瀬見とせみちゃん

伽藍

ミーンミーン

 私は夏が嫌いだ。

 雲一つない青空に照りつける太陽に、暑苦しい学生の青春。その全てが嫌い。


 そして私は、煩い声で鳴き続けるが大嫌いだ。


 以前までは親友とそんな青春を楽しむ立場であったが、高校に入ってからは陰キャぼっちを極めた私は、放課後図書室に籠る日々が続いていた。


「……ただいま」


 私は知り合いが誰も居ない田舎の学校に進学し、張り切ってひとりアパートを借りて暮らしている。

 いつも通り19時に家に帰ってきた私は誰も居ない部屋に向かって挨拶をする。これが私の日課だ。


「……あ、おかえりなさい!」


 ――あるはずがない挨拶が返ってくる。視線をゆっくり靴から上げると、暗い部屋の真ん中に小さな女の子が丸テーブルの前で正座していた。暗くて顔ははっきりと見えないが、明らかに私よりも年下であることだけは分かる。


「……うわぁーっ!?」


 私は間抜けな声を発して倒れるように玄関で尻餅をつく。倒れながらも私は部屋のスイッチを点けた。

 電気に照らされた少女はほのかに日焼け跡が残る顔でうぶな笑みを浮かべていた。


「……通報しよう」


 直感が働いた私が緩めたネクタイを締め直して鞄の中のスマホを探していると、少女は困惑した様子で私の足にしがみついてきた。


「は、離してください! ここは私の家ですっ、訴えますよ!」

「――ありがとうございますっっ!」


 予想外な返答に私の脳みそはグラつく。

 ……え? 何この子、というかどうやって私の部屋に入ってこれたんだ……鍵はしっかりかけてたのに!


「だって、蜘蛛の巣に引っかかったを助けてくれたのあなたですよね!」

「は? ……蝉ッ!?」

「はい! せみは、元々蝉でした!」


 な、何を言っているのこの子!? 私が蝉嫌いなのを知っていてわざと言っているの!?

 駄目だ話を聞いている余裕なんてない、さっさと通報してやる!


 私が必死にスマホを探す最中にも話しかけられ続け、怯えながら叫び散らかす。


「私はせ、蝉を助けた覚えなんてない! どうやって部屋に入ったの!?」

「いえ! 絶対あなたに助けられました! 目が悪くて顔見えませんが声で分かります! どうやって入ったかは……内緒です!」

「引っ越さなきゃ……お母さんに相談……スマホあった! 警察に通報しますからね!? 不法侵入!」

「う、うぅ……あっ! 泣きませんからね! だってせみは蝉ですから!」

「……蝉は鳴くでしょ」

「鳴くのはオス――男の子だけです。せみはですから!」


 彼女は振り解こうとする私を逃さまいと必死に食らいついてくる。


「とにかく君の保護者の電話番号の人教えて。早く伝えないと……こんな時間帯まで外いたら心配しちゃうよ」

「せみには両親がいません。だって蝉は大人になったらすぐに死んじゃいますから。だから、パパの鳴き声も知らないです」

「……なんだよ、それ」


 少女から飛び出した言葉は、絶賛思春期真っ盛りの私にクリティカルヒットしてしまい、110番を押す指が止まる。

 ――いいじゃん、不思議っ子。


「……本当に、両親がいないんだな? なら、今までどこに住んでたの」

「……土の中と、木の上」

「くっ……」


 自分が言っていることに違和感を持ち始めたのか、少女は不安そうにボソボソ呟くものだから思わず笑いがこみ上げてきてしまった。


「でもさぁ……」

「な、なんでしょうか……?」

「……冬だよ? 今」


 今日は2022年12月23日金曜日、日本の季節は夏を越し冬を迎え、更にはクリスマスを控えた日である。

 暖房も付いていない冷えた部屋に何時間、彼女は座り続けていたのだろうか。


「……君の名前は?」


 ついに通報しようと思う心が折れた。どうせこんな田舎だ、1日くらいなら向こうの両親も理解してくれるはず。


「せみの名前はです! 蝉なので!」

「…………あっ、そう。じゃあ勝手にって呼ぶね。私は……」


 そこで言葉が詰まる。どうしよう、私の名字を知ったらこの子にからかわれるかもしれない。

 それどころか、『え、冗談で蝉とか言ってただけなのに何乗っかってきてんすかー?』とか言われちゃうかも……!?


