エピローグ

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 茂木さんの運転するタウンエースで、親父とヒナとユーリが帰ってきた。ヒナはなんか仏頂面だったし、ユーリはしゃくぜんとしない顔をしていた。

「で、結局のところ、テコンドーとシステマの世紀の対決はどうなったんだ?」

 俺が訊くと、ヒナは両手を上に向けた。お手上げのポーズらしい。

「どうもこうもないよ。僕もユーリも、ふたりまとめてあっという間に茂木さんに縛り上げられてノーゲームって感じ」

「モテギ。わたしとヒナを合わせたよりも強いです」

 ユーリも一緒になってお手上げのポーズだ。マジかよ。茂木さんって、そんなに強かったのか。

「やー、不意を突かれたっていうのもあるけど、めっちゃ訓練してると思うよ、アレ。合気みたいな感じで転がされて、あれよあれよと縛られちゃったから」

「ディフェンドゥー、ちかいですね」

「なにがアレって、強い人って絶対にオーラ出ちゃうもんなんだけど、それがまったくないのがヤバいよ。あれじゃも警戒できないもん」

「近づくも、気配ないです。ゴーストです」

 まあそのおかげで、ふたりとも大きな怪我もなく済んだんだから、それはいいことだ。

「茂木さん、めっちゃ強いんスね」

 俺が言うと、茂木さんは「いえいえ、私などはまだまだ」と、首を横に振った。「結局、王塚先生からは一本も取れたことがありませんでしたから」

 待って。先生って戦闘能力まで高かったの? そんなの本気で大海賊王じゃん。

「で、ユーリはこれからどうするの?」

 俺が訊くと、ユーリは「あ~、九鬼さん。わたしのボスですが、ちょっとタイヘン」と言って、眉根を寄せた。「ディアボロ。あ~、オサキ? 家から離れると、家、ハイスピードで没落しますね。九鬼さん、どうやら失脚しました」

「マジで?」

 それはまた、なかなかスピード感ある展開だ。でもまぁ、俺からすると喜ばしいことではある。もうあんな人と関わりあいになりたくないし。失脚して二度とこっちにちょっかいをかけてこないなら、それはもう文句なしのハッピーエンドだ。

「わたし、無職っぽい? こまります」

「あ~」

 そういえば、ユーリは九鬼さんに雇われているのだった。九鬼さんが失脚したので、ユーリも仕事を失って無職のプーってことらしい。なにごとも、全部まるくハッピーエンドってわけには、なかなかいかない。

「まあいいじゃん。俺と同じ、無職のプー仲間ってことで。ゆっくりと今後の人生のこと考えていこうぜ」

 ユーリも、いま木更津に戻ると面倒に巻き込まれそうな雰囲気らしい。「わたしのマーマ、迎えにきます」と言うので「じゃあそれまでウチでゆっくりしていれば?」 と、俺とヒナとユーリは居間のコタツに足を突っ込んだ。

 で、俺たち三人が大相撲中継を見ている後ろで、親父は母ちゃんにめちゃくちゃ怒られていた。 

「なに!? どこでなにしてたの!?」

「や、もちろん説明するから。ちょっと、いったん落ち着けって」

 みたいなやりとりがひとしきりあって、ギャーギャー言っていた母ちゃんも怒り疲れ、まあ、とにかくこうして帰ってきたんだからひとまずいいか、みたいな雰囲気になりかけたところで、今回の件について説明するには当然、仁子ちゃんの説明もしないわけにもいかないから親父がその話をはじめ、これもまた当然、母ちゃんはめちゃくちゃ怒って「は? なに? 清子!? その清子はなに? 誰!?」となり、それもどうにかこうにかなだめすかして(こんな話をどうにか宥める親父も、宥められてしまう母ちゃんも滅茶苦茶だが)やっと音量が下がってきたと思ったところでインターホンが鳴り、依然、母ちゃんはめちゃくちゃキレていたので親父が応対に出たのだが、戻ってくると何故か背中にべっとり巨乳の金髪白人女をくっつけていたので、また母ちゃんが「は!? なに!? 誰その女っ!?」と、めちゃくちゃキレた。

