私たちの幸せ①

 私は一体、何をしているんだろう。

 暗い部屋に一人でいると、考えようとしなくてもゆまのことを考えてしまう。


 感情が爆発して、ゆまにキスしてしまった。いつもと違う彼女の唇の感触はすぐに思い出せるけれど、あまり嬉しくない。

 自分の唇を人差し指でなぞって、ため息をつく。


「ゆま……」


 ゆまは本当に、私より瀬川さんが好きなんだろうか。だとしたら、いつから?


 私が好きでもない男子に告白するようになったせいなのか、それとも元々瀬川さんとの相性が良かったのか。


 わからない。

 彼女から無理に好きという言葉を引き出そうとしなければ、今も彼女は私を一番に思ってくれていたのだろうか。


 考えが止まらない。

 ゆまの顔が見たい。声が聞きたい。彼女の瞳に宿る、私への感情が見たい。


 でも顔を見たら何かを話さないといけなくて、今の私に話せることなんてないと思う。


 目を閉じると、窓が開く音が聞こえた。

 からからという軽い音の後に、カーペットが微かに軋む音が響く。

 窓の鍵を開けていたのは、期待していたからだ。


 私はいつだって、ゆまに何かを期待している。その通りのことをしてほしくて、でも、もしそれをしてくれなくても、仕方がなくて。


 ゆまは私と同じ、一人の人間なのだ。

 いつでも望むことをしてくれるわけではない。

 私はゆまに、何か望むことをしてあげられていたのだろうか。


「デート中に勝手に帰るとか、最低だから」

「……ごめんなさい」

「許したげる。……話、しに来た」

「私は、話すことなんてない」

「じゃあ、私の話だけ聞いてもらうから」


 目を開けると、ゆまの姿があった。

 それだけでもうどうしようもないくらい胸がいっぱいになって、思わず彼女に手を伸ばす。


 ゆまは私の手を握って、隣に座ってくる。

 ベッドが二人分の体重で、ぎっ、と音を立てた。


「私たちさ。ずっと二人だけの世界で生きてきたよね」


 ゆまは小さな声で言う。


「私はそれでいいと思ってきた。花凪が隣にいれば他には何もいらないって。……吉田に告白されたこと忘れてるのも、多分花凪がいればそれでいいって思ってたから」


 いつも以上に優しい声色だ。

 私は静かにその声に耳を傾けた。


「……でも、きっともう、駄目なんだよ。私たちはどんどん大人になってきてる。二人だけの世界に閉じこもってなんていられない」


 私は何も言えなかった。

 私たちは二人で完璧な存在だ。


 私とゆまがいれば世界はいつだって完璧だし、それでいいと昔から思ってきた。

 それが間違っているとは、思えない。


「だってそうでしょ? 私にも花凪にももう大事な友達がいて、大事にすべきこともあって、それで……」


 彼女は一度、言葉を切った。


「花凪にはもう、好きな人だっている」


 そう言って、ゆまはじっと私の目を見てきた。

 何かを問うような瞳。

 私は息が詰まるのを感じた。


「そう思ってきた。だけど、わかんなくなった。だから花凪の気持ちを知りたい。花凪は本当に、好きな人がいるの? ……ううん。今まで告白してきた人たちのこと、本当に好きだったの?」


