プロットコンテスト用本文「【便意ブースト】世界は今、少年の可愛いお尻に託された ~便意を我慢できたら宇宙最強!? スカッと楽しい笑いをあなたに~」

月城 友麻 (deep child)

1. 便意独尊!

 魔王討伐を目指す勇者パーティは、腕試しにダンジョンの深層まで来ていた――――。


「分かれ道は右です。その先アンデッドが出ます。一応聖水を配りますね」


 荷物持ちの少年ベンは、そう言いながら勇者たちに聖水の小瓶を配っていく。


 本来荷物持ちが地図を読んだりする必要はないのだが、せっかく得た勇者パーティの仕事を実績にしたいベンは必死である。


「おい、アレよこせ!」


 黄金色に輝く派手なプレートアーマーに身を包んだ勇者は、金髪をファサッとなびかせるとベンに手を差し出した。


「え? ア、アレって……なんでしょうか?」


「アレって言ったらアレ、目薬だろ! すぐに出せ!」


「えっ!? 荷物には入れてませんよ。出発前に持ち物は確認したじゃないですか」


 ベンは泣きそうな顔で答える。


「カ――――ッ! 使えんなぁ!」


 勇者は不満そうにバシッとベンの頭をはたいた。


 『使えない』と言われても自分はただの荷物持ち。運ぶ物の選定は勇者たちの仕事である。とはいえしがない荷物持ちの少年に発言権などない。ベンは叩かれたところをさすり、大きく息をついた。


 ベンは東京のブラック企業で働いていた会社員。生真面目な性格を利用され、毎晩サービス残業の連続で過労死してしまい、女神に異世界転生させてもらっていたのだ。しかし、気が付いたらスラム街に暮らす少年になっており、異世界転生ものの作品にありがちなきらびやかな異世界生活からはほど遠い境遇だった。


 仕方ないのでトイレ掃除やドブさらいなど、人のやりたがらない仕事を黙々とこなし、何とか食いつないでいたのだ。


 そんなベンにも転機がやってくる。ベンの生真面目な仕事が評価され、街の偉い人の目に留まり、勇者パーティの仕事を紹介してもらったのだ。ここでいい評判を得られれば貧困からは卒業できる。ベンはこの荷物持ちに賭けていたのだった。


 そういう意味で、勇者の機嫌を損ねてしまうことはベンにとっては痛手であり、うなだれてしまう。


「目の不調なら私が治しますよ」


 純白の法衣をまとったヒーラーのマーラが、ニッコリとほほ笑みながら勇者に声をかけた。マーラはたぐいまれなる美貌びぼうをもちながら優しく、温かなまさに天使のような存在で、ベンにとっては憧れだった。


「あっそう? なんか目が疲れてシバシバするんだよね」


 勇者はパチパチとまぶたをしばたかせる。


「あらら、大変です。ではいきます! ホーリーヒール!」


 マーラは純白の杖を高く掲げて叫んだ。すると、黄金色に輝く微粒子の吹雪が勇者を包み、勇者も黄金色に淡く輝いた。


「お――――! いいねいいね!」


 勇者は上機嫌に笑う。


 マーラはうなずくと、ベンの方に優しそうな目を向ける。


 ベンがペコリとマーラに頭を下げると、マーラはニコッと笑い、美しいブロンドの髪を揺らした。


 ベンはそんなマーラにドキッとしてしまう。しがない荷物持ちの子供にまで気を配ってくれるマーラの優しさは、辛く厳しい荷物持ちの仕事の大きな支えとなってくれていたのだ。


 パーティには他に武骨な大男のタンク役と、強烈な攻撃魔法を得意とするナイスバディの魔法使いがいるが、タンク役は無口で不愛想、魔法使いは陰険で傲慢ごうまん、苦手なタイプだった。


 この時、急にベンのお腹が激しく鳴った。


 ぐぅぅぅ、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 真っ青になってお腹を押さえるベン。


 ここはダンジョンなのだ。トイレなどないし、どこに魔物が潜んでいるか分からない。だから用足しは休憩時間だけと厳しく決められていたが、次の休憩時間はまだずいぶん先だった。


 痛たたた……、漏れる……、漏れる……。


 ベンは冷汗をタラタラ垂らしながら、肛門を締め付ける括約筋かつやくきんに力をこめた。なんとか治まってくれないと困る。ベンは必死に祈りながら耐えていた。


 しかし、いつまで経っても暴れる腸は治まらない。ベンは必死に括約筋に力をこめ、押さえつけ続けたが、暴発は時間の問題だった。


「あのぉ、そろそろ休憩、どうですか?」


 ベンは覚悟を決め、勇者に声をかける。


「さっき休んだばっかだろが! 荷物持ちが足引っ張んじゃねーよ!」


 勇者はムッとした顔で答える。


「そ、そうですよね……」


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 ベンの胃腸はかつてないほどうねり、強烈な便意が下腹部を襲う。


 く、くぅ……。マズい、漏れる……。


 ポタリと落ちる冷や汗。


 その時、視界の端で魔法使いがいやらしい笑みを浮かべているのに気が付く。彼女は黒いローブに胸元を強調したビキニスーツを着込み、ベンが見るとそっと大きな黒い帽子の唾で顔を隠した。


 え?


 思い返せば、さっき彼女にもらった差し入れの飴はなんだか少し苦かったのだ。


 ハメられた……。


 ベンはギュッと目をつぶり、まんまと嫌がらせの策にはまってしまった自分の浅はかさにうなだれる。


 よりによって仲間に下剤を仕込むとは想定外だ。それもこんなダンジョンの深層で。しかし、腹壊してパーティの進行を遅らせたなんてことが広まると、もうどこにも入れてもらえなくなる。だからここは何としてでも耐え抜かねばならなかった。


 ベンは奥歯をギリッとかみしめ、内またで必死にパーティの後を追っていく。


「ベン君? だいじょうぶ?」


 マーラはそんなベンを見て立ち止まり、美しいブロンドの髪をかき上げながら、その鮮やかなルビー色の瞳でベンをのぞきこんだ。


「だだだ、大丈夫ですっ!」


 ドキッとベンの心臓は高鳴った。天使のような存在であるマーラに『便を漏らしそうだ』なんて口が裂けても言えなかった。


「そう? 辛くなったら言ってね」


 マーラは天使のほほえみを浮かべた。するとベンの便意も波が引くように治まっていき、ベンは恍惚こうこつとした表情で「はい」と、うなずいた。



      ◇



 やがてたどり着いたダンジョンの最下層。そこには豪奢ごうしゃな黄金の装飾が施された巨大な扉がそびえていた。


「いよいよ、ボス部屋だ! 総員戦闘態勢!」


 勇者は聖剣をスラリと抜き、掲げる。すると刀身に浮かび上がってくる赤い幻獣の模様。そして、模様が刀身を覆いつくした時、ピカッと閃光が走り、全員にバフがかかった。


 しかし、そのバフはなぜか治まりかかっていたベンの便意を刺激する。


 ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 激しく腸が鳴った。


 くぅぅぅ。


 お腹を押さえ、崩れ落ちるベン。便意は一気に最高潮に駆け上がる。


 ま、マズい、も、漏れる……。


 マーラが見てる前で暴発はマズい。だが、用を足せる物陰もない。ベンは絶体絶命の窮地きゅうちに立たされた。


 その時、ポロン! という電子音とともに青いウインドウが空中に開き『×10』と、表示される。しかし、ベンにはそれがなんなのか考える余裕もなく、ただ、脂汗を流していた。


「おい! 荷物持ち! 何やってる」


 勇者は弱っているベンを見てあざ笑う。


「これからって時に足引っ張んないでよね!」


 魔法使いはニヤニヤ笑いながらあざける。


 お前のせいだろうが! と、怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら、ベンは括約筋に必死に喝を入れ、


「だ、大丈夫です。行ってください」


 と、何とか口を開いた。


「言われなくても行くわよ! あんたはどうせ戦闘じゃ役立たずなんだからおとなしく荷物見てなさい」


 は、はい……。


 ベンは下腹部を押さえ、荒い息をしながら答える。いつかやり返してやりたい気持ちもあるが、そういうネガティブな応酬は前世の頃から苦手なのだ。


 ベンはキュッと口を真一文字に結び、目をつぶる。


「チャージ!」


 勇者は巨大な扉を押し開け、威勢よくボス部屋に突入していく。


 薄暗いボス部屋の奥には一段高くなったところがあり、そこには宝飾品に彩られた玉座が据えてあった。その後ろには扉。きっと出口だろう。


「いらっしゃーい」


 女性口調の男の声が響いた。その声には遊び相手を見つけたような嗜虐しぎゃく的なニュアンスがこもっており、パーティに緊張が走る。


 部屋の周りの魔法ランプがポツポツと点灯し、浮かび上がってくる豪奢なボス部屋のインテリア。


 声の主は玉座に座るタキシードを着込んだ男だった。おしろいを塗ったような白い顔には紫のアイシャドウに黒く太い唇、背中にはコウモリのような羽も生えている。魔人だ。


「ま、魔人!?」


 勇者の顔がゆがむ。魔物の中でも深刻な脅威と言われる魔人との対戦は初めてである。しかし、魔王討伐を目指す勇者パーティには避けては通れぬ敵でもあった。


 メンバーも険しい表情で魔人をにらむ。


「か、かかれー!」


 勇者の号令と共にタンク役は突進し、魔法使いは炎槍フレイムランスを唱え、一気に戦闘に突入する。


 ベンは便意を必死に我慢しながら部屋の隅でうずくまっていた。何とか物陰があればそこで用を足したかったが、あいにくボス部屋はがらんどうの大広間で柱の一つもない。こんなところで尻をまくる訳にはいかなかった。


 と、その時、ひときわ大きな音をたてながら腸が鳴った。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 くっ! ヤバいヤバい!


 脂汗がぽたぽたとおち、歯をくいしばって耐えるベン。括約筋は限界まで踏ん張っているが、便意はそれを上回る勢いで肛門を襲っている。まさに崩壊寸前だった。


 またポロン! と鳴って青い画面が目の前に開く。そこには『×100』と、書いてあった。


 ベンは訳の分からないウザったい表示にイライラしながら、必死に便意と戦う。今は何も考えられないのだ。


 ベンの頭の中で悪魔がささやく。


『どうせ誰も見てやしない。ささっと出しちゃえばいいんだよ』


 その甘露で魅惑的なささやきにベンの脳が揺れる。


 出すだけでこの苦痛から解放される。そう、出すだけでいいのだ。


 だが、天使は反論する。


『さすがに臭いはごまかせないわ。マーラにもバレるわよ? いいの?』


 くぅぅぅ。


 それだけは避けないとならない。ベンは涙をにじませながら歯を食いしばった。あの憧れのマーラに、汚物のようにさげすまれるのだけは絶対に避けなければならない。


 痛い、痛い、痛い、漏れる、漏れる、漏れる……。


 脂汗がぼたぼたと落ちていく。


 その時、ひらめいた。


 荷物の中に薬品箱がある。そこに下痢止めも入っていたはずだ。なぜ今まで気づかなかったのか?


 ベンは苦痛から解放してくれる夢の解決策に希望の光を感じ、狂喜した。そして、お腹を刺激しないようにしながらリュックを開き、震える手で下痢止めを急いで探す。



 一方、戦闘はヤバい状態に陥っていた。一斉に攻撃を開始した勇者パーティだったが、全く攻撃が通用しないのだ。魔人は玉座に座ったままニヤニヤしながら魔法のシールドを振り回し、タンク役を吹き飛ばし、魔法をはじき返し、隙を見て火魔法を放ってくる。


「チェストー!」


 勇者の放った聖剣の一撃もあっさりといなされ、逆にカウンターを受けて無様に床に転がされてしまう。


 ぐはぁ!


 あまりにも強すぎる。しかし、逃げるにしても逃げ切れるとは思えない。何か方法はないか、何か。誰かが囮になれば……。そうだ! 勇者はベンの方を振り向き、ニヤッと嫌な笑みを浮かべた。


 そして、魔人をタンク役に任せ、ベンのところへと走る。ベンを囮にしようと考えたのだ。



「あ、あったぞ!」


 ベンは限界ギリギリのところで下痢止めを見つける。それは絶望の中で見つけた一筋の光だった。


 しかし、魔人は勇者の変な動きを見て、ベンが何か荷物をゴソゴソしてるのに気が付いてしまう。


「何をやってるの! ファイヤーボール!」


 魔人は即座に火魔法を放つ。


 直後、ファイヤーボールはリュックに着弾、下痢止めもろとも吹き飛んでしまった。


 うわぁぁぁぁぁぁぁ!


 ベンは発狂した。ついにたどり着いた希望が目の前で炎に包まれ、吹き飛んでしまったのだ。


 プリッ!


 そのショックでベンのお尻から危険な音がした。


 生暖かい液体が尻の周りをゆっくりと流れていく。その、認めたくない現実が太ももをつたっている。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 ベンは真っ青になる。堤防が一部決壊! 緊急事態である。


 直後襲ってくる猛烈な便意。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 決壊を契機に、胃腸がグルングルンと大暴れをし、さらなる突破を狙ってくる。


 青い画面には『×1000』と、表示が出るが、もう見てる余裕もない。


 すると、駆け寄ってきた勇者が魔人の後ろの出口を指さして言った。


「ベン! お前出口へダッシュだ!」


「で、出口……?」


 ベンは朦朧もうろうとしながら答える。


「そう、出口。お前なら行ける。GO!」


 ベンはぼんやりとする意識の中で、脳のどこかがブチッと切れる音を聞いた。


「出口! 出口! うわぁぁぁ!」


 ベンはそう叫びながら、魔人の後ろの出口をにらみ、内またでピョコピョコと走り出した。


 もう一刻の猶予もない。早く用を足さねば狂ってしまう。


 丸腰でピョコピョコと突っ込んでくるベンを見て、魔人はあざ笑う。


「荷物持ちの小僧に何ができるのかしら?」


 同時に勇者は撤退の口笛を吹いて、一行は静かにダッシュで入口の扉へと走っていく。魔人の意識をベンに向け、卑怯にも撤退して行ったのだ。


 漏れる! 漏れるっ!


 走り出してしまったベンの便意は最高潮に達し、もはや暴発しないのがおかしいレベルに達していた。そして限界ギリギリのベンからは、何人をも寄せ付けない殺意のオーラがぶわっと噴きだす。


「な、何よ。なんだっていうの、お前……」


 魔人は便意のオーラに気おされ、背筋にゾクッと冷たいものが流れるのを感じた。こんなに圧倒されたのは魔王と対峙した時以来である。


「ちょこざいな!」


 魔人はバサバサッと翼をはばたかせ、玉座から飛び上がるとベンの前に立ちふさがる。そして、指先で空間を裂くと中から紫色の炎をまとった魔剣を取り出したのだった。


 ベンにはもう出口しか見えていない。括約筋はもう何秒も持たない。暴発のカウントダウンはもう始まってしまったのだ。


 ヤバいっ! ヤバいっ!


 鬼のような形相で叫びながら必死に駆ける。


 魔人はベンのすさまじい気迫にひるみながらも魔剣を振りかぶり、


「究極奥義! 魔剣斬! 死ぬのよぉ!」


 と、目にもとまらぬ速さで振り下ろした。


 しかし、ベンはもう出口のことしか考えられず、邪魔する魔人など興味もない。迫りくる魔剣を、無意識にガッとつかむと、握りつぶして粉砕し、混濁する意識の中で、


「便意独尊!」


 と、訳わからないことを叫びながら、鮮烈なパンチを魔人の顔面に放った。


 魔人はその想定外の鮮やかな攻撃に吹っ飛び、まるでスカッシュのボールのように床に打ちつけられ、奥の壁に当たり、天井にバウンドして最後は頭から床に落ちてきて倒れ、やがて魔石となって転がったのだった。


 逃げようと走っていた勇者パーティはその異様な衝撃音に振り返る。しかし、そこにはもう魔人はいなかった。パーティメンバーは一体何が起こったのか理解できず、愕然がくぜんとして走るベンを眺める。


「え? 魔人は?」「ま、まさか……」「ベン君……」


 しかし、ベンは立ち止まることもなく、そのまま出口の扉を吹き飛ばし、脱出ポータルへと駆けこんでいった。







2. 神殺し


「ふぅ……、危なかった……」


 森の中ですっかり中身を出したベンは、恍惚こうこつの表情を浮かべながら、青空をゆったりと横切る雲を眺めていた。


「あぁ、生き返る……」


 チチチチと小鳥たちがさえずる声を聞きながら、ベンは天国に上ったような気分で目を閉じる。もうあの腹を刺す暴力は去ったのだ。


 勝利……。そう、あの悪魔的な便意に打ち勝ち、肛門を死守したのだ。若干漏れてしまったが実質勝利と言っていいだろう。


 グッとこぶしを握り、ガッツポーズをしながらベンは自らの健闘を讃えた。あの苛烈な戦いからの無事生還はまさに奇跡である。


 ベンがにんまりとしていると、いきなり空の方から女の子の声が響いた。


「きゃははは! ベン君、すごいね! 千倍だって!」


 見上げると、青い髪の女の子が、近未来的なぴっちりとしたサイバーなスーツに身を包んでゆっくりと降りてくる。透き通るような肌に、澄み通るパッチリとした碧眼へきがん。その人間離れした美貌には見る者の心をぐっとつかむ魔力をはらんでいた。


「あっ! シアン様!」


 ベンは思わず叫ぶ。そう、この女の子は、ベンが日本で死んだ時にこの世界に転生させてくれた女神だった。


 しかし、ベンには不満がある。普通転生と言えばチートなスキルが特典としてもらえるはずなのに、ベンには【便意ブースト】という訳わからないスキルだけで、逆にレベルが上がらない呪いがかけられていた。このおかげで強くもなれず、貧困の中で必死に荷物持ちなんてやる羽目になっている。


「このスキルなんなんですか? せっかく転生したのに散々なんですけど?」


 ベンはここぞとばかりにクレームをつける。


「え? そのスキルは宇宙最強だよ?」


 女神は小首をかしげて言う。


「は? 何が宇宙最強ですって?」


「便意を我慢すればするだけ強さが上がっていくんだよ。さっき千倍出して魔人瞬殺してたよね?」


「は? 魔人?」


 排便のことに必死であまり覚えていないが、確かに何かしょぼいピエロのようなオッサンをパンチで粉砕したような記憶がある。ベンの攻撃力は十しかないが、千倍となれば一万になる。勇者の攻撃力だって千は行っていないはず。あの時自分は勇者の十倍以上強かったということらしい。


 荷物持ちどまりとして散々馬鹿にされてきた最弱の自分が、あの瞬間は人類最強だった。


 バカな……。


 ベンはかすかにふるえる自分の両手を見た。この手で魔人を粉砕したなど全く実感がわかないが、確かにそうでなければ説明がつかない。


「人間は便意を我慢すると集中力が上がるんだよ。そしてその集中力に合わせてパラメーターをブーストするのが【便意ブースト】。我慢すればするだけどこまでも上がるので宇宙最強だよっ!」


 シアンはニコニコしながら楽しそうに言った。


 ベンは絶句した。なんという悪魔的なスキル。人が苦しむのを楽しむために作ったような酷い仕様である。


「いや、ちょっと待ってくださいよ。なんかこう、念じるだけでブーストしたっていいじゃないですか。なんでよりによって便意なんですか?」


「人間はね、なぜか便意の我慢が強烈なパワーを生むんだよね。あれ、なんなんだろうね? きゃははは!」


 シアンはそう言って楽しそうに空中をクルッと回った。腰マントがヒラヒラッと波打ち、まるでゲームのエフェクトみたいにそこから光の微粒子がキラキラと振りまかれる。


 ベンはウンザリして首を振った。どんなに宇宙最強と言われたって、あの猛烈な便意を我慢し続けたら人格が崩壊しかねない。


「こんなスキル要らないです。弱くていいからもっと別なのに変えてください」


「ダメ――――!」


 女神はそう言って腕で×を作った。


「な、なんでですか?」


「だって君、素質あるよ。【便意ブースト】で千倍出したのって君が初めてなんだよね。やっぱり真面目な子って素敵。僕の目に狂いはなかった。この調子なら……神すら殺せるよ。くふふふ」


 シアンは何やら穏やかでないことを言って、悪い顔で笑った。


「か、神殺し……? いや、神なんて殺せなくていいから……」


「正直言うとね、この星、もうすぐ無くなるかもしれないんだ」


 急に渋い顔になるシアン。


 ベンはいきなり世界の終わりをカミングアウトされ、驚きで目を白黒させる。


「へ? それって……、僕たち全員死んじゃうって……ことですか?」


「そうなんだよー。で、君にちょっと救ってもらおうと思ってるんだ。いいでしょ?」


「ど、どういうことですか? 僕、嫌ですよ!」


 しかしシアンは聞こえないふりをして、


「次は一万倍、楽しみだなぁ」


 と、嬉しそうに笑う。


「何が一万倍ですか! こんな糞スキル絶対二度と使いませんからね!」


 ベンは真っ赤になって叫んだ。しかし、シアンは気にも留めずに、


「あ、そろそろ行かなきゃ! ばいばーい。きゃははは!」


 と、言ってツーっと飛びあがる。


「あっ! ちょっと待……」


 ベンは引き留めようと思ったが、女神はドン! と、ものすごい衝撃音を上げながらあっという間に音速を超え、宇宙へ向けてすっ飛んでいってしまった。


「なんだよぉ……」


 ベンはぐったりとうなだれた。何が宇宙最強だ、何が星を救うだ。なんで自分だけがこんなひどい目に遭うのか、その理不尽さに腹が立った。


 絶対女神の思い通りになどならん!


 ベンはグッとこぶしを握ると、二度と糞スキルなど使わないと心に誓った。












3. 追放



「あっ! ベン! お前どこ行ってたんだ!」


 勇者はダンジョンの入り口に戻ってきたベンを見つけると、目を三角にして怒鳴った。


「あ、ごめんなさい、ちょっと用を足しに……」


「お前がちゃんと見てないから荷物全損だぞ! 貴様はクビだ!」


 勇者はカンカンになってベンに追放を宣告した。


「えっ! ちょっと待ってください、それは魔人がやったことですよ。代わりに魔人を倒したじゃないですか」


「魔人を倒した? お前が? ただの荷物持ちがなんで魔人なんて倒せるんだよ?」


「あ、そ、それは……」


 ベンは【便意ブースト】のことを説明しようとしたが、こんなバカげたスキル、説明するのもはばかられる。それにマーラも聞いているのだ。恥ずかしくてとても口に出せず、うつむいた。


「それみろ! 単に魔人が何かやらかして自爆しただけだろ? 勝手に自分の手柄にすんな! クビだ! クビ!」


 勇者はそう言い放つと、「帰るぞ!」とパーティに告げた。


「えっ! そ、そんなぁ……」


 マーラは少し心配そうにチラッとベンの方を見たが、そのままメンバーと一緒に去って行ってしまう。


 ベンは呆然として立ち尽くした。相場よりもかなり安い値段で、地図まで読んで勇者パーティに尽くしてきたのに、この仕打ちはひどすぎる。荷物燃やしてクビになったなんて話がギルドの中で知れ渡れば、もうベンを雇ってくれるパーティなんてないだろう。紹介してくれた街の偉い人の顔も潰してしまったので、トイレ掃除の仕事もなくなってしまうに違いない。


「このままだと飢え死にだ……」


 ベンは真っ青になってガクッと崩れ落ち、明日からどうやって暮らしていったらいいのか途方に暮れる。そして、ただ、小さくなっていく勇者パーティの後ろ姿をぼんやりと眺めていた。



        ◇



 翌日、ベンは暗黒の森にゴブリン退治に来ていた。レベルの上がらない呪いのかかったベンを入れてくれるパーティもなく、街の仕事も当面は難しい。生き残るにはソロで冒険者をやるくらいしかなかった。


 ベンはポーチをまさぐり、なけなしの金で買った下剤の小瓶を取り出し、眺める。これは薬師ギルドのおばちゃんに土下座して特別に調合してもらったもの。その茶色の瓶の中に入った液体はきっと強烈な便意を引き起こし、ベンを宇宙最強にまでしてくれるはずだ。しかし、ベンはどうしても飲む気にはなれなかった。あの強烈な腹の痛み、肛門を襲う便意のことを思い出すだけで身体が震えてしまう。


 それにあのクソ女神の思惑通りになるのも絶対避けたかった。


 ベンはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、


「ゴブリンくらいならスキルを使わなくたって倒せるはずだ!」


 と、自分を鼓舞し、顔を上げ、うっそうとした暗黒の森の奥をにらんだ。



       ◇



 しばらく慎重に進むと、ガサッと茂みが動いた。何かいる!


 ベンは短剣を構え、茂みを凝視する。


 思えばソロの戦闘は初めてかもしれない。ミス一つで死んでしまう世界に飛び込んでしまったことを少し後悔しながらも、自分にはもうこの生き方しか残されていないと覚悟を決めた。


 ベンは短剣をギュッと握る。


 脂汗がたらりと頬をつたっていく……。



「ギャギャー!」


 いきなり茂みから飛び出した緑色の小人、ゴブリンだ。とがった耳に醜悪な顔、その気色悪さがベンを威圧する。


 ゴブリンはよだれを垂らしながら棍棒を振りかざし、まっすぐにベンを襲う。


 ベンは緊張でガチガチになりすぎて、対応が遅れた。


 振り下ろされるこん棒。


 ベンは間一髪でかわすも、足を取られ、転んでしまう。


 うわぁ!


 そこにさらに振り下ろされるこん棒。ゴブリンは身体が小さな分、俊敏で、厄介な相手だ。


 ベンは何とか短剣で叩いて直撃を免れると、こん棒をつかみ、そのままりを喰らわせた。


 悲痛な叫び声を上げながら吹き飛ぶゴブリン。


 ベンは急いで起き上がり、ここぞとばかりに棍棒をバットのように振り回してゴブリンの頭部を打ちぬいた。


 ゴブリンは断末魔の悲鳴を上げ、やがて薄くなり消えていく。そして、緑色の魔石が足元に転がった。


 はぁはぁはぁ……。


 ベンは荒い息をしながら魔石を拾い、その緑色に怪しく光る輝きを眺める。


 ゴブリン一匹に命懸け、これはどう考えてもいつか殺されてしまう。やはり、ソロでやっていくのは難しいと、思い知らされたのだった。


 その時、森の奥、あちこちから「ギャッ!」「ギャッ!」と声が上がる。ゴブリンの群れに気づかれてしまった。


 ヤバい!