「――あれ、まだ名前聞いてないですー! 教えてくださいー!」

「……結希ユウキ。私の名前は結希」

「ユウキさん……? ふるねーむは何ですか!」

「……み」

「…………?」


瀬見セミ!!」


 外まで響き渡る大きな声で叫ぶ。そう、運命ってのは残酷だよ。

 自分が世界で一番嫌いな生き物と同じ名字を持っているなんて。


「――素敵な名字ですね! 可愛い!!」

「……え」

「私と一緒ですね! さん!」

「下の名前で呼んでよ……うーん」


 目線を下に落とし彼女の服装を改めて眺める。着ているのは1枚の茶色いワンピースだけ、正直冬に出歩く格好じゃないんだよな。


「……寒かったでしょう。お風呂準備するから一緒に入ろうね。服も……サイズ全然合わないと思うけど用意する」

「ほんとぉ!? やったぁ! どこー? あっちー?」


 念の為、この子に虐待されてる跡が無いか確認するためにも一緒に風呂に入ることにしよう。


 早速彼女を脱衣所まで連れて行き服を脱がす。幸い、彼女の体に切り傷も打撲傷も付いていなかった。

 そのまま彼女を風呂場に入れて身体を洗う。湯船には慣れていないようで怯えていたけど一緒に浸かってあげたら嬉しそうにしていて可愛い。


「ぷはぁー!」


 せみちゃんは私が出した牛乳コップ一杯分を飲み干し、笑った。


 ……よし、飲食は可能……っと。


 明日は土曜日だけど……夜更しするのはこの子の成長に悪影響だよね、今日はいつもより早く寝ようかな。


「せみちゃん。今日は私のベッド使っていいよ。超フカフカだよ」

「セミさんはどこで寝ますか!」

「さん付けしなくていいよー。私は床で眠るよ、シングルだから一緒だと狭いしね」

「嫌です! 一緒がいいです!」


 駄々をこねるせみちゃんを払い除けるのも悪いと思い、二人でベッドに眠ることにした。


 そして翌日。休日は遅寝遅起きを心掛けてきた私には珍しく朝日と同時に目が覚める。

 手元でまだせみちゃんは眠っていた。


「…………食事、つくろ」


 せみちゃんを起こさないようにそっと立ち上がり、久しぶりに朝食を作り始めた。



***


「――いただきます!」

「いただきます」

「せみを助けて家に泊めてくれるどころか、ご飯まで! ありがとうございます……!」

「だから助けてないって……」


 リモコンに手を伸ばしニュース番組を見ながら、私は半分寝ぼけた状態で米を口に飲み込む。


 しかし、どのチャンネルを見てもクリスマスの話題ばかり。誰も他の話題が無いのかってくらいクリスマスのことしか言ってない。


『今日はクリスマス・イブですね! 若者はカップルで過ごすのでしょうか』とか聞いてるだけで鳥肌が止まらなくなってきたので、そっとチャンネルを変えてアニメを流す。


「ねえ、せみちゃん。君が助けられた場所ってどこ? 案内してよ」

「遠いですよ! 歩いて行くとたいへんだし……」

「バスで行こっか」

「……はい!」


 そう言うとせみちゃんは急いでご飯を味噌汁で流し込み、すぐに朝食を食べテレビに釘付けになっていた。

 その間に私は皿を片付けて身支度を行う。他人と出かけるのも随分と久しぶりな気がする。


「行こうかせみちゃん。そんなに遠くないよね」

「うーんと……お昼から歩いて、夕方くらいに家着きました! ちょっと……遠い?」

「……方向はせみちゃん頼るね」


 普段なら学校に出かけるような時間に外に出る。天気は悪く、予報によると今日は雪が降るらしい。せみちゃんにコートと手袋を着させて正解だったな。


「はーっ。息が白い……!」

「冬だからね、夏じゃ中々見れないよね」

「うん! あっちです〜!」


 せみちゃんの気の向くままに私達はバスで移動する。バスの中はカップルが多く、私が羨ましさと虚しさを抱えて苦しんでいる横でせみちゃんは外の景色を眺めてワクワク楽しんでいた。


 私にも、あんな時代があったんだよな。




「――次は油町……油町です」

「ん……」

「着いたよ、せみちゃん」


 バスに揺られて約1時間、はしゃぎすぎて寝てしまったせみちゃんを起こして住宅街に降り立った。


 ここで私に助けられたとせみちゃんは言っていたけど、こんな所一度も来たことがない。何というか今更だが、私は騙されているんじゃないか?


「どうしましたー……!? 怒ってます?」


 でもまあ、こんな可愛い笑顔を向けられたら怒りは消え去っちゃうよな。


「何でもないよ」


 私がここまでせみちゃんに優しくしているのはきっと、どことなく彼女が昔の友達に似ているからだ、多分。

 私の初めての友達で、初恋の人。中学の時までは一緒だったけど、彼女は夏休みにどこかに行ってしまった。長年の初恋も、あの子からしたら大した問題でも無かったみたいで、私には何も伝えてくれなかった。


