Up To You/君次第 ⑥
「運命に委ねるな」
間違いなく怒気を帯びている声。どうやら三個目の地雷を踏んでしまったらしい。
「俺はお前がどの選択を取ったとしても、それが手前の選んだ道なら何も言わない。だがな、決めるのを諦めて運命に縋るのだけはやめろ。罪も、欲も、後悔も、全部手前が選べ」
捲し立てられる。あたかも自分の主張こそが唯一の正義とでも言うかのように。お前は間違ってるって断定するかのように。
むかつく。平和ボケしてる国に住んでるくせに。ここには何も苦痛なんてないくせに。
「うるさい」
見下ろされるのが嫌で立ち上がる。それでも埋まらない身長差が嫌で胸ぐらを掴んだ。
「知らないくせに!」
決断する辛さを。運命に頼るのも、ソフィアがどれほど迷った末での苦渋の選択なのかを。
「手放したくなるほどの運命に、迫られたことすらないくせにっ!」
妬ましい。甘い香りに浸れる人間が。煙たい匂いを知らない人間が。
そんなやつに、決めつけられたくない。
「全部、全部私の勝手じゃん! なんでわざわざ辛い方を、」
「なんで? んなの俺がムカつくからだよ」
無意識に右手が動いた。警官は軽く首を傾けるだけで躱す。ソフィアの拳はマスクに掠るだけで終わった。
胸ぐらを掴む手に力が入る。宙にある拳が次の一手を求めている。
一触即発の状況に止めをかけたのは、マスクが剥がれた警官の顔だった。
「運命が人を決めるんじゃない。人が運命を決めるんだって」
裂傷。右の口角から頬にかけて裂けるようにある、大きな傷跡。
「己の手で変えられない運命なんてないんだって、俺はそう信じたい」
なぜだ。ここはアプトフォルスだ。事件や事故は未然に解決されるはずの、理想郷のはずなのに。
『知らないくせに!』
理解が追い付かない脳に、自分の言葉が返ってくる。
──決めつけていたのは、私の方か。
「だから、俺のポリシーに堂々と反するお前は見てて腹が立つ」
独りよがりで身勝手で独善的で自己中で。それでも、彼の主張は誰に対しても平等だった。
「なんですか、それ。本当になんなんですか。自己中すぎるでしょう。あなたその
「俺はお前に指図できるほど善人じゃねぇよ。もしかしたら、お前よりよっぽど悪人かもな?」
絶対嘘だ。ちょっと話しただけでお人好しってわかるような人が、そんなはずがない。
でも。
でも、もし仮に、本当にそうなら。そんな彼でも、変えられるって信じているなら。
「……変えられ、ますか。こんな私でも、変えることは、できますか?」
「んなの知るかよ。変えるも変えないも、お前次第つってんだろ」
相変わらずぶっきらぼうな物言い。だけど優しさが隠せないその声で、
「けど、そこまでして変えたいと思ってる時点で、もう選びたい道は決まってんじゃねぇの?」
いつの間にか頬が濡れていた。今日はこんなことばっかだ。
「わたし、殺したくない」
「そうか」
「真っ当に、生きていたいよ」
「そうか」
温もりのある質量が頭を覆った。丁寧な手つきで髪をぐしゃぐしゃにされる。
「なら、そう生きろ。今は生々しい感情も、いつかは記憶になって風化していくから」
実感のこもった声。そこに無責任さは感じない。
来るだろうか。いつかソフィアにも、そんな日が。
まだ先のことはわからない。それでも、今はもうちょっとだけ甘えていたいと思った。
この男の甘くない香りに。むしろちょっと、煙たい気もするこの匂いに。
「その子たちから離れろ!」
突如響き渡った声。発信元を見ると、あのルークと呼ばれていた赤毛の警官がいた。人懐っこさを感じる顔を精一杯曇らせ、エンフォーサーを不良警官に向けて構えている。
「信じてたのに! いくら先輩が顔怖くてガラが悪くたって、こんなことはしない人だって!」
「あ゛?」
「こんな、こんな……女の子に公然わいせつするだなんて!」
色々騒がしかった後の久しぶりの沈黙は、やけに静かに感じた。
「はあああああ⁉︎」
不良警官の叫びがこだまする。
状況を確認する。人通りのない駅構内。なかなか帰ってこない、犯罪者よりも犯罪者っぽい不良警官の男が一人。年頃の少女が二人。そして、うち一人は大泣き。
これは、正直誤解しても仕方ないところがあると思う。
「でっ、でも、いつかやらかしかねないって思ってたんっすよ。だって先輩性格悪いし、オレに異様に厳しいし、ぜってぇムッツリだもん! ムッツリは爆発したら一番ヤベェって相場が決まってるんすよ!」
「ほーう」
事情をまったく知らない彼は、面白いように墓穴を掘って行く。土がかかった先輩警官は、目と表情の寒暖差が面白いくらいに激しい笑顔で、後輩へにじり寄っていく。
「う、動くな! 撃つっすよ⁉︎」
「撃ってみろよ」
カチ、カチっていう間抜けな音。
「あっ、あれ? エラーが」
温もりのある質量がルークの頭を襲った。そのまま乱暴に鷲掴まれて、強引に悪魔と向かい合わされる。
「手前が俺んことどう思ってんのか、よーくわかったよ」
「や、やだなぁ、リベル先輩。ジョークっすよ、ジョ・オ・ク! そうマジにならないでくださイダだダダダだダ」
ミシミシという音がここからでも聞こえてくる気がする。
「歯ぁ食い縛れよ?」
パッと手を離し、右肩をぐるっと回してからの、
鉄拳。
「いっっってぇーーー‼︎ 」
今度こそは間違いなく何か聞こえた。
その場でルークは転がりながら悶える。
「暴力反対! 暴行罪の現行犯で逮捕してやるっすぅ!」
「愛のある鞭だよ。
「あっ、ははは!」
いきなり響いた笑い声に場がシーンとなった。ちょっと経ってから、その声が自分のものであることを知る。
「くっ、はは、ふふっ」
自覚してからはもう駄目だった。堪えようとなんとかしている努力も、この激流を前にしては
思いっきり笑った。声に出して笑った。生まれてはじめてってぐらい笑った。
やがて笑いは鳴りを潜める。あの優しい悪魔の目と視線が交差する。
「お巡りさん、名前は?」
「リベルだ。リベル・ハワード」
「ありがとう、リベルさん」
そして身体を横に向ける。
最初から全部お見通しだった、ソフィアの運命の女神様。
「カメリアも。ここに連れてきてくれてありがとう。全部あなたの言う通りだった」
思いっきり泣いて、とびっきりに笑って。ちょっと枯れた声でお礼を言う。
カメリアはいつも大人びているけど、
「どういたしまして」
今の表情は、年頃の可愛い女の子に見えた。
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