 いないって言ったら、軽蔑されるだろうか。

 でも、ここまできて嘘をつくことなんて、もうできそうにない。

 私は深呼吸をしてから、静かに口を開いた。


「……好き、じゃない。好きじゃなかった」

「ならどうして、告白なんてしたの?」

「それ、は」


 ゆまは優しく私の手を握ってくる。

 小さい頃と同じだ。


 私を安心させるために、柔らかく優しく手を握ってくれる。

 私は少し、泣きそうな心地になった。


「……ゆまに、嫉妬してほしかったから」

「……はぁ。最低だよ、それ」


 ゆまは呆れたように言う。

 私は小さく頭を下げた。


「詳しく教えて。なんで花凪は私に嫉妬してほしかったの?」

「だって。好きって、言ってほしかったの。好きって言われないと不安で、ゆまが私を見てくれないと怖くて、だから」

「好きとは、言ってこなかったけどさ。今までちゃんと花凪のこと見てきたじゃん」

「そうかもしれないけど。……でも、ゆまが離れていっちゃいそうで、怖かったの」


 馬鹿だと思われているだろうか。

 自分でも、そう思っている。


 ゆまの心が私から離れていくのが怖くて、彼女に好きと言ってもらいたくて、私は彼女の気を引こうとした。


 その手段は最低で、ゆまを傷つけるようなもので、ひどいことだったのだろう。


 私から好きといえば、きっとゆまは好きと言ってくれたはずだ。

 嫉妬なんてさせなくても、私が求めれば好きと言ってくれたかもしれない。

 それなのに私は欲を張って、彼女の強い感情を求めてしまった。


「だからって好きでもない相手に告白とか、する? 春香、怒ってたよ」

「瀬川さんが?」

「うん。だから私とキスしたーって、嘘ついたみたい」


 じっと、彼女の瞳を見つめる。

 その瞳に嘘の色はない。


 だったら瀬川さんのあの発言は、冗談だったということになる。

 少し、体から力が抜けた。


「私の気持ち、瀬川さんにバレてたんだ」

「……花凪の気持ちって?」


 優しい瞳で、彼女は尋ねる。

 言ってしまっていいんだろうか。怖くなってゆまを見ると、微笑まれた。


「……ゆまのことが、好き」

「……はぁ。おばか」


 ゆまはそう言って、私をぎゅっと抱きしめてきた。

 きつく抱きしめられて息が苦しくなるけれど、それが不思議と心地いい。


 ゆまの感触が、匂いが、私を包んでいた。

 私は少し迷ってから、彼女を抱き返す。


「ほんと、馬鹿じゃないの。馬鹿だよ。私を嫉妬させるったって、もっと別の手段あったでしょ」

「ああしないと、好きだって言ってくれないと思ったから」

「最低、最低。最低だよ」

「ごめんなさい」

「……でも。最低だってわかってるのに、慰めてって言われて嬉しかった私も、同罪だ」


 ゆまはそう言って、私の髪を撫でてくる。


「……私も花凪のこと、好き」

「……瀬川さんよりも?」

「そこ、気にする? 好きだよ。春香よりも、若松よりも」


 彼女から好きと言われて、ようやくこれまでずっと抱いてきた不安が胸から消えていくような感じがした。


 私はふっと息を吐いた。

 ゆまは私の肩に、頭を乗せてくる。


「でも、反省しなよ。告白ってされた方も結構苦しいんだから。今までどんな気持ちで私のこと好きでいてくれてたんだろうとか、振られたら悲しむんだろうなとか、色々考えるんだから」

「……うん。もう、しない」

「ん。よろしい」


 ゆまは一度、私から離れる。

 彼女の瞳には呆れの色があったけれど、それ以上に、慈愛に満ちているようだった。


 私たちはそのまましばらく何も言わず、互いの手を繋ぎ合った。

 閉じた窓から差し込む微かな月の明かりが、どこか遠い世界にあるもののように見えた。


 私はしばらくゆまの手の感触を確かめてから、彼女を見つめた。

 彼女はにこりと笑ってから、私からそっと目を逸らす。


「……私たち、今のままじゃ生きていけないよ」

「なんで?」

「大人になったら、色々大事なものも増えるじゃん。今までみたいには生きられないって」

「……でも、私はゆまと一緒にいたい」

「私じゃ花凪の王子様にはなれない」

「……なろうとしなくていい。ずっと昔から、ゆまは私だけの王子様だから」


 ゆまは目を細めた。


「代理じゃなくて?」

「じゃないよ。……ゆまは代わりって言ってたけど、私はずっと前から、ゆまだけが本物だと思ってた」

「……そ」


 ゆまは私の手を一度強く握ってから、ため息をついた。


「私、花凪のこと幸せにはできないと思うよ。普通に男の人と付き合って、普通に結婚とかしてさ。普通に幸せな人生とか、花凪なら送れると思うけど」

「……そんなの、知らない。ゆまと一緒にいること以外に、幸せなんてない」

「……拗らせすぎでしょ、それは。私、そんな大層な人間じゃないけど」

「でも、好きだから」


 彼女をまっすぐ見つめる。

 一度好きと言ったら、胸のつかえが取れて何度でも好きと言えるようになる。ゆまは私の言葉を受け止めて、困ったように笑った。


「私がいないと、幸せになれない?」

「うん。絶対に」

「……はぁ。じゃあ、うん。しょうがないか」


 ゆまは呆れたような表情を浮かべる。

 その呆れは、きっと私だけに向けられたものではないのだと思う。


「試してみよっか」

「何を?」

「私たちが二人一緒にいて、本当に幸せになれるかどうか」


 ゆまの言葉に、私は首を傾げた。

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