「おう。わたしのマーマ、きました」

 ユーリが言った。

「で、なんでユーリのマーマが、うちの親父の背中にべったりくっついてるわけ?」

 俺が訊くと、ユーリは「分かりません」と、首を横に振った。テンションの低いユーリと、めちゃくちゃテンションの高いユーリのマーマがロシア語でペラペラ喋ったあとで、珍しくユーリが頭を抱え「あ~」と、呻いた。

「えっと、なに? どうしたの?」

「マーマ言ってます。トモヒロ・ムラカミ。わたしのパーパです」

「は!?」「また!?」

 俺とヒナは同時に叫んだ。



 ☟



 まただった。

「いや、これはほんとあの、俺の人生におけるトップシークレットで命に関わる話だから、もう内密に、内密にってことでお願いしたいんだけど」

 巨乳ロシア人女を背中にはりつけたまま、親父が話をはじめた。

「その~、俺は以前CIAの特殊エージェントをやっていたんだが、その頃アデリーナはKGBのスパイでな……」

 のっけから胡乱な単語がポンポン飛び出す与太話だったので、俺とヒナはもうめんどくさくなって途中からは完全に聞き流し、ぼんやりと大相撲中継を見ていた。大筋としては、親父はむかしCIAのエージェントをやっており、そのときにユーリの母親であるアデリーナと知り合い、KGBのスパイとは知らないまま道ならぬ恋に落ちた、みたいな話らしい。

「パーパが日本人は聞いてましたが。トモヒロ・ムラカミとは知りませんでした」

 ユーリが言った。そりゃまあ、CIAのエージェントだったっていうんだから、偽名くらいは使っていただろう。ていうか、ひょっとすると今の村上姓だって偽名の可能性もあるんじゃないだろうか?

「いや俺も真尋が生まれたし、もう命懸けのヤクザ稼業からは足を洗わなきゃなって決心して、最後の任務のつもりでな」

 親父がなんやかんやと言い訳じみたことを言い連ねていたが、それでCIAを辞めてやり始めたのがフリーライターだとかアンチエイジングサプリの販売とかなんだから、ぜんぜんヤクザ稼業からは足を洗えてないと思う。

「つーかアレだな。親父が元CIAだって聞いたら、ヴィジャイが気絶しそうだな」

「重度のCIAアレルギーだからね。ともくんのこと、命のオンジンとまで言ってたのに」ヒナが源氏パイをポリポリかじりながら言う。「ていうか、つまりユーリもまーくんの実の妹ってことだよね」

「マヒロ、初めて見たときから、あ~、ノスタルジーでしたから? わたし、運命の人かと思いましたが、ブラザーフッドでしたね」

 ユーリが頬杖をついて、ふぅっと息を吐いた。なんだか、いつもよりも表情が豊かに見えた。アンニュイというかメランコリーというか、とにかくマイナス方向っぽいのが残念だが。

「なるほどな」

 ぜんぜんなるほどではないのだが、他に言いようもないので、仕方なく俺はそう言った。

「マーマ。パーパに会うは、もうあきらめてました」

 娘を迎えにきてインターホンを押したら、もう会えないと思っていた相手がひょこっと出てきたのだから、そりゃユーリのマーマもテンション上がっちゃうだろう。上がっちゃうだろうとは思うが、もうちょっとタイミングってものがあったんじゃないかって気も、ちょっとする。これは当分、母ちゃんの機嫌はなおりそうにない。

「メリッサに、仁子ちゃんに、ユーリでしょ? なんかアレだね。まーくんの人生に関わってくる女の子って、だいたいみんな実の妹だね」

「マジでろくでもねぇな、あのクソ親父」

「これで、おばあちゃんが茂木さんと再婚したりすると、マジで登場人物全員親族みたいなことになるね。ウケる」

「え? そんな可能性ある?」

 俺が訊くと、ヒナは「さあ?」と言って、居間の畳敷きになっている一角を指差した。茂木さんとばあちゃんが、茶を飲みながら、なにやら思い出話に花を咲かせているようだった。「まあ、その可能性はなきにしもあらず。くらいの感じじゃない?」