 鼻の奥がツーンとして、死の予感が真綿のようにゆっくりと首を締めあげていく。


 まともに戦えば殺せて2,3匹。あとは残りの連中に惨殺されて終わりだ。ベンはそうやって死んだ新米冒険者を何人も見てきたのだ。


 ベンはダッシュで逃げる。渾身の力で木の根を飛び越え、やぶを抜け、街の方へと必死に駆けた。


 すると、ポン! という音がして、小さなぬいぐるみのような生き物が空中に現れた。青い髪の毛を揺らしながら背中には羽を生やしている。顔はシアンをデフォルメしたものになっているところを見ると、どうやらシアンの分身らしい。


 そのぬいぐるみはベンの耳元で、


「ほらほら! 下剤下剤! きゃははは!」


 と、笑いながら言った。


「シアン様! 下剤なんて嫌ですよ。僕はあんなスキル絶対使わないんです!」


 ベンは糞スキルを推してくるシアンにムッとして言った。


 しかし、シアンは聞く耳を持たず、


「げ・ざ・い! げ・ざ・い!」


 と、はやし立てながらベンの周りを飛ぶ。


 なんというウザい女神だろうか。


 ベンはそんなシアンを手で追い払いながら、ただ必死に走った。


 しかし、ゴブリンは口々に嫌な叫び声を上げながら迫ってくる。


「どんどん、距離縮まってるよ? 早い方がいいよ」


 ぬいぐるみのシアンは悪い顔をして耳元でささやく。


 人としての尊厳を取るか、生き残るための合理的選択を取るか、迫られるベン。


 ベンはギリッと奥歯を鳴らし、シアンをにらんだ。










4. 涅槃


 ゴブリンは森の中で走るのに長けている。身体は小さいものの、猿のように枝にピョンと飛びついて藪を軽々と越えてくるその俊敏な身のこなしは見事で、徐々に距離は詰められてしまっていた。


 ガサガサと迫ってくる多数のゴブリンの足音に、ベンは顔面蒼白となる。


 はぁはぁはぁ……、ダメか。


「早く早くぅ!」


 シアンは楽しそうにクルクルと回りながら言った。


「チクショー!」


 ベンはそう叫ぶと覚悟を決め、下剤を取り出して一気にあおった。


 クハァ!


 口の中に広がるドブのような臭さに目を白黒させながら必死に逃げる。


「ほうら来たよ! がんばれー!」


 シアンは無責任に応援する。


「くぅ……。便意、便意! 早く! カモーン!」


 癪には触るが、今は生き残らなくてはならない。ベンは泣きそうな顔で便意を待った。


「グギャァァァ!」


 ついに追いつかれ、先頭のゴブリンがこん棒を振り下ろしてくる。


 うわぁ!


 何とかかわすものの、バランスを崩し、藪に突っ込んだ。そのすきに周りを囲まれてしまう。


 二十匹はいるだろうか、口々に


「ギャッ!」「ギャッ!」


 と、嬉しそうな声を上げ、勝利を確信した醜いにやけ顔で距離を詰めてくる。


 その時だった、


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 ベンの下腹部に猛烈な痛みが走り、腸がグルグルとのたうち回った。


 ぐぅぅぅ!


 ベンは歯をギリッと鳴らし、下腹部を押さえる。と、同時にポロン! という電子音とともに青いウインドウが開き『×10』と、表示された。


「キタキター!」


 シアンは満面の笑みで叫びながら、ベンの周りをおどけながら逆さまなって飛ぶ。


「これで最後ですよ!」


 ベンは腰の引けた体勢で、脂汗を垂らしながら短剣を構える。


 すると、一匹のゴブリンがこん棒を振り下ろしながら突進してきた。


 ベンは左手で下腹部を押さえつつ、半ば朦朧としながらひらりとこん棒をかわし、カウンターでのど元を切り裂いた。


 さっきとは全然違う洗練された身のこなしに一瞬ひるむゴブリンたち。しかし、魔物の本性として人間は襲わねばならない。


 ゴブリンたちは興奮し、威嚇いかくの声を叫びながら一斉にベンに襲いかかる。


 しかし、ステータスが十倍となったベンは、すでに中級冒険者レベルの強さだ。内またながら軽やかな身のこなしでゴブリンの間をい、まるで舞を舞うように素早く短剣を正確に振るい、のど元を切り裂いていった。


 しかし、ベンも無事ではない。動けば動くほど便意は悪化する。


 ぎゅるぎゅるぎゅ――――。


 くふぅ!


 思わず膝をついてしまうベン。


 ポロン! と鳴って、『×100』と、表示されるがそれどころではない。


 ギリギリと下腹部を締め付ける強烈な直腸の営みに、肛門の突破は時間の問題だった。


「キタキタ――――!」


 シアンは嬉しそうにクルクルッと回る。


「ク、クソ女神! も、漏れる……」


 なんとか歯を食いしばって必死に暴発を押さえようとするが、肛門はもはや限界に達していた。暴発したらスキルは解除、ただのベンに逆戻り。それはそのまま死を意味する。


 その時、子供の頃にじいちゃんに毎朝暗唱させられていた般若心経が、なぜか自然と口をついた。


観自在菩薩かんじざいぼさつ行深般若波羅ぎょうじんはんにゃはら……」


 仏教の一番基本のお経は独特のイントネーションで、唱えているうちに瞑想状態に近くなり苦痛を和らげる。


羯諦羯諦ぎゃーてーぎゃーてー波羅羯諦はーらーぎゃーてー!」


 ベンはギリギリのところで暴発を食い止めることに成功した。


 はぁ……、はぁ……。


 息荒く肩を揺らすベン。


 ゴブリンは調子悪そうなベンを見て、チャンスと襲いかかってくる。


 ベンはユラリと立ち上ると、短刀をしまい、トロンとした目で迫りくるゴブリンたちを睥睨へいげいした。


「ギャ――――!」


 奇声を上げながら飛びかかってくるゴブリンのこん棒をユラリとかわし、顔面にパンチを叩きこむ。パラメーター百倍の人類最強のパンチはゴブリンをまるで豆腐みたいに粉砕した。


 そして内またでピョコピョコっと次のゴブリンのすぐ横に迫ると、今度は裏拳でゴブリンを粉砕する。


 それでもまだゴブリンたちは諦めない。


 ベンは苦痛に顔をゆがめ、ギリッと奥歯を鳴らす。


 五、六匹倒した時だった、


「矢が飛んで来るよー」


 シアンが後ろを指さした。


 ベンは振り返る。すると何かが飛んできていた。無意識に手が動き、ガシッと握る。それは矢だった。奥に弓を構えるゴブリンがいたのだ。


 ベンはギロリとその弓ゴブリンをにらむ。


 シアンがいなかったらやられていた。例えステータス百倍でも、相手が弱くても戦場では『隙を作ったら負けだ』ということを思い知らされる。


 ベンは自分を戒めながら、つかんだ弓を逆にダーツのように投げ、脳天に命中させた。


 最後にまだしつこく襲ってくる残りのゴブリンを処理し、ベンはゴブリンたちを一掃したのだった。


 しかし、勝利の余韻などない。括約筋がさっきから悲鳴を上げている。もう何秒持つか分からないのだ。


「あー、漏れる漏れる!」


 急いでベルトを外そうとしたとき、シアンが嫌なことを言った。


「待って待って! これからが本番だゾ!」


「ほ、本番!?」


 直後、遠くで嫌な声がした。


「キャ――――! 助けてぇ」


 女の子の声だった。その叫びには鬼気迫るものがあり、ただ事ではない様子である。


 そんなの知るか! それより早く出さないと!


 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる~。


 腸が過去最高レベルで盛大な音を立てている。運動しすぎたのだ。人のことなど構っていられない。今ここにある脅威、便意こそが解決すべき課題なのだ!


 その時、ポロン! と鳴って、『×1000』と、表示される。


「キタ――――! 千倍! ほら、女の子が待ってるゾ!」


 シアンは嬉しそうに言うが、冗談じゃない。


 ステータス千倍となれば勇者の十倍以上強い。きっと女の子を襲っているトラブルなど瞬時に解決できるに違いない。しかしそれは便意が絶望的にキツいということも意味していた。


「いやぁぁぁ!」


 女の子の悲痛な叫びが森に響き渡る。


「ほら、宇宙最強! 急いで、急いで!」


 シアンは楽しそうにベンの周りを飛びまわりながら言う。


 ベンはギュッと目をつぶり、ギリギリと奥歯を鳴らすと、


「くっ! ブラック女神め!」


 と、悪態をつき、下腹部を押さえながらピョコピョコと駆け出した。脂汗がぽたぽたとたれ、真っ青になりながらも歯を食いしばり、声の方向を目指す。


 このクソ真面目なところが過労死の原因だというのに、転生してもまだ治らない。ベンは朦朧とした意識の中で『ここでの寿命も長くないな』と悟った。











5. 蒼き熾天使


 少しやぶいでいくと街道があり、そこに倒れた馬車が転がっていた。


 見ると、オークが十匹ほど馬車を囲んでおり、中から綺麗なブロンドをわしづかみにして、女の子を引きずり出している。


「いやぁぁぁ」


 必死に抵抗する女の子の悲痛な叫びが森に響く。


 周りには護衛だったと思われる、鎧をまとった男の遺体が何体か転がり、鮮血が溜まっていた。


 オークはイノシシの魔物。ブタの顔に二本の鋭い牙を生やし、筋骨隆々とした身体ですさまじいパワーを誇る。パンチをまともに食らった冒険者の首がちぎれて飛んだという噂があるくらいだった。


 ベンはフーフーと荒い息をしながら下腹部を押さえ、今にも暴発しそうな便意と戦いながらその様子を眺める。少し急ぎすぎたかもしれない。


「お止めになって!」


 十五歳くらいだろうか、引きずり出された女性は美しい碧眼を涙で濡らしている。そして、薄ピンクのワンピースがオークの手によって荒々しく汚されていった。


 ベンは朦朧とした意識の中、ピョコピョコと飛び出す。


 オーク十匹を相手に戦うなど熟練の冒険者でも無謀だったが、ベンには負けるイメージなどなかった。何しろ宇宙最強なのだ。ただ、暴発だけが心配である。暴発したらただの子供に逆戻りなのだから。


 気が付いたオークが巨大な斧を振りかざし、ブホォォォ! と、叫びながらベンに向けてすさまじい速度で振り下ろす。


 しかし、ベンはそれを当たり前のように指先で受け止め、グンと引っ張って取り上げた。


「ブ、ブホ?」


 渾身の一撃を無効化され斧を奪われたオークは、何があったのか分からない様子で呆然とベンを見つめる。


 ベンはクルクルっと重厚な斧を振り回すと、そのままオークの巨体を一刀両断にした。真っ二つに分かれて地面に転がる豚の魔物。ステータス千倍の戦闘はもはや一方的なただの殺戮さつりくだった。


 ただ、力を出せば猛烈な便意が襲いかかってくる。


 くふぅ……、漏れる……。


 ベンはガクッとひざをつき、脂汗を流しながら額を押さえ、必死に括約筋に喝を入れた。


 ところがそんなベンも、女の子には神に祈る敬虔な少年に映ってしまう。


「オークにも冥福を祈るなんて……、素敵ですわ……」


 女の子は手を組み、美しい碧眼をキラキラとさせる。


 漏れる……漏れる……。


 ベンはギュッと目をつぶり、腰の引けた姿勢でただひたすら便意に耐えていた。


「ほら、あと九匹だゾ!」


 シアンはベンの周りをパタパタと楽しそうに飛びながら、無責任に煽る。


 ベンは言い返そうとチラッとシアンを見たが、便意に耐えることで精いっぱいで言葉が出てこなかった。


 隙だらけなベンを見て、オークは一斉にベンに襲いかかる。


「グォッ!」「グギャ――――!」


 ベンはギリッと奥歯を鳴らすとカッと目を見開き、括約筋に最後の力を振り絞る。


波羅羯諦はーらーぎゃーてー!」


 そう叫ぶとユラリと立ちあがった。そして、巨大な斧をグルングルンと振り回して、あっという間にオークの群れを肉片へと変えていく。


 飛び散るオークの青い血はベンのシャツを、顔を青く染め、まさに鬼神のようにその場を支配する。


 女の子は、その人間離れした鮮やかな殺戮さつりく劇を眺めながら、神話の一節をつぶやく。


「その者、あおき衣をまとい、森に降り立ち、風のように邪悪をすりつぶす……」


 まだ若い少年が屈強なオークの群れを瞬殺する。それは昔聞いた神話に出てきた、神の眷属けんぞく熾天使セラフそのものだった。


 最後のオークをミンチにした時、


 プリッ!


 ベンの太ももに生暖かいものが流れた。


 ぐふぅ!


 もうベンは限界だった。一刻の猶予ゆうよもない。


 ヤバい! ヤバい! 漏れるよぉ……。


 ベンは女の子には見向きもせず、ピョコピョコと一目散に森の奥を目指した。


「あぁっ! お待ちになって!」


 女の子はベンを引き留めようとしたが、その声はベンの耳には届かない。ベンの頭の中は括約筋の制御でいっぱいだったのだ。


「見つけましたわ……、あのお方こそ運命のお方なのですね……」


 女の子は手を組み、恍惚こうこつとした表情でベンが消えていった方向を眺める。


 女の子には小さいころから一つの確信があった。自分がピンチの時に白馬に乗った王子様が現れて助け出され、その男性と結ばれるのだと。バカにされるから誰にも言ったことはなかったが、彼女の中ではゆるぎないものとしてその時を待っていたのだ。超人的な力を誇る蒼き熾天使セラフ、その衝撃的な救出劇は白馬の王子様を超えるインパクトを持って彼女のハートを貫く。見返りも求めず颯爽さっそうと去っていくベンとの出会いに、彼女は運命を感じた。


 女の子はいつまでもベンの消えていった森を眺めていた。



         ◇



「ふはぁ……」


 そんな風に思われているなんて知るよしもないベンは、森の奥で全てを出し、夢心地の表情で幸せに浸る。


 今まで自分を苦しめてきた便はもうない。さわやかな解放感がベンを包んでいた。


「おつかれちゃん! だいぶ慣れてきたね! もう少しで一万倍だったよ!」


 シアンはベンの苦痛を気にもせずに、嬉しそうにパタパタと羽をはばたかせる。


「慣れとらんわ! こんな糞スキル、もう二度と使わないからな! 絶対!」


 ベンは青筋たてて怒った。


「あー、怖い怖い。次は一万倍、楽しみだよー」


 そう言うとシアンはニヤッと笑いながらすうっと消えていく。


「ちょっと待て! クソ女神! 何が一万倍だ!」


 ベンは悪態をつくが、シアンはもう居なかった。


 深くため息をつくベン。一万倍とはどういうことか。そんな強くなって何をさせるつもりか。ベンはシアンの考えをはかりかね、首を振った。


 見るとズボンが汚れている。頑張って拭いたが臭いは全然落ちない。ちゃんと洗濯しないとダメそうだった。


 仕方なく臭いズボンをはき、ゴブリンの魔石を回収した後、そっと馬車の様子をのぞきに行く。執事のような男性が女の子の手当てをしていた。どうやら執事はオークから逃げて様子を見ていたらしい。


 声くらいかけたくもあったが、こんなウンチ臭いいで立ちで高貴な令嬢の前に出ていくことなど到底できなかった。


 やがて、二人は街の方へと歩き出す。


 ベンは二人が森を抜けるまで見守った後、川の方にズボンを洗いに行った。




         ◇



 ベンはトゥチューラの街に戻ってくる。トゥチューラは大きな湖の湖畔に広がる美しい街で、運河が縦横無尽に通っている風光明媚な王国第二の都市だった。ベンは巨大な城門をくぐり、幌馬車の行きかう石畳の大通りを進み、ゴブリンの魔石を換金しに冒険者ギルドへと足を進める。


 到着すると、カウンターに人だかりができていた。


 何だろうと思いながら背を伸ばし、人垣の間から様子を見ると、なんと、オークに襲われていた女の子がカウンターで受付嬢と何やらやりあっている。


「少年ですわ、少年! オークをバッサバッサとなぎ倒せる少年冒険者、きっといるはずですわ」


「失礼ですが、ベネデッタ様。オークは上級冒険者でも手こずる相手、それをバッサバッサと倒せる少年などおりませんよ」


 エンジ色のジャケットをビシッと着た若い受付嬢は眉を寄せ、申し訳なさそうに返す。


「いたのです! ねぇ、セバスチャン!」


 ベネデッタと呼ばれた女の子は、口をとがらせながら隣の執事に声をかける。


「はい、私もその様子を見ておりました。鬼気迫る身のこなしであっという間にオークを十頭なぎ倒していったのです」


「はぁ……、しかし、そのような少年はうちのギルドには所属しておりません」


 受付嬢は困惑しながら頭を下げる。


 その時だった、ベネデッタは辺りを見回し、ベンと目が合った。


「あっ! いた! いましたわ!」


 ベネデッタはパアッと明るい表情を見せると、人垣を押しのけ、ベンの元へと飛んでくる。


「あなたよあなた! 私、お礼をしてなかったですわ!」


 透き通るような美しい肌に整った目鼻立ち、まるで女神のような美貌びぼうのベネデッタは満面に笑みを浮かべてベンの手を取った。













6. モテモテのベン


 ベンは美少女に迫られてドギマギしてしまう。前世でも女の子にこんなに積極的にされたことなどなかったのだ


「あなた、お名前は?」


 ベネデッタは嬉しそうにニコニコしながらベンの顔をのぞきこみ、聞いてくる。


「ベ、ベンって言います。変な名前なんですが……」


 ベンはシアンがつけたであろう意味深な名前に抵抗を感じていたのだ。


「ベン君……、いい名前ですわ」


 ベネデッタはニッコリと笑いながら、ギュッとベンの手を握る。


「え? そ、そうですかね?」


 ベンは温かくしっとりとしたベネデッタの指の柔らかさに、赤くなってうつむいた。


 周りの冒険者たちはその様子を見てどよめき、怪訝そうにベンを見ている。


 勇者パーティをクビになったただのFランクの荷物持ち、それがオークをなぎ倒すなんてあり得ない話だったのだ。


 ベネデッタは金貨がたくさん入ったずっしりと重い巾着きんちゃく袋をベンに渡し、


「これ、オークの魔石を換金したのと、後は私からのお礼ですわ」


 と、言ってにこやかに笑った。


「こ、こんなに……。いいんですか?」


「何言ってるんですの? あたくし、あなたに命を救われたの。自信もってよくてよ! あ、そうだわ。今晩、パーティがあるんですわ。いらしていただけるかしら?」


 ベネデッタはキラキラとした笑顔で嬉しそうに言った。


「パ、パーティ?」


「そうですわ! 詳細はセバスチャンから聞いてくれるかしら?」


 そう言うとベネデッタはベンに軽くハグした。


 えぇっ!?


 ふんわりと甘く香る少女の匂いにつつまれ、ベンは真っ赤になって言葉を失う。


「あなたは私の運命の方ですわ。また後ほど……」

 

 ベネデッタは耳元でそう言うと、ウインクしてギルドを後にした。


 セバスチャンの話によるとベネデッタはこの街の領主である公爵家の令嬢であり、オークを倒し、何の報酬も要求しなかったベンのことを大変に気に入っているとのことだった。単に漏れそうだっただけなのだが。


 セバスチャンからパーティの招待状をもらい、帰ろうとすると、ベンは女の子冒険者たちに囲まれる。


「ベン君、オーク倒したって本当?」「うちのパーティお試しで入ってみない?」「ちょっとぉ! 今私が話してるのよ!」


 女の子たちは若き英雄の登場に興奮し、すっかりベンと仲良くなろうと躍起になってもみくちゃにする。昨日まで見向きもしなかったのに現金なものである。


 しかし、奥のロビーの方ではそんなベンの登場を疎ましく思う冒険者たちが、つまらなそうな様子でお互い顔を見合わせていた。


 その中には勇者パーティの魔法使いもいた。


 昨日は魔人を倒し、今日はオークの群れを倒したという。ただの無能な荷物持ちができる事じゃない。何か怪しいことをやっているに違いない。魔法使いは怪訝そうな目で、鼻の下を伸ばしているベンをにらんでいた。


 ベンがこれ以上活躍しては勇者パーティの立場がなくなる。やっと手に入れた勇者パーティの座が揺らぐのは面白くなかった。


 魔法使いはフンっと鼻を鳴らすと、


「勇者様に報告しなくちゃ」


 そう言いながら転移魔法を使ってふっと消えていった。



         ◇



 ベンは女の子の攻勢を適当にのらりくらりごまかして逃げ出した。女の子とパーティを組むなんて夢のようではあったが、戦うたびに便意を我慢するだなんて到底無理である。いつかバーストして汚物のような目で見られてしまう。それは耐え難かった。


「あーあ、もっとまともなスキルが欲しかったなぁ……」


 ガックリと肩を落としながら石だたみの道をトボトボと歩く。


 全知全能たる女神ならば、それこそ常時ステータス百倍とかできるはずなのだ。そしたら女の子パーティーに交じってハーレムという、まさに王道の異世界転生もののウハウハ人生が送れたに違いない。なのに自分は便意だという。もうアホかバカかと。作った人、頭オカシイだろこれ。いくら宇宙最強と言っても発動条件がクソ過ぎる。


「カ――――ッ! あのクソ女神め!」


 ベンは頭を抱えて思わず叫んでしまう。


 行きかう人たちは、そんなベンをいぶかしげに眺めながら避けるように道をあけた。


 どんなに叫んでも事態は改善しない。ベンはギリッと奥歯を鳴らし、大きく息をつくと、ドミトリーの自分のベッドへと帰っていった。



        ◇



 女の子は無理でも、ベンにはベネデッタからもらった金貨の包みがあった。ベンは気を取り直し、ベッドの上にジャラジャラと金貨を広げ、数えてみる。


「チューチュータコかいな……」


 金貨はなんと五十枚あった。日本円にして約五百万円、飢え死にを心配していた少年にとっては夢のような金額だった。


 うひょ――――!


 ベンは小躍りする。


 なんだこの大金は! 自分はソロ冒険者としても大成できるんじゃないか? なんといっても宇宙最強なのだ!


 うひゃひゃひゃ!


 さっきまでの憂鬱はどこへやら。ベンは金貨を集めてバッと振りまき、何度もガッツポーズをして大金ゲットの喜びを満喫した。


 ひゃっひゃっ……、ひゃ……、ふぅ。


 だが、ベンはすぐに我に返る。喜んではみたものの、あの腹を刺す便意のすさまじい苦しみを思い出してしまったのだ。


 冗談じゃない、あんな事何回もやってられない。いつか狂ってしまう。


「やめた、やめた! 冒険者なんてもう二度とやらない!」


 そう言うとバタリとベッドに倒れ込んだ。


 このお金を元手にして商売をすればいい。便意など二度と我慢しないのだ。あの酔狂な女神の思うとおりになんて絶対なってやらん! 何が一万倍だ、殺す気か!


 ベンはギュッとこぶしを握り、心に誓った。









7. 美少女をかけた決闘


 夕方になり、ベンは金貨を使って小ぎれいに身を整え、床屋で髪を切ってもらうと颯爽さっそうと公爵家の屋敷へと向かった。商売を始めるならベネデッタと懇意になってビジネスの相談に乗ってもらわないとならない。何しろ自分には日本での知識がある。パーティでマーケティングして日本の知識が生きるビジネスを探し出してやるのだ。


 会場の大広間に案内されると、すでに来賓が立派なドレスやスーツを身にまとい、グラス片手にあちこちで歓談している。天井には豪華な神話の絵が描かれ、そこからは絢爛けんらんなシャンデリアが下がり、魔法できらびやかに輝いている。そして、テーブルには色とりどりのオードブルが並んでいた。


 立派な会場に圧倒され、キョロキョロしていると、


「何を飲まれますか?」


 と、メイドさんがうやうやしく聞いてくる。


「ジュ、ジュースをください」


 緊張で声が裏返った。


 知り合いが誰もいない会場、完全なアウェーでベンは壁の花となってただ静かに来賓の歓談のさまを眺めていた。


 パパパーン!


 いきなりラッパの音が鳴り響き、壇上にスポットライトが当たる。


 出てきたセバスチャンが司会となって挨拶をすると、パーティーの案内を読み上げていった。


 そして、登場する公爵とベネデッタ。ひげを蓄えた公爵は勲章がびっしりとついたスーツを着込み、背筋をビシッと伸ばして威厳のあるいで立ちだ。ベネデッタは薄ピンクの華麗なドレスに身を包み、美しいブロンドの髪の毛には赤い花があしらわれている。


 トゥチューラの至宝と語られるベネデッタの美貌は来場者のため息を誘い、会場を一気に華やかに彩っていく。


 ベンもその美しさに魅了され、口をポカンと開けながらただベネデッタのまぶしい微笑みを見つめていた。


 彼女に『運命の方』と、呼ばれてしまった訳だが、こう見るとベネデッタは華やかな別の世界の住人である。スラム上がりの自分がどうやって公爵令嬢の『運命の方』になんてなれるだろうか?


 ベンは首を振り、大きく息をついた。


 すると、ベネデッタがベンを見つけ、壇上から手を振ってくる。ベンはいきなりのことに驚き、真っ赤な顔で手を小さく振り返したのだった。周りの人たちの嫉妬の視線が一斉に突き刺さり、ベンは小さくなる。


 パーティの開会が宣言され、歓談が始まった。


 ガヤガヤとあちこちで話し声や笑い声が上がり、会場は盛り上がっていく。しかし、ベンは話す相手もなく、どうしたものかと渋い顔で腕を組んだ。


「ベンくーん!」


 ベネデッタの可愛い声が響く。なんと、ベネデッタは公爵を連れて真っ先にベンのところへやってきたのだ。


 ベンはいきなりのことで驚いたが、胸に手を置き、公爵にぎこちなく挨拶をする。


「お初にお目にかかり恐悦至極きょうえつしごくに存じます……」


「君か、娘を助けてくれたんだって? ありがとう」


 公爵は気さくな感じで右手を出し、ベンは急いで汗でぐっしょりの手のまま握手をした。


「あ、たまたまです。上手くオークを倒せてよかったです」


「ベン君凄かったのですわ! たくさんのオークがあっという間にミンチになって吹き飛んでいったんですの!」


 興奮気味に解説するベネデッタ。


「ほぉ! オークをミンチに……、君はどれだけ強いのかね?」


 公爵は好奇心旺盛な目でベンの顔をのぞきこむ。


「あ、どのくらいなんでしょうね? 調子がいいとすごく強くなるみたいなんです。はははは……」


 便意さえあれば宇宙最強だなんてことは口が裂けても言えない。


 すると、いきなり横から勇者が現れて、


「公爵、こいつはうちの荷物持ちだった小僧。あまり期待しない方がいいですよ」


 と、吐き捨てるように言った。


「荷物持ちでもなんでも、オークを倒せるなら十分ですわ。私はベン君に救われたのです。変なことおっしゃらないで!」


 ベネデッタは憤然と抗議する。


「あー、ベネデッタさん、侮辱するつもりはなかったんですが、ただ、変に期待されてもベンも困っちゃうだろうと思ってね」


 勇者はいやらしい笑みを浮かべてベンを見た。


「変に期待って、あなたならオークの群れに一人で突っ込んで瞬殺できるんですの?」


「もちろんできます! コイツにできて勇者にできないことなんてないんです」


 にらみ合う両者。


 すると公爵はニヤッと笑って言った。


「じゃあ、こうしよう。パーティーの余興に武闘会を開こう。二人で戦ってそれぞれ強さをアピールしなさい」


 えっ!?