「あっ! ここですー!」


 私が思い出に浸っていると、せみちゃんの言う場所にいつの間にか辿り着いていたみたいだ。

 やっぱり、彼女が指差している家は知らない住宅だった。


「……ごめん、せみちゃん。やっぱり助けたのは私じゃないと思う。だってここには一度も来たことがないから」

「えー? せみはここで見つけたよ?」


 せみちゃんは常識がないのかズカズカと他人の家の敷地に入っていき、花壇の上に乗っかって蜘蛛の巣が張り巡っている木に指を伸ばす。


「ちょちょせみちゃん! そこ入っちゃ駄目!」

「え、でもほら! この大っきな蜘蛛の巣にひっかかってた所を助けてくれたじゃないですか!?」

「そうじゃなくて……!」

「――あらあら、どうしたの?」


 せみちゃんを連れ戻そうとこっそり敷地に入ると縁側の戸が開き、中から出てきた老女と目があった。

 何とか誤魔化そうと返事を考えている間に、老女は言葉を続ける。


「……もしかして、迷子なのかな?」

「あの、実は――」


 そこで、老女にこれまでの経緯を話し自分達が離れた町から来たことを伝えると、老女は快く受け入れせみちゃんの話を聞くため中に入れてもらえた。


「お菓子、おいしいです!」

「そうかい、良かったわあ。えっと……妹さんよね?」

「まあ……はい」


 間があったので不思議そうに見られてしまったが別に疑われているようでもないし気にしないでいいか。


「そうねぇ……もしかしするとその子は、私の孫かもしれんわねえ……」

「お孫さん」

「セミさんのお婆ちゃんなの……?」


 せみちゃんは答えに納得出来ないよう様子で私の目をじっと見つめてくる。悲しいけど、このオチは読めていた。

 仮にせみちゃんが蝉だったとして、本当にここで助けられていたとしても、その人が私である可能性なんてゼロに等しいのだ。


「どういうことかしら……?」

「あ、あの! お茶ありがとうございました! 私達はこれで……」

「あら。もう少し居てくれても困らないわよ? ……ってもう13時なの! 土曜日だし遊びたいわよね、いってらっしゃい」

「失礼しました〜いくよ、せみちゃん」


 私は落ち込むせみちゃんの手を握って逃げるように家を後にする。お婆さんは最後まで笑顔で送ってくれたので良かった。


 さて、これからどうしようか。今日はまだ終わっていない。バスに乗って帰ってもいいけど、いま心配なのはせみちゃんだな。

 真実を知ってからせみちゃんは異様に大人しいし、励ましてあげるか。いや、その前にせみちゃんの保護者に連絡するべきなんだろうけど。


「せみちゃん、どこか……行きたい場所でもあるかな? 私が案内するよ」

「……本当ですか?」


 私の言葉を聞いて彼女が顔を上げる。私を見る目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 ああ、彼女から見える私の姿も今ので変わってしまったのだろう。これじゃ私はただの他人だもんね。


「……じゃあ、人がいっぱいいて、楽しそうにしてる所が良いです! みんな楽しそうでちょっと羨ましかったんです!」

「デパート……かな。ちょうどいいや、ここから近いし」

