第33話
「かけらも好きじゃない、相手?」
「そ。ゆまは気づいてなかったの?」
春香はなんでもないような顔でそう言った。
確かに、一度も疑問を抱かなかったわけではない。少なくとも藤野に振られた後の花凪はあまりにも平然としていて、とても彼のことが好きだとは思えない様子だった。
だけど、これまでの二年間で告白してきた男子たちのことは、好きだったはずだ。
振られた時は落ち込んでいたし、最初に慰めてと言ってきた時の彼女の顔は切羽詰まっていたと思う。
だから全く好きでない人に告白しているというのは、流石に春香の勘違いだ。
「そんなわけない。ずっと見てきたけど、花凪は振られた時落ち込んでたし」
「そう見せてただけだよ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「恋してる人の顔じゃなかったから」
春香は静かに断言した。
「振られた後のことは知らないよ。あんま見てないから。でも、男子と話してる時の表情は何度も見てきたから、知ってる」
「……」
「あんな空っぽな表情で恋してるとか、ありえないよ」
空っぽ。
私が見てきた花凪の印象とは、違う。彼女は男子に好かれるために、媚びた笑顔をいつも浮かべていた。そこには確かに感情があったはずだ。
「花凪ちゃんが本当に恋してる相手なんて、一人だけだよ。……顔見ればわかる」
「それって……」
もし本当に彼女が藤野を含めた男子のことが好きでもなんでもなかったとして。
そういう前提があった場合、彼女が恋する相手は。
「ゆましかいないでしょ」
「……じゃあ、なんで」
「推測はできるけど、断言はできない。……でも、少なくとも本当に好きな相手に何も言わないくせに、好きでもない相手に告白するなんておかしいでしょ」
それは、確かにその通りだ。
だが、まだ花凪が本当に好きでもない相手に告白していたと決まったわけではない。
しかし。
花凪が春香の発言に動揺していたのは事実だ。
だとしたら。
「だから揺さぶりをかけたんだよ。ゆまとキスしたよーって。効果はてきめんみたいだね」
「……私、花凪と話さなきゃ」
「そんな必要、ある?」
「え?」
春香はそう言って、私の手を握ってくる。
その力は強い。
私は微かに痛みを感じながら、春香を見た。彼女は無表情で、私を見つめている。
「花凪ちゃんと話して、どうするの?」
「どうするって、そんなの」
「もし両思いだーってなったら、それでゆまは幸せ?」
「……それは」
もし花凪が私のことを好きだったとしたら、どうなるんだろう。私も花凪のことが好きと言って、彼女と付き合う?
そんなの無理だ。
両思いだとしても、私たちは歪み過ぎている。ずっと二人で一緒にいて、それで大人になったとしたら、きっと今よりもっと歪んでどうしようもなくなる。
そもそも幼い頃のように、二人の世界に閉じこもってもいられなくなるだろう。
どれだけ停滞を願っても、時は止まってくれない。
大人になったら大事にしなきゃいけないものも、責任も増えていく。そんな中で彼女だけのために生きるのは、無理だ。
私たちの世界は内側に向き過ぎている。
二人でいたら一生そんな世界に留まって、外界を拒絶してしまう。
そうなったらきっと、私は……いや。
花凪は、幸せにはなれないだろう。
二人だけで生きたって、結局はどこかで寂しさがやってくる。その寂しさは幼い頃の傷口を開いて、幸せを奪っていく。
ならば、結局。
どうあれ私たちは、一緒にはいるべきではない。
そう、わかっている。
「そうだよね。幸せなわけないよね。だってゆまが花凪ちゃんを見る時は、いつも痛そうだから」
春香はそう言って、私の頬に触れた。
「ねえ。二人で学校、やめちゃわない?」
見たことないくらいに真剣な顔で、彼女は言う。
いつの間にか、彼女の瞳は穏やかになっていた。
「今のままだと、ゆまはきっと幸せになれないよ。……花凪ちゃんが傍にいる限り、ゆまはずっとそのまま」
揺れる。
彼女の優しい声で、世界が揺れる。
私は何も言わず、彼女の手に触れた。
ひんやりした感触が、やけに寂しかった。
「苦しくて痛い恋なんて、捨てちゃった方がいいよ。……そんなの、恋じゃないかもしれないし」
自分で自分の感情を選べないから、人は恋に苦しむのだ。
私だって、できることならもっといい恋がしたかった。
好きって言われたら好きって返して、なんの不安もなく抱き合えたら。
それが一番幸せだと思うけれど。
「捨てちゃおうよ。逃げちゃおうよ。私はゆまのこと、傷つけないよ」
「逃げ、るって」
「学校やめて、二人でどこか遠くで、住み込みで働くの。周りに何言われても、親に怒られても、そんなの全部無視してさ。きっと楽しいよ」
春香は真面目な顔で、現実的でない選択肢を提示する。
本気で言っているのは、わかる。
春香は私のことを心配してくれているのだ。花凪と私の間に築かれた歪んだ関係についても、薄々勘付いているのだろう。
他者から見ても、私から見ても、それは捨てるべき関係だ。
でも。
「ごめん。……それは、できない」
「どうして?」
「苦しくても、痛くても、花凪と話さないと。花凪の想いを聞いて、あの子が何を思って今まで生きてきたのか知らないと、きっと前に進めないから」
「……絶対碌なことにならないよ。今こうしてるだけでも、辛そうな顔してるのに」
「……うん」
私はそっと、彼女の手を頬からどかした。
春香は私の手を握る力を弱めて、徐々に私から離れていく。
「それでもやっぱり、花凪のところに行かないと」
とにかく、彼女と話したい。
最終的に、やっぱり私たちは一緒にいるべきでないという結論に至るとしても。
このまま終わらせるのは駄目だ。どんな形になるにせよ、彼女と話さないと後悔する。彼女のことを諦めるのも、それからだ。
今までの私たちは、話さずとも互いのことを理解できた。
だけど私たちも、結局は別々の人間なのだ。話さないと完全には理解できない。だから今まで言わなかった言葉も、口にしないといけない。
そのためにはまず、彼女のところに行くべきなのだ。
「花凪ちゃんは、ゆまを傷つけるよ」
「私も、花凪をきっと傷つけてる」
「後悔すると思う」
「話さない方が、後悔するよ」
「……はぁ」
春香は大きくため息をついた。
「ゆまって、馬鹿だよね」
「うん」
「自分を傷つける人なんて、普通好きにならないよ」
「そうかもね。……ありがと」
「何が」
「私のこと、心配してくれて」
私が言うと、春香は眉を顰めた。
「ゆまのそういうところ、好きだけど……やっぱ、嫌い」
「ごめん」
「……いいよ。もう、いい。行きなよ。掻き乱してごめんね」
「うん。……また」
「ん。……またね」
私はゆっくりと立ち上がった。春香は私のことを、ぼんやりと眺めていた。その瞳には呆れだとか心配だとか、色々な感情が浮かんでいるようだった。
「好きにすればいいよ、ゆま。青春とか、恋とか。基本自分勝手のぶつかり合いだから」
歩き出した私の背中に、春香の声がかかる。
私は小さく頷いて、駅に向かった。
その途中でスマホを見てみるけれど、花凪からの連絡はない。私は早足になった。
多分花凪は、家に戻っている。私たちが戻ってくる場所は、あそこなのだ。私たちの関係は二人の部屋で始まって、今もそこに留まっている。
白い息が途切れ途切れに宙に浮かぶ。
喉が痛くて、涙が出そうだった。
花凪は今、何を思っているだろう。考えたけれど、今の私にはわからなかった。
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