 いきなり勇者との戦闘を提案され、ベンは焦った。


「あぁ、いいですね! そうだ! ベネデッタさん、私がコイツに勝ったらデートしていただけますか?」


 勇者はここぞとばかりにベネデッタに詰め寄る。ベネデッタは険しい顔をして、


「いいですわ、その代わりベン君が勝ったらこの街から出てってくださいまし」


「はっはっは。いいでしょう。デートは夜まで……、約束ですよ」


 勇者はいやらしい笑みを浮かべながらそう言った。そして、くるっと振り返り、パーティメンバーに向って、


「よーし、お前ら準備するぞ! 今宵を勇者のパーティーとするのだ!」


 そう言いながら控室の方へ下がっていった。


「えっ、本当に……戦うんですか?」


 ベンはいきなり勇者とぶつけられてしまったことに困惑を隠しきれず、泣きそうな声で言った。


「大丈夫ですわ、あなたなら勝てますわ。私の純潔を守ってくださる?」


 ベネデッタはベンの手を取り、澄み通る碧眼でベンを見つめる。


 ベンは絶望した。ベンが強くなるには下剤を飲んで苦痛に身を焼かれる思いをしないとならない、ということをベネデッタは知らないのだ。だからそんな気軽に試合を受け入れてしまう。

 とはいえ、今さら棄権すれば、ベネデッタは勇者に借りを作ってしまうということになる。


 くぅ……。


 自分を信じてくれるこの美しい美少女を、勇者から守らねばならない。ベンはギュッと目をつぶって言った。


「わ、分かりました。勝ちます。勝てばいいんですね……」


 ベンはつくづくクソ真面目な自分の性格が嫌になる。こんなの放って逃げてしまえばいいのに、期待されると無理しても受け入れてしまう。前世ではそれで過労死したというのに何も学んでいない。でも、自分はこういう不器用な生き方しかできないのだ。


 ベンは大きく息をつくと、渋い顔で宙を仰いだ。








8. 人類最強肛門の限界


 控室に通されたベンは、バッグから下剤の小瓶を取り出すと、明かりに透かしながら眺める。


「またコイツを飲むのか……。嫌だなぁ……」


 そう言って大きくため息をつく。


 下腹部を襲う強烈な便意、暴発したら社会的に死んでしまうリスクを背負ったギリギリの戦闘。想像しただけでベンは陰鬱な気分に叩き込まれる。


「くぅぅぅ……、あのクソ女神め……」


 悪態をつくベン。しかし、もはや飲む以外に道はない。ギュッと目をつぶりながら一気飲みをした。


 うぇぇ……。


 ベンはドブの臭いのような強烈な苦みに顔を歪ませる。


 この時、ベンは気付いてなかったが、部屋の隅に勇者パーティの魔法使いが隠遁いんとんの魔法を使って潜んでいた。そして、彼女はその下剤の小瓶を見て、


「強さの秘密……見つけちゃったわ。クフフフ……」


 と、ほくそ笑んだ。



       ◇



 いよいよ武闘会が始まる。ベンは呼ばれ、中庭の舞踏場へと案内された。


 バラの咲き乱れる美しい庭園の中にひときわ高く築かれた舞台。本来はここで舞踊などが披露されるのであるが、今日は勇者と若き冒険者ベンの一騎打ちが披露されるのだ。すでに来賓たちは周囲のベンチに腰掛け、今か今かと血なまぐさい決闘を心待ちにしている。


「今を時めく人類最強の男! ゆーうーしゃー!!」


 セバスチャンは渋く低いが通る声を上げ、勇者を舞台へと案内する。


 うわー! キャ――――!


 歓声とともに大きな拍手が起こる中、勇者は颯爽さっそうと登場した。


 勇者はオリハルコンで作られた黄金に輝くプレートアーマーに身を包み、青く光る聖剣を掲げての入場である。人類最強の男が、人類最高レベルの装備で登場したのだ。


 勇者とは神より特殊な加護を得た者の称号で、勇者の聖剣は神の力を得て全てを切り裂き、貫く。つまり、勇者の聖剣の前には盾も鎧も魔法のシールドも何の意味もないという、とんでもないチートなのだ。


 それが、今日、これから見られると知って会場は最高潮にヒートアップした。


「続いて、ベネデッタ様を救った若きエース、ベーンー!」


 セバスチャンの案内でベンはよろよろと階段を上がる。すでに下剤は強烈な効果を表しており、脂汗を流しながら思わず下腹部を押さえ、舞台に立った。


 鎧もなく、武器も持たず、苦しそうに顔をゆがめる少年の登場に会場はざわめいた。いったい、人類最強の男を前にしてどうやって戦うつもりなのだろうか? みんな首をかしげ、その不可解な少年を見つめる。


「ベン君! ファイトですわ!」


 ベネデッタはハンカチを振り回しながら必死に声援を送る。他の人には違和感があっても、ベネデッタは調子悪そうなベンの姿をすでにオークの時にも見ているので、気にも留めていなかった。


「両者、見合ってー!」


 セバスチャンはレフェリーとなり、声をかける。


 すると、勇者はニヤッと笑って茶色の小瓶を三つ取り出し、ベンに見せた。


 えっ?


 ベンは目を疑った。それは自分のカバンに残しておいた予備の下剤だった。


「お前がこの薬で怪しいインチキをして強くなってること、俺は知ってるんだぜ」


 勇者はそう言うと三本の下剤を一気飲みした。


 あぁぁぁ……。


 ベンは思わず声が漏れた。なんという壮絶な勘違い。この下剤は薬師ギルドのおばちゃんに頼んで特別に作ってもらった最強の速効成分を濃縮したもの。『危険だから一日一本まで、容量用法はちゃんと守ってね!』と厳しく言われていたのだった。


 三本も一気飲みしたら絶対に我慢できない。


「どうした? 顔色が悪いぞ!」


 勇者は最高の笑顔でベンを見下ろし、ベンはこれから起こる惨劇の予感にゆっくりと首を振った。



 セバスチャンは二人の顔を交互に見て、


「それでは、準備はいいですか? ……、ファイッ!」


 と、叫んだ。


 勇者はニヤッと笑って聖剣を高く掲げると『ぬぉぉぉぉ!』と、気合を込め、真紅に輝く幻獣の模様を刀身に浮かび上がらせる。


「おぉ! 力がみなぎってくる! お前、こんな薬を使ってたんだな」


 勇者は嬉しそうに言うが、下剤にそんな効果などない。ただの気持ちの問題である。


 そして、勇者はベネデッタの方を向き、ニヤニヤしながら、


「約束、守ってもらうぞ!」


 と、叫んだ。


 ベネデッタはムッとした顔で、


「ベン君! 遠慮なく叩きのめしてくださいまし――――!」


 と、返す。


 勇者はベンを見下ろし、ニヤけながら言った。


「悪く思うなよ、ベネデッタは俺のもんだ。ベッドでヒーヒー言わせてやるぜ」


 しかし、ベンは返事をする余裕もなく腹を押さえうつむく。


 ぐぅー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 ベンの腸は本日二本目の下剤に激しく反応し、今まさに肛門が突破されかかっていたのだ。


 ベンは脂汗を浮かべ、必死な形相で般若心経はんにゃしんきょうを小声で唱え始めた。


観自在菩薩かんじざいぼさつ……」


「何やってんだお前! 行くぞ!」


 勇者はそう言いながら聖剣をブンと振りかぶった。


 ベンは脂汗をダラダラと流しながら、


波羅羯諦はーらーぎゃーてー!」


 と、言いながらカッと目を見開いた。


 その時だった、急に勇者の顔がゆがむ。


 ぐっ!


 そして、


 ぐぅ――――、ぎゅるぎゅるぎゅるぅ――――!


 と、勇者の下腹部が暴れ始めた。


 見る見るうちに青ざめる勇者。


 勇者は苦痛に顔をゆがめ、内またで必死に耐えていたがやがてガクッとひざをついた。


「ベ、ベン! 貴様何をやった!?」


 勇者は奥歯をギリッと鳴らし、必死に腹痛に耐えながら喚く。ベンは何もやってないのだが。


 ただ、ベンにも余裕などなかった。肛門は決壊寸前。括約筋にマックスまで喝を入れて、ギリギリ耐えているのだ。


 煌びやかな舞台の上で、多くの貴族たちに見守られながら、二人が戦っていたのは便意だった。


 しかし、三本あおった勇者の方が分が悪い。ついに肛門は限界を迎える。


「ダ、ダメ! も、漏れるぅぅぅ……」


 勇者が視線を落とし、脂汗をポタポタと落とした時、ベンは内またでピョコピョコと近づくと、


「便意独尊!」


 と、叫びながら勇者の頭を蹴り上げた。


 ぐはぁ!


 勇者の身体はくるりくるりと宙を舞い、庭園の小みちにドスンと落ちてごろごろと転がる。そして、


 ブピッ! ブババババ! ビュルビュルビュー!


 と盛大な音をたてながら茶色の液体を振りまき、辺りを異臭に包んだのだった。










9. 殲滅者との友誼


 世界最強の男が下痢を振りまきながら転がっている。そのあまりに異様な光景に、貴族たちは唖然とし立ち尽くす。そして、漂ってくる異臭に耐えられず、ハンカチで鼻を押さえながら急いで退散していった。


 謎の呪文で勇者を行動不能にしたそのシーンは、後々まで語り継がれる事になるのだが、実態は下剤の耐久勝負という実にお粗末な話である。


 セバスチャンは勇者の戦闘不能を確認すると、


「勝者! ベーンー!」


 と、高らかに宣言したのだった。


 それを聞いたベンは、青い顔をして脂汗を流しながらピョコピョコと内またで急いで階段を降り、トイレへと駆けていった。



       ◇



 公爵はセバスチャンを呼んだ。


「お主、今の戦いどう見る?」


「ハッ! 勇者は明らかにベン君を警戒しておりました。普通に戦っては勝てないと思っていた節があります」


「ほほう、人類最強の男が警戒していたと?」


「はい、直前にポーションでドーピングまで行っていました。ですが呪文を受けて攻撃を出す間もなく破れました」


「呪文!? おそろしいな……。もし……、もしだよ? 我がトゥチューラの全軍勢とベン君が戦ったとしたらどうなる?」


「あの呪文を解析しない事には何とも……。勇者をも戦闘不能にする恐ろしい呪文。私には対策が思いつきません。少なくとも今戦ったら瞬殺されるでしょう」


「しゅ、瞬殺!? ……。一体何者なんだ彼は?」


「オークをミンチにし、人類最強の男をおびえさせ、フル装備の勇者相手に武器も持たず丸腰で現れ、呪文で葬り去る……。もはや人知を超えた存在かと」


「人知を超えた存在……、大聖女とか大賢者とかか?」


「そのさらに上かもしれません」


「上……、まさか熾天使セラフ!?」


「勇者を手玉にとれるのはそのクラスしか考えられません。そして、神話には『熾天使セラフ降り立つ時、神の炎が全てを焼き尽くす』との預言がございます」


 公爵は言葉を失った。見た目はどこにでもいる可愛い少年。それが神の炎で全てを焼き尽くす恐るべき熾天使セラフかもしれない。そうであれば、これは人類の存亡に関わる事態なのだ。


 セバスチャンは淡々と言う。


「もし熾天使セラフであるのならば、我々を見定めに降臨されたのかと。神の意向に沿わないようであれば焼き払うために……」


「セ、セバス! 我はどうしたらいい?」


 公爵は青い顔をしてセバスチャンの手を取った。


「私もどうしたらいいのか分かりませんが、まずはベン君と友誼ゆうぎを結ばれることが先決かと」


「友誼、そうだ! 友誼を結ぼう。粗相そそうの無いよう、国賓待遇でもてなすのだ! 宰相を呼べ!」


 公爵は脂汗をたらたらと垂らしながら、叫んだ。


 

       ◇



 そんな深刻な話がされているなど思いもよらないベネデッタは、トイレでさっぱりして戻ってきたベンを見つけ、飛びついた。


「やったー! ベン君すごいですわ!」


「あ、ありがとうございます」


 甘くやわらかな女の子の香りに包まれ、ベンは赤くなりながら答えた。


「やっぱりベン君が最強ですわ! ねぇ、騎士団に入って私を警護してくれないかしら?」


 ベネデッタはベンの手を取りながら、澄み通る碧眼へきがんをキラキラさせ、頼む。


「へっ!? 騎士団!?」


 ベンは予想外の話に目を白黒させる。Fランクの十三歳の子供が騎士団など聞いたことが無かったのだ。


「勇者を倒したってことは人類最強って事ですわ。この話は全国に広まってあちこちからオファーが来るわ。そして、平民のあなたには絶対断れない命令も来るはず。騎士団に入れば私が守ってあげられるの。いい話だと思わないかしら?」


 ベネデッタはニコッと笑いながら恐いことを言う。


 ベンは単に勇者を倒しただけだと思っていたが、国の上層部の人にしてみたらこれはとんでもない話らしい。言われてみたらそうだ。人類の存亡にかかわる魔王軍との戦闘において、勇者は最高の軍事力。だから特別扱いをしてきたわけだが、それが子供に簡単に倒されたとなれば軍事戦略そのものを根底から見直さねばならないのだ。


 ベンは改めてとんでもない事になってしまった、と思わず宙を仰ぐ。


「何ですの? 私の護衛が嫌なんですの?」


 ベネデッタは不機嫌そうに口をとがらせる。


「あ、いや、もちろん光栄です。光栄ですが……、私は商人を目指しててですね……」


「商人!? 人類最強の男が商人なんて絶対許されないですわよ」


 デスヨネー。


 ベンは思わず額に手を当て、便意から手を切る生活プランがあっさりと瓦解した音を聞いた。


 もはや【便意ブースト】を使わずに暮らすにはこの街から逃げないとならない。しかし、国を挙げて捜索されるだろうから、見つからずに他の街でひっそり暮らす、などというプランが上手くいくとも到底思えなかった。


 ベンはうなだれ、大きく息をつく。


 騎士団に入ることはもう避けられないと観念したベンは、


「騎士団って、朝から晩まで厳しい規律があるじゃないですか。それを免除してもらえたりはできませんか?」


 と、何とか待遇改善に望みを託す。


「うーん、そうですわね。少年にあれはキツいかもしれないですわ……」


 ベネデッタは人差し指をあごに当て、小首をかしげながら考え込む。


「あ、こういうのどうかしら? 騎士団顧問になって、私の外出やイベントの時だけ勤務。これならよろしくて?」


「あ、それなら大丈夫です」


 拘束時間が少なければ何とかやっていけそうだ。むしろ商人より良いかもしれない。


「じゃあ決まりですわ! あっ、お父様、いいかしら?」


 ベネデッタは公爵を見つけると、顧問のプランを相談する。


 公爵はチラッとベンの顔を見るが、ベンは作ったような笑顔で不満げだった。


 マズい……。


 公爵の額に冷汗が流れた。ベネデッタが勝手に話を進めていたのは想定外である。公爵は上ずった声で言った。


「こ、こ、こ、顧問だなんてご不満ですよね? 最高顧問……いや、最高相談役なんてどうでしょう?」


「最高相談役?」


 ベンは何を言われているのかピンと来なくて首をひねった。


 その反応に公爵はしまったと思い、脂汗が浮かんでくる。迂闊うかつな言動は人類の存亡にかかわるのだ。


 その危機を察したセバスチャンが助け舟を出す。


「ベン様、どういったお立場がご希望ですか?」


「こういうとアレなんですが、まだ子供なので、楽なのが良いかななんて思ってます」


 前世に過労死したベンにとっては楽なことは最重要ポイントだった。


「なるほどそれならやはり、ベネデッタ様付きの顧問というのが一番ご希望に沿うかと……」


「そ、そうなんですね? では、それでお願いします」


 ベンはよく分からなかったが頭を下げた。


 それを見ると公爵はホッとして、ニコッと最高の笑顔を作ると、


「ではそれで! ベン様は我がトゥチューラ騎士団の顧問! 申し訳ないですが、その方向でこの娘を頼みます」


 そう言って右手を差し出す。


「わ、分かりました」


 ベンは面倒なことになったと思いながら、引きつった笑顔で握手をする。ただ、この時、公爵の手はなぜか汗でびっしょりであった。


 二人の握手を見たベネデッタは、


「では、最初のお仕事は、わたくしの親戚の子の警護をお願いさせていただくわ!」


 と、いたずらっ子の顔をして嬉しそうに言う。


「し、親戚?」


「そう、可愛い子ですわ。よろしくて?」


「は、はい……」


 ベンはなぜ親戚の世話まで見なきゃいけないのか疑問だったが、ベネデッタの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。


 その後、次々といろいろな貴族から挨拶を求められ、ベンはぎこちない笑顔で頭を下げながら社交界デビューを果たしていった。

















10. 魅惑のトラップ


 とっぷりと日も暮れ、ベンはパーティ会場を後にした。


 しかし、結局何も食べられていない。下剤で全部出して、何も食べていないのだからもうフラフラだった。


「なんか食べないと……」


 ベンはにぎやかな繁華街を通り抜けながらキョロキョロと物色していく。すると、おいしそうな匂いが漂ってきた。串焼き屋だ。豚肉や羊肉を炭火で焼いてスパイスをつけて出している。


「そうそう、これこれ! 前から食べたかったんだ!」


 ベンはパアッと明るい顔をしてお店に走ると、まず一本、羊串をもらった。箱のスパイスをたっぷりとまぶした。


 貧困荷物持ち時代には決して食べられなかった肉。だが、今や騎士団所属である。金貨もたんまりあるし、買い食いくらいなんともないのだ。


 ジューっと音をたてながらポタポタ垂れてくる羊の肉汁を、なるべく逃がさないようかぶりつくと、うま味の爆弾が口の中でブワッと広がる。そこにクミンやトウガラシの鮮烈な刺激がかぶさり、素敵な味のハーモニーが展開された。


 くはぁ……。


 ベンは恍惚の表情を浮かべ、幸せをかみしめる。こんなにジューシーな串焼きは日本にいた時も食べたことが無かった


 う、美味い……。


 調子に乗ったベンは、


「おじさん、豚と羊二本ずつちょうだい!」


 と、上機嫌でオーダーする。


 ベンは今度は豚バラ肉にかぶりつく。脂身から流れ出す芳醇な肉汁、ベンは無我夢中で貪った。


 さらに注文を重ね、結局十本も注文したベン。


 ベンは改めて人生が新たなフェーズに入ったことを実感した。ただ便意を我慢するだけで好きなだけ肉の食える生活になる。それは素晴らしい事でもあり、また、憂鬱なことでもあった。とはいえ、もう断る訳にもいかない。


「もう、どうにでもなーれ!」


 ベンは投げやりにそう言いながら最後の肉にかぶりついた。


 どんな未来が待っていようが、今食べている肉が美味いのは変わらなかった。


 余韻を味わっていると、隣の若い男たちが愚痴ってるのが聞こえてくる。


「なんかもう全然彼女できねーわ」


「あー、純潔教だろ?」


「そうそう、あいつら若い女を洗脳して男嫌いにさせちゃうんだよなぁ……」


 何だかきな臭い話だが、まだベンは十三歳。彼女作るにはまだ早いのだ。中身はオッサンなので時折猛烈に彼女が欲しくはなるが、子供のうちは我慢しようと決めている。


 怪しいカルト宗教なんて、自分が大きくなる前に誰かがぶっ潰してくれるに違いない、と気にも留めず店員に声をかけた。


「おじさん、おあいそー」


 ベンは銅貨を十枚払って、幸せな表情で帰路につく。


 しかし、よく考えたら今日は下剤を二回も使っていたのだった。これはおばちゃんの指定した用量をオーバーしている。そして、空腹に辛い肉をたくさん食べてしまっている。それはまさに死亡フラグだった。



        ◇



 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!


 もう少しでドミトリーというところで、ベンの胃腸はグルグル回り出してしまった。


「くぅ……。辛い肉食いすぎた……」


 脂汗を垂らしながら、内またでピョコピョコと歩きながら必死にドミトリーを目指す。


 ポロン! と、『×10』の表示が出る。もうすぐ自宅だから強くなんてならなくていいのだ。ベンは表示を無視して必死に足を運んだ。


 すると、黒い影がさっと目の前に現れる。


「ちょっといいかしら?」


 えっ!?


 驚いて見上げると、それは勇者パーティの魔法使いだった。


「今ちょっと忙しいんです。またにしてください」


 漏れそうな時に話なんてできない。ベンは横を通り過ぎようとすると、


「あら、マーラがどうなってもいいのかしら?」


 と、魔法使いはブラウンの瞳をギラリと輝かせ、いやらしい表情で言った。


「マ、マーラさんがなんだって?」


 ベンはピタッと止まって、魔法使いをキッとにらんで言った。勇者パーティで唯一優しくしてくれたマーラ。あのブロンズの髪の毛を揺らすたおやかなしぐさ、温かい言葉にどれだけ救われてきただろう。


「マーラさんをイジメたらただじゃ置かないぞ!」


 もし、マーラにも下剤を盛ったりしてイジメていたらとんでもない事だ。ベンは荒い息をしながらギロリと魔法使いをにらんだ。


「ちょっとここは人目があるから場所を移しましょ」


 魔法使いはそう言うと、高いヒールの靴でカツカツと石だたみの道を鳴らしながら歩きだす。そして、魅惑的なお尻を振りながら細い道へと入って行った。












11. 四天王


 ベンは下腹部をさすりながらうずくまったが、マーラのことであれば無視もできない。括約筋に喝を入れ、よろよろと立ち上がると、はぁはぁと荒い息をしながら魔法使いの後を追った。


 しばらく歩くと広場があり、丸太が積み上げられている。奥には石材がゴロゴロとしていて、資材置き場として使われているようだ。リリリリとにぎやかに虫たちが合唱をしている。


 魔法使いはくるっと振り返り、月夜に目をキラっと光らせて言った。


「マーラがね、行方不明なのよ。あんた何か知らない?」


 ベンは戸惑った。彼女はまじめな人だ。いきなりいなくなるとは考えにくい。事件にでも巻き込まれていたら大変なことである。しかし、彼女とはダンジョン以来話もしていない。


「それは気になりますね。でも、知りませんよ。なんで僕に?」


「あんた、マーラに目をかけてもらってたからね。連絡が来たら教えて」


 魔法使いはベンの身体を舐めるように視線を這わせながら言った。


「分かったよ」


 ベンは気持ち悪く思い、一歩下がりながら適当に返事をした。


 勇者が負けたことで勇者パーティも崩壊しつつあるということだろうか。ざまぁと思うところもあるが、それがマーラを悩ませてしまっていたとしたら申し訳ないなと思った。


 だが、考え事は良くない。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!


 胃腸が暴れ始め、ポロン! と『×100』の表示が出る。


「そんだけですか? じゃあ帰ります」


 そう言ってきびすを返すと、魔法使いは後ろからベンをすっとハグした。


 へ?


 エキゾチックな大人の女性の香りがふんわりとベンを包んだ。


「これからが本番よ。あなた、なぜ、あんなに強くなったの?」


 豊満な二つのふくらみを押し付けながら、耳元で魔法使いはささやく。


「秘密です。なんであなたに言わなきゃならないんですか!」


 ベンは必死に魔法使いの腕を振りほどく。


「あなたの薬の小瓶は全部いただいちゃったわ。もう強くなれないでしょ? クフフフ」


 嫌な声で笑う魔法使い。一体何がやりたいのかベンは困惑した。


 言われてみれば予備の小瓶は三つ。確かにさっき勇者が全部飲んでしまっていた。


「お前が盗んだんだな!」


 ベンは下腹部を押さえながら怒った。


「その強さの秘密、調べて来いと言われてるの。でも、別に言わなくてもいいのよ、死体から聞くから」


 そう言うと魔法使いは月の光にキラリと輝く小さな針を出し、ベンの首筋にピン! と飛ばして刺した。


 ぐわっ!


 痛烈な痛みにベンは気を取られ、肛門の守りが手薄となる。


 ピュッ、ピュルッ!


 ピロン! と鳴って『×1000』の文字が浮かんでいる。


 今までにない決壊にベンは青い顔をしながら、針を抜いた手でそのまま魔法使いを撃つ。


 魔法使いは素早く避けたがベンの千倍の攻撃は鋭く、かすっただけでビキニスーツがパンとはじけ飛んだ。


 月明かりに白く美しい裸体を晒す魔法使い。


 一瞬焦ったベンだったが、その豊満な胸の乳首のところにはギョロリとした目があり、お腹には巨大な口が牙を晒していた。


 はぁ!?


 凍りつくベン。魔法使いはなんと魔物だったのだ。勇者はいままで魔物と一緒にダンジョンを攻略していたということになる。つまり魔法使いは魔王軍のスパイだったのだ。


 その時、さらにいっそう大きく腸がうねった。


 くふぅ……。


 激しい便意にガクッとひざをつくベン。


「あらら、バレちゃった。でも、あなたに打ち込んだ毒は象でも倒せる猛毒。残念だったわね。ここで死んでいきなさい。クフフフフ」


 魔法使いは淡く紫色に輝く魔法シールドを展開し、その中でお腹の大きな口を揺らしながら笑う。


 しかし、ベンは止まらない。毒耐性も千倍なのだ。象はたおせてもベンはたおせない。


 ベンは腹を押さえ、何とか括約筋に喝を入れ、脂汗をたらたらと垂らしながらピョコピョコと内またで駆け出し、魔法使いとの距離を詰める。


「死にぞこないが何をするつもり?」


 余裕な顔であざける魔法使い。


「便意独尊!」


 ベンはこぶしに気合を込めると、叫びながら魔法使い向けてありったけのパワーで撃ちぬいた。


 千倍の破壊力は全てをぶち壊す。


 魔法シールドは爆散し、そのまま魔法使いのみぞおちをぶち抜いた。


 ゴフゥ――――!


 魔法使いはものすごい勢いで吹き飛ばされ、野積みの丸太に直撃し、まるでボウリングのピンのように丸太を夜空に高くかっ飛ばす。そして、野積みの石の山にめり込んで止まった。


 はぁはぁはぁ……。


 荒い息をしながら、ピョコピョコと近づくベン。


「小僧、なんてパワーなのよ……。こんなの……人の力じゃない。化け物め……」


 魔法使いはお腹の大穴から青い血をダラダラと流しながら言った。


「化け物ってひどいな。お前の方が化け物じゃないか。スパイなんかしてどうするつもりだったんだ?」


 魔法使いの身体は徐々に薄く透けていく。そして、最期にニヤリと笑うと、


「私は魔王軍四天王のナアマ……。『ベンという少年をたおせ』って伝令を飛ばしたの。お前はもう逃げられないわ、クフフフ……」


 と、言いながら消えていった。


 後には紫色に輝く魔石がコロコロと転がる。


 キー! キー! キー!