「いきましょ!」


 拳を上げてガッツポーズを見せ明るく振る舞うせみちゃんが、今の私には少しわざとらしく見える。

 せみちゃんにとって今の私に何の価値があるの。



 住宅街から歩いて10分で駅前に辿り着いた。大きな駅の近くに必ずデパートがあるのは田舎の常識みたいなものだ。

 今日がクリスマス・イブなのもあって客が相当多く、手を離してしまえばせみちゃんの身長なら一瞬で迷子になってもおかしくない。


「せみちゃん、したいことって……ある?」

「うーんと、写真! ぷり……くら?」

「プリクラって……そんなベタなことあるの。まあ……いいよ、じゃあ中入ろっか」


 プリクラ……撮るのはいつぶりだろう。中学……何なら小学生以来?

 陽キャっぽく振る舞えるかな……。


 不安になりながらもせみちゃんを連れて大型デパートの中に入り、真っ先に2階にあるゲームセンターに向かった。

 ゲームセンターも相変わらず人混みが激しい代わりに1人で黙々と遊んでいる人ばかりで、仲間がいる気がして私もワクワクが止まらなくなる。


「せみちゃん、撮るよ撮るよ!」

「わっ! テンション高い!!」


 振り切れた私はおかげで恐怖心や羞恥心が無くなり、どんなポーズもせみちゃんと一緒に何枚も取り続けた。


「これが流行りのギャルピースだよっ!」

「セミさん可愛い〜!」

「せみちゃんも真似して! ほら!」

「え、えへぇ〜こうですよね……!?」


 その後はクレーンゲームやったりファストフードを食べたりと普段の私では珍しくやりたい放題。


 過激な運動で疲労がピークに達した私はヘトヘトになった状態で逆にせみちゃんにもたれ掛かるようにデパートを巡る。


「……そうだ、せみちゃん。新しい服、欲しくない? 私何にも使わないからお金だけが溜まっちゃってるし、一着なら割と高くても買えるよ」

「えっ……いいんですか!? あっ……でも、大丈夫です……」


 何故か、彼女は言葉を濁らせた。それに彼女は目を合わせようともしてくれない。さっきまでテンションが上がりすぎて忘れかけていたけどせみちゃんには気を使われ続けてるんだよな。


 ……所詮は赤の他人、彼女は仕方なく私に従ってくれているだけなんだ。でも、お互い様だよね。むしろ自業自得?

 だって私、


「……そう、ならまたいつかね」

「はい!」


 気付くと私達はデパートを出て人混みに紛れていた。隣はせみちゃん、多分。


「人が沢山ですね!! なんでだろう……?」

「これからイベントがあるんだよ。友達とかカップルで来てる人が沢山居るんだ、クリスマス・イブだから」


 薄暗くなっていく空に私達も視線を取られる。間違いなく昼よりも天気が悪くなってきているけど、人々は天候よりこの時の方が大事みたいだ。


「……苦しいなあ……」


 人の圧には慣れていないため、動く度他人に肩がぶつかることに私は怯えながら歩く。


「もう、帰ろうかな」


 ポケットからスマホを出して、スマホカバーに挟んだ写真に視線を落とす。せみちゃんと二人で撮った写真、ラクガキは今時しないってクラスの人から盗み聞きしておいて良かった。