「あ、そういえば。ばあちゃんさぁ」俺は上半身だけで振り返って、声を掛けた。「母ちゃんがやる、こう、キツネの手でデコピンするやつあるじゃん? 悪い憑きものを落とすっていう」

「ああ、これ?」と、ばあちゃんも手をキツネにして、指を弾く。

「そう、それ。それって、ばあちゃん直伝の由緒正しい魔法だって、むかし母ちゃんが言ってたんだけど。なんか由来とかあるの?」

「ないよ、そんなの」ばあちゃんはフルフルと首を横に振った。「絵里がオバケを怖がるもんだから、これでもう大丈夫だよって適当に編み出した、ばあちゃんのオリジナル」

「あそう」

 こういうのはなんて言うんだっけ? イワシの頭も信心から? まあいいか。

「わたし、これからどうしますか?」と、ユーリが顔を俯ける。なんかわりと、ガチで落ち込んでいるっぽい。「わたし、アンサツ以外、なにもできないですが」

「そんなことないでしょ」と、ヒナが言う。「普通に格闘技でもやれば? 茂木さんが異常なだけで、ユーリめちゃくちゃ強いし。ヴィジュアルもいいから、有名になれると思うよ。なんなら、僕んとこの道場にくる?」

「そうですね」ユーリが顔をあげて、ちょっと微笑んだ。「では、次はちゃんと試合で決着つけましょう。ヒナ」

「や? うーん。公式試合だと無理じゃないかな」ヒナが苦笑いをした。「僕とユーリじゃ、性別が違うし」



 ☟



 結局、まだしばらくは木更津のほうがいろいろときな臭いということで、落ち着くまでユーリはうちに滞在することになった。ちなみに、どういう経緯があったのか詳細は知らないのだが、俺が次に見たときには母ちゃんとユーリのマーマが完全に意気投合して、ふたりでめっちゃ盛り上がっていた。お互い、ダメ男に惚れてしまった者同士で話が合ってしまったのかもしれない。

 特にやることもなかったので、俺が一度、王塚紀一郎の墓参りをしておきたいと言ったら、翌週、茂木さんが車を出してくれることになった。

 俺とヒナとユーリの三人で、商店街の前の通りで待っていると、茂木さんが例の古いファントムでやってきた。前に見たときは暗かったから、てっきり黒塗りだと思っていたけれど、昼の陽の光のしたで見ると濃いワインレッドと黒のツートンカラーだった。

「どうしたの、この車」俺は聞いた。「茂木さんも、九鬼さんのとこはクビになったんじゃないの?」

「ええ、そうなんですが」言って、茂木さんは頭を掻いた。「私もぜんぜんまったく把握していなかったのですが、実は先生がずいぶんと前から私の給料から天引きにしていたようで、この車、もう私の名義に変わっていたようなんですよ」

「へ~、すごいじゃん」ヒナが声をあげた。「先生てきには、退職金の積み立てみたいなつもりだったんじゃない?」

 そういえば、茂木さんを運転手にスカウトするときに先生が約束したのは『免許さえあれば、心おきなくこいつを運転させてやる』だったか。自分が死ぬまででは、まだまだ『心おきなく』とはならないと考えていたのかもしれない。

「しかし、自分で所有するとなると維持費だけでもいろいろと大変でございまして。私も晴れて無職の身でございますから、さて、どうしたものかと思案しているところなんですが」

「まあせっかくだし、この車を使ってハイヤーでもやったらいいんじゃないッスか? そこそこニーズはある気がするし、うまくいかなかったらその時はその時で、また考えればいいでしょ」