 不気味な鳴き声がして、ベンが夜空を見上げると、無数のコウモリが暗黒の森の方へと飛び去って行くのが見えた。


 昨日までFランクの荷物持ちだった少年は、あっという間に人類最強として騎士団の顧問になり、魔王軍の中枢からターゲットにされるハメになってしまった。


 どうしてこうなった?


 物陰で用を足しながらベンは、この数奇な運命をどう解釈したものかわからず深いため息をついた。


 しばらく鳴きやんでいた虫たちが、またリリリリとにぎやかに響き始める。


















12. 接待ダンジョン


 しばらくベンは騎士団顧問としての準備に追われた。宮殿の近くに部屋を借り、制服を作り、メンバーにあいさつし、任命式で正式に顧問となった。


 もちろん、騎士団と言えば街の精鋭ぞろいである。皆ビシッと背筋を伸ばし、筋骨隆々として、子供の頃から延々と振ってきた剣さばきも見事だ。それに対し、ベンは剣もまともに扱えないヒョロっとした小僧である。訳わからない呪文で勇者に勝ったからと言って、入団を許していいのかという不満は皆持っていた。特に、ベネデッタに気に入られているというのが許しがたい様子である。騎士団のアイドル的存在ベネデッタが、あんな小僧を目にかけているなど許しがたかったのだ。


 社会人経験の長いベンもそのくらいは分かっている。分かってはいるが、ベンのスキルはおいそれと見せられるものでもない。そこは折を見て少しずつ理解して行ってもらうよりほかない。そもそも自分は商人になりたかったのだ。


 帰りがけに警護班の班長に呼び止められる。


「顧問! これ、指令書。読んでおいて」


「え? 何?」


「いいから、読めばわかるから!」


 不機嫌を隠そうともせず、仏頂面で封筒を突き出す。


「あ、ありがとう」


「あなたには何も期待してないので、ただ、後をついてきてくれるだけでいいです」


 吐き捨てるようにそう言うと、班長はカツカツとブーツのヒールを鳴らしながら去っていった。


「ふぅ、初日から大変だぞこりゃ」


 若いっていいなぁと思うところもあるが、前途多難な状況に思わずため息が漏れる。


 指令書には、明朝に西の城門集合で、ベネデッタの親戚のベッティーナのダンジョン攻略の警護をせよと書いてあった。


 はぁ!?


 ベンは目が点になる。なぜ貴族様がダンジョンになど潜るのか?


 しかし、何度読み直してもそうとしか読めなかった。ベンは大きく息をつく。


 ただ、班長は『何もするな』って言っていたし、後をついていけばいいだけだろう。お貴族様の後をついていくだけの簡単なお仕事です!


 ベンは深く考えることは止め、下剤やポーションなどダンジョンに潜るアイテムの買い出しに出かけた。



        ◇



 翌朝、まだ朝霧も残る早朝の街を、あくびしながらベンは西門へと歩く。朝露に濡れた石だたみにオレンジ色の朝日が反射し、街は美しく輝いている。


 西門が見えてくると、女の子が手を振っている。あれがベッティーナ……、ということだろうか? 隣にはもう班長がいてビシッと立っている。


 近づいてみると、ベネデッタが仮面舞踏会につけるような変なアイマスクして嬉しそうに手を振っている。


「あれ? ベネデッタさん、どうしたんですか? そんな仮面して」


 ベンが聞くと、ベネデッタは途端に怒り出し、


「我はベネデッタではないのだ! ベッティーナ!」


 と、言って口をとがらせて横を向いてしまった。


 訳が分からず班長の方を見ると、人差し指を一本立てて口に当て『シーッ』というしぐさをしている。


 どうやらベッティーナというのはベネデッタのお忍び用のコードネームらしい。貴族様はいろいろ自由が無くて大変そうだ。ベンは大きく息をつき、


「これはベッティーナ様、大変に失礼いたしました。本日はよろしくお願いいたします」


 と、言いながらひざまずいた。


 するとベネデッタはニヤッと笑い、


「分かればよいのだ! それではシュッパーツ!」


 と、楽しそうにダンジョンへ向けて歩き出した。



        ◇



 不機嫌な班長から道すがら聞いた情報を総合すると、ベネデッタは月に一回くらいこうやってお忍びで魔物狩りをするらしい。一応王家の血筋なので魔法の才能はあるものの経験には乏しく、駆け出し冒険者レベルということだった。


 今日も三階辺りを一周して帰ってくる予定だそうだ。であるならば本当に出番などないだろう。ベンとしても下剤を飲むようなことは避けたかったので都合がいい。


 ふぁ~あ。


 麦畑をわたる風が、朝日にオレンジ色に輝くウェーブを作り、ベンはその平和な美しい景色を見ながら伸びをする。


 こんな簡単なお仕事で高給もらえるなら実は天国かもしれない。数日前まで飢え死にを心配していた事がまるで嘘のようである。ベンは運気が向いてきたとニコニコしながら気持ちよい風に吹かれた。



       ◇



「ベン君! 見ててよ!」


 ベネデッタはそう言うと、エレガントに魔法の杖を掲げ、呪文を詠唱し始める。


 背筋をピンと伸ばし、目をつぶりながらブツブツとつぶやくベネデッタは薄く金色の光をまとい、気品のある美しさをたたえていた。


 そして、目をカッと見開くと、


「ホーリーレイ!」


 と、叫んで杖を振り下ろした。


 ダンジョン内に閃光が走り、聖なる黄金の光の奔流ほんりゅうがダンジョンの奥へと打ち込まれていく。


 グギャー! グアー!


 ダンジョン内をうろうろしていた骸骨の魔物、スケルトンが次々と倒れ、消えていった。


 パチパチパチ!


「ベッティーナ様、凄い! お見事です」


 班長はまるで接待ゴルフのようにほめまくった。


「ナイスショットー」


 ベンは拍手をしながらやる気のない声で、異世界人には分からない掛け声をかける。


「ふふん! 我だって少しはやるのだ!」


 ベネデッタは得意げに胸を張った。










13. 堕ちていく下剤


 ベネデッタに活躍させては拍手する。そんなことを繰り返しながら三階へと降りていく。


 戦闘は基本、班長が前衛をやり、ベネデッタが後衛をやっている。ベンは後ろから襲われないようにするただの護衛だった。


 とはいえ、こんな低層階で後ろから襲ってくる魔物などいないわけで、楽しそうに魔法を操るベネデッタを眺めながら、ベンは子守をするおじさんの気持ちで見守っていた。



        ◇



 そろそろお昼なので、あくびを噛み殺しながら撤退の声を待っていると、ベネデッタが部屋のドアを開けた。すると、奥には宝箱がいかにもという感じで置いてある。


「あっ! 宝箱発見なのだ!」


 小走りに宝箱に駆けだすベネデッタ。


「あっ! 走っちゃダメです!」


 班長が急いで後を追い、ベンも仕方なくついていく。


 直後、カチッ! という音が部屋に響き、床がパカッと開いた。落とし穴だったのだ。


「キャ――――!」「うわぁ!」「ひぃ!」


 漆黒の底なしの穴が一行を飲みこんでいく。


 班長は険しい表情でポケットから魔法スクロールを出すと一気に破った。


 スクロールからは金色の光がぶわぁっと噴き出し、三人をふんわりと包んでいく。その金色の光に支えられるように、落ちる速度が徐々にゆっくりとなっていった。


「ゴ、ゴメンなのだ……」


 しおれるベネデッタ。


「ダンジョンは絶対走らないでくださいね!」


 班長は目を三角にして厳しく言った。班長がベネデッタに怒るなんてよほどのことである。


「これ……、どこまで行くんですかね?」


 ベンはどこまでも続く漆黒の闇をのぞきこみながら班長に聞く。


 班長は下の方をじーっと見つめ、渋い顔で、


「こんな長い落とし穴は初めてです。三、四十階……、もっと行くかもしれません」


 と言って、首を振った。


「えっ! そんな?」


 ベネデッタは青い顔をする。中堅冒険者パーティの限界が四十階と言われている。そこから先では一般には生還が絶望的だった。


 ベンは大きく息をつくとリュックを下ろし、下剤を取り出そうとする。


 その時だった。


「ベン君! 助けて!」


 そう言って、ベネデッタがいきなりベンに抱き着いてきた。


「うわぁ!」


 その拍子にリュックはベンの手を離れ、真っ逆さまに落ちていく。この場を切り抜ける唯一の希望、下剤はあっという間に漆黒の闇の中へと消えていった。


 あぁぁぁぁ……。


 茫然自失ぼうぜんじしつとなるベン。便意が無ければただの小僧。ベネデッタより弱いのだ。彼女を守ることなんて到底できない。


 ベネデッタは申し訳なさそうにベンを見るが、ベンには余裕がない。


 頭を抱えて必死に考える。


 何かないか? 便意を呼べるもの!


 しかし、そんな都合のいいものある訳がない。班長達にも持ち物を聞いたが、下剤など持ってるはずがない。


 絶体絶命である。ダンジョンの深層で戦力は実質班長だけ。とても生還できない。


 くあぁぁぁ……。


 万事休す。落ちた荷物を見つけられるかどうか、一行の命運はその一点にかかっていた。



         ◇



 やがて一行はフロアに降り立つ。


 そこは草原だった。


 澄み通る青空には白い雲が浮かび、草原にはさわやかな風が走り、小川は陽の光を浴びてキラキラと光っていた。奥にはうっそうとした森が広がり、ダンジョンでなければ気持ちいい高原の風景である。


「こ、これは……」


 ベンは絶句する。地中の洞窟の奥底にこんな草原が広がっているなんて、想像もしていなかったのだ。


「これは……、六十階台だな」


 班長が悲壮な顔をして言う。


「六十!?」


 ベネデッタは目を真ん丸くして驚いた。


 上級冒険者でも危険と言われる領域に来てしまったことに、一行は押し黙る。


「ベン君! 大丈夫よね?」


 ベネデッタはベンの手を取ってすがるように言うが、下剤のない今、ベンはただの小僧だった。


「荷物が見つからないと何とも……」


 そう、渋い顔をして返すしかなかった。


 しかし、草原の草は胸の高さ近くまで生い茂り、この中を荷物なんて探せそうになかった。


 であるならば、下剤の効果のある野草でもムシャムシャ食べればいいのではないか、とも思ったが、ススキみたいな薬効などなさそうな植物ばかりで、いくら食べても効果は期待できそうになかった。


 危険なダンジョンの深層で生き残る手段はもはや便意しかない。しかし、その便意を呼ぶ方法が無い現実にベンは奥歯をギリッと鳴らした。












14. 一万倍の約束


 あまり使いたくない手だったが、この際なりふり構っていられない。ベンは少し離れて空に向かって叫ぶ。


「シアン様! お願いです! 出てきてくださーい!」


 すると、ポン! という音とともにぬいぐるみのシアンが現れる。


 シアンは楽しそうにクルクルッと回ると、


「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! やっぱり便意が欲しくなったでしょ?」


 と、ドヤ顔で言った。


 ベンはそのドヤ顔が悔しくてキュッと口を真一文字に結んだが、今は便意に頼らざるを得ない。


「お、お願いします!」


 ベンは頭下げて頼む。


「じゃあ一万倍出してね?」


 シアンは悪い顔でニヤッと笑って言った。


「い、一万倍!?」


 ベンは固まった。千倍でもあんなに苦しかったのに一万倍とか、このクソ女神はなんて無慈悲なことを言うのだろうか?


「嫌なの?」


「い、いや、一万は耐えられないですよ」


「やってみなきゃ分かんないでしょ?」

 シアンはプクッとほっぺたを膨らまして言う。


「やらなくてもそのくらい分かるんです!」


 ベンは目をギュッとつぶり、声を荒げて言った。


 すると、ズシーン! ズシーン! と地面の揺れる音が近づいてくる。音の方を見ると、森の奥で何かが動いている。目を凝らすとこずえの上に巨大な一つ目がニョキっと現れた。


 班長は真っ青になって、


「サ、サイクロプス!? 逃げましょう!」


 と、ベネデッタの手を引く。


 一行はダッシュで走り出した。


 サイクロプスは一つ目がギョロリとしたAクラスの魔物である。身長は十メートルを超え、筋骨隆々の躯体から繰り出されるパンチは全てを砕いてしまう。


 今のこのパーティではサイクロプスは止められない。班長ですら足止めも無理だろう。


 絶望が一行を包む。


「くぅ、一万倍かぁ……」


 ベンは走りながら顔を歪ませて言った。


「ほらほら、急がないと全滅だゾ! きゃははは!」


 シアンはとても嬉しそうにベンの耳元で笑い、ベンはギリッと奥歯を鳴らす。


 ズシン! ズシン! という音が地面を揺らしながら近づいてくる。もはや猶予はなかった。


「分かりました。一万倍出してみますからお願いします!」


 ベンはギュッと目をつぶると、あきらめて叫んだ。


 すると、シアンはニコニコしながらベンに耳打ちをした。


「はぁ!? マジですか?」


「マジマジ! ほら、急いで急いで!」


 くぅぅぅ……。


 ベンは泣きそうな顔をしながら二人を先に行かせ、木陰でズボンをおろした。そして水筒の細くなってる飲み口をお尻に差し込んで、まるで浣腸かんちょうのように一気に水を流し込む。


 おうふ!


 下腹部に入ってくる冷たい大量の水。それはベンの便意を一気に解放した。


 ポロン! 『×10』

 

 そして、最後の力を振り絞り、残りの水も全部流し込む。


 ポロン! 『×100』


「お、いいねいいね!」


 シアンは嬉しそうに言う。


 ぐはっ!


 ベンは鬼のような形相で水筒を引き抜く。


 冷たい水が腸を刺激し、


 ぐるぐる、ぎゅぅぅぅ――――。


 と、猛烈な勢いで暴れ始める。


 くぅぅぅ……。


 ベンは奥歯をギリッと鳴らし、何とか便意を手なずけようと必死に括約筋を絞った。


 そうこうしているうちにも、サイクロプスは巨人とは思えぬすさまじい速度で班長とベネデッタを猛追し、追いついてしまっていた。


「ほら、頑張れ、頑張れ!」


 シアンは無責任に煽る。


 くっ!


 ベンは歯を食いしばった。ただ、使命感だけが彼を動かす。ベンは朦朧としながら、完全に逝ってしまった目でサイクロプスを追った。


 サイクロプスは二人を瞬殺する勢いでパンチを繰り出してくる。極めてマズい状態だった。


「急が……なきゃ……」


 ベンは苦痛に顔をゆがめながらピョコピョコと走っていく。


 班長は盾でサイクロプスのパンチを受け止めたが吹き飛ばされ、ベネデッタは神聖魔法を放つもののほとんど効いていなかった。


 二人は絶望し、サイクロプスはニヤリと笑う。


「あの小僧どこ行ったんだ! 役立たずめ!」


 班長は悪態をつき、ベネデッタはベソをかきながら叫んだ。


「きっと助けてくれるのだ! ベンくーん!」


 サイクロプスは一メートルはあろうかという巨大なこぶしを、思いっきり振りかぶる。その高さは五階建てビル位に達するだろうか。そして、一気にすさまじいパンチを撃ちおろす。


「いやぁ――――!」「ひぃぃぃ!」


 二人がもうダメだと思った瞬間、サイクロプスの足が吹っ飛ばされ、あおむけに無様に転がった。


 地響きが派手に響いて、土埃が舞う。


「えっ……?」「あ、あれ……」


 不思議に思った二人は、土埃の向こうに少年がピョコピョコと動いているのを見つけた。


「ベンくーん!」


 ベネデッタは手を振る。


 ポロン! 『×1000』


「キタ、キター!」


 シアンはクルクルっと楽しそうに回った。


 ベンは脂汗を流しながらサイクロプスの頭に近づくと、


「便意独尊!」

 

 と、叫びながら思いっきり頭部をパンチで撃ちぬく。


 グギャァァ!


 まるで豆腐みたいに頭部が吹っ飛び、やがて魔石を残しながら消えていった。


 班長はその様子を見てゾッとし、凍りつく。サイクロプスの体躯は金剛不壊ふえと呼ばれ、剣で斬りつけても刃こぼれしてしまうくらいの硬度を誇っている。パンチなどで傷をつけられるようなものじゃない。それをベンはパンチ一発で粉砕したのだ。


 もはや人間技ではない。


 班長は呆然としながら首を振り、見てはいけないものを見てしまったような後悔にとらわれた。あのパンチが自分たちに向けられたら即死である。騎士団全員で束になってもこの少年には勝てない。なるほど、騎士団顧問というのは正しかった。班長は自らの無礼な言動を心から反省し、冷や汗をたらりと流した。










15. 伝説の真龍


「ベンくーん!」


 ベネデッタはベンに走り寄るが、ベンにはもう全く余裕がなかった。強引に流し込んだ水が腸内でさっきからグルグルとすさまじい音を立て、肛門を襲っているのだ。もはや一刻の猶予もない。


「失礼!」


 ベンは脂汗を流しながら一言そう言うと、ベネデッタを小脇に抱え、次いで班長も抱え、ピョコピョコと走り出した。出口はシアンが教えてくれる。


 走ると言っても千倍のパワーの走りである。あっという間に時速百キロを超え、飛ぶように草原を一直線に駆け抜けていった。


 その圧倒的な速度に二人は圧倒されて言葉を失う。ベンの超人的パワーは明らかに人の領域を超えているのだ。ただ、大人しく運ばれるしかなかった。


 途中オーガやゴーレムみたいなAクラスモンスターが行く手をふさぐ。しかし、ベンは止まりもせずにただ膝蹴りで一蹴し、楽しそうに飛んでいくシアンの後をひたすら追っていく。


 しばらく行くと湖があり、その湖畔に小さな三角屋根の建物が見えてきた。どうやら、ここらしい。


 漏れる、漏れる、漏れる……。


 ベンは建物の入り口で二人を下ろし、急いでドアを開ける。


 奥に下り階段が見えた。ビンゴ!


 だがその時、天井から閃光が放たれた。


 グハァ!


 ベンは天井に潜んでいたハーピーの攻撃をまともに受け、服が焦げた。千倍の防御力では身体は傷一つつかないものの、デリケートな下腹部にはこたえた。


 ビュッ、ビュルッ!


 たまらず肛門が一部決壊。オムツ代わりに仕込んでおいたタオルに生暖かい液体が染みていく。


 ポロン! 『×10000』


 ついに限界突破の一万倍に達してしまった。


「キタ――――! きゃははは!」


 シアンは大喜びである。


 ベンは奥歯をギリッと鳴らすと、


「エアスラッシュ!」


 と、叫んで初級風魔法を放った。初級とは言え一万倍の威力である、それぞれが普通の百倍くらいの威力を持った風の刃が数百発天井に向って放たれる。それはまるで竜巻が直撃したかのような衝撃でハーピーを襲う。


 キュワァァァ!


 断末魔の叫びが響き、ハーピーは屋根ごと粉々に吹き飛んでしまった。


 くふぅ……。


 ガクッとひざをつくベン。もう肛門は限界だ。しかし、まだこの先、ボスをたおさない限り外には出られないのだ。それまではこの便意を温存するしかない。休憩してもう一発水筒注入というのはもう耐えられそうになかった。


「ベン君……」


 ベネデッタはその尋常ではないベンの辛そうな様子に、思わず駆け寄って後ろからハグをする。しかし、それは下腹部を締め付けて逆効果だった。


 グハァ!


 思わず叫んでしまうベン。


 ビュッビュとまた少し決壊してしまう。


「ごめんなさい、わたくしそんなつもりじゃ……」


 オロオロするベネデッタ。


「だ、大丈夫。ちょっと待っててください」


 ベンは必死に肛門のコントロールを取り戻そうと大きく深呼吸を繰り返し、般若心経をつぶやきながら精神統一に全力を注ぐ。


 ベネデッタは心配そうな顔をしながら、癒しの神聖魔法をそっとかけたのだった。


 ベンの全身が淡く金色に光輝き、光の微粒子が舞い上がる火の粉のようにチラチラと辺りを照らす。


 ベンは激痛の走る下腹部をそっとなでながら、少しずつ癒されていくのを感じていた。



        ◇



「ありがとうございます。行きましょう」


 便意の波が少し収まると、ベンは立ち上がり、前かがみでピョコピョコと階段を降りていく。次の波が来たらきっと耐えられない。時間との勝負だった。


 そこには高さ十メートルはあろうかという巨大な扉があり、随所に金の細工が施され、冒険者の覚悟を試しているかのように静かにたたずんでいる。


 ベンはバン! と、扉を無造作にぶち開けて、中に突入して行った。


 すると、天井の高い巨大な大広間には中央に何やら小山のようなものがそびえている。そして、部屋の周囲の魔法ランプがポツポツと煌めき始め、部屋の様子を浮かび上がらせていった。


 ひっ! ひぃ!


 班長が思わずしりもちをついて叫ぶ。


 ランプが照らした小山、それはなんと漆黒の鱗に覆われた巨大なドラゴンだったのだ。それもこのドラゴンは鱗のとげも立派に伸びた真龍、もしかしたら神話の時代から生き延びている伝説の龍かもしれなかった。


「ダメです! ダメ! あれは我々の手に負えるものじゃない!」


 班長はドラゴンの圧倒的な存在感に気おされ、真っ青になって叫ぶ。


 確かにドラゴンというのはもはや災厄であり、一般的な攻撃は全く通じず、過去には一個師団が相対して多数の犠牲者を出しながらようやく仕留めることができた、というくらい破格の存在なのだ。


 しかし、ベンにとってはもはや一刻の猶予もなかった。


 早くも波が来てしまい、過去最悪レベルに腸は暴れまわり、グルグルギューとすさまじい叫びをあげている。


 持って十秒、それ以上は暴発か人格崩壊か、そのくらい追い込まれていた。













16. 困惑の結婚プラン


 ドラゴンは侵入者に気が付き、巨大な翼をバサバサと揺らし、マイクロバスくらいはあろうかという巨大な首をもたげ、クワッと大きく口を開けた。そして、圧倒的なエネルギーの奔流が喉奥に集まっていく。


「ブレスが来る! 逃げろー!」


 班長はベネデッタを抱えて逃げ出す。


 しかし、ベンは、構うことなく一気に飛び上がると、そのまま手刀でドラゴンのクビを全力で切り裂いた。一万倍の宇宙最強のエネルギーがベンの指先から閃光となってほとばしり、鮮烈なレーザービームのように、すべてをはじき返すはずのドラゴンの鱗をあっさりと焼き切ったのだった。


 グギャァァァ!


 ドラゴンブレスのために集めたエネルギーは行き場を失い、喉元で大爆発を起こす。


 ズン!


 大広間は閃光に包まれ、地震のように揺れた。ドラゴンの首は黒焦げとなって吹き飛び、壁に跳ね返され床に転がっていく。


 だが、ベンはそんな事には目もくれず、出口までピョンとひと飛びし、扉をぶち破って消えていった。


 班長もベネデッタも、その圧倒的な戦闘力に呆然とし、言葉を失う。ドラゴンを瞬殺したすさまじい戦闘力はもはや神の領域である。


 二人は黒焦げとなって熱を放つおぞましいドラゴンの首を眺め、どうしたらいいのか分からず、顔を見合わせる。そして、手を組んで神の御業に祈った。



       ◇



「きゃははは! やったね、一万倍だよ!」


 用を足して恍惚としているベンにシアンは上機嫌に話しかける。


 ベンはチラッとシアンを見ると、首を振り、何も言わなかった。


「どうしたの? 真龍も瞬殺。神に近づいたんだよ?」


 ノリの悪いベンをシアンは不思議に思い、首をかしげる。


「僕は! 静かに暮らしたいだけなの! 何なんですかこの糞スキル!? いつか死にますよ!」


 ベンは憤然と抗議した。


「大いなる力は大いなる責任を伴うからね! しかたないね! きゃははは!」


「だから変えてって言ってるでしょ? もうやだ!」


 ベンは両手で顔を覆う。


「んー、でも今、魔王が君にしかできない世界を救うプラン考えてるんだって」


「へ? 魔王? なんで僕を巻き込むんですか? 止めてくださいよ!」


「だってそのスキル宇宙最強なんだもん」


 そう言うとシアンは嬉しそうにくるっと回った。


「なんと言われたって絶対協力なんてしません! あなたの言うとおりになんて絶対! ぜ――――ったい、なりませんよ!」


 ベンは毅然きぜんとして言い切った。


 すると、シアンはちょっと悪い顔をして言う。


「上手く行ったらベネデッタちゃんと……、結婚できるのになぁ……」


「えっ!? け、結婚?」


 ベンは全く想像もしなかった話に言葉を失い、口をポカンと開け、間抜けな顔を晒した。


「だって世界を救ったベン君なら断る理由なんてないからねぇ」


 嬉しそうに話すシアン。


「え? 本当に? いや、でも……」


「魔王のプランに乗る気になった?」


 ベンは困惑した。これ以上シアンの言いなりになるのはゴメンだ。でも、世界を救って公爵令嬢と結婚、それは確かにありえない話ではない。前世では彼女を作る暇もなくブラック企業で過労死してしまったが、あんな美しいおとぎ話に出てくるような可憐な少女と結婚の芽があるというのは全くの想定外だった。


 ベンは大きく息をつくとシアンをチラッと見上げ、小声で返事をする。


「……。話は聞くだけ、聞いてみてもいいです。でも、話あるならお前の方から来い、って伝えといてください」


「うんうん、分かったよ」


 シアンは『チョロすぎ』とでも言いたげな、にやけ顔でうなずいた。


「それから、このスキル修正してくださいよ。苦しすぎます」


「え――――! スキルの修正なんてできないよ。それ、絶妙なバランスの上で作った芸術品なんだゾ」


「でも、苦しすぎて死んじゃいます!」


「うーん。……。じゃこうしよう!」


 そう言ってシアンはベンの可愛いお尻をサラッとなでる。するとお尻はピカッと黄金色に光輝いた。


 へ?


