第6話 父のワープロから私のパソコンへ

 さて。そんなわけで、現在私はカクヨムと小説家になろうの両方にファンタジー小説を置いている。

 以前までは平日に毎日二回更新していたが、仕事が忙しくなったのと内容に厚みが出てきたのですぐには書けず、平日出来るだけ更新になっている。昼休みと17時過ぎの更新待ってたんやぞ勢には、誠に、誠に! 申し訳ない!


 今書いている小説は難しいテーマを主題に置いているからか、書きながら自分が傷つくという初めての体験をたくさん繰り返している。これまで生きてきた中で負った心の傷や問いを、まるごと詰めているからだ。

 フィクションのお話だけれど、キャラクターの芯にはノンフィクションの自分がいる。なんとなくそんな感覚を持っている。

 あえて答えを出さない話も多い。他者の考えを否定せず、今理解はできないけれど理解する努力は続けたいと、そういう結末にした話もあった。

 それには、大学の時に受けた講義が強く作用している。



 ピューリッツァー賞をとった「ハゲワシと少女」という写真をご存じだろうか。

 やせ細り、過度の飢餓のせいで腹の出た少女がうずくまっている姿を、ハゲワシがじっと見ているという写真だ。――餓死寸前の少女の死を、ハゲワシが待っているのである。

 賞に取り上げられたその衝撃的な写真は、世界的に様々な取り上げられ方をした。

 メッセージ性が強く、貧しい国の飢餓問題に人々の関心を集める事が出来ると絶賛されることもあれば、そんな写真を撮るよりも助けるべく手を差し伸べるべきだと写真家を批判する声も上がった。

 それは最終的に、「報道か人命か」という論争を巻き起こすまでに至ったのだ。


 社会学を取っていた大学生の私は、この写真が撮られて良かったと思った。たった一枚で世界に問題提起出来るメッセージ性の強い写真こそが、たくさんの人々を救うきっかけになると思ったからだ。

 だが、なんの肩書きもないただの私は否定した。死に瀕した少女に手を差し伸べ水をやり、食べ物を与えてこそ人道だろうと。


 答えなんて出るはずもなかった。教授も明言はしなかった。考え続けること、それも学問なのだという終わり方だった。


 もう十何年も前の話なのに、いまだにこの講義を思い出す。その度に答えの出ない問いというものは在り、それを世界は許容しているのだと自覚した。

 



 高尚な話を書くつもりはないし、エンターテインメントの作品を重く思って欲しくなくて、あの小説は軽いテイストをそこそこ盛り込んでいる。死だけじゃなく、生には楽しいこともたくさんあるからだ。


 大人になった私は、小学生の時とは違い伝えたい事が多くなった。それを自分が使える手段で吐き出せることの出来る今が、とても僥倖のように思っている。

 キーボードを叩く手は同じはずなのに、通う思いは大きく変化した。技術も言葉も、そして媒体も。


 あの時父のおさがりのワープロで小説を打っていた私は今、自分のお金で買った立派なパソコンで小説を打っている。始まりはファンタジー小説だ。そこだけは今も変わっていない。


 これが、一人の物書き変遷備忘録だ。拙い話を最後まで見てくれてありがとう。

 願わくば、これを見てくれている貴方もどうか楽しい物書き生活を送れていますように。そう祈っている。


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物書き変遷備忘録 佐藤 亘 @yukinozyou_satou

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