私たちの幸せ②
「よくそんな甘ったるそうなもの食べられんね」
ゆまは私が頼んだフレンチトーストを、妖怪でも見るかのような目で眺めていた。
家の近所に最近できたこのカフェを、私たちは結構な頻度で利用している。
春休みであまりすることがないせいでもあるけれど、何より、今までちゃんとできていなかったデートをするためだった。
「美味しいのに。ゆまも食べる?」
「や、遠慮しとく。見てるだけで口が甘くなるし」
ゆまは嫌そうな顔をしているが、苺とクリームの乗ったフレンチトーストは甘くて美味しい。
カロリーを想像すると怖いけど。
……無駄な肉とか、ついてないよね。
「そんなの食べてていいの? ダイエットがどうのって言ってなかったっけ」
「今日はいいの! 美味しいもの食べてる時に変なこと思い出させないでよ」
「今日はいいって前も言ってた気がするけど」
「そんなに言うならちょっと食べてよ。私がぷよぷよになったらゆまも困るでしょ」
私はフォークで苺とフレンチトーストを刺して、ゆまに差し出した。
ゆまは少し迷った様子を見せてから、小さく口を開けてフレンチトーストを食べた。
ぼんやりと、ゆまの口が動くのを眺める。
うん。可愛い。
ゆまの顔は整っていて可愛いから、見ているだけでも楽しいと思う。
目が合うとゆまは、不思議そうに首を傾げた。
「私の顔、何かついてる?」
「ううん、何も。ただ可愛いなーって思って」
「ふーん」
ゆまはさほど興味がなさそうに、紅茶に口をつけた。
彼女の長い髪が、ふわりと揺れる。
今日は編み込みを入れたけれど、意外とそういう髪型も似合っている。ゆまは私より髪が長いから、色々アレンジできて楽しい。
本人はあまりそういうのに興味がないらしくて、私の髪をいじってくれたりはしない。
それが少し残念だけど、彼女の髪に触れられるなら別にいいかと思う。
「ゆまは言ってくれないの? 可愛いよーって」
「いつも言ってるじゃん」
高校に入るまでのゆまは、今よりもっと、ずっと優しかった。
私が彼女の嫉妬を煽るようになってから少し優しくなくなって、でも、最近はちょっとだけ前に戻っている。
昔みたいに甘々な感じでは、ないけれど。
それは私の自業自得とも言えるが、これくらいの感じがちょうどいいのかもしれない。
ゆまは私たちの近すぎる距離を良く思っていない。
確かに私たちは他者から見たら普通ではない関係だ。互いに互いがいなければ生きていけない、どうしようもない人間とも言える。
私はそれでいいと思ってきた。
だけどゆまが言うことも、最近は少しだけわかる。
二人でいる時が一番幸せだけど、他の友達といる時が決して楽しくないわけではない。私にもきっとゆま以外の友達が必要で、ゆまもそうなのだろう。
だから私たちは少しずつ、一人の人間としてちゃんと生きていくべきなのだと思う。
二人で一つではなく、二人の人間として触れ合うことが、きっと私たちには必要なのだ。
まあ、それはそれとして。
「可愛いって言ってくれないと、嫌いになる」
「……はぁ。あんたのその子供っぽいとこ、どうにかならない?」
「ゆまだって子供じゃん」
「花凪よりはマシ」
「好き嫌いしてるうちは子供だよ」
「別に私、甘いものが嫌いなわけではないし」
「じゃあ、あーんして」
「……いいけど」
私たちはしばらくそうしてなんでもない会話をして、二人で甘いものを食べた。
カフェを出る頃には日が暮れ始めていて、辺りは茜色の光に照らされ始めていた。
特に何かを言うこともなく、私たちは手を繋いで歩いていた。
「ねえ」
私は白線の上を歩きながら、言った。
ゆまは私に顔を向けた。
「白線の上から落ちたら死ぬゲームやらない?」
「やらない」
「ぶー。ノリ悪いよ、ゆま」
「そんなのやるの小学生だけでしょ。自分のこと何歳だと思ってんの」
「じゃあいいし。一人でやる」
私はゆまから手を離して、道路に引かれた白線の上を歩き始めた。
私の先を歩きながら、ゆまは呆れたような表情を浮かべている。
その瞳の奥に宿る優しい光を、私が見逃すことはない。
目を閉じてみると、ゆまの音が聞こえた。静かな呼吸音は、二人きりの家でずっと過ごしていた頃のそれと変わらない。
甘く、穏やかで、温かい。
その音を辿るように歩いていると、不意に風が吹いた。
思いがけないほど強い風にバランスを崩して、目を開ける。気づけばゆまは私のすぐ近くまで来ていて、眉を顰めていた。
腕を掴まれて、体のバランスが変わる。
白線の外に出た右足は、なんとなく始めたくだらない遊びの終わりを意味していた。
私は小さく息を吐いて、ゆまに顔を近づけた。
「ゆまのせいで死んじゃったじゃん。責任とって?」
「や、私が腕掴まなかったらそのまま転んでたでしょ」
「私、そこまで鈍臭くないよ」
「……はぁ。責任って?」
ゆまは何かを期待するような顔で、そう言った。
こういうところは昔から、可愛いと思う。
本音を隠していても、彼女は感情を隠し切れるほど器用ではないから、顔を見れば大体どんなことを思っているのかすぐにわかる。
一時期わからなくなっていたこともあったけれど、今はもう、きっと大丈夫だ。
私はそれ以上何も言わず、彼女の肩に手を置いた。
潤んだ瞳は茜色の光を受けてきらきらと輝いていて、私はそれに呼ばれるようにして彼女に顔を近づけた。
そっと、キスをする。
柔らかな感触が唇に伝わって、それだけで私はこれからも幸福に生きていけると思った。