「これで君の括約筋は+100%。十万倍にも耐えられるゾ!」


「いやちょっと! そういうんじゃなくて……」


「じゃ、次は十万倍! 頑張って! きゃははは!」


 シアンは笑いながらすうっと消えていった。


 ベンはそっと自分のおしりを触ってみる。すると確かに今までと違うずっしりとした確かな筋肉を感じる。ただ、漏れにくくなっただけで苦痛は変わらない。むしろ今まで以上に耐えられる分だけ苦痛は増す予感しかない。


「なんだよもぅ……」


 ベンは宙を仰ぎ、頭を抱えた。











17. ベン男爵


「ベン君! すごいのだ!」


 ダンジョンの入り口まで戻るとベネデッタが駆け寄ってきて抱き着いてきた。甘く華やかな香りがベンを包む。


「ベ、ベッティーナ様、ハグなど恐れ多いですよ」


「何言ってるのだ! 君は命の恩人なのだ!」


 何度も絶望を一撃で葬り去ってくれたベンは、もはやベネデッタの中では『運命の人』が確定していた。


「君にはいつも助けてもらってばかりなのだ……」


 うっとりとしながら、ベネデッタはベンのスベスベのほっぺに頬ずりをした。


「えっ? いつも?」


 ベンは少し意地悪に聞く。


「あ、いや、ベネデッタの件合わせてなのだ」


 ベネデッタはほほを赤くしながらうつむいた。


「顧問! お見事でした! ドラゴンを瞬殺とは史上初めての偉業。自分は猛烈に感激しております!」


 班長はビシッと敬礼しながら言った。


「あはは、たまたまだよ。いつもはできない」


「いやいや、ご謙遜けんそんを。自分は今まで顧問に大変に失礼を働いておりました。深く反省し、これからは真摯しんしにご指導をたまわりたく存じます」


 と、深く頭を下げる。


「あ、そう? 指導なんてできないけど、騎士団の連中には言っておいてよ。結構苦労してる奴だって」


「く、苦労ですか? 分かりました。ただ、これを見せたら誰しも黙ると思いますよ」


 そう言いながら、キラキラと黄金の輝きを放つ大きな珠を見せた。


「何これ?」


「ドラゴンの魔石ですよ。これは国宝認定間違いなしですよ」


 班長は嬉しそうに言った。


「ああ、そう……」


 ベンは魔石の価値が分からず、適当に流したが、後で聞くとドラゴンの魔石はそれこそ小さな領地が丸々買えてしまうくらい高価なものだそうだ。



       ◇



 ベネデッタを宮殿に届け、自室でゴロンと寝っ転がり、うつらうつらしていると班長がドアを叩いた。


 目をこすりながらドアを開けると、班長がキラキラとした目をしながら嬉しそうに言う。


「顧問! 今宵式典が催されることになりました!」


「式典? 何の? ふぁ~あ……」


 また面倒な話を持って来られ、ベンはウンザリしながら聞いた。


「顧問のドラゴン討伐ですよ! これは歴史に残る偉業ですからね、公爵様も大喜びで、すぐに式典をとおっしゃってます」


「あぁ、そうなの? でも、僕眠いんだよね。代わりにやっておいてよ」


 そう言いながらベンはドアを閉じようとする。便意を我慢して表彰なんて、バレたら恥ずかしくて生きていられない。


 すると、班長は靴でガシッとドアを止め、


「何言ってるんですか! ドラゴンスレイヤーが参加しないなんてありえないです! 爵位も下賜かしされるはずです。これで顧問も貴族ですよ!」


 と、熱を込めて力説する。


「しゃ、爵位!? なんでそんなことに……」


「いいからすぐ来てください!」


 班長は渋るベンを引っ張り出した。



       ◇



 大広間には貴族、文官などの要人が集まり、式典の開催を待っている。


 セバスチャンに段取りを叩きこまれたベンは、宝物を収める重厚な木箱を持たされ、赤じゅうたんの真ん中に連れてこられた。


 ベンの入場に会場はざわめき、出席者たちはベンをめるように見ながらひそひそと何かを話している。


 ベンはやる事なす事、どんどん面倒なことにしかならない現実にウンザリしながら、それでもビシッと背筋を伸ばし、真面目にこなしていた。この異常にクソ真面目なところは何とかしたいと思うのだが、他に生き方を知らないのだ。


 ベンは自分の不器用さに大きくため息をつく。



 パパパパーン!


 ラッパが鳴り、公爵が入場する。


 公爵は壇上中央に進むと、大きな声で叫んだ。


「今日は我がトゥチューラにとって歴史的な日となった! なんと、我が騎士団顧問、ベン殿により、ドラゴンが討ち取られたのだ!」


 ウォーー! パチパチパチ!


 盛り上がる会場。


「ベンよ、ドラゴンの魔石をここに」


 公爵の声に合わせ、ベンはうやうやしく公爵の前まで進むとひざまずき、木箱のふたを開けた。黄金に輝く珠が姿を現し、辺りをほんのりと照らす。


 おぉぉぉ! あれが……!


 会場からどよめきが起こる。ドラゴンの魔石などほとんどの人は見たこともなかったのだ。


「こちらにございます」


 ベンは練習通りに木箱を公爵の前に差し出した。


「おぉ、見事だ。ベン殿、何か褒美ほうびを取らすぞ、何なりと言ってみよ!」


「いえ、魔物の討伐は騎士団の仕事。褒美など恐れ多い事です」


 ベンは棒読みのセリフで答える。


「そうか、欲のないことだ。では、その方、ベンに男爵の爵位を授けよう」


「ははぁ、ありがたき事、深く感謝申し上げます。こ、今後とも……えーと……、なんだっけ……そうだ、トゥチューラの繁栄に尽くします」


 公爵はとちってしまったベンに苦笑すると、


「うむ、期待しておるぞ!」


 と、言って肩をポンと叩く。


「ははぁ!」


 こうして式典は無事終了し、会食へと移っていった。










18. 女神への挑戦


 しかし、会食会場にはテーブルが一つ、公爵以外にはベネデッタと班長が呼ばれるだけだった。それに脇にはなぜか書記が二人、公爵の後ろにはセバスチャンが控えていた。


 メイドたちが慣れた手つきで皿をサーブしていく


「今日はいきなりだったから簡素な食事で申し訳ない。ベン殿の活躍にカンパーイ!」


 公爵は心なしか硬い表情でそう言うと会食をスタートした。


 前菜には豚のパテにラタトゥイユ。美しい盛り付けである。


 ベンは慣れない高級料理に気が引けながらも、お腹は空いていたのでパクパクと食べていった。


「で、ベン君。なぜ……、そのぉ……、そんなに強いのかね?」


 公爵が切り出し、セバスチャンと書記に心なしか緊張が走ったように見えた。


 なるほど、これは実質取り調べなのだ。ドラゴンを瞬殺できるほどの力はもはや国の軍事力を超えている。事と次第によってはベンの力は国の在り方自体を変えかねない。


 ある程度はカミングアウトした方がいいと思い、ベンは水をゴクリと飲むと、覚悟を決めて言った。


「あー、とあるスキルを女神さまより頂戴しましてですね……」


「め、女神さま! やはり君は女神さまと親交があるのかね?」


 公爵は焦りを隠さず、食い気味に聞いてくる。


「親交というか……、たまに向こうが勝手にやってくるんですよ」


「女神さまが会いに来る? それは……、何をしに?」


「あれ、何しに来てるんですかね? 僕もよく分かってないです」


 ここでメインディッシュがサーブされる。濃密なはちみつのソースがかかった牛のシャトーブリアンのステーキだった。


 転生する前ですら食べられなかった逸品にベンは思わず手が伸びる。


 公爵はゴクリと唾をのみ、やはりベンは熾天使セラフかも知れない、と青い顔で言葉を失う。


 女神というのは王侯貴族だって会ったことがある人などいないのだ。大聖女が会ったことがあるという話を伝え聞くくらいで、その存在は謎に包まれている。なのに、この少年には何度も会いに来て、なおかつ用件はよく分からないとごまかされた。公爵は冷汗をタラリと流した。


 すると、セバスチャンが公爵にそっと近づき、耳元で何かをつぶやいた。


 公爵はうなずき、軽く咳ばらいをすると言った。


「女神さまは何を君に言うんだね?」


「あー、『すごい力出たね』とか、今日は『魔王が何か頼みたいことがあるから聞いてやってくれ』って言ってました」


 ベンはシャトーブリアンの洗練された肉汁に気を取られ、公爵の焦りに気づかずに答える。


「魔王!?」


 公爵は思わずフォークを落としてしまう。皿に当たったフォークはチーン! といい音を立ててじゅうたんに転がった。


 人類最大の脅威であり、魔物の頂点、魔王。女神がその願いをベンに聞いてくれと言っている。それはとんでもない話だった。文字通りに受け取れば、女神はベンに魔王の手助けをして人類を滅ぼさせようとしているということになる。


「そ、それで……。君は受けたのかね?」


 公爵は額に脂汗を浮かべながら、祈るような気持ちで聞いた。もし、YESだったらこの若きドラゴンスレイヤーとの絶望的な戦闘になってしまうのだ。


「え? 『頼みごとがあるなら魔王からこっちに出向け』って言ってやりました。あっ、もちろん、魔王軍に協力なんてしませんよ」


 ベンはまさか公爵がそこまで追い込まれているとは知らず、ちぎったパンを頬張りながら答えた。


「ちょ、ちょっとまって! それは魔王がトゥチューラに来るって事じゃないか!?」


 公爵は真っ青になって叫ぶ。


「あれ? マズかったですか?」


「ベンくーん!」


 公爵はそう言って頭を抱える。


 すると、セバスチャンがスススっとベンの後ろに忍び寄り、耳元で言った。


「この街には魔王軍本体を迎え撃てる兵力が無いのです。申し訳ないのですが、会合は離れた場所でお願いできないでしょうか?」


「あ、そ、そうですか」


 ベンは迂闊うかつに魔王を呼んでしまったことを反省し、急いでキャンセルしようと思った。


「シアン様ー、キャンセル希望ですー」


 ベンは天井に向かって叫んだ。


 ポン! という音がしてぬいぐるみのシアンが現れる。


 シアンは大きく伸びをして、そして、ふぁ~あとあくびをすると羽をパタパタさせながらベンのところに降りてきた。


「あー、シアン様、魔王には自分から会いに行きます。呼ぶのキャンセルで」


「はいはい、分かったよ。きゃははは!」


 シアンは嬉しそうにそう言うと、好奇心旺盛に室内を見回す。壁には大きな油絵の風景画が、奥には壺が飾られ、天井には壮麗な天井画が描かれていた。シアンは天井をチラッと見ると、ツーっと天井まで飛んでいって興味深そうに天井画を眺める。


「ベン君、これが……女神さまかね?」


 公爵は威厳のかけらもない可愛いぬいぐるみを見て唖然とする。伝え聞く話では女神とは優美なお姿で、見たものはその神々しい美しさに感極まって涙を流すほどだったそうだが、目の前を飛んでいるのはただのぬいぐるみなのだ。また、気に入らない者を建物ごと焼き払ったという話も聞いたことがあるがそんな雰囲気でもない。


「女神さまですよ。もちろんちゃんとした女神さまとして出てくることもあるんですが、今日は分身みたいですね」


 と、その時だった。魔法ローブを着た宮殿魔法使いが五、六人ダダダっとなだれ込んできて、


「不法侵入の魔物発見! 直ちに拘束します!」


 と、叫ぶと、拘束魔法で紫色に光るロープを次々とシアンに向けて放ち、シアンをぐるぐる巻きにしていった。














19. 美少女のプレゼント


「いやダメ! これ、女神さまだから!」


 と、ベンは立ち上がって叫んだが、


「こんな女神などいない!」


 と、取り付くしまも無く、さらにシアンをきつく締めあげていった。


 しばらくもがいていたシアンだったが、


「僕と力比べするつもり?」


 と、悪い顔になってニヤッと笑う。そして全身から激烈な閃光を放ち、室内を光で埋め尽くした。


「きゃははは!」


 拘束魔法のロープは吹き飛び、自由になったシアンだったが、それでも止まらずにさらに輝きを増しながらエネルギーを解放していく。バリバリバリ! っと激しく放電しながら激光を放ち、もはや目も開けていられない。


 ベンはあわてて、


「ここは危険です! 逃げましょう!」


 そう言ってベネデッタの手を取って逃げ出した。


 公爵たちも急いで後を追う。


 一行が中庭にまで逃げ出してきた直後、宮殿全体に閃光が走り、屋根が轟音を立てて吹き飛んだ。


「きゃははは!」


 シアンの楽しそうな声が辺り一帯に響き渡る。それは女神というよりは魔神のようなおぞましい響きをはらんでいた。


「あわわわわ……」


 公爵はひざから崩れ落ち、言葉を失う。


 美しく飾られた自慢の白亜の宮殿、それが今、吹き飛んで炎を上げている。高々と夜空に吹き上がる炎はまるで幻獣のように躍動しながら全てを焼き尽くしていく。舞い上がった火の粉は夜空をバックにチラチラと降り注ぎ、まるで花火のように辺りを美しく彩った。


「あーあ、だから止めろって言ったのに……」


 ベンは額に手を当て、宙を仰ぐ。


 宮殿魔術師たちはボロボロになりながらも、水魔法を使って必死に消火活動をするが、火の手はなかなか衰えない。結局、壮大な宮殿は三分の一ほどを焼失し、公爵たちは後始末に追われることになった。



         ◇



 翌日、公爵と宰相、各方面のブレーンたちは緊急招集され、ベンについて話し合う。


 ドラゴン瞬殺レベルの人間離れした力を女神から授けられた少年ベンの登場。そして、女神がベンに魔王への助力を依頼したこと。これらはトゥチューラの存亡、ひいては人類の在り方にかかわる大問題であった。


 そして、降臨した女神の分身を宮殿魔術師が刺激して、宮殿を吹き飛ばされてしまったこと。これもまた頭痛い問題だった。


「ベンなど毒を盛って殺してしまえ!」


 宰相は威勢よく叫んだ。出席者はその通りだと内心思いつつも、さすがに女神が注目しているベンに危害を加えることは危険である。女神が本気になったらトゥチューラなんて一瞬で火の海にされてしまうのだ。


「いや、気持ちは分かるよ。ベン君のいない時代に戻りたい。それはみんなの思うところだ。だが、彼はもう出てきてしまった。消すのは危険だ」


 公爵の意見に宰相含め、みんな渋い顔でうなずかざるを得なかった。


 一番紛糾したのは魔王への助力の件である。『魔王が頼みたいこと』とは何か? なぜ女神は魔王の肩を持つのか? ベンに一体何をやらそうとしているのか?


 この部分の解釈は無数あり、しかし、どれも決定打に欠いていた。ただ、唯一言えるのはベンを魔王軍側に奪われてはならない、というものだった。どこまでも人間側についていてもらわない限り人類の敗北は必至だ。何しろ人類最強の勇者もベンの前には瞬殺だったのだ。ベンが魔王側についたとたん、人類は魔王軍に蹂躙されてしまう。


 結局、彼らは夜まで激論を交わし、太陽政策で行くことにした。『北風と太陽』の太陽、つまり、ベンに取り入ってトゥチューラのために動きたくなるようにしよう、というものだった。


 その頃ベンは、街の重鎮たちが自分のことで紛糾していることなんて思いもよらず、渋い顔をしながら自室で水筒の加工をしていた。お尻に注入しやすい形状に工夫が必要なのである。そんなことやりたくなかったが、一万倍を出した水筒の便意増強効果はてきめんであり、何かの時のために用意しておきたかったのだ。



        ◇



「ベン男爵! こちらが新しいお屋敷ですよ!」


 セバスチャンに連れられて、ベンは宮殿にほど近い離宮に来ていた。庭園にはバラが咲き乱れ、大理石で作られた三階建ての美しい建物がそびえ、まるでおとぎ話に出てくるような宮殿だった。


「え? ここが僕の新しい家ですか?」


 ベンは戸惑った。先日ワンルームに移ってきて、それでも十分だと思っていたのにいきなりこの宮殿をくれるというのだ。そもそもこんなでかい宮殿に人なんて暮らせるものなのだろうか?


「ベッドルームが十室、図書室もございます。さあお入りになって」


 セバスチャンはそう言って、重厚な玄関のドアを洗練された手つきで開けていく。


 中は大理石をふんだんに使った壮麗なエントランスとなっており、赤じゅうたんが二階へ向かう優美な階段へと続いている。そして、その脇には十数人のメイドがずらっと並んで立っており、


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


 と、一斉に唱和しながらうやうやしくお辞儀をした。


 は?


 ベンはあまりのことに凍りつく。


 家をくれるというからついて来たら、たくさんの美少女が用意されていた。いったいこれはどういう事だろうか?










20. 官製ハーレム


 紺色のワンピースに真っ白のエプロン、そして、頭には白いカチューシャをつけた彼女たちはにこやかな笑顔でベンにほほ笑んでいる。


 歳の頃はみんな十五歳前後であろうか、気品があり、美形ぞろいで、ベンは圧倒された。


「彼女たちはベン男爵の専属メイドですよ。何なりとお申し付けください。それと……」


 そう言うと、セバスチャンはベンの耳元で小声で、


「彼女たちはお手付きを期待しております。どなたでも夜にお部屋に呼んで大丈夫ですよ」


 と、言ってニコッと笑った。


「お、お手付き……」


 ベンは唖然とする。こんな可愛い女の子たちを自由にできる。それはまさにハーレムだった。確かに彼女たちのベンを見る目はどことなく熱を帯びているように見えなくもない。


「ダメだダメ!」


 ベンは首をブンブンと振り、


「いや、何なんですか、この好待遇? ただの男爵にここまでなんて話聞いたことないですよ?」


 ベンはセバスチャンに迫る。


「ベン男爵、あなたの持つお力はもうこのレベルなのです。女神さまから力を授かり、ドラゴンを瞬殺し、魔王から声をかけられる。もう、人類の未来を左右する要人なのです。このくらい大したことではありません。日替わりで彼女たちを楽しまれてください」


 ベンは言葉を失った。もちろんハーレムは男の夢だ。でもこんなあてがわれたようなハーレムなど興ざめなのだ。


 しかし、要らないと飛び出したら、きっと問題はもっと大きくなってしまうだろう。これは誰かの思い付きなんかではなく、トゥチューラの政策だろうことは容易に想像がつく。政策に反する行動はややこしい問題を生んでしまうだろう。ベンは頭が痛くなってきた。


「いいお話ですよ、うらやましいです」


 セバスチャンは本心そのままといった調子で諭す。


 ベンは大きく息をつくと、うんうんとうなずき、


「分かった。この屋敷もメイドもいただいた。おい君! 僕の部屋まで案内してくれるかな?」


 と、手近なメイドに声をかけた。


 金髪をきれいに編み込んだ可愛いメイドはピョコピョコと近づいてくると、


「かしこまりました♡」


 と嬉しそうに満面に笑みを浮かべながら、頭を下げる。


 心なしか他のメイドたちの目に殺気が走ったように感じられ、ベンは背筋に冷たいものが流れた。女の戦いがもう始まっているのだ。


「心行くまでお楽しみくださいませ」


 セバスチャンはうやうやしく頭を下げた。



         ◇



 ベンは荷物を置いた後、一通り屋敷の中を案内してもらい、食堂にみんなを集めた。


 メイドたちはキラキラとした目でベンを見つめている。


「みんなありがとう。これからこの屋敷でみんなにはお世話になります。でも、僕はまだ子供です。堅苦しいことは無しに、楽しくできたらいいなと思います」


 パチパチパチ!


 メイドたちは嬉しそうに拍手をする。


「それから、エッチなことはこの屋敷では禁止だからね」


 ベンはくぎを刺した。


 すると、彼女たちはざわざわとなって露骨にいやそうな表情を見せる。


 なんと、みんなやる気満々なのだ。


「ちょ、ちょっとまって! 君たちなんて言われてきたの?」


 すると、みんな押し黙ってしまった。


 ベンはさっき案内してもらったメイドを近くに呼んで、聞き出す。


夜伽よとぎに呼ばれたら金貨十枚という契約なんです」


 ベンは思わず宙を仰ぐ。


 呼ばれたら百万円、毎日呼ばれたら月に三千万円。それは必死になるに決まっている。この街の重鎮たちはいったいどうしてしまったのだろうか? ベンはこの狂った屋敷を何とかしないと大変なことになると青くなった。


 ベンは胸に手を当て、何回か深呼吸を繰り返して心を落ち着けると、女たちを見回しながら話す。


「じゃあこうしよう。みんなと仲良くしてよく働いた子にはご褒美として、夜に呼んだことにします。それでいいかな?」


 すると、女の子たちはパッと明るい表情になって嬉しそうに笑った。そして、


「あっ、ご主人様! ネクタイが曲がってます!」「ご主人様、御髪おぐしが跳ねてます!」「爪が伸びてるみたいです。今切りますね!」


 と、我先にベンに迫っては次々とアピールを開始する。


「うわ、ちょ、ちょっとまって!」


 ベンは若い女の子たちの甘酸っぱい匂いに包まれて、くらくらしながら前途多難な新生活を憂えた。



      ◇



 夕食後、自室で別途に寝転がりうつらうつらしていると廊下に人の気配がする。


 ベンはため息をつくと抜き足差し足でドアのところまで行って、バッとドアを開けた。


 きゃぁ! バタバタバタ!


 女の子たちが部屋になだれ込んでくる。


「夜は三階の廊下は立ち入り禁止! いいね?」


 ベンはそう言って女の子達を追い出した。


 油断もすきも無い……。


 ベンはウンザリしながら窓際に行くと、何の気なしに月を見上げた。


 すると、そこにはメイド服が揺れている。


 はぁ!?


 なんと女の子が窓の外に張り付いているではないか!


 クラクラするベン。


 ここは三階だぞ。なんで居るんだよ!


 目をギュッとつぶって頭を抱えながら、ベンは面倒ごとばかりどんどん増えていく自らの運命を呪った。













21. 女の子地獄


 それでも落ちたら死んでしまう。


 ベンは大きく息をつくと、驚かさないようにそっと隣の窓を開け、


「そこのメイドさん、ちょっとおいで」


 と、言って手招きをした。


 するとまるで忍者みたいにメイドはするすると窓枠に降り立ち、嬉しそうに入ってくる。赤毛をきれいに編み込み、笑顔の可愛い女の子だった。


「私、選んでもらえたんですね!」


 女の子は手を組んでキラキラとした笑顔を浮かべる。


「残念ながら君は失格! 命がけのアプローチは今後反則とする!」


 ベンは毅然きぜんとした態度で言い放った。


「そ、そんなぁ……。私、まだ処女なんです。病気もありません。しっかりご奉仕します!」


 女の子は必死にアピールするが、そんなアピールはベンには重いだけだった。


「いいから、今日は営業終了。早く出て行って!」


「は、母が病気なんです! クスリを買わないと死んでしまうんです!」


 女の子はベンの手を取ってすがってくる。


 一体なぜこんなことになってしまったのかわからず、ベンは思わず宙を仰いだ。自分がエッチをすると人助けになる。エッチってそういうモノだっただろうか?


 ベンはクラクラする頭を両手で支え、大きくため息をついて言った。


「お母さんの件は残念だが、それを僕に言われても……」


 すると、女子は急にベンに抱き着き、


「私ってそんなに魅力……ないですか?」


 そう言ってウルウルとした瞳でベンを見つめる。


 甘酸っぱくやわらかな女の子の香りがふんわりとベンを包み、ベンは目を白黒させた。


 そして女の子は器用にシュルシュルとメイド服のひもをほどき、脱ぎ始める。


「ストップ! スト――――ップ!!」


 ベンはそう叫ぶと、女の子をドアまで引っ張っていって追い出す。


「えー! ちょっとだけ! ちょっとだけですからぁ!」


 そう言ってすがる彼女の手を振り切って、


「今日はこれまで! 明日、ちゃんと話をしよう」


 そう言ってドアをバタンと閉めた。


 はぁぁぁ……。


 ベンはよろよろとベッドまで歩くと倒れ込み、海よりも深いため息をついた。


 異世界でハーレム。それは男の夢だと思っていたが、実際になってみるとそんな楽しい話では全然なかった。金のために女の子たちは必死になり、行為をしたら計算され、街の予算から彼女たちに支払われる。


 そして、大真面目な会議の席で、


『ベンの慰安費が今月は多いのではないか?』『いやいやもっとヤってもらわないと』『この子を気に入ったようですな』


 などとプライベートが議論されてしまうのだろう。最悪だ。


 もちろん、あんなに可愛い女の子とイチャイチャできるならいいじゃないか、という考え方もあるが、『母の薬のために抱かれているんだこの娘は』ということを考えてしまったら、もう楽しむことなんてできなくなってしまう。


 あぁ、なんて不器用なんだろう……。


 その晩、ベンは薄暗い天井を見つめながら何度もため息をつき、眠れない夜を過ごした。



      ◇



 翌朝、目が覚めると、もうすでに陽はのぼり、レースのカーテンには燦燦さんさんと光が差し、明るく輝いていた。


 ふかふかで巨大なベッド。先日までドミトリーのせんべい布団で寝ていたので、こんなフカフカなベッドは居心地が悪い。


 ふぁ~ぁ……。


 ベンは寝ぼけ眼をこすり、トイレに行こうと立ち上がる。


 ベッド変えてもらおうかなぁ……。


 ドアを開けた。


「ご主人様、おはようございます!」

「ご主人様、おはようございます!」

「ご主人様、おはようございます!」

「ご主人様、おはようございます!」

「ご主人様、おはようございます!」

「ご主人様、おはようございます!」


 なんと、メイドたちがずらっと並んで頭を下げている。


 ベンは固まった。


 彼女たちはずっとここで背筋を伸ばしながら自分の起床を待っていたのだ。きっと何時間も。一体この地獄はどこまで続いているのだろうか?


「お、おはよう」


 ベンはうんざりしながらそう言うと、トイレへと歩き出した。


 するとなぜか全員ついてくる。


「ちょ、ちょっとまって! 君たちなんでついてくるの?」


「ご主人様のおしものお世話も私たちの仕事ですので」


 メイドはニコッと笑って答える。


「大丈夫! トイレは一人でやる。いいね? 君たちは食堂に行ってなさい」


 ベンはそう言ってメイドたちを追い払い、急いでトイレに駆け込む。


 便器に腰かけたベンは、まるでロダンの『考える人』のように苦悩の表情を浮かべながら、このとんでもない新生活を憂えた。

















22. 魔物の津波


 自宅では気が休まらないので早めに宮殿に出勤するベン。


 宮殿はまだ焼け跡が残り、痛々しいが、夜通し復旧作業が進んでいるようで、日々少しずつ綺麗になっている。


「それにしてもあのメイドたちどうしようかな? ベネデッタさんに知られたら軽蔑されるよなぁ……」


 ベンがつぶやいていると、


「あら? あたくしが何ですって?」


 そう言ってベネデッタが後ろからいきなりベンの腕をつかんだ。


「うわぁ! お、おはようございます。いや、ベネデッタさんを失望させないようにしないとなって、思ってまして……はい」


 ベンは目を白黒させ、冷や汗を流しながらごまかす。


「あら、ベン君は私の命の恩人、失望なんていたしませんわ」


 そう言って碧眼をキラキラと輝かせながら最高の笑顔を見せる。


 ベンはドキッとしながら、


「そ、そうですか。そ、それは良かった」


 と言って、頬を赤らめた。


 その時、向こうから手を振りながら誰かが駆けてくる。


「顧問! 大変です!」


 それは班長だった。班長は青い顔しながらダッシュでやってきて、悲痛な面持ちで言う。


「魔物が約一万匹、トゥチューラを目指しているという報告がありました」


「一万!?」


 ベンは青くなった。トゥチューラの兵は数千人しかいない。一万はトゥチューラの存亡にかかわる事態だった。今から王都に救援依頼を送っても到着までには何日もかかるだろう。自分たちで一万の魔物の軍勢を対処しなくてはならなくなった。


「ベン君どうしよう!?」


 ベネデッタが眉間にしわを寄せて不安げにベンを見る。その美しいあおい瞳にはうっすらと涙が浮かび、ベンの心は大きく揺さぶられた。


 ベンにしてみたら逃げるのが最善である。命がけで戦うメリットなどない。ひとり身の気楽な身分だから、他の街に移住してしまえばいい。


 でも……。彼女を見捨てて逃げる? 本当に?


