく、リベルもソフィアに気を回してくれたのだ。
真っ当に生きると決めたけれど、メンタルは随分弱っていたあの時。事件の処理や、手術の細かい手続き、今後の行き先や仕事のことなど、色々と教えてくれた彼は正直すごく頼もしかった。
時計を見上げる。あと五分。
あと五分で、ソフィアを異世界に連れ戻す列車が来る。
本当に別れの時が来たのだ。
「いっぱい連絡するね」
「うん。ああ、そうだ。これを渡しておくよ」
カメリアが取り出したのは四つ折りにされた紙切れ。それを受け取って広げると、どこかの手書きの地図があった。
「これは?」
「僕の家への地図。休日は大体家にいるし、アポなしで来てもいいよ?」
国を跨ぐのはそう簡単ではない。かなりの貯金はあれど、職についてないソフィアなら尚更だ。
だから連絡なしで行けるほどの場所じゃない。でも、
「ありがとう」
そのぐらい気楽に来ていい。そんな風に聞こえた。
ピロピロと甲高い音が鳴り、列車が背後を通る風を感じる。
あと三分。
「まあ、頑張れよ。とりあえず仕事探せ」
そう言いながらリベルが左手を差し出す。
「リベルさんって左利きでしたっけ?」
「別にちげぇけど……何でもいいだろ」
何でもいいと言うが、その割には左手にこだわりがあるようだ。右手の握手の意味は確か、武器を隠し持ってないことの証明。敵意がないことを示すため。
じゃあ、その逆はどうか。
敵意、宣戦布告のサイン?
──もしかして私、嫌われてた?
思い当たる節はいくつもあった。そもそも彼には迷惑しかかけてない。
「アプトフォルスでの左手の握手は、親愛の証だよ。僕たちの左手は、運命に干渉する媒体だからね。ここでは左手に運命があると信じられてるのさ」
「ちょっ、言うなよ!」
胸中にひどく詰まった不安が、みるみると融解していく。完全に溶け切っても熱の上昇は止まらず、蒸発してしまいそうだ。
「ありがとうございました、リベルさん」
その熱を誤魔化すように首を軽く振ってから、手を握り返した。何度も救われた感触だ。
少し高めの体温。ちょっと硬くてかさついた肌。ソフィアのよりも一回りも二回りも大きい手。
「おう」
右手で頭を撫でられる。顔とは似つかないこの丁寧な手つきが好きだ。
「僕も僕も」
カメリアが手袋を外し、ソフィアと握手をせがむ。そういえば彼女の紋章ははじめて見たかもしれない。
赤だ。
血のように赤い、彼女の瞳と同じ色。紋章もどこかで見覚えがあったものだ。どこだろうかと思案していると、はるか遠くの塔が目についた。
なるほど、そういうことか。
「リア、本当にお世話になりました」
「こちらこそ、ソフィ。楽しかったよ」
あと一分。
列車が、門出を知らせる音色を奏で始める。
未練はある。恐怖もある。
まだ少しだけ、許せない気持ちも残ってる。
でも、大丈夫。
変わるって、決めたんだ。真っ当に生きてやるって。
この決意さえ忘れなければ、大丈夫。
「行ってきます!」
自分の意志を信じて、生きるんだ。
◇
「行っちまったな」
「そうだね」
もう見えないだろうに、列車の残留を追い続けているカメリアに声をかける。ソフィアを介して結構会話をしてきたつもりだが、未だにこいつのことは掴めない。
「ほら、ここは邪魔だからとっとと退くぞ」
「うん」
声をかけると付いてくる。一見、従順で大人しい女子高生。しかし、珍しい口調もそうだが、容姿だか雰囲気に普通の人間とは違うところがある気がする。上手く言葉にはできないが。
「別にお前の勝手だけど、特に理由がないなら学校ぐらいはちゃんと行ったほうがいいぞ?」
あの事件があった日。二人の話を聞く限り、こいつは平日の午前中から道をほっつき歩いていたことになる。
無言の返答に、さすがにお節介がすぎたかと反省していると、突然背後から笑い声が聞こえた。堪えてたけど堪えきれなかったって感じの失笑。
「君は、本当にお人好しだね。どうしてそんな格好しているのさ」
「似合ってんだし、別にいいだろ。俺の勝手だ。あと地味に役立つしな」
あの
「僕には君がよくわからないな」
「奇遇だな。俺にもお前は難解だ」
「そうかい? 君よりは随分とわかりやすいと思うけど」
どこが。口には出さずにぼやく。
駅はとうに離れ、リベルは家路についてる最中だった。
人通りはない。なのに、二人分の足跡が響いている。家までついてくる気か、こいつ。やっぱりなに考えているのかわからない。
「6月8日15時9分43秒」
何かがとぐろを巻いて、足に絡みついた。
「これが何を意味するかわかるかい?」
コツ、コツ、コツ、コツ。アスファルトを蹴る小気味のいい音が何度か響き、不可解がリベルの前に立ちはだかる。
「6月8日ってあれだろ? 建国記念日」
本当は最初から気づいていたんじゃないか。
こんな風に、白々しくわからないフリで誤魔化し続けて。
「その通りだとも。年に一回のその日は、運命国家アプトフォルスの誕生を祝って、国中がお祭り騒ぎになる」
だって、そうだろ。
「けれども、そんなことは君にとってどうでもいい一日となるだろう」
血よりも濃い緋色の瞳。
そんな目を持ってるのは、アルビノか。
「君はその日その時間に人を殺し、」
あるいは。
「そして殺される運命にあるのだから」
身に覚えのない、あまりに不吉な予言。いや、これが予言なんて胡散臭いものではないことを、リベルはとうに知っていた。
「……すげぇな。この国のお姫様ってやつは、見ただけでそんなこともわかっちまうのか」
「褒めないでくれ。照れてしまう」
「で?」
心にもない会話はもういい。
「要求は何だ」
「要求だと言葉の響きが悪いな。だからこれは交渉だ。君は僕の頼みを断ってくれても当然構わない。受けるかどうかは、君次第だ」
こちらに選択肢はない。自分だって断らせるつもりなんて微塵もないくせに、それを「交渉」と言ってのける暴君さは、さすが権力者の末裔というべきか。
カメリアはリベルと左手を重ね合わせた。なすがままのそれを顔の前に持っていき、一本一本、丁寧な手つきで指を絡めていく。最後に右手を添えて、
「リベル・ハワードくん」
数多の運命を身代わりに背負った
「僕──カメリア・フォルトゥナと、運命共同体になってよ」
「……今、なんて言った?」
「運命共同体さ。苦楽も、死ぬその瞬間さえも分かち合い、同じ運命に生きようっていうお誘いだよ」
日差しすらも届かぬ道。二人っきりの帰路の途中で、リベルはカメリアに抱き締められる。
じんわりと広がる生き物の体温。簡単に壊れてしまいそうな柔らかい身体。そして、
「まあまずは、寝食を共にしようじゃないか」
少女一人分の体重。リベルにとっては支えるのも容易い軽さ。
しかし、膝がつきそうなほどの重みを、押し潰されそうなほどの重みを感じたのは、
「今、家に追われてる最中だからね」
きっと、気のせいではないはずだ。
ここは「運命国家」アプトフォルス。
これは国に住まう人々の、哀れで愚直で、ちょっとだけ愉快な、祈りと解放の運命奇譚。
贖罪の山羊は運命と踊る 加峰椿 @K0kutyu
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