古井戸

泡野瑤子

古井戸

 昔々、ある王国にたいそうきまじめな兵士がいた。

 その兵士は少年のとき軍隊に入ってから十年余、どんな小さな軍律違反も起こしたことがない模範兵であった。彼にとって、命令は絶対であった。どんな命令でも、二つ返事で引き受けた。


 兵士はあるとき、王城の裏山深くにある古井戸の警備を命じられた。

 外見は何の変哲もない、小さな丸い井戸にすぎない。だが城付きの学者によると、王国に伝わる神話に出てくるもので、なにか神秘的な力が封印されているらしい。

 たいへん歴史的価値の高い井戸であるということだったが、兵士にとってはどうでもよいことだった。重要なのは「この井戸には誰も近づけてはならない」という命令だけだった。

 兵士は毎日、たったひとりで井戸の傍らに立ち、何年も見張りを続けた。

 古井戸の底からは、今でも清らかな水が滾々こんこんと湧き出ていた。


 ある日、古井戸を守る兵士の前に、みすぼらしい老人が現れた。

「喉が渇いて今にも死にそうじゃ、そこの井戸水をくれんか」

「ならぬ。この井戸には誰も近づけてはならぬ、との命令だ」

 兵士はにべもなく拒絶した。

「しかし、水を飲まねばわしは死んでしまう」

 男はたしかに、いまにも倒れそうであった。

「ならぬ」兵士の答えは同じだった。

 老人は怒り狂った。

「なんと無体なことを言う。どうしてもそこをどかぬというのならば、力ずくじゃ」

 そうして最後の力を振り絞って兵士に飛びかかった。

 兵士は老人を思い切り押し返した。しかし、その拍子に兵士は後ろに倒れ、まっさかさまに井戸の底へ落ちてしまった。


 ところで兵士が古井戸を守りはじめてから数年後、それまで知られていなかった史料が見つかり、神話の井戸は兵士が守っていた古井戸とはまったく別の場所にあることが判明した。だがその頃には、誰もがあの古井戸のことと、その警備を命じられた兵士のことを忘れてしまっていた。

 さらに時代は変わり王国は滅び、古井戸にまつわる神話を知る者すらいなくなった。

 何百年も経ったのち、ある考古学者が、土に埋もれていたあの古井戸の跡と、ぼろぼろに錆びた鉄兜をかぶった髑髏どくろを偶然発掘した。

「これは素晴らしい! 歴史的大発見だ!」

 考古学者は髑髏を両手で高々と捧げ持った。

 かつて兵士の右目があった穴から、濁った水がぽちゃぽちゃと落ちた。(了)


















 

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古井戸 泡野瑤子 @yokoawano

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