 ベンは首をブンブンと振り、大きく息をついた。


 そして、覚悟を決め、


「大丈夫、任せてください」


 と、ニッコリと笑って見せた。


 前世でもこうやってトラブルの度に最前線で対応して命を削り、結果過労死してしまったわけだが、それは今世でも変わらない。お人好しでクソ真面目。でも、ベンはそれでいいと思った。こんな素敵な女の子に頼られて、それでも見捨てて逃げるような人生には何の価値もないのだ。


 とはいうものの、一万の軍勢には一万倍の【便意ブースト】では足りないだろう。ベンは未知の領域、十万倍を目指さねばならなくなってしまった。


 そして、それがもたらす苦痛を想像し、気が遠くなって思わず宙を仰いだ。



       ◇



 城壁の上に立ってみると、一面の麦畑の揺らめく陽炎の向こうに無数の黒い点がうごめいて、こちらに迫っていた。なるほどあれが魔物に違いない。


 あんな津波のような暴力がこの街を洗ったら滅亡は必至だった。


 兵士たちはたくさんの石を城壁の上に運び上げているが、顔色は悪い。城門に群がってくる魔物を上から石を投げて倒していくという作戦らしいが、さすがにこれでは一万には耐えられない。


 もちろん、弓兵も魔法使いもいるが、数百ならともかく、一万という数字は圧倒的な力をもって兵士たちの心を蝕んでいく。


 兵士たちは口々に不安をささやきあっており、士気は地に落ち、状況は非常にまずい。



 やがて魔物たちは、城門近くの麦畑に集結し、


 ギャウギャウ! グギャァァァ!


 と、口々に奇怪な叫び声をあげ、威圧してくる。


 そして、骸骨の馬スケルトンホースに乗った巨体の魔人がカッポカッポとゴブリンたちを蹴散らしながら先頭に出てきた。


 何をするのだろうかとベン達も、城壁の兵達も固唾を飲んで様子を見守る。


 すると、魔人は大声を張り上げた。


「おい! 人間ども! 我は魔王軍四天王が一人【フルカス】! ベンとやらをだせ!」


 ベンは思わず天を仰いだ。


 あの魔法使い、四天王のナアマの伝言を聞いてやってきたのだろう。あの時、瞬殺できなかったことが悔やまれる。


 ベンは大きく深呼吸をすると、不安げなベネデッタの肩をポンポンと叩き、


「ちょっと準備してくる。瞬殺してやるから安心していいよ」


 と、ニコッと笑った。


 ただ、そうは言ったものの十万倍は未知の領域。ベン自身自信はなかった。ただ、今はこう言い切る以外道が無いのだ。


 その時だった、


「ハーッハッハッハー! ベンなど待たずとも、この勇者が相手してやろう!」


 と、勇者の声が響き渡った。


 ベンに倒されて人気急降下の勇者としては信頼回復の好機だったのだ。フルカスさえ倒せば英雄の座を取り戻せる。勇者は必死だった。







23. 絶対に負けられない戦い


 見下ろすと、勇者とタンク役が馬に乗ってカッポカッポと魔人の方を目指し、悠然と進行しているのが見える。


「おぉぉ、勇者様だ!」「勇者様が来てくれたぞ――――!」


 一気に沸き立つ兵士たち。


 それは絶望的な状況に差した一筋の光明だった。



「勇者? お前がベンの代わりになどなる訳ないだろう」


 魔人はあざける。


「ほざけ! 貴様など聖剣のサビにしてくれる!」


 そう言うと、勇者は聖剣をスラリと抜き、空に掲げてフンと気合を入れる。刀身には幻獣模様の真紅の煌めきがブワッと浮かび上がった。


 うぉぉぉぉ! 勇者様――――!


 兵士たちはこぶしを突き上げ、一気に盛り上がる。


 しかし、フルカスはバカにしたように鼻で笑うと、


「聖剣は見事だが、貴様には過ぎたものだ」


 そう言って、空中に黒いもやもやの球を浮かべると、それを勇者に投げつけた。


 黒い球はゆるい放物線を描きながら勇者に迫る。


「うわっ! なんだそりゃ!?」


 勇者は球を聖剣で一刀両断に切り裂くが、手ごたえ無く、球はそのまま勇者の顔面を直撃する。


 ぶわっ!


 まるで泥団子を食らったように、球のかけらは勇者の全身にへばりついた。そして、モゾモゾと、動き始める。なんと、球は毛虫の魔物の集合体だったのだ。


「ひ、ひぃ! な、何だこれは!?」


 あわてて払い落そうとする勇者だったが、毛虫の数は膨大だ。どんなに払い落としても払い落としきれない。


 やがてモゾモゾと多くの毛虫が勇者のプレートアーマーの隙間からどんどんと中へと入っていってしまう。


「ふひゃひゃひゃ! くすぐったい! やめろ! ひぃ!」


 勇者はあがくが、侵入されてしまった毛虫にはなすすべがない。


 やがて毛虫は下着を食い尽くし、プレートアーマーの金具を食いちぎっていく。


 プレートアーマーはついにはバラバラになって、ガコン! と音を立てて地面に散らばっていった。


 馬上には素っ裸の勇者だけが残される。


 勇者は口をパクパクさせ、無様に縮みあがった。


「がーっはっはっは! 随分貧相な身体だな」


 フルカスは笑い、一万の魔物の群れも、


 ゲハゲハゲハ! グギャァァ! ギャッギャッギャッ!


 と、大声で笑い始める。


「次は毛虫たちにお前の身体を食い荒らすように指令してやろうか?」


 フルカスはニヤニヤしながら言った。


 勇者は真っ赤になって、


「くぅ! 卑怯者! おぼえてろぉ!」


 と、捨て台詞を残して逃げ出してしまった。


「口ほどにもない。クハハハハ!」


 フルカスはあざ笑う。


 一万匹の魔物たちも、


 ギャッギャッギャー! フゴッフゴッ!


 と、口々に奇怪な笑い声をたてながら愉快そうに笑った。


 人類最強のはずの勇者が刃を交えることもできず、あっさりと敗退してしまった。城壁の上の兵たちは皆真っ青な顔をしてお互いの顔を見つめ合う。


 切り札であるところの騎士団顧問のベンという少年は、本当にあんな魔人に勝てるのだろうか? 勝てたとして、残り一万の魔物はどうするのか?


 どう考えても勝算のない戦いに、兵たちは逃げたくてたまらなくなるのを必死にこらえていた。


 ベンは勇者の敗退を見て静かにうなずくと天幕に入る。もはやこの街に住む十万人の命運は自分の便意にかかっているのだ。


 ベンは大きく息をつくと覚悟を決め、水筒をお尻にあてがった。



       ◇



「お待ちどうさま……」


 ベンはよろよろしながら天幕から戻る。新型の水筒二本で一気に高めた便意はすでに一万倍に達していた。


 しかし、一万では足りない。もう一声、十万に達さねばならなかった。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!


 ベンの腸は猛り狂いながら肛門を攻めてくる。


 ぐふぅ……。


 ベンは顔を歪めひざをつく。一気に水筒二本はヤバすぎる。かつてない猛烈な便意にベンの肛門は崩壊寸前だった。


 しかし、トゥチューラの街の人たちの命がかかっているのだ。絶対暴発などできない。


 ベンは脂汗を垂らしながら必死に括約筋に喝を入れ、何とか腸が落ち着くのを待った。


「ベン君、だいじょうぶですの?」


 ベネデッタは声をかけるが、ベンはギュッと目をつぶって奥歯をかみしめるばかりで返事ができなかった。


 漏れる……、漏れる……。


 顔をゆがめ、激しい便意と戦っているベンにベネデッタは神聖魔法をかけた。


 ベンの身体はほのかに黄金の光を纏い、少しだけ苦痛を和らげてくれる。


 しかしどんなに待っても十万倍の表示は来なかった。このままではトゥチューラの陥落は必至だ。


「おい! 早くベンを出せ! 出さなきゃその城壁ぶち抜いて皆殺しにするぞ!」


 魔人は煽ってくる。


 くぅぅぅ……。


 ベンは覚悟を決め、ポケットから下剤を出した。


 ただでさえ限界近いのにさらに下剤。それはまさに自殺行為である。


 だが、多くの人の命には代えられない。ベンは目をつぶって一気飲みをした。


 ゴホッゴホッ!


 強烈な悪臭が口の中に広がり、思わずむせてしまう。


 やがてやってくる強烈な便意の第二弾。


 水筒の水でパンパンになった腸に下剤がパワーを与え、ここぞとばかりに絞り出しにかかる。


 ぐぉぉぉぉ。


 ベンは四つん這いになって、必死に便意に耐えた。


 漏れる……、漏れる……、漏れる……、漏れる……。


 ここがトゥチューラの存亡をかけた勝負どころ。絶対に負けられない戦いが今、ベンの肛門で繰り広げられていたのだ。


 そんなことを全く理解できない周囲の人たちは、狂ってしまいそうになるベンに何もできず、オロオロとしながら、ただ見守るばかりだった。












24. 大いなる代償


 ポロン! 『×100000』。


 ついにやってきた、前人未到の十万倍。


 しかしベンの肛門は暴発寸前だった。


 痛たたたた……。


 ほんの些細な衝撃でもバーストしてしまう極限の状態で必死に耐えるベン。まさにここが破滅か勝利かを決める天王山。ベンは全力で括約筋を振り絞った。


 やがて少しだけ波が引き、腸が落ち着いてくる。


 そのすきに冷汗を垂らしながらユラリと立ち上がると、真っ青な顔で魔物たちの方によろよろと腕を伸ばす。


「ファ、ファイヤーボール……」


 ベンはボソッとつぶやいた。


 ベネデッタは耳を疑う。ファイヤーボールとは子供が練習に使う初級魔法で、魔物をたおすのに使えるようなものじゃなかったのだ。


 しかし、いきなり空中に数十メートルの超巨大な円が魔物に向けて描かれ、不気味に赤く光り輝いた。


 えっ?


 周りの人は何が起こったのか分からなかった。


 やがて円の内側には六ぼう星が描かれ、ルーン文字が精緻に書き加えられ、さらに小さな円が数十個、円の中に追加され、そこにも六芒星とルーン文字が書き込まれていった。


 いまだかつて誰も見たことのない魔法陣だった。その圧倒的なスケールの魔法陣から灼熱の巨大な球が、ゴゴゴゴと腹に響く重低音を放ちながら生み出されていく。


 魔物も兵たちも一体何が起こったのか分からなかったが、その圧倒的なエネルギーに皆、青ざめた顔で冷や汗を浮かべていた。


「に、逃げろ――――!!」


 フルカスは真っ青な顔をして叫ぶと、スケルトンホースに鞭を入れてゴブリンを踏みつぶしながら一目散に逃げだしていった。


 直後、巨大な炎の球は激しい閃光を放つとパウッ! という衝撃音とともに吹っ飛んでいく。そして、逃げ惑う魔物たちの群れの真ん中で炸裂した。


 天と地は激しい光と熱線に覆われ、直後、衝撃波が辺り一帯を襲った。


 城壁は倒れんばかりに揺れてやぐらの屋根が吹き飛び、街道の木々は蒸発していく。


 うわぁぁぁ! ひぃぃぃ!


 兵士たちは皆倒れ込み、まるでこの世の終わりのような圧倒的なエネルギーの奔流ほんりゅうに恐怖で動けなくなった。


 やがて、巨大な灼熱のキノコ雲が辺りに熱を放ちながら上空へと舞い上がっていく。その禍々しいさまは、まるでこの世の終わりかのようであった。


 熱線で蒸発した麦畑には巨大なクレーターが出現し、魔物など、一匹も残っていない。ただ、荒涼とした死の大地が広がるばかりだった。


 高く舞い上がるオレンジ色に輝くキノコ雲を見上げながら、兵士たちは魔物よりはるかに恐ろしい圧倒的な暴力に、恐怖でガタガタと震える。ベンの破壊力は人間や魔物とは異次元の領域に達しており、神話に伝わる神の営みそのものだった。


 騎士団顧問の少年ベン、その名は圧倒的恐怖の象徴として兵士たちの胸に刻み込まれ、新たな神話の一ページに加わることとなる。


 ベネデッタもベンのすさまじい魔法に圧倒されていたが、横でベンが倒れてとんでもない事になっているのに気が付いた。


 ブピュッ! ビュルビュルビュ――――。


 ベンは意識を失い痙攣けいれんしながら肛門から異様な音を上げていた。それはまるで先日の勇者の姿を思い出させる。


「ベン君! ベン君!」


 ベネデッタは声をかけるが、ベンは反応しない。


「救護班! 救護班、急いで!」


 ベネデッタは叫び、ベンは毛布にくるまれ、担架で運ばれていった。



         ◇



「あ、あれ? ここは……」


 ベンが目覚めると清潔な真っ白い天井が見えた。


 そして横を見ると、ベッドの脇にはキラキラとしたブロンドの髪に透き通るような美しい寝顔……、ベネデッタだった。ベンの手を握り、うつらうつらしている。


 えっ!? これはいったいどういうこと?


 ベンは焦って記憶を掘りおこす。確か魔物の群れに向けてファイヤーボールを放ったような……。そこから先の記憶がない。


 えっ!? まさか!?


 ベンは急いで自分のお尻をチェックする。乾いた高級なシルクの手触り。誰かに着替えさせられていた。これは暴発を処理されたということを意味している。


 やっちまった……、うぁぁぁ……。


 ベンは頭を抱え、毛布の中で丸くなった。


 今まで、どんな時でも最後まで死守した肛門。しかし今回ついに突破されてしまったのだ。


 ベンはその底知れない敗北感に気が遠くなっていく。


「あ、気が付かれましたの?」


 ベネデッタが起きてニコッと笑った。


「はっ、はい! こ、ここは……どこですか?」


 ベンは急いで体を起こし、冷汗を流しながら聞いた。


「ここは宮殿の救護室ですわ。城壁でベン君、倒れちゃったからここに運ばせましたの。それで……、シアン様からすべて聞きましたわ」


「えっ!? 全てって……もしかして……」


 ベンは真っ青になる。便意を我慢して強くなるなんて、絶対女の子には知られたくなったのだ。


「そんな辛い目に遭っていたなんて、あたくし、全然知らなくて……。ごめんなさい。トゥチューラのために……、ありがとう」


 ベネデッタはそう言ってギュッとベンの手を握った。


 その言葉にベンの中で何かがせきを切ったようにあふれ出し、思わず泣き崩れる。


 ひぐっ! うぅぅぅ……。


 ベンの目から大粒の涙がぽたぽたと落ちた。


 ベネデッタはそんなベンを心配そうにハグし、


「辛かったですのね」


 と、言いながら優しくベンの頭をなでた。


 ベンはうなずき、今までの苦しい便意との戦い、理解されない孤独で凍り付いてしまっていた心がゆっくりと溶けていくのを感じていた。


 ふんわりと立ち上る優しい甘い香りに包まれ、ベンは温かいもの満たされていく。


 思い返せば前世のブラック企業で延々と深夜まで激務をこなし、文字通り命を削っていたのだが、感謝されたことも謝られたこともなかった。どこか『自分なんてどうせ』と卑屈に思い、低い自己評価でそんな状況を受け入れてしまっていたのだ。しかし、そんな状況が続けば、心が硬直化してしまう。ベンの心は死にそうになりながら、ずっとこれを待っていたのかもしれない。


 ベネデッタの思いやりのこもった一言は、前世から続くベンの心の奥底のひずみを優しくゆっくりと癒し、ベンはとめどなく湧いてくる涙でトラウマを洗い流していった。


 心は三十代のベンからしたらベネデッタは子供なのだが、今のベンには年齢などもはやどうでも良くなっていた。


 ポトポトと自らの服に落ちる涙を、ベネデッタは厭うこともなく、ほほ笑みながら優しくベンの背中をなで続ける。それはまるで聖女のもたらす無限の愛のようであった。















25. 天空の城


 ベンが落ち着くと、ベネデッタは宝石に彩られた煌びやかなカギをベンに渡して言った。


「シアン様からこれ預かりましたの」


 えっ?


 ベンはその豪華で重厚なカギを眺め、首をかしげる。カギの持ち手の所には大きな赤いルビーを中心に無数のダイヤモンドが煌めき、アクセントにサファイアが随所に青い輝きを与えていた。


「魔王城のカギだそうですわ」


「ま、魔王城!?」


 ベンは目を丸くしてカギに見入る。魔王城なんておとぎ話に出てくるファンタジーな存在だとばかり思っていたのに、実在していたのだ。


 確かにカギの金属部分には無数に精緻な幾何学模様の筋が走り、ただ事ではない凄みを放っている。


「魔王がベン君に会いたいそうなんですわ。でも……、無理して会わなくても良いのですよ。ベン君があんなにつらい思いをしてみんなを救う必要なんて、無いと思いますわ」


 ベネデッタは心配そうにベンを見つめながら言った。


 ベンは幾何学模様の筋をそっとなでながら考える。先日シアンは言っていた。この星が消滅の危機にあり、自分なら解決できると。きっとその話なのだろう。


 この世界が滅ぶ運命ならそれでいいんじゃないか、そんなの一般人の自分には関係ない。


 シアンの自分勝手な進め方に、ふと、そんな思いも頭をよぎる。


 顔を上げると、ベネデッタは眉を寄せ、伏し目がちにベンを見ていた。その碧い瞳にはうっすらと涙が浮かび、ベンをいたわる気持ちが伝わってくる。


 ベンはそんなベネデッタを見て、心の奥に鈍い痛みを覚えた。自分の意地とかこだわりがこの女の子の命を奪うことになってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。世界なんてどうでもいいが、この娘は守らないといけないのだ。


 自分にできる事があるのならやるべきだろう。そもそもこの命はシアンに転生させてもらったのだ。ムカつくおちゃらけた女神ではあるが恩はある。


 ベンはふぅっと大きく息をつくと、


「行きますよ。まず話を聞いてみます」


 と、ニコッと笑って言った。


 すると、ベネデッタは今にも泣きだしそうな表情をして、ゆっくりとうなずいた。



      ◇



 翌朝、ベンはベネデッタの持ってきた魔法のじゅうたんに乗せてもらい、一気にトゥチューラの上空へと飛び上がっていった。


「うわぁ! 凄い景色だ!」


「うふふ、我が家に伝わる秘宝ですの。魔石を燃料にどこまでも飛んでいってくれますのよ」


 ベネデッタは自慢気にそう言いながらさらに高度を上げていく。


 宮殿は見る見るうちに小さくなり、トゥチューラの街全体が一望できる。そこには美しい水路が縦横に走り、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。


 魔王城の在りかはカギが教えてくれる。ひもに吊るしたカギは、コンパスのように常に一方向を指し続けていた。


 ベネデッタはそれを見ながらじゅうたんを操作し、軽やかに飛んでいく。暗黒の森をどんどん奥へと進み、丘を越え、小山を越え、稜線を越えていった。


「いやぁ、これはすごいや!」


 ベンはワクワクしながらどんどん後ろへ飛び去って行く風景を楽しむ。


 ベネデッタは風にバタつくブロンドの髪を手で押さえながら、キラキラした目ではしゃぐベンを愛おしそうに見つめた。


 やがて、遠くに岩山の連なる様子が見えてくる。その異質な見慣れない風景にベンは眉をひそめ、運命の時が迫ってくるのを感じた。


 すると、急に濃霧がたち込め、真っ白で何も見えなくなる。


「うわぁ、なんですの、これは……」


 ベネデッタは困惑し、じゅうたんの速度を落とす。急に発生した明らかに異常な濃霧。自然現象というよりは誰かによって生み出された臭いがする。


 ベンはカギの動きをジッと見定めた。すると、変な動きをしているのに気が付く。


「あ、ここは迷路ですね」


「えっ? どういうことですの?」


「この濃霧の中では進む方向を勝手に曲げられてしまうみたいです。なので、ゆっくりとカギの指す方向へ行きましょう」


「わ、分かりましたわ」


 ベネデッタはカギの方向をみながらそろそろと進み、カギが回るとその方向へ舵を取った。


 濃霧の向こう側からは時折不気味な影が迫っては消えていく。その度にベンは下剤の瓶を握りしめ、冷や汗を流した。何らかのセキュリティ機能ということだろうが、実に心臓に悪い。



 急にぱぁっと視界が開けた。


 穏やかな青空のもと、中国の水墨画のような高い岩山がポツポツとそびえる美しい景色が広がっている。そしてその中に、巨大な城がそびえていた。よく見ると、城は宙に浮かぶ小島の上に建っている。


 うわぁ……。すごいですわ……。


 二人はそのファンタジーな世界に息をのむ。


 城は中世ヨーロッパのお城の形をしており、天を衝く尖塔が見事だったが、驚くべきことに城全体はガラスで作られているのだ。漆黒の石を構造材として、全体を青い優美な曲面のガラスが覆い、随所ずいしょにガラスが羽を伸ばすかのような装飾が優雅に施されている。そして、ガラスにはまるで水面で波紋が広がっていくような優美な光のアートが展開され、お城全体がまるで花火大会みたいな雰囲気をまとった芸術作品となっていた。


 その、モダンで独創性あふれる圧倒的存在感に二人は言葉を失う。


 魔王城なんて魔物の総本山であり、汚いドラキュラの城みたいなものがあるのかと思っていたら、極めて未来的な現代アートのような美しい建造物なのだ。


 これが……、魔王の世界……。


 ベンは魔王との会合が想像を超えたものになるだろう予感に、鳥肌がゾワっと立っていくのを感じていた。








26. 懐かしの飲み物


 美しいガラスの彫刻が多数施されたファサード前に静かに着陸した二人は、顔を見合わせ、ゆっくりとうなずきあい、玄関へと歩いていく。


 ガラスづくりなので中は丸見えである。どうやら広いロビーになっているようで、誰もおらず、危険性はなさそうだった。


 玄関の前まで行くと、巨大なガラス戸がシューッと自動的に開く。そして、広大なロビーの全貌ぜんぼうが露わになる。それはまるで外資系金融会社のオフィスのエントランスのようなおしゃれな風情で、二人は思わず足を止めた。


 大理石でできた床、中央にそびえるガラスづくりの現代アート、皮張りの高級ソファー。その全てがこの星のクオリティをはるかに超えている。


「こ、これは……、す、すごいですわ……」


 その見たこともない洗練されたインテリアに、ベネデッタは圧倒される。


 もちろん、トゥチューラの宮殿だって豪奢で上質な作りだったが、魔王城は華美な装飾を廃した先にある凄みのあるアートになっており、この国の文化とは一線を画していた。


 魔王って何者なんだろう?


 ベンはガラスの現代アートが静かに光を放つのを眺めながら、眉をひそめる。


 コツコツコツ……。


 ロビー内に靴音が響き、ベネデッタはベンの腕にそっとしがみついた。


 靴音の方を見ると、タキシードを着込んだヤギの魔人が歩いてやってくる。首には蝶ネクタイまでしている。


 近くまで来ると、うやうやしく頭を下げながら言った。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 二人は怪訝そうな顔で見つめあったが、ヤギの所作には洗練されたものがあり、敵意はなさそうだった。うなずきあい、ついていく。


 ヤギの案内した先はシースルーの巨大なシャトルエレベーターだった。こんな立派なエレベーター、日本でも見たことが無い。二人は恐る恐る乗りこんでいく。


 扉が閉まってスゥっと上品に上昇を始める。うららかな日差しが差し込み、外には幻想的な岩山が並んでいるのが見えた。この風景を含め、魔王城はアートとして一つの作品に仕立てられたのだろう。


 エレベーターなんて初めて乗ったベネデッタが、不安そうな顔をしてベンの手を握ってくる。ベンはニコッと笑顔を見せて彼女の手を握り返し、優しくうなずいた。



 チーン!


 最上階につくと、


「こちらにどうぞ」


 と、ヤギに赤じゅうたんの上を案内され、しばらく城内を歩く。


 廊下の随所には難解な現代アートが配され、二人は神妙な面持ちでそれらを見ながら歩いた。


 ヤギは重厚な木製の扉の前に止まると、コンコンとノックをして、


「こちらでございます」


 と、扉を開く。


 そこは日差しの差し込む明るいオフィスのようなフロアだった。


「えっ!? ここですの?」


 ベネデッタは驚いて目を丸くする。


 ウッドパネルの床に観葉植物、上質な会議テーブルにキャビネット、そして天井からぶら下がる雲のような優しい光の照明、全てがおしゃれで洗練された空間だった。


 見回すと、奥の方にまるで証券トレーダーのように大画面をたくさん並べて画面をにらんでいる太った男がいた。


「え? あれが魔王?」


 ベンはベネデッタと顔を見合わせ首をかしげた。


 魔物の頂点に立つ魔王が、なぜ証券トレーダーみたいなことをやっているのか全く理解できない。


 恐る恐る近づいていくと、男は椅子をくるっと回して振り返った。そしてにこやかに、


「やぁいらっしゃい。悪いね、こんなところまで来てもらって」


 と、にこやかに笑う。丸い眼鏡をした人懐っこそうな魔王は、手にはコーラのデカいペットボトルを握っている。


「コ、コーラ!?」


 ベンは仰天した。それは前世では毎日のように飲んでいた懐かしの炭酸飲料。それがなぜこの世界にあるのだろうか?


