4. アンチクライマックス的、もしくは意味不明の結末



 脳内BGMのブライチは主和音の四連打から、壮大なフィナーレに差し掛かっていた。

 ばいーんっ! と反動を食らって、俺は回転しながら再び空高く跳ね上がった。大量の極厚マットレスが、ミルククラウンみたいに同心円状に跳ね上がるのが、スローモーションで見えた。

「ええ~~~~~っ!?」

 そう叫んだ自分の声までスローモーションが掛かっていて、低く長く引き伸ばされていた。俺の脳裏ではまだ、オサキが愉快そうに爆笑していた。腹を抱えて転げまわり、床をバンバンと叩く仕草まで見えた気がした。

「わしも何千年と生きてきたが、ここまでバカバカしい結末を見せられたのはさすがにはじめてじゃ!!」

 細々とした建物がみっしりと肩を寄せ合うギチギチの街並みと、東西に真っ直ぐに伸びる中央線の高架が見えた。その向こうに広がる緑の井の頭公園では、井の頭池が朝日を反射して銀色に輝いていた。

 視界が回転して、一面の青になる。赤いヘリコプターが所在なさげに旋回しているのが、一瞬見えた。

 唸るティンパニー。すでに全力の弦楽隊に、いよいよ管楽器も加わる。

 ふたたびマットレスの山に落ち、俺はさらに跳ねた。ダイヤ街アーケードの天井は上から見るとけっこう汚かったし、近所のビルの屋上には違法増築っぽい小屋が乗っかっていた。跳ね上がった高度はさっきよりも低いが、おかげでゴミゴミとした下町のディティールがよく見えた。

 また落下して、跳ねあがる。マットレスは四方八方に飛び散っていたが、十段以上も積まれていたせいで、跳ねても跳ねても、まだまだその下にマットレスがある。

 最後の最後、弦楽隊こんしんのジャン! ジャン! ジャジャーン!! のリズムに合わせて三度バウンドして、俺はようやくマットレスの上に大の字で着地した。

 スローモーションだった世界が通常の速度を取り戻し、舞い上がったマットレスが当然の物理法則に従って、次々と上から降り注いだ。

 一発だけ降ってきたマットレスの直撃を受け、俺は「うげっ!」とうめいたが、面で受け止めたおかげか、物理的なダメージはほとんどなかった。

 マットレスを押しのけ、大きく息を吸う。

「生きてんのか、俺?」

 なんとなく、自分の手をじっと見つめる。指も腕も、問題なく動く。生きてるどころか、どうやら怪我ひとつない。

 マットレスで埋め尽くされた屋上。塗装が剥げて錆びた手すり。階段室に繋がるくすんだ青色の扉。どっからどう見ても、俺んの屋上だった。

「どうやら、そうらしいの!」と、俺の脳裏でオサキが言った。まだ爆笑していて、合間合間に「ヒーッ!」という引き笑いが混じっていた。「だから言ったじゃろ! わしは死ぬのもそう簡単じゃないんじゃ。なにをどうやっても、自動的に生きながらえてしまいおる!!」

「ええ~、マジかよ……」

 こっちはもう命捨てたつもりで決死のダイブをしているので、そんな、ばいーんっ! とかされても、ちゃら~んっ! とは、なかなか納得できない感じはある。加減を知らない海外のドッキリ番組かよ。なんか、こんな感じのオチの映画があったよな?

「まあまあ、命があってよかったではないか。別にお前だって、好きで命を捨てたわけでもなかろう」

「そうなんだけどさぁ~」

 はぁ~、と。俺は本当に大きなため息をついた。肚の底から魂がちょっと抜けた気がした。

「あ~でも、これじゃ結局、根本的な問題の解決にはなってねぇよな?」

 オサキはどうやっても祓えないから、王塚紀一郎だって、抱えたままひとりで死ぬ以外に道はなかったのだ。一時的に俺が生き延びたところで、問題を先送りにしただけに過ぎない。

「まあ、それは追い追い考えればよかろう」

 オサキがそう言ったところで「なになになに? いったいなにごと!?」と、母ちゃんが青い扉を開けて、屋上に出てきた。

「よ」

 俺がマットレスの上で上半身を起こし右手を挙げると、母ちゃんは「あ、なんだ。まーくんか。びっくりした」と、胸を撫でおろした。いや、ぜんぜん胸を撫でおろすシーンじゃない気がするが? どんな胆力だよ。

 息子が空から降ってくるのは十分過ぎるほどびっくりするべき事態だとは思うのだが、母ちゃんが普通に「おかえり、まーくん」と、言うので、俺も普通に「ただいま、母ちゃん」と言うしかなくなる。

 俺は立ち上がり、マットレスの山から下りて、裸足で屋上のコンクリートのうえに立った。俯いてパンパンと尻を払っていると、母ちゃんの「あ、ちょっと待って」という声がした。

「うん?」

「まーくん、またなんか悪いものが憑いてるね」

 顔を上げると、キツネの形にした母ちゃんの手が、もう眼前に迫っていた。

「えいっ!」

 掛け声とともに、母ちゃんが俺のおでこに思いっきりデコピンした。

「いでっ!!」俺が叫ぶのと同時に、オサキの「んがっ!!」という叫び声も背後から聞こえた。

 背後から?

 脳裏じゃなくて? 

 振り返ると、マットレスの上になんか一匹のちいさな変な獣がいて、前足でおでこを押さえ、後ろ足をバタバタさせて、のたうち回っていた。黒っぽくて、縞模様があって、長毛種の猫みたいに見える。フサフサとした大きなしっぽが、二本あった。

 オサキ?

 俺がジッと見ていると、獣はびっくりしたみたいに跳ねあがり、こっちを見て「ミョン」と、妙なかんじに一声鳴くと、蛇みたいに滑らかな動きでシュルシュルと素早く移動して、マットレスの山の向こう側へと消えていった。

 ええ~。どうやっても祓えないんじゃなかったのかよ……。

「行っちまった」

 俺が呟くと、腰に手を当て、謎に『えっへん!』のポーズをしていた母ちゃんが「ああいうのは、もともとそのへんの野にいるものだから。ほっといても、野で勝手に生きていくわよ」と、言って、うんうんと頷いた。

「で、まーくん。なんでまた上から帰ってきたの?」

「あ~」

 俺は説明の言葉を探して、空を見上げた。

 それはちょっと、長い話になる。長くて長くて、そのくせオチが釈然としない、アンチクライマックス的で意味不明な、尻すぼみの与太話だ。



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