 それにしても、あの子にそっくりだな……笑った顔も目も口も。


「……はぁ。ごめんね、せみちゃ……ん……?」


 握ってたはずの手がいつの間にか消えていた。多分、スマホを出した時に手を離しちゃったかもしれない。


 周りを見渡してみるけど、せみちゃんの姿はどこにも見えない。実は、今まで見ていた彼女は幽霊だったりするんじゃないか。

 だけど何回写真を見返しても私達は笑顔で写ってる。


「――だからさ、君どっか行かない? 兄ちゃん達イイとこしってっからさ」

「結構ですって! あの、友達とこれから会う約束なので……!」


 彼女の声が聞こえた。声のする方を向いて出所を探すと、店の隅っこで男三人に囲まれている彼女の姿が見えた。


「――林田さん」

「……え、瀬見ちゃん!?」

「……他行くか」


 そこに居たのは、私の林田さん。急いで彼女の元に駆けつけると男達は私を友達だと勘違いしてどこかに行ってしまった。


「いやー久しぶりだね、瀬見ちゃん」

「そっちこそ……こんな田舎でどうしたの!?」

「田舎っていうか……私の故郷なんだけどね」


 知らなかったよ、ここがあなたの故郷だったなんて。


「私、今ひとり暮らしして学校に通ってるんだ」

「そうなんだ。あ、瀬見ちゃんに言ったよね? 私、親が離婚しちゃったから転校したんだよ」


 言ってなかったよ、引っ越した事情も引っ越す事も。


「実は、さ」


 そう言って彼女は手をモジモジして下を向いた。直感でしかないけど、こういうのは大抵私が望まない結果になる。


「友達って言ってたのは嘘でー……好きな人とデート? まだ付き合ってないけどね!」

「……なんだ、良かったね」


 私の気持ちには無視し続けてたくせに――とは言えなかったけど、多分私は今嫌な表情をしていると思う。

 それでも彼女は優しく私に微笑んだ。


「……見ていく?」

「いや、平気だよ。私もまだ用があってさ」

「えー……でも分かった! 携帯貸して! 連絡先交換しよーよ」

「あっ……」


 林田さんは確認を取る前に私からスマホを奪い、勝手に自分の電話番号とLineを登録していた。


「……お?」


 突然、林田さんは私のスマホを裏返して挟んでいた写真の存在に気が付く。せみちゃんと目の前の私の顔を見比べてニヤニヤしだす。


「この子、私にそっくりだね」

「そ、そうかな……?」


 図星をつかれて声が上擦り変な汗が吹き出る。よりによって本人だけにはバレたくなかった事がバレてしまうなんて最悪だ。

 絶対に軽蔑される、ロリコンの疑いまで……それは彼女がオタクじゃないから有り得ないと思うけど!


 だけど、彼女は何も言わなかった。しばらく腕を組んで考える仕草をした後に、林田さんは口を開く。


「いいじゃん」

「……え?」

「めちゃくちゃ私のこと好きじゃん! いや、知ってたけど、私のせいで友達他に作れてないんじゃないかなって不安だったんだよ!」


 私の手を両手で握る彼女の笑顔があまりに眩しい。何なら顔も近いし。


「しかも、日付! 今日、撮ったんじゃん! えーと、せみちゃん? え瀬見ちゃんと同じ名前なの!? すごー……あれ、その子はどこ?」

「はっ……」


 そこで私は息を呑んで走り出した。林田さんの静止する声も聞かずに、人混みの中で大きな声を上げて彼女は探し始める。


 なんて最低なんだ、私は!


 私がついさっき思ってたことはなんだ? 友達に嫉妬とか怒りだとか、それよりももっと大事な感情があるだろ!?


