第62話 悪い予感
「風が変わったなぁ。なんだか嫌な感じがする」
換気のために開けていた編集室の襖から、爽やかな風が入ってくる。今週は概ね晴れ模様、風も湿り気が抜けていた。
「どうしたんだよ編集長。また鈴華がやらかしそうって予感か?」
デスクの前を通りかかった小鬼の蒼司がそう問えば、永徳は口元だけで笑い、頭をかく。
「いや、そういう感じとは違うかな、なんだろう……」
「山本五郎左衛門様の息子だけあって、編集長は勘が冴えてるからなあ。そう言われると不安になっちまうよ」
「悪い悪い。ほら、父の予知能力と違って、俺のはただの気のせいの時もあるし。実際悪いことの予兆さえ見えないだろう? そういえば蒼司、この間の取材原稿だけど、初稿は……」
「おおっと、いけねえいけねえ。オイラ用事を思い出した!」
「締め切りはちゃんと守るんだよ」
「わ、わかってら!」
気まずそうな顔をして席に戻っていく小鬼の背中を見送りつつ、永徳は頬杖をつく。
––––佐和子さんに関すること、ではなさそうかな。彼女には玉龍がついているし、根付けにかけた術もある。鈴華が危害を加えようとしても傷つけられることはないだろう。他にあるとすれば……。
悪い予感の手がかりを掴もうと、思考を自分の脳の奥深くに潜らせる。
因果の糸を手繰り寄せようとすれば、日本髪の女の顔が現れた。
「編集長」
「おわっ」
真後ろから話しかけられ、永徳はオフィスチェアから転げ落ちた。
振り返れば頭に浮かんだ通りの日本髪の女の首が浮いている。刹那である。
「何度も言っているけど、こっそり顔を近づけて話しかけるのはやめておくれよ。心臓が止まるかと思ったじゃないか」
「止まるようなヤワな心臓はなさってないですよね。ちゃんと一度、首を伸ばさずに話しかけましたよ? でもぼんやりとしていた様子だったから、ちょっとイタズラをね。なんですか? 幸せボケですか?」
ニヤニヤと意地悪く笑う刹那を前に、永徳は苦笑する。
「将来のお嫁さんと仲睦まじいことは悪いことじゃないだろう」
「ようやく嫁『候補』の肩書は外れたんですねえ。セクハラがたたってそろそろ振られるんじゃないかと、アタシとしてはヒヤヒヤしてましたよ。最悪このまま一生結婚できないんじゃないかとも」
「ひどいなあ」
「ま、選り好みしなければ、『山本五郎左衛門の息子』の元に嫁に来たいというあやかしは少なくないでしょうけどね」
「それは俺を好きなんじゃなくて、肩書きに惹かれてやってきているだけだよ」
肩をすくめ、おどけた表情で微笑めば、刹那は「編集長個人にそこまで魅力はないものね」とグサリと刺した。
「ところで、本題はなんだい? 刹那のことだから、わざわざ冷やかしに声をかけてきたんじゃないだろう」
刹那が言葉を発そうと口を開いたと同時、電話口に出ていた赤司が永徳を呼んだ。
「どうした赤司。俺宛の電話かい?」
「ああ。たぶん鈴華のやらかしの一端っぽくて……」
「またか……。刹那、悪いけど話は後で」
「最近の編集長はぐうたらする暇もないわねえ。アタシの用件は急ぎじゃないから。また手が空いた時に声をかけることにします」
ため息をつく永徳に背を向け、刹那が遠ざかっていくと、デスクに転送された通話の着信がなる。「やれやれ」と呟きながら、永徳は受話器をとった。
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