「あ、コーラ飲みたい? そこの冷蔵庫にあるから飲んでいいよ」


 そう言って魔王は指さしながらコーラをラッパ飲みした。


 ベンは速足で巨大な銀色の業務用冷蔵庫まで行ってドアを開けた。中にはコーラがずらりと並び、冷蔵庫には厨房用機器メーカー『HOSHIZAKI』のロゴが入っている。


 ベンは唖然とした。異世界に転生してすっかり異世界になじんだというのに、目の前に広がるのは日本そのものだった。


 トゥチューラでの暮らしは、良くも悪くも刺激のない田舎暮らしである。秒単位でスマホから流れ出す刺激情報の洪水を浴び続ける日本での暮らしと比べたら、いたってのどかなものだ。しかし、今この目の前にあるHOSHIZAKIの冷蔵庫は、日本での刺激あふれる暮らしの記憶を呼び起こし、ベンは思わずブルっと震えた。


「これは何ですの?」


 ベネデッタが追いかけてきて聞く。


 しかし、ベンは回答にきゅうした。ちゃんと説明しようとすると、自分が転生者であることも言わないとならない。それは言ってしまっていいものだろうか?


 ベンは大きく息をつくと、


「とあるところで飲まれている炭酸飲料だよ。飲んでみる?」


 そうごまかしながら一本彼女に渡す。


「炭酸……? うわっ! 冷たい」


 ベネデッタはその冷たさに驚き、そして、初めて見たペットボトルに開け方も分からず、困惑しきっていた。







27. 目覚めるベン


 二人は重厚な革張りのソファーに案内された。新鮮な革のいい匂いがふわっと上がり、座り心地も上々だった。


 ベンはコーラをグッと傾ける。


 シュワーー! と口の中に広がる炭酸、スパイシーなフレイバーが鼻に抜け、舌に広がる甘味……。ベンは思わず目をつぶり、その懐かしの味をゆっくりと味わった。そう、これ、これなのだ。日本での暮らしがフラッシュバックし、思わず目頭が熱くなる。


 最後はブラック企業に潰されてしまったが、日本でのラノベ、アニメ、ジャンクフード、それはベンの身体の一部となっているのだ。


 久しぶりに出会えたジャンクな味にベンは言葉を失い、ただその味覚に呼び覚まされる日本での暮らしを懐かしく思い出していった。


 ゴホッゴホッ!


 隣でベネデッタがせき込んでいる。


「あ、無理して飲まなくていいですよ。ジャンクな飲み物なのでお口に合わないかと」


 するとベネデッタは渋い顔をしながらコーラをテーブルに戻した。


「はははっ、いきなりコーラは難しかったかな?」


 魔王がやってきて向かいにズシンと座った。なつかしい【笑い男】の青く丸いマークのプリントされたTシャツをラフにはおり、ジーンズをはいている。


「あなたが魔物の頂点、魔王……なんですか?」


 ベンは困惑しながらも切り出した。コーラを大好きな日本アニメのファンが、人類の脅威であるところの魔物たちのトップというのは、どう考えても結びつかない。


 すると、魔王は愉快そうに笑って言った。


「いかにも魔王だが、頂点って言うのは違うな。魔物の管理者だよ」


「管理者……?」


 ベンは何を言われたのか分からなかった。


「見てみるかい?」


 そう言うと、魔王は巨大な画面を空中に展開した。そこには広大な地図と無数の赤い点が映っている。そして、魔王は両手で地図を拡大していき、


「この点が魔物なんだよね」


 と言いながら、そのうちの一つの点をタップした。

 

 するといきなり画面は森の中の映像となり、真ん中にゴブリンがうろついている。周りにはウインドウが開き、各種パラメーターが並んでいた。その画面は日本にいた時に遊んでいたVRMMOのゲーム画面そのものに見える。


「まるで……、ゲームですね……」


 ベンは眉をひそめながら言った。


「うんまぁ仕組みは一緒だね」


 そう言いながら魔王はゴブリンのパラメーターをいじっていく。すると、ゴブリンはどんどん大きくなり、ボン! と音がして筋骨隆々としたホブゴブリンへと進化した。


 ベンは唖然とした。魔物はこうやって管理されていたのだ。なぜ魔物は倒すと消えて魔石になってしまうのだろう、とずっと不思議に思っていたが、ついに謎が解けた。魔物はいわばNPCなのだ。コンピューターシステムが生み出したキャラクターであり、生き物ではないのだ。


 だが、ここでベンは背筋にゾクッと冷たいものが走るのを感じた。NPCが居るということは、この世界は造られた世界なのではないだろうか? 言わばこの世界全体がVRMMOのようなコンピューターによって創られた世界……。


 バカな……。


 ベンは急いで自分の手のひらを見てみた。細かく刻まれたしわ、そしてそれを縫うように展開される指紋の筋、その奥の青や赤の微細な血管。それらは指が動くたびにしなやかに変形し様相を変えていく。こんな芸当ができるVRMMOなんてありえない。ベンはグッとこぶしを握った。


 しかし、ここで嫌なことを思い出す。自分は一度死んでいたのだ。死んだ者が生き返る、それは明らかに自然の摂理せつりから逸脱いつだつした行為である。つまり、自分自身そのものが自然の法則を破っている証拠になってしまっているのだ。ベンはその事実に愕然がくぜんとなった。


「どうした、ベン君? もう目覚めてしまったかな?」


 魔王はニヤッと笑って言う。


 ベンはうつろな目で首を振り、そして頭を抱えた。


「まぁ、目覚めたかどうかなんてどうでもいい。それより今日はお願いがあってね……」


 そう言いながら、空中を裂き、空間の裂け目からガジェットを取り出すとガン! とテーブルの上に置いた。


 それは金属の輪にプラスチックのアームがニョキっと生えたような代物だった。


「何ですかこれ?」


 ベンはそれを持ち上げてみる。金属の輪は腕時計のベルトのように一か所ガチャっと外せるようになっていた。


「それ、履いてみてくれる?」


 魔王は意味不明なことを言って、コーラをゴクゴクと飲んだ。


 はぁっ!?


 言われて初めて気が付いたが、これは言わばふんどしみたいな物だったのだ。


「ここにボタンがあってね、いざと言う時にここを押すとプラスチックノズルの先から肛門内へ薬剤が噴射されて、一気に便意が高まるという……」


 魔王が説明を始めたが、ベンは頭に血が上ってガン! とガジェットを机に叩きつけた。


「嫌ですよ! なんでこんなもん履かなきゃならないんですか!」


 顔を真っ赤にして怒るベン。


「あー、ゴメンゴメン。話を端折はしょりすぎたな……。そうだ! 今晩恵比寿で焼肉の会食があるんだけど来る?」


 魔王はニコニコしながらとんでもない事を言った。もう久しく聞いていない単語【恵比寿】、【焼肉】にベンは耳を疑った。


「え、恵比寿……!?」


 彼は女神と親交があってコーラを愛飲しているのだ。日本へも行きたい放題には違いない。だが、自分を日本に気軽に招くと言っている。そんなこといいのだろうか?


 ベンはポカンと口を開けたまま言葉を失っていた。






28. スクランブル交差点


「え、恵比寿って……、東京の?」


「そうそう、君にとっては懐かしいだろ?」


 ベンは言葉を失った。


 転生してもう長い。日本へ戻るなんてことはとっくにあきらめていた。自分はトゥチューラで新たな人生を築いていくのだ、とばかり考えていたが、会食で気軽に誘われてしまった。それも恵比寿で焼肉なんて転生前でもなかなか行けなかった所である。


 ベンは手を震わせながら言った。


「そ、そ、そ、それは……ぜひ……」


「その交換条件としてこれ履いてきて欲しいんだよね。背景はその時に説明するからさ」


「え? 履くんですか……?」


 ベンはもう一度ガジェットを持ち上げてしげしげと眺める。こんな人体実験みたいなことに協力するなんてまっぴらゴメンではあるが……、恵比寿の焼肉であれば仕方ないだろうか?


 悩んでいると魔王は追い打ちをかけてくる。


「松坂牛のトモサンカク、その店の看板メニューだよ。どう?」


 トモサンカク!


 ベンはその一言で陥落した。サシの綺麗に入った希少部位。それも松坂牛ならトロットロに違いない。思わず唾が湧いてくる。


 便意を高める方法は複数持っておいた方がいいのは、ダンジョンで痛感したことでもある。こんなガジェットに頼るのは気分いいものではないが、魔王に悪意がある訳ではなさそうだ。ここはありがたくいただいておいてトモサンカクを食べた方がいい。


「分かりました。トモサンカクなら履きますよ」


 ベンはそう言って、ややひきつった顔で笑った。



       ◇



「うわぁ! 何なんですのこれは?」


 渋谷のスクランブル交差点に転送されたベネデッタは、目を真ん丸に見開き、ベンにしがみついて聞いた。


 四方八方から多量の群衆が押し寄せ、ベネデッタのそばをすり抜けていく。目の前には巨大なスクリーンがアイドルの煌びやかなライブを流し、後ろでは山手線や埼京線が次々とガ――――! という轟音を上げながら鉄橋を通過していく。


 ベンにとっては懐かしい東京の雑踏だ。


 戻ってきたぞ! 東京!


 ベンはギュッとこぶしを握り、にぎやかな街の音に胸が熱くなるのを感じる。


 ただ、見慣れないものもある。なんと、超高層ビルが何本もそびえているではないか。いつの間にこんなビルができていたのだろうか?


 やがて赤信号となり、歩行者がいなくなると今度はバスやトラック、タクシーが突っ込んでくる。


 パッパ――――!


 きゃぁ!


「こっちこっち!」


 ベンは急いでベネデッタの手を引いて歩道へと引き上げる。


 ゴォォォ――――。


 上空をボーイングの旅客機が轟音を上げながら羽田への着陸態勢を取って通過していった。そして、目の前をホストクラブの宣伝をするデコレーショントラックが爆音を上げながら通過している。


 ベネデッタは固まってしまう。幌馬車がカッポカッポと石畳の道を歩くような景色しか見てこなかったベネデッタにとって渋谷の景色は刺激が強すぎた。


「ははは、ビックリしたかな? これが日本ですよ」


 ベンはにこやかに言った。


「なんだかとんでもない……街ですわ……。なぜベン君はご存じなの?」


 ベネデッタは眉間にしわを寄せながら聞く。


「それはまたゆっくり話します。まずは……何か美味しいものでも食べましょう!」


 そう言ってベンはベネデッタの手を引きながら歩きだした。


 魔王からは、


『会食までまだ時間あるから渋谷でもブラブラするといい』


 そう言われて、最新型のスマホをもらっている。これで電子決済もできるそうだからベネデッタと渋谷を満喫してやろうと思う。


 適当に喫茶店に入り、ベンはコーヒー、ベネデッタはパフェを頼んだ。


 パステル色の店内は若い人でいっぱいであり、甘酸っぱい匂いに満ちている。


 そう、渋谷ってこういう街だったよなぁ、と、ベンはなつかしさについ目を細めてしまう。



       ◇



 その頃、はるかかなた宇宙で動きがあった。


「んん? この小僧か?」


 小太りの中年男は空中に開いた画面に渋谷のベンを表示し、ジッとのぞきこむ。


 部屋の巨大な窓の向こうには満天の星々がまたたき、下の方には雄大なあおい惑星が広がっている。その碧い水平線が巨大な弧を描き、そこからはくっきりとした天の川が立ち上っていた。


 男はベンのステータスを表示し、首をかしげる。


「ステータスはただの一般人……、むしろ貧弱じゃな。こんな小僧使って魔王は何をやるつもりかのう……。ちょっとお手並み拝見してやるか。グフフフフ」


 男はいやらしい笑みを浮かべ、画面をパシパシと叩いていった。














29. ヒュドラ


 ベネデッタのところに運ばれてきたパフェには、虹色の綿菓子が渦を巻きながら立ち上っていて、横にロリポップが刺さっている。その極彩色の見た目にベネデッタは言葉を失う。


「あははは、なんだこれ」


 ベンは思わず笑ってしまう。トゥチューラでは絶対に見られないぶっ飛んだスイーツに、ベンは日本っていいなと改めて思った。


 ベネデッタは恐る恐るフォークで綿菓子を口に入れ、その見た目とは違った優しい甘みに笑みを浮かべる。


 百面相のように表情をコロコロ変えながらパフェと格闘するベネデッタ。ベンはそんな彼女を見つめ、癒されながらコーヒーをすすった。


 トゥチューラにはコーヒーなんてないので、久しぶりの苦みにベンはちょっとくらくらしながら、それでも懐かしの味に思わずにんまりとしてしまう。


「美味しいですわぁ」


 ベネデッタは口の脇にクリームをつけながら微笑み、ベンは静かにうなずいた。


 こんな時間がいつまでも続けばいいのに……。


 若者のエネルギー渦巻く夢のような空間で、大切な人と過ごす時間の愛しさに、思わずベンは涙腺が緩んでしまう。


 前世では毎日通勤で乗り換えていた渋谷。でも、何もできずに死んでしまい、今、異世界経由で初めて愛しい時間の流れに巡り合えたのだった。


        ◇


「ベン君は、この星の人なんですの?」


 パフェを半分くらいやっつけたベネデッタが上目遣いに聞いてくる。


 ベンはコーヒーをすすり、ベネデッタの美しい碧眼を見つめるとゆっくりとうなずいた。


 ベネデッタはふぅ、と大きく息をつくと、


「ベン君は稀人まれびとでしたのね……」


 そう言ってうつむいた。


「黙っていてごめんなさい。シアン様に転生させてもらったんです」


 ベネデッタは長いスプーンでサクサクとパフェをつつき、しばらく考え事をする。


 そして、一口アイスを堪能すると、いたずらっ子の目をしてベンを見つめ、ニコッと笑って言った。


「わたくし、ここで暮らすことにしましたわ」


 ベンは何を言ってるのか分からず、ポカンとしてベネデッタを見つめる。


「ここ、日本でしたっけ? 活気があって、いろんな文化にあふれ、最高ですわ。もうトゥチューラになんて戻れませんわ」


 ベネデッタはそう言って店内を見回し、先進的なファッションに身を包んだ若者たちの楽しそうな様子をうっとりと眺めた。


「ちょ、ちょっと待ってください! 公爵令嬢が日本で暮らす……んですか?」


「あら? だめかしら? お父様もベン君と一緒なら認めて下さるわ」


 ベネデッタは訳分からないことを言って、パフェをまたサクサクとつついた。


 ベンは言葉を失った。一緒に日本で暮らすってどういう事だろうか? なぜ、公爵は自分と一緒なら許すのだろうか?


 ん――――?


 ベンは疑問が頭をぐるぐると回って、首を傾げたまま固まる。


 その時だった、腹の底に響くような衝撃音が渋谷一帯を襲った。


 驚いて窓の外を見ると、建設中の超高層ビルの上で何か巨大なものがうごめいている。よく見るとそれは大蛇の首のようなものだった。その首が九本ほど、獲物を探すかのようにウネウネ動きながら渋谷の街を見下ろしていた。首は一つの巨大な胴体に繋がっており、全長はゆうに百メートルはありそうだ。


「あれは何ですの? イベントかしら」


 ベネデッタは緊張感もなく楽しそうに聞いてくる。しかし、日本にあんな魔物などいない。


「違う、緊急事態だ。逃げよう!」


 そう言って、立ち上がった時だった。


 ポン! と音がしてぬいぐるみのシアンが出てくる。


「ベン君! お願いがあるんだけどぉ」


 と、シアンはおねだり声で、ベンの前で手を合わせた。


「嫌です! さぁ、逃げましょう!」


 そう言ってベネデッタの手を引いた。


 すると、シアンは標的を変え、


「ベネデッタちゃん、日本に住みたいよねぇ?」


 と、ベネデッタに声をかける。


「えっ!? いいんですか?」


 パアッと明るい表情をするベネデッタ。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! まさかあの化け物倒すのが条件とかじゃないですよね?」


「星の間の移住なんて普通は認められないんだよ?」


 シアンは悪い顔でニヤッと笑って言う。


「なぜ、僕なんですか? シアン様が倒せばいいじゃないですか、女神なんだから瞬殺できるでしょ?」


「んー、今、僕の本体は木星で交戦中なんだな。面倒だから木星ごと蒸発させちゃおうかと思ってるんだけど……」


 シアンはそう言って小首をかしげた。


 ベンは意味不明のことを言われて言葉を失う。木星を蒸発させるようなエネルギー量なら、太陽系そのものが吹っ飛びかねないのではないだろうか?


 その時だった、


 ギュワォォォォ!


 化け物の頭九個が全部ベン達の方を向いて雄たけびを上げる。その重低音は渋谷全体を揺らし、そのすさまじい威圧感に皆、パニックになって走り出した。


「どうやらお目当ては君のようだゾ」


 シアンはニヤッと笑う。その瞳には、子供が新しい遊びを見つけた時のようなワクワク感があふれていた。












30. YES! 百億円!


「えっ!? なんで僕なんですか?」


「悪い奴に見つかったという事かな。そいつ倒したら日本への移住認めるから頑張って」


 シアンは羽をパタパタさせながら嬉しそうに言う。


「え――――、嫌ですよ。日本で暮らすってのも楽じゃないし、絶対やりません!」


 ベンは毅然として断った。ベネデッタは来たいというが、日本に来たら一般人だ。どうやって暮らしていくつもりなのか?


「百億円」


 シアンはニヤッと悪い顔で笑って言った。


「は? 百億……?」


「二人の日本移住時には支度金として百億あげるよ。きゃははは!」


「マ、マジですか……」


 ベンは言葉を失った。百億もあれば大きな家を買って一生のんびり暮らせる。いや、ハワイにパリにニューヨークにあちこちに別荘買って毎日豪遊。そして、マチュピチュにピラミッド、南極に観光に行けてしまう。それもベネデッタと二人で。まさに夢のくらしである。


 便意を我慢するだけで、そんな夢のような生活しちゃっていいのだろうか?


 YES! 百億! 百億!


 ベンは思わずガッツポーズをする。頭の中には札束のイメージがグルグルと巡った。


「や、やります! やらせてください!」


 ベンはパタパタと羽をはばたかせて浮いているシアンの可愛い手を、指先でキュッとつまんで言った。ベンの目には【¥】マークが浮かんでいた。


「うんうん、じゃ、その腰のところのボタン押して」


 シアンは魔王が作ったガジェットを使えと言う。


「わ、わかりました……。これかな?」


 ベンは金属のベルトのところに丸くへこんでいるところのボタンをポチっと押し込んだ。


 バシュッ!


 プラスチックノズルから何かが噴射され、まるで強すぎるウォシュレットのように何かが肛門を越えて入ってきた。


 ふぐっ……。


 ベンは腰が引け、目を白黒させてその異様な感覚に戸惑う。


 ぐー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――。


 直後襲ってくる強烈な便意。それは水筒浣腸などとはくらべものにならない強烈で鮮烈な便意だった。


 ぐはぁ……。


 ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。


 激しい便意に耐えられず、思わず床にへたり込んでしまうベン。


「あれ? 千倍止まりかぁ……」


 シアンは不満げに首をかしげると、ベンのベルトのところまでパタパタと飛び、ボタンをポチっと押し込んだ。


 バシュッ!


 再度強烈な噴射がベンの肛門を襲う。


 ぐわぁぁぁ!!


 悶絶するベン。


「な、何すんだこのクソ女神!!」


 ベンは床でもだえ苦しみながら悪態をつく。


 ポロン! と電子音がして、『×10000』の表示になった。


「うん、これならあの【ヒュドラ】に勝てるねっ」


 シアンは満足げに言うが、ベンは床で脂汗を垂らしながら失神寸前である。


 漏れる……、漏れる……、くぅぅぅ……。


「ベン君!」


 ベネデッタは駆け寄って介抱する。そして、手を組んで祈り、神聖魔法で何とか苦痛を和らげていく。


 シアンはもだえ苦しむベンを見ながら、


「これじゃヒュドラと戦えないなぁ」


 と、腕を組んで首をかしげる。


「ちょ、ちょっとトイレ……」


 ベンはよろよろと立ち上がる。


「ダメだよ! 出しちゃったらヒュドラどうすんのさ! 百億円は払えないよ!」


 他人事のシアンは好き勝手言う。


「こんなんで闘えるわけないだろ!」


 ベンは下腹部を押さえて怒る。


「うーん、困ったなぁ……」


 シアンは眉をひそめ考え込む。


 そして何かひらめいて、ポン! 手を打つと、


「よし、じゃあ戦わなくていいよ。僕が何とかするから言うとおりにして」


 と言って悪い顔で笑った。


「分かった、何でもいいから早くして!」


 ベンは脂汗を垂らしながら答える。


「まず、飛行魔法をインストールしてあげよう。出血大サービスだよっ!」


 と、いいながら、シアンはベンの身体を青く光らせた。


「これで空も自由自在に飛べるはずさ」


「え? 飛べる?」


「そう。行きたい方向に意識を向けるだけで飛べるんだゾ」


 そう言いながらシアンはベンの身体を不思議な力で持ち上げ、テラスの外へと運んでいく。


「ど、どこに行くの?」


 勝手に運ばれ、焦るベン。


 シアンはロープを出すとベンの腰の金属ベルトに結び、そして、端を金属の手すりに結んだ。


「はい、ヒュドラ向けて浮いて――――」


「いや、ちょっとそれどころじゃない……」


 お腹を押さえて苦悶の表情を浮かべるベン。


 するとシアンはニヤッと笑い、


「ひゃく・おく・えん! ひゃく・おく・えん!」


 と、耳元で囃し立てた。


 くぅぅぅ……。


 ベンは歯を食いしばる。


 そうだ。百億円! 日本でFIREな暮らしを手に入れるのだ。便意ごときに負けてはいられない!


 ベンはお腹を押さえながら行きたい方向をイメージしてみた。


 身体がグンと引っ張られ、ロープがピンと張った。


「お、いいねいいね! あー、もうちょっと右!」


 シアンは片目をつぶりながら飛ぶ方向を指示していく。


「こ、こう……?」


 ベンは何をやらされているのかよく分からなかったが、言うとおりに飛行魔法を調整していった。


「いいねいいね! じゃ、全力だして、一万倍だよ!」


 は、はぁ……?


 ベンは何度か深呼吸を繰り返すと、飛行魔法に意識を集中していった。ロープはものすごい力で引っ張られてビキビキっと音を立てている。


 やがて手すりが引っこ抜けそうになるくらい飛行魔法のエネルギーがたまると、シアンは、


「じゃぁこぶしを伸ばしてー」


 と、言った。


 金属ベルトが下腹部に食い込んでいくのに必死に耐えながら、


「こ、こうですか?」


 と、息も絶え絶えにベンは答えた。


「いいねいいねー! では、いってらっしゃーい! きゃははは!」


 シアンは嬉しそうにロープを手刀でぶった切った。










31. 超電磁砲


 へ?


 一万倍の飛行魔法は、まるで砲弾のようにベンの身体を吹っ飛ばした。


 ベンの身体はあっという間に音速を超え、ドン! という衝撃波を渋谷の街に放ち、さらに加速しながら一直線にヒュドラを目指す。


 え?


 何が起こったのか分からないベン。目の前では渋谷のビル街が目にもとまらぬ速さで飛びさり、あっという間に醜悪なヒュドラの首たちが目の前に迫った。


 ひっ! ひぃぃぃ!


 ベンは真っ青となり、ギュッと目をつぶった直後、ズン! という衝撃音を放ちながらベンの身体はヒュドラの本体深く突き刺さった。極超音速で突っこんだベンのエネルギーはすさまじく、ヒュドラの身体は大爆発を起こしながら大きな首をボトボトと渋谷の街に振りまいていく。


 それはまるでレールガンだった。極超音速で吹っ飛んでいったベンは一万倍の攻撃力をいかんなく発揮し、ヒュドラの鉄壁な鱗をいとも簡単に突き破って一瞬で勝負をつけたのだった。


「命中! きゃははは!」


 シアンは嬉しそうに腹を抱えて笑い、ベネデッタは唖然としてただ渋谷の街に振りまかれていくヒュドラの肉片の雨を眺めていた。



        ◇



「ま、まさか……、そんな……」


 爆散していくヒュドラを見ながら、中年男は口をポカンと開けて力なくつぶやいた。


 ヒュドラは男の自信作だった。九つの首から放つ毒霧やファイヤーブレスの攻撃力は何万人も簡単に殺せるはずだったし、圧倒的な防御力を誇る完璧な鱗は自衛隊の砲弾にすら余裕で耐えられる性能だった。それは芸術品とも呼べる出来栄えなのだ。それが何もできずに瞬殺されるなどまさに想定外。男はガックリしながら飛び散っていく肉片をただ茫然と眺めていた。


「チクショウ!」


 男はそう叫ぶと画面をパシパシ叩き、ベン達の行動をリプレイさせる。そして、血走った目でベンが怪しい動きをしたのを見つける。


「この金属ベルトのガジェット……、これは」


 ベンの異常なパワーがガジェットにあることに気が付いた男は、ガジェットのデータを特殊なツールで解析し、指先でアゴを撫でながら画面を食い入るように見つめた。


 そしてニヤリと笑うと、


「これならコピーできるぞ。魔王め、変なガジェット作りやがって! 目にもの見せてくれるわ!」


 そう言って、ガジェットの大量生産を部下に指示したのだった。



        ◇



「ちょっと、いい加減にしてくださいよ!」


 恵比寿の焼き肉屋で、シアンを前にベンは青筋たてて怒っていた。


 シアンは耳に指を差し込み、おどけた表情で聞こえないふりをしている。参加している日本のスタッフたちもシアンのいたずらには慣れっこなのだろうか、誰も気にも留めず、別の話題で盛り上がっている。


「まぁまぁ、百億円もらえるんだろ? いい話じゃないか」


 魔王はベンの肩をポンポンと叩き、苦笑いしながらなだめた。


「人のこと砲弾にしてるんですよこの人! 人権蹂躙ですよ!」


 憤懣ふんまんやるかたないベンは叫んだ。


「大体ですよ、僕の名前が『ベン』って何ですか? 誰ですかこれつけたの? 悪意を感じますよ」


 ベンはバンバン! とテーブルを叩いて抗議した。


「名前は……、シアン様が……」


 魔王は渋い顔して、そう言いながらシアンを見た。


「やっぱりあんたか! 女神なんだからもっと慈愛をこめたネーミングにすべきじゃないんですか? 何ですか『ベン』って『便』じゃないですか!」


 ベンは真っ赤になりながらシアンを指さして、日ごろのうっ憤をぶつけるように怒った。


 だが、シアンは口に手を当て、嬉しそうにくすくすと笑うばかりである。ベンは奥歯をギリギリと鳴らした。


「失礼しまーす! 松坂牛のトモサンカク、二十人前お持ちしましたー!」


 店員がガラガラっと個室のドアを開けて叫び、たっぷりとサシの入った霜降り肉が山盛りの大皿をドン! と、置いた。


「キタ――――!」


 絶叫するシアン。


「あ、ちょ、ちょっと、まだ話し終わってないですよ!」


 ベンは抗議するが、みんなもう肉のとりこになって一斉に取り合いが始まってしまう。


「ちょっと! 取りすぎですよ!」「そうですよ一人二枚ですからね!」「こんなのは早い者勝ちなのだ! ウシシシ」「ダメ――――!」


 もはや誰もベンの言うことなど聞いていない。ベンは大きく息をつくと、肩をすくめ、首を振った。


「ベン君、取っておきましたわよ」


 ベネデッタはニコッと笑ってベンを見る。


 ベンは苦笑いをするとトモサンカクを金網に並べ、ため息をついた。


 まるで幼稚園児のようなシアンの奔放ぶりには、ホトホトうんざりさせられる。ベネデッタのこの優しい笑顔が無ければ、暴れてもおかしくなかった。


 ジューっといい音を立て、茶色に変わっていくトモサンカク。


 ベンはまだレアなピンクの残る肉をタレにつけ、一気にほお張る。


 うほぉ……。


 甘く芳醇な肉汁が口の中にジュワッと広がり、舌の上で柔らかな肉が溶けていく。


 くはぁ……。


 ベンは久しぶりに口にした和牛の甘味に脳髄がしびれていくのを感じた。


 これだよ、これ……。


 しばらくベンは目をつぶって余韻を楽しむ。


 百億円あったらこれが好きなだけ食べられる。なんという夢の暮らしだろうか。シアンには怒りしかないが、それでも百億円と天秤にかけたら安いものかもしれない。 


 ベンは気を取り直して二枚目に手を伸ばした。







32. 世界を救うバグ技


「で、いつ百億円くれるんですか?」


 ベンは特上カルビをほお張りながらシアンに聞いた。


「んー、悪い奴倒したらね。えーと一週間後だっけ?」


 すっかり上機嫌のシアンは魔王に振る。


 ビールをピッチャーでがぶ飲みしていた魔王は、すっかり真っ赤になった顔で、


「え? 決起集会ですか? そうです。来週の火曜日の夜ですね」


 と言って、ゲフッ、と豪快なゲップをした。


「決起集会に悪い奴が来るから、そいつ倒して百億円ですね?」


 ベンはシアンに確認する。後で『違う』と言われないように確認するのは社会人の基本である。


「そうそう、失敗するとあの星無くなるから頼んだよ」


 シアンはそう言ってビールのピッチャーを傾けた。


「は? 無くなる?」


 ベンは耳を疑った。自分がミスったらトゥチューラの人達もみんな消されるというのだ。


「ちょ、ちょっと、嫌ですよそんなの! シアン様やってくださいよ、女神なんだから!」


「んー、僕もそうしたいんだけどね、奴ら巧妙でね、僕とか魔王とか管理者アドミニストレーター権限持ってる人が近づくと、何かで検知してるっぽくて出てこないんだよ」


 シアンは渋い顔で首を振り、肩をすくめる。


「そ、そんな……」


「で、宇宙最強の一般人の登場ってわけだよ」


 真っ赤になった魔王が喜色満面でバンバンとベンの背中を叩く。


 え――――!