私はそのまましばらく彼女の唇を啄んでから、静かに顔を離した。
「こんなので責任、取れるんだ」
「うん。ゆまからも、して?」
「それは無理。人に見られるかもしれないし」
「家でならしてくれるの?」
「さあね」
ゆまは素直じゃない。
だけどそれが今のゆまらしいんだと思う。変えてしまったのは私だ。でも、きっと私たちの関係そのものが大きく変わることはないのだと思う。
私はゆまの手を引いて、早足になって歩き始めた。
ゆまは何も言わず、私の手を握り返してくる。
家に向かう足取りは、軽かった。
幼い頃孤独を埋め合うために二人で過ごしていた私たちは今、二人きりになるために誰もいない場所を求めていた。
今日は私の家の方に人がいないため、二人で私の部屋に帰ってくる。
ベッドに並んで座って、何をするわけでもなく手を握り合う。
私はこういう時間がずっとなくならないものと信じて疑っていなかった。
二人だけの世界が完璧で、それしかいらないと思ってきた。
少しずつ変わり始めてはいるが、彼女と触れ合うのが何よりも好きだということは変わらない。
「ゆま」
「何、花凪」
「ゆまはずっと、私と一緒だよね」
「……」
いつかと同じ問いに、ゆまは答えない。
私は少し不安になって、彼女の手を強く握った。
「私がいない時も、ちゃんと生きていけるなら」
「……大丈夫だよ。私、友達いるし。ゆまもでしょ?」
「そうだね。……後悔しない?」
「何を?」
「私を選んだこと。……私、重いよ」
「知ってる。重くなかったら、昔の約束なんて覚えてないよ。私もだけど」
「まあ、そうか」
「……そんなに不安なら、約束する?」
私はそっと、彼女の髪に触れた。
「お互いに、お互いを最大限幸せにするよう努めるって」
「……え」
「何その顔」
ゆまは家の前にクマがいたみたいな、ひどく驚いた表情を浮かべている。
どういう感情なんだろう、これは。
「や、花凪のことだからてっきり、命をかけて私を幸せにするように! とか言ってくるものだと」
「私のことなんだと思ってるの!? ゆまのばか!」
一度、会話が止まる。
私たちは顔を見合わせて、くすくす笑い合った。それは幼い子供のような笑みで、きっと他の誰にも見せられないものだ。
私たちの世界でだけ存在を許されるその幼なさは、私たちが互いのことを思い合っているという証明でもある。
しばらく笑い合った後、ゆまは私の手を引っ張って、ベッドに寝転んだ。
図らずも、ゆまを押し倒すような体制になる。
「なんだと思ってるんだろうね。……私の知ってる花凪は、好きでもない人に告白するような子じゃなかったし」
「……それは」
「ごめん。もう怒ってるとか、そういうのじゃないんだけど。……いいよ。約束しよう。お互いのこと、幸せにするため頑張り合うって」
「……うん」
「私に見てほしいなら。好きって言ってほしいなら、これからはちゃんとそう言って。私も言うから」
「約束する」
「なら、じゃあ。誓ってよ」
ゆまはそう言って、私を見上げてくる。
誓う。
それって。
「えっと……いいの?」
「よくなかったら、言ってないし。察し悪い。雰囲気ぶち壊し。馬鹿花凪」
「むっ……なんなのその減らず口。私のこと大好きなくせに」
「好きだよ。大好きだから、こうやって言ってんじゃん」
「……あ、う」
流石に面と向かって好きと言われると、照れる。これまで言われたことがなかった分、余計に。
私が固まっていると、彼女の手が耳に触れてくる。
私はびくりと体を跳ねさせた。
「耳、真っ赤。可愛いよ」
上気した頬で、彼女は言う。
真っ赤なのはゆまも同じだと思う。
でも、ちょっと安心する。今までのゆまはこういう時嫉妬とか独占欲を私に見せてきてはいたけれど、照れてはいなかったから。
私もそうかもしれない。
何度もしてきたことなのに、こうして改めて、慰めとかじゃなくてお互いの気持ちを確かめるという目的でしようと思うと、ひどく緊張した。
「ほら。できるよね、お姫様。私のこと、好きなんでしょ?」
「で、できるよ。ちょっと、待って。脱がすから」
考えてみれば、ゆまの服を脱がすのは初めてだ。
手が震えて、うまく彼女の服を脱がすことができない。
そんな私を見て、ゆまは笑った。
「緊張しすぎ。……やっぱ、指切りとかにする?」
そう言って、彼女は爪が綺麗に切り揃えられた小指を私に見せてくる。
なんというか、やっぱり律儀な気がする。
私は立てられた小指を寝かせて、そのまま彼女に覆いかぶさった。
「いい。頑張るから。これからもっと、するだろうし」
「ん。じゃあ、まあ。頑張って」
「頑張ってっていうのは、おかしくないかな」
「ふふ、そうかもね」
私は一度彼女に軽くキスをしてから、ゆっくりとその体に手を伸ばした。
触れた時の感触は前と変わらない。温かくて、柔らかくて、私を受け入れてくれている肌。
その感触をもっと味わいたくて、私は焦るように服のボタンを外していく。
大丈夫。
緊張を焦燥が上回れば、嫌でも手が動く。
顔が噴火しているみたいに熱かったけれど、ゆまに撫でられていると少しそれがマシになる。
私は排熱するように、熱い吐息を彼女と交わらせながら、さらに手を進めた。
まだ暖房の効いていない部屋は、二人の熱で溶けてしまいそうなほどに熱くて、暑かった。
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