 謝らなきゃいけないんだ、本当は君に怖がってたことを!


「せみちゃんどこにいるのーっ! 私、謝らないといけないこと、あなたを――」


 声や物音に混じる小さな羽音。何の音か分からないほどに微小だけど私は導かれるように人波を乗り越えて大きな広場に出る。


 この日の為だけに展示された大きなクリスマスツリーの下で、私のコートを羽織った彼女が待っていた。


「はぁはぁ……どうやって……ここに」

「せみは蝉ですから! ぶんぶーんってここまで飛んできました」

「ごめん、ごめんね……」


 人目を気にせず、膝を突いてせみちゃんを抱きしめる。

 せみちゃんは声を漏らしながらも私の頭に手のひらを乗せ、優しく撫でてくれた。


「ずっと私、せみちゃんを幽霊だと思ってた。私の後悔を成仏させる為に私が創った妄想だって」

「せみも、夢なんじゃないかなって思っちゃうくらい幸せですよ」

「……ごめんね」

「もう! 泣いちゃ駄目ですから!」

「むぐっ」


 せみちゃんは私の顔を持ち上げ無理やり視線を合わせる。涙が頬を伝う。


「せみも怖かったんです! だってセミさんがせみの恩人じゃなかったらただの不審者じゃないですか!」

「……えぇ?」

「だから嬉しかったんです。せみのワガママを聞いてもらえたことが! 色々分かっても同じように接してもらえたことが!」


 せみちゃんは図太いから気付いてないだけだと思うけど、それでもせみちゃんが嫌な思いをしていないって知らなかった。


「せみは、泣きませんから」

「……蝉だから?」

「セミさんがセミさんなのと同じです。せみはせみです!」

「そっか……」


 クリスマスツリーに巻き付いた飾りが光り輝くイブの19時。私に纏わりついていた呪縛が解けた気がした。


***


 涙も収まり、私は膝についた土を払い除けもう一度せみちゃんと手を繋ぐ。


「……これからどうしようか」

「うう、人増えてませんか……?」

「……そうだ。せみちゃん、デートしようよ」

「……ええ!? デートですか!?」

「ははっ、デートにも意味は沢山あるんだよ。……私は、せみちゃんと向き合いたいから」


 私は夏が嫌いだ。何もかもが騒がしくて大嫌い――だけど、今は少しだけ違う。

 目で見て耳で聞いて、何となく思った。好きなことならもっと挙げられるはずだと。


 例えば、夏の音。静かで心地良い音が夏には溢れている。

 風鈴や花火が上がる音、風の音も好きかもしれない。あんまり考えてこなかったけど、人の声だってそこまで苦手じゃないかもしれない。


「ミーンミーン」

「……せみちゃん?」

「どうでしょうか!? 冬なのに蝉の鳴き声が聞こえてきたら……なんか良いですよね!」


 なんか良い……ふふっ、たしかにちょっとだけ良いな。


「――あっ、いたいた! もー友達置いていっちゃうの酷いよ瀬見ちゃん!」

「林田さん」


 広場に息を切らして入ってきた林田さんと歩いてきた男性と目があった。


「初めまして。君が彼女が言ってた子?」

「セミさん、この人誰ですか!?」

「あなたがせみちゃんね! 昔の私みたいで可愛いー!」

「せみちゃん。それが私の友達、林田さん。で……こっちが林田さんの友達」

「僕は木原です、よろしくね」


 ――そうだ、来年の夏は海に行こう。その時は1人かもしれないし、2人かもしれない。とにかく、来年こそ必ず行こう。


「木原君! 2人を紹介するね! この子が瀬見セミ結希ユウキちゃん! で――」

「――せみはせみちゃんです! これ、本名です!」「よろしくね、せみちゃん」

「――私はです。って……呼んでください」

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瀬見とせみちゃん 伽藍 @Garan123

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