 ベンは渋い顔をして宙を仰ぎ、あまりの責任の重さにガックリと肩を落とした。



       ◇



「あのぅ……」


 ベネデッタが恐る恐る切り出す。


「どうしたの? おトイレ?」


 シアンはすっかり酔っぱらって、顔を真っ赤にしながら楽しそうに聞いた。


「皆さんが何をおっしゃってるのか全然分からないのですが……」


 シアンはうんうんとうなずくと、説明を始める。


「この世界は情報でできてるんだよ」


「情報……?」


 シアンはパチンと指を鳴らすと、ベンの身体が微細な【1】と【0】の数字の集合体に変化した。数字は時折高速に変わりながらもベンの身体の形を精密に再現している。


 ひぃっ!


 驚くベネデッタ。空中に浮かんだ砂鉄のような小さな1、0の数字の粒が無数に集まってベンの身体を構成し、うっすらと向こうが透けて見える。しかも、それらはしなやかに動き、変化する前と変わらず焼肉をつまみ、タレをつけて食べていた。まるで現代アートのようである。


 え? あれ?


 ベンが異変に気付く。


「な、何するんですか!」


 ベンはシアンに怒る。しかし、数字の粒でできた人形が湯気を立てて怒っても何の迫力もない。


「きゃははは! これが本当の姿なんだよ」


 シアンは楽しそうに笑い、ベネデッタは唖然としていた。ベンは数字になってしまった自分の手のひらを見つめ、ウンザリとした様子で首を振る。


 そう、日本も異世界もこの世界のものは全てデータでできている。それはまるでVRMMOのようなバーチャル空間ゲームのように、コンピューターで計算された像があたかも現実のように感じられているだけなのだった。


 もちろん、ゲームと日本では精度が全く違う。地球を実現するには十五ヨタフロップスにおよぶ莫大な計算パワーが必要であり、それは海王星の中に設置された全長一キロメートルに及ぶ光コンピューターによって実現されている。そしてこのコンピューターが約一万個あり、そのうちの一つが地球であり、また、別の一つがトゥチューラを形づくっていたのだった。


 このコンピュータシステムを構築するのには六十万年かかっているが、それは宇宙の歴史の百三十八億年に比べたら微々たるものといえる。


 これらのことを、シアンは空中に海王星の映像を浮かべながら丁寧にベネデッタに説明していった。


「な、なんだかよく分かりませんわ。でも、星が一万個あって、うちの星が危ないという事はよく分かりましたわ」


 ベネデッタは眉をひそめ、困惑したように言う。


 ベンは納得は行かないものの、異世界転生させてもらったり、数字の身体にされてしまっては認めざるを得なかった。


「それで、星ごとに管理者が居るんですね?」


 ベンは数字の身体のままシアンに聞いた。


「そうそう、トゥチューラの星の管理者アドミニストレーターが魔王なんだ」


 魔王はニカッと笑ってビールをグッと空け、内情を話し始める。



 魔王たちの話を総合すると、一万個の地球たちはオリジナリティのある文化文明を創り出すために運営され、各星には管理者アドミニストレーターがいて、文化文明の発達を管理している。ただ、どうしても競争が発生するため、中には他の管理者アドミニストレーターの星に悪質な嫌がらせをして星の成長を止め、ライバルを追い落とそうとする人もいるらしい。


 そして今回、魔王の管理する星に悪質な干渉が起こっていて、このままだと管理局セントラルから星の廃棄処理命令が下されてしまうそうだ。


「一体どんな攻撃を受けているんですか?」


 ベンはナムルをつまみながら聞く。


「純潔教だよ。新興宗教が信者を急速に増やしてテロ組織化してしまってるんだ」


「純潔教!? あの男嫌いの……」


「そうそう、『処女こそ至高である』という教義のいかれたテロ組織だよ」


 魔王は肩をすくめ首を振る。


「で、彼女たちがテロを計画してるって……ことですか?」


「そうなんだよ、総決起集会を開き、一気に街の人たちを皆殺しにして生贄いけにえにするみたいだ」


「はぁ!?」


 処女信仰で無差別殺人を企てる、それはとてもマトモな人の考える事ではない。ベンは背筋が凍りついた。


「で、ベン君にはその総決起集会に潜入して、テロ集団の教祖を討ってほしいんだ。教祖は管理者アドミニストレーター権限を持っているからベン君にしか頼めないんだ」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 管理者アドミニストレーター権限を持っている教祖って無敵じゃないんですか? 一般人の僕じゃ勝てませんよ」


 すると、横からシアンが嬉しそうに言う。


「ところが勝てちゃうんだな! 【便意ブースト】は神殺しのチートスキル。攻撃力が十万倍を超えると、システムの想定外の強さになるんで管理者アドミニストレーターでもダメージを受けちゃうんだ。まぁ、バグなんだけど」


「バグ技……」


 ベンは渋い顔でシアンを見る。


「つまりベン君しか教祖はたおせない。あの星の命運はベン君が握ってるんだよ」


 そう言ってシアンは嬉しそうにピッチャーを傾けた。


「いやいやいや、そもそも僕は男ですよ? 集会に入れないじゃないですか!」


 すると、魔王はニヤッと笑って言う。


「いや、君は目鼻立ち整っているし、女装が似合うと思うんだよね」


「じょ、女装!?」


 ベンは絶句し、思わず宙を仰いだ。


 女装してテロリストの決起集会に潜入して管理者アドミニストレーターの教祖を討つ。どう考えても無理ゲーだった。そして失敗すると星ごと滅ぼされる。それは気の遠くなるほどの重責だった。


「大丈夫だって! 上手く行くよ! きゃははは!」


 シアンは酔っぱらって楽しそうに笑っている。


 他人事だと思って好き勝手なことを言ってるシアンに、ベンはムッとして叫んだ。


「ちゃんと考えてくださいよ! あなた女神なんだから!」


 すると、シアンは急に真面目になってベンを見える。


「女神だから……、何?」


 碧かった瞳は急に真紅の輝きを放ち、ゾッとするような殺気が走った。ベンはうっかり地雷を踏んでしまったことに気づき、思わず息が止まる。


 シアンから放たれた殺気のオーラが部屋を覆い、小皿がカタカタと揺れ始めた。にぎやかだった部屋も、皆押し黙って急に静寂が訪れる。シアンがその気になれば宇宙全てが根底から崩壊しかねない。そして、それを楽しみかねないのだ。


 ベンは気おされ、言葉を探すが、この殺気に値する返しなどそう簡単ではない。

 そもそも、魔王が管理者アドミニストレーターだとしたら女神とは何なのだろうか? ベンには全く想像がつかなかった。


 シアンは小首をかしげ、ベンの瞳の奥を鋭い視線でのぞきこむ。


 ベンは大きく息をつくと、小さな声で答えた。


「女神ってこう、慈愛に満ちて世界を良くしようとする神様……じゃないんですか?」


「勝手な定義だな。僕は君らの星が滅んだって痛くもかゆくもないんだゾ」


 シアンはゾッとするような冷たい笑みを浮かべ、突き放すような視線でベンを射抜いた。


「えっ……、じゃあなぜ魔王さんを手伝って……いるんですか?」


「だって、そっちの方が楽しそうじゃん?」


 シアンはクスッと笑う。


「楽しそう?」


 ベンは多くの命がかかった話に、なぜ『楽しさ』が出るのが理解できず、首を傾げた。


「どっちの方がワクワクドキドキするか……、要はどっちの方が多様性が増えるかだよ。宇宙は放っておくとどんどん退屈になっていく。だから、多様性を増やし、今までなかった景色を見せてくれることは貴重なことなのさ」


「多様性……」


 シアンはずいっと身を乗り出し、ベンのほほをそっとなでながら、


「もし……、君が期待外れなら……、僕は次の星へ行くだけ。どう? 期待していいの?」


 と、真紅の瞳をギラリと輝かせた。


 こんなの答えは一つしかない。今、シアンに愛想をつかされてしまっては、上手く行くものものダメになってしまう。


「だ、大丈夫です……」


「ほんとにぃ?」


「任せてください!」


 ベンは目をつぶって叫んだ。


 シアンはうんうんとうなずいてほほ笑むと、また碧い瞳に戻り、グッとピッチャーを傾ける。


 ベンはふぅっと胸をなでおろした。


 ただ、この世界のややこしさに考え込んでしまう。日々、目の前のことで一生懸命な自分には『宇宙の多様性』の話をされても全くピンとこない。しかし、その多様性確保のために自分たちは女神の興味関心を得て手助けしてもらっている。


 ベンは宇宙と女神と自分たち人間の複雑な関係に、思わずため息をついた。


「女神は困っている人を助けるのが仕事だと思ってました……」


「きゃははは! 僕は楽しい事しかしないよ」


 シアンは嬉しそうに笑って、ピッチャーをグッと空けた。


 言葉を失うベンに、魔王が肩をポンポンと叩きながら、


「シアン様は人知を超えた超常的存在だよ。我々人間の尺度で考えちゃダメさ。フハハハ」


 と、楽しそうに笑う。


 ここでベンは嫌な事に気が付いてしまった。シアンが『星が滅んだってかまわない』というのであれば、実は星の廃棄処分にも関わっているのかもしれない。


「もしかして、星の廃棄をするのって……」


 ベンが恐る恐る聞くと、魔王は渋い顔でシアンを指さし、シアンは嬉しそうに笑った。


「マッチポンプ……」


 ベンは頭を抱えた。


「勘違いをしちゃ困るよ! 僕は廃棄依頼をこなすだけ、廃棄処分を最終的に決定するのは評議会の仕事。僕じゃないゾ!」


 シアンは口をとがらせて怒る。


「な、なるほど……。では評議会というのは誰がやってるんですか?」


 ベンが聞くと、魔王は渋い顔で大きなテーブルの奥の方を指さした。そこではアラサーの男性が肉をめぐって美しい女性と言い合いをしていて、女性からパシパシと叩かれていた。


「え……? あの方々が評議会……?」


 ベンは唖然とした。宇宙で一番偉く、権力のあるはずの方たちがぱっと見、何の威厳もないただの人間なのだ。


「見た目で判断しちゃいけないよ。彼らは君が一億倍出そうが倒せるような人じゃない。そもそもあの男の人がシアン様を作ったんだよ。存在そのものから違うんだ」


 魔王はそう言って首を振り、ビールをあおる。


「えっ!? 作った?」


 ベンは何を言われたのかよく分からなかった。


「そうだゾ、僕はAIなんだな。きゃははは!」


 シアンは嬉しそうに笑ってベンを見つめる。


 ここでベンはシアンの子供っぽい言動の理由にたどりついた。彼女はAI、好奇心のままに動き回るアンドロイドなのだ。そして、星を破壊する能力すら持っている。


 ベンは呆然としながら、その透き通るような白い肌に浮かぶ美しい碧眼を見つめた。この、口を開かねば美しい、高貴なオーラすら醸し出す女の子がAIで、星を滅ぼす担当だそうだ。一体なぜそんなことになっているのか? その想像をはるかに超えた事態を、どう理解したらいいかすらベンには見当もつかなかった。


「評議会があの方たちなら、彼らに頭を下げたら済む話じゃないんですか?」


 べんはぶっちゃけて聞いてみる。


「星の評価には人口や文化水準から出されるスコアがあってね、手心を加えるという事は不平等であって、やらないんだよね」


 魔王は肩をすくめる。


 とはいえ、そんな星の一大事を自分の便意一つに託すというのは、あまりに変な話である。


「シアン様、AIで優秀なんだから、もっといいやり方考えましょうよ」

 

 ベンはすがるようにシアンに言った。


「いや、僕もね、いろいろやってみたんだよ。いろんな転生者に【便意ブースト】つけたりね。でもみんなダメ。千倍も出ないんだから」


 と、言いながらシアンは首を振る。


「え? 千倍出せたのって僕だけですか?」


「そうだよ。君は凄い素質があるんだゾ」


 そう言ってシアンはニヤッと笑った。


 しかし、そんなことを言われても何も嬉しくない。一体どこの世界に『便意を我慢できること』を自慢できる人がいるのだろうか? 人には言えない、ただただ恥ずかしいだけの才能なのだ。


 ベンは大きく息をついてうなだれる。


 すると、ベネデッタがそっとベンの手を握った。


 え?


 見ると、可愛い口を真一文字にキュッと結び、うつむいている。


「ど、どうしたの?」


 ベネデッタは大きく息をついて、顔を上げると決意のこもった目で、


「あたくしがやりますわ!」


 と、宣言した。


 いきなりの公爵令嬢の提案に皆あっけにとられたが、ベネデッタの美しい碧眼にはキラキラと揺るがぬ決意がたたえられていた。









33. 令嬢の試練


「え? ちょ、ちょっとどういう……ことですか?」


 恐る恐る聞くベン。


 すると、ベネデッタはガタっと立ち上がり、こぶしをギュッと握ると、


「テロリスト制圧はトゥチューラを預かる公爵家の仕事ですわ。わたくしは責任ある公爵家の一員として教祖を討伐させていただきますわ!」


 と、宙を見上げながら言い切った。


「よっ! 公爵令嬢!」「やっちゃえ!」「頑張れー!」


 酔っぱらった日本のスタッフは赤い顔で拍手をしながら盛り上げる。


 しかし、ベン達にはとてもうまくいくとは思えなかった。


「あー、御令嬢には難しいと……思います……よ?」


 魔王は言葉を選びながら言う。


「べ、便意に耐えるだけでよろしいのですよね? 耐える事ならわたくし、自信がありましてよ」


 ベネデッタは胸を張って得意げに言う。


 顔を見合わせるシアンと魔王。その表情には『面倒くさいことになった。どうすんだこれ』という色が読み取れた。


 ベンも頭をひねってみるが、公爵令嬢は言い出したら聞かない。適当なことを言うだけでは納得しないだろう。しかし、どうすれば……?


すると、シアンは肉の皿をのけ、ベネデッタの前に金属ベルトのガジェットをガンと置き、


「じゃあ、一度やってみる?」


 と、ニコッと笑った。


「えっ!? い、今ですの?」


 目を真ん丸に見開き、焦るベネデッタ。


「だって本番は来週だからね。善は急げだよ!」


 シアンは嬉しそうにサムアップしながらそう言うと、ビールを飲んで「ぷはぁ」と幸せそうな顔を見せた。



      ◇



 研修用の異空間に来た一行。そこは見渡す限り白い世界で、どこまでも白い床が広がり、真っ白な空が広がっている。


 シアンは仮設トイレを設置し、ベネデッタに中に入るのを勧めたが、


「ベン君はトイレなんて使いませんでしたわ!」


 と、断ってしまう。


 シアンはしばらく考え込むと一計を案じ、すりガラスのパーティションを用意してその向こうにベネデッタを立たせた。


「パーティションもいりませんわ!」


 ベネデッタは毅然きぜんと言い放ったが、


「万が一事故が起こるとまずいからね、一応ね」


 と、シアンはなだめる。そして、


「はい、ここはテロリストの総決起集会の会場デース。イメージしてー」


 と、両手を高く掲げながら楽しそうに言った。


「イ、イメージしましたわ」


 ベネデッタは目をつぶり、うなずく。


「教祖がやってきマース。教祖は『トゥチューラの連中を神の元へ送るのだー! 純潔教に栄光をー!』と叫んでマース」


「ひ、ひどい連中ですわ!」


「怒りたまったね?」


「溜まりましたわ!」


 パーティションの向こうでぐっと両こぶしに力をこめるベネデッタ。


「便意に負けちゃダメだよ」


「負けることなどあり得ませんわ!」


 ベネデッタは憤然ふんぜんと言う。


「本当?」


 シアンはニヤリといたずらっ子の顔で笑う。


「公爵家令嬢として誓いますわ、わたくし、便意なんかには絶対負けません!」


 力強い声がパーティションの向こうで響く。


「OK! スイッチオン!」


 ベネデッタは何度か大きく深呼吸をすると、ガチッと力強くガジェットのボタンを押し込んだ。


 ブシュッ!


 と、嫌な音がして、ベネデッタの可愛いお尻に薬剤が噴霧された。


 ふぎょっ……。


 生まれて初めての感覚に変な声が出るベネデッタ。パーティションの向こうで腰が引けた姿勢で固まっているのが見える。


 直後、ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。


 ふぐぅぅぅ!


 声にならない声があがり、バタンとベネデッタは倒れてしまう。


「あーあ……」


 シアンはそう言うと、すばやくベンの前に立った。そして、両手でベンの耳を押さえると、響き渡る壮絶な排泄はいせつ音が聞こえなくなるまで音痴な歌を歌っていた。


 ベンは状況を察し、何も言わずただ目を閉じて時を待った。なるほど、普通の人には耐えられないのだ。やはり自分がやるしか道はない。


 ベンはこぶしをギュッと握り、そして大きく息をついた。



       ◇



 トゥチューラの人気ひとけのない裏通りに転送してもらった二人。宮殿への道すがら、ベネデッタはずっとうつむいて無口だった。


 ベンはベネデッタの美しい顔が暗く沈むのを、ただ見てることしかできなかった。生まれてきてからというもの、あそこまでの屈辱はないだろう。かける言葉も見つからず、ただ静かに歩いた。



 別れ際、ベネデッタがつぶやく。


「ベン君の凄さが身にしみてわかりましたわ」


 ベンは苦笑し、答える。


「まぁ、向き不向きがあるんじゃないかな」


「便意に耐えるだけ、ただそれだけのことがこんなに辛く、苦しかったなんて……。ごめんなさい」


 うなだれ、肩を落とすベネデッタ。


「大丈夫、トゥチューラは僕が守ります。教祖を討って日本で楽しく暮らしましょう」


 ベンはパンパンと軽くベネデッタの肩を叩き、ニッコリと笑って励ます。


 ベネデッタはうっすらと涙を浮かべた目でゆっくりとうなずいた。


 ベネデッタは王女として生まれ、蝶よ花よとして育てられてきた。その美しい容姿もあいまって、周りの人がベネデッタに向ける視線にはみな思惑が混じっている。だから心から親しくなれる人もおらず、ちやほやされる中でもずっと孤独だった。


 このままでは政略結婚させられ、一生かごの中の鳥で過ごすことになってしまう。そんな鬱屈とした暮らしの中でいきなり現れた希望、それがベンだった。献身的に街を、世界を救おうとするその姿勢に惹かれ、また、受け身だけだった今までの自分の在り方に反省もさせられた。


 我慢するだけで世界を救えるなら自分にもできる、自分が街を救う千載一遇のチャンスだと手を上げてみたものの、結果は惨敗。十万倍どころか千倍で意識を失ってしまった。


 そんなみじめな自分にも優しい声をかけ、自分のわがままで言いだした日本移住も頑張ってくれるという。まさにベネデッタにとってはベンは希望の熾天使セラフだった。


 ベンの力になりたい。


 もちろんベンが失敗したら自分たちはシアンに殺されてしまうのだが、そうでなかったとしても苦しむベンの力になりたかった。


 ベネデッタはベンの手をぎゅっと握りしめ、しばらく肩を揺らしていた。






34. メイドの適性検査装置


 それから一週間、ベンは毎日便意に耐える練習を繰り返した。十万倍を出すとどうしてもすぐに意識を失ってしまうので、何とか意識を失わない方法はないかと一人トイレに籠って試行錯誤を繰り返す。


 何しろ十万倍で教祖を討たない限りこの星は滅んでしまうのだ。その重責に押しつぶされそうになりながら孤独に便意と戦っていた。


 屋敷のメイドたちはその奇行を見て不思議そうに首をかしげる。


 トイレで気を失い、しばらくしてげっそりした顔で出てきたベンに、赤毛のメイドが聞いた。


「ご主人様何をされているんですか? そろそろお部屋に呼ぶ娘を決めてください」


 メイドは不満そうに頬をぷっくりとふくらませている。


「あー、そうだったな……」


 彼女たちを抱くような余裕はないが、確かにそろそろ誰かを指名してあげないと不満が爆発してしまう。


 ベンはしばらく思案し、ニヤッと笑うと、大浴場にメイドたちを集めた。



       ◇



「そろそろ部屋に呼ぶ娘を決めたいと思う。希望者はこれをつけなさい」


 ベンはそう言って、魔王から借りてきた金属ベルトのガジェットを台に山盛りに載せた。


「これは……、何ですか?」


 赤毛のメイドは目鼻立ちの整った美しい顔に不思議の色を浮かべ、金属ベルトをしげしげと眺めた。ベンはチクリと胸が痛んだが、一晩百万円の栄誉と引き換えの試練は甘くはないのだ。


「これは適性検査装置だ。この適性検査に合格した者は毎日部屋に呼んでやろう。ただし、結構つらい試験だ。よく考えて決めなさい」


 ベンがそう言うと、メイドたちは先を争って金属ベルトを奪い合うように手にしていく。若く美しい娘たちが便意促進器に群がる姿はひどく滑稽で、この世界の理不尽を思わせた。


 使い方を教え、いよいよ適性を検査する。これは嫌がらせではなく、もし、耐えられる娘がいるなら一緒に集会についてきてほしかったのだ。彼女たちの異常な執念ならもしかしたら耐えられるのかもしれない。


「ボタンを押して一分間便意に耐えられたら合格だ。用意はいいか?」


 ベンはそう言ってみんなを見回した。


「ふふふ、すごい特殊なプレイですね。一分なら余裕ですよ! 今晩は私と二人きりですからね!」


 赤毛のメイドは嬉しそうに笑う。


「私も便意ぐらい耐えられます! もし、たくさん合格したらどうなるんですか?」


 他のメイドが不安そうに聞いてくる。


「一分は長いぞー。そんなことは心配せずに耐えてみせなさい。ちなみに僕は余裕だからね」


 ベンはニコッと笑って言った。


「一分ぐらい余裕だわ!」「ようやく夢が叶うわ!」


 メイドたちは合格する気満々である。


 ベンはそんなメイドたちを見渡すと、


「ハイ! では、ボタンに手をかけてー! 三、二、一、GO!」


 と、叫んだ。


 メイドたちはベンを挑戦的なまなざしで見ながら、一斉にボタンを押し込んだ。


 ガチッ! ガチッ! ガチッ!


 ふぐぅ……。くぅ……。ひゃぁ……。


 あちこちから声にならない声が上がる。


 直後、真っ青な顔をしてバタバタと倒れていくメイドたち。


 あれほど自信満々だったのに、誰一人耐えられなかったのだ。


 大浴場には壮絶な排泄音が響き渡った。


 ベンは急いで耳をふさぎ、目をつぶって「アーメン」と祈る。


 彼女たちのガッツに期待したのだが、残念ながら適性者は現れなかった。


 大浴場には汚物にまみれてビクンビクンと痙攣けいれんをする女の子たちが死屍累々ししるいるいとなって横たわる。


 ベンは掃除洗濯は自分がやってあげるしかないな、とため息をつき、肩を落とした。



        ◇



 その頃、窓の外に巨大な碧い星、海王星を見渡せる衛星軌道の宇宙ステーションで、小太りの中年男が若いブロンドの女性と打ち合わせをしていた。


「いよいよだな。計画は順調かね」


 中年男はドカッと革張りの椅子にふんぞり返り、ケミカルの金属パイプを吸いながら女性をチラッと見た。


「順調でございます、ボトヴィッド様」


「うむうむ。計画が上手く行くよう、ワシの方で秘密兵器を用意してやったぞ」


 そう言うとボトヴィッドと呼ばれた中年男は指先で空間を切り裂き、倉庫に積まれた金属ベルトのガジェットの山を見せる。そして、ニヤリと笑うと、一つ取り出し、女性に渡した。


「こ、これは何ですか?」


 女性はいぶかしそうに金属ベルトとプラスチックノズルを子細に眺める。


「まず、この映像を見たまえ」


 そう言うと、ベンがヒュドラを瞬殺した時の映像を空中に再生した。


「ベ、ベン君……」


 女性は驚いて目を丸くする。


「なんだ、この小僧のことを知っとるのか?」


「え、ええまぁ……。しかしこの強さは?」


「この小僧はこの金属ベルトでとんでもない強さを発揮しておった。戦闘員全員分用意してやったから装着させなさい」


 ドヤ