 少なくとも、うちの親父がやってる商売よりはずっとマトモだし、勝算もありそうだ。

「そうですね。私もこの車には思い入れがございますので、どうにかなんとか維持できないか、ちょっと考えてみたいと思います」



 ☟



 木更津まで、またアクアラインを抜けて行った。トンネルは同じだったけど、海ほたるから先のアクアブリッジは昼間に通るとまたぜんぜん違っていて、どこに目を向けても青色の陽気な雰囲気だった。

 王塚紀一郎の墓は高台のふつうの墓地の一角にあった。多くの人に大先生と慕われた『平成最後の影のフィクサー』の墓にしては、こじんまりとした質素なものだった。一瞬、墓石の前で丸くなっている黒っぽい猫かなにかの姿が見えたけれど、シュルシュルとした独特の身のこなしで、すぐにどこかに消えてしまった。しっぽがふわふわで二本あったような気もしたけれど、ただの見間違いだったかもしれない。

 線香をあげ、手を合わせた。

 目を閉じる。

 あんたもあんたで、いろいろと大変な時代を、とにかく生き抜いたんだよな。

 俺たちも俺たちで、まあいろいろと大変だけど、どうにかそれなりに生き抜いていくよ。

 死後の冥福なんて、本気で信じているってわけでもないけれど。ともあれ、俺は祈った。

 ちょいと手を合わせればそれで気が済む俺たちと違って、やっぱり茂木さんは時間が掛かるので、俺たちは茂木さんを墓前に残して、先に戻った。墓地から階段を上がったところが公園になっていたので、そこをぐるりと散歩した。なかなか眺望がよく、木立のあいだからすこしだけ海も見えた。ずいぶんと離れているのに、風に微かに潮の香りが混ざっているような気がした。

「マヒロはこれから、どうしますか?」

 不意に、ユーリが訊いてきた。

「どうしようかね?」答えに困って、俺は遠くに目をやったまま、首を傾げた。「どうするっていうのもまだ、ぜんぜんなにも決まってないんだけど」

 本格的に就職先でも探すか、来年の入学を目指して受験勉強でもするか、それとも、このまんまなんとなくてバイトとかしながらダラダラ生きてくのか。

 俺はいったい、俺自身の人生をどうしたいのか?

 いろいろあったような気もするけれど、あちこちぐるぐると回っただけのことで、結局のところ、俺はまだ同じ場所にいる。

「は~。まーくんは相変わらずかぁ~」

 ヒナが大きく伸びをしながら、呆れたような声を出した。

 本当に、相変わらずだ。

「まあでも、とりあえず一個だけ。やらなきゃいけないなって思ってることはある」

 俺が言うと、ヒナが「それはとてもいいことだ」と、頷いた。「それは、とてもいいことだよ。まーくん」



 ☟



 夜。俺は自宅の屋上に出た。

 俺がスバンッ! と着地して、周辺に極厚マットレスをまき散らしたせいで、ご近所さんからはかなりガチ目に怒られてしまい、結局、長年うちの屋上を占拠していた大量のマットレスはすべて処分することになった。結構な費用が掛かったようで、おかげでまたまた、うちの家計は火の車だ。

 数年ぶりにすっきりとした屋上で、俺は塗装の剥げた手すりにもたれ、ポケットからスマホを取り出し、電話をした。

 何回かのコール音のあとで「はい」と、懐かしい声がした。

「怜奈?」

 俺は言った。意外とすんなりと、声が出た。

「うん。村上くん? どうしたの」

「ああ、えっと」いろいろと話すことを考えていたはずなのに、俺は言葉に詰まって、視線を上に向けた。空には大きな月が出ていた。「うん。どうしてるかなって、思って」

「わたしは、別に?」怜奈が言った。「普通に、大学に通ってるよ」

「そっか」

 しばらく沈黙の時間があって。でも不思議とそんなに、気まずくはなかった。

 怜奈が「村上くんは」と、言った。「どうしてた?」

「うん。いろいろあったんだ」俺は言う。「いろいろ。話したいことがあるんだ。怜奈に話したいことが、たくさん」

「そう。聞かせて」

 俺は話す。



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毛むくじゃらな犬をめぐる冒険 大澤めぐみ @kinky12x08

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