エピローグ

「食い倒れイン文化祭だー!」

「いえーい! ぱちぱちぱちー!」


 テンションが完全に狂っている。

 私は苦笑すらできないまま、両脇を固められていた。


 若松と春香は文化祭の空気に完全に当てられているのか、いつも以上に楽しそうな顔をしている。


 若い。

 あまりにも。


 私も最近は花凪と色々しているから、以前より高校生らしくなっているような気がするけれど、春香たちには負けると思う。


「今日は腹が張り裂けるまで食べるぞー!」

「わーい。ふっふー」


 春香は声を張り上げるのに疲れたのか、いつも通りの声量に戻る。

 左は恐ろしく耳に痛い声量、右はそれなり。かえって混乱するが、これも私たちらしいといえばそうかもしれない。


 最近は特にこうして三人でいることが多いから、こういうテンションにも慣れてきている。


「ほら、ゆま」


 春香は私の手を引いてくる。相変わらず眠そうな目をした春香は、笑ってしまいそうなくらいいつも通りだった。


 私は両手を春香と若松に引かれて、文化祭を回ることになった。

 回るといっても教室でやられているお化け屋敷やらアトラクションの類に行くつもりは一切ないようだった。


 私は二人の勢いに押されて、ポップコーンやら焼きそばやらを口に詰め込まれることになった。


 三人で遊ぶときは割と食べ歩きをすることが多いが、私はいつも早々にリタイアしている。


 次に脱落するのは春香で、最後に残るのはいつも若松だ。

 食べ過ぎで体が重くなった私はベンチに座って、まだ店を回るつもりでいるらしい若松を目で追った。


「ここ、いい?」


 了承する前に、春香は隣に座ってくる。

 最初からいいって言うつもりだったから、構わないけれど。


「……食べる?」


 春香はまだ余裕があるのか、ポップコーンを勧めてくる。


「食べないです」

「ふーん。じゃ、私が食べちゃお」


 騒がしい人々の声に混ざって、ポップコーンの咀嚼音が聞こえる。もそもそというか、もきゅもきゅというか。


 春香はポップコーンを食べながら、じっと私を見つめてきていた。

 その頬は少し膨らんでいる。


「もうそろ私たちも卒業だね」

「ん、そうね」

「高校生活、どうだった?」


 ポップコーンをがさがさ言わせながら聞かれても、風情がないような。

 でも、私たちにはそういうのが合っているのかもしれない。

 私は小さく息を吐いた。


「楽しかったよ」

「私のおかげ?」

「……それ、自分から言う? まあ、そうだね。八割は春香のおかげだよ、多分」

「残り二割は、花凪ちゃんでしょ」

「一割だよ。もう一割は、若松とか色々」

「なるほど」


 春香はそれだけ言うと、しばらく無言でポップコーンを食べ始める。

 見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ。

 すでにかなり満腹だから、あんまり見ているとやばいことになりそう。


「花凪ちゃんとは、どう? うまくいきそう?」

「おかげさまで」

「……そっか」


 春香は手を止めて、私をじっと見てくる。

 私もなんとなく背筋を伸ばして、彼女と目を合わせた。


「やっぱり駄目ってなったら、いつでも言ってくれていいよ。……いちお、ほら。私、ゆまの親友なわけだし」

「ん、ありがと」

「そんなことには絶対ならないけどね。ねー、ゆま」


 唐突に花凪の声が聞こえて、私はびくりと体を跳ねさせた。

 見れば、ベンチの後ろから花凪が私たちを覗き込んでいる。彼女はそのまま私たちの間に割って入るように、隣に座ってきた。


「花凪。もう仕事は終わったの?」

「うん。ゆまは何してたの?」

「春香と若松と、三人で大食いしてた」

「……それ、楽しい?」

「……まあ、それなりに?」


 花凪は微妙な表情を浮かべている。

 食い倒れ自体はそんなに楽しいとは思わないけれど、友達と一緒なら大抵のことは楽しいものだ。


「じゃあ、それ私も参加していい?」

「無論よ!」


 ちょうど買い物を済ませて帰ってきたらしい若松が、代表者面をして言う。

 私は苦笑した。


「というわけで花凪にはこの参加賞の焼きそばをあげよう」

「……若松、さっきもそれ食べてたよね?」

「それはそれ、これはこれ」

「何それ」


 花凪は若松から焼きそばを受け取って、なぜか私に向かって口を開けてくる。


「あーん」

「……」

「ゆま?」


 やれってことか。

 こんなに人がいる場所で、あーん、なんて恥ずかしいことを。

 私は少し迷ってから、仕方なく箸を持った。


「普通、焼きそばでこんなことするかね」

「いいの! 私たちはどうせ普通じゃないもん」

「ま、そりゃそっか」


 私はいつものように、彼女の口に箸を運んでいく。

 若松と春香は顔を見合わせて、にやついていた。


「慣れてますね」

「いつもどんなことをしているのかがよくわかりますね奥さん」

「なんなの、その鬱陶しいキャラ」


 私はため息をついてから、期待して待っている花凪の頭を軽く叩いた。

 私をじっと見つめてくる花凪の顔は、いつも通り可愛かった。





 一日目の文化祭は、春香たちと過ごして終わった。二日目は花凪と二人で回るつもりではあるけれど、今日だけで全部楽しみ尽くしてしまったんじゃないかと思う。


 それくらい濃い一日だった。

 春香と若松のパワーはそれだけ強くて、流石の花凪も押されていた。


 私たちはいつも通り肩を並べて帰路を歩く。

 さっきまでの喧騒が嘘だったかのように、二人でいると静かだ。隣を見れば自然と目が合って、それが幸せだと思う。


 昔のように言葉を交わさずとも互いのことを理解するなんて、もう無理だけど。

 でも私は今、完全には理解できない花凪のことを求めている。


「楽しかったね、ゆま」


 花凪は言う。


「そうね。明日何したらいいかわからなくなるくらいには」

「それは、心配しなくていいんじゃない? 二人なら、きっと楽しいよ」

「そうかもね」


 自然と触れ合った手を、繋ぐ。

 指を絡ませ合うと、花凪のことが強く私に伝わってくる。

 歩いていると不意に、花のような匂いがした。


「ね、ゆま。好きって言って?」


 とろけるような甘い声だった。

 だけど、前の花凪にあった粘着質な何かは、もうそこには感じられない。だから私はなんの含みもなく、その言葉を口にした。


「好きだよ、花凪」

「……えへ。私も、好き」


 花凪は子供のような笑顔を浮かべた。

 その笑顔を見ているだけで、幸せな気分になる。私は昔から、こういう花凪の顔が大好きだったのだ。


 この顔が見られるなら、彼女が私の傍を離れてしまってもいいと思っていた。


 しかし、今は。

 誰よりも近くでこの顔を見ていたいと思う。明日も、明後日も。

 私は彼女の手を引いて、少し背伸びをした。


 唇と唇を、いつものように触れ合わせる。かつてとはどこか違うように感じるその柔らかさは、変わり始めている私のことも、ちゃんと幸せにしてくれる。


 どう変わってもきっと、花凪は私にとって大事な存在だから。

 だからキスしたら心地良いし、ドキドキする。


 一年前はキスしただけで気持ち悪くなって、吐きそうになっていた。

 あれはきっと、花凪が私のものになってくれないと思っていたからなのだ。


 でも、今。

 想いを通わせてキスをすることは、何よりも気持ちがいいことだった。


「……幸せにするから。花凪が私を、望んでくれるなら」

「うん。私はずっとゆまのもので、ゆまもずっとずっと私のもの。私も頑張るから、私のこと幸せにしてね。……私の王子様」

「誓うよ」


 私はもう一度、花凪にキスをした。

 私たちは微笑み合ってから、またゆっくりと歩き始めた。


「じゃ、明日のプランは全部ゆまが考えてね!」

「は?」

「だって、ゆまは私の王子様なんだよ? お姫様をエスコートするのは役目でしょ!」

「……うざ」

「そんなこと言ってー! 私のこと好きなくせにぃ」


 花凪はそう言って、私にまとわりついてくる。

 なんというか、花凪らしい。


 昔より積極的になって、でも、昔と変わらないところもあって。そうやって私たちはこれからも、成長していくのだろう。


「はいはい。大好きですー」

「うわ、やな言い方。全然心がこもってないよー。寂しいよー」

「好き好き好き好き。これで満足?」

「一万回言われても満足できないよ」

「欲張りすぎでしょ」

「そう。私は欲張りなんだよ。だから目を離しちゃやだよ?」

「……はぁ。ずっと見てるよ、花凪のこと」


 私はそう呟いて、彼女の手を引いた。

 こうやって互いに気持ちをぶつけ合うことができるなら、きっと私たちは今後も大丈夫だ。


 二人で幸せになっていける。

 未来がどうなるかなんてまだわからないけれど、私はそう確信した。


「……大好きだよ、花凪」

「……私も大好き」


 これから私たちは、何回好きと言い合うんだろう。

 疑問は宙に溶けて、消えていく。

 でも、きっと。


 何度好きと言っても、その度に新鮮に驚いて、幸せになって、花凪を愛おしく思うのだろう。


 私は好きという言葉の感触を確かめて、花凪と歩いた。

 多分これが、幸せの形なんだろうと思いながら。

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歪んだ独占欲と拗らせた愛情をぶつけ合う幼馴染同士の話 犬甘あんず(ぽめぞーん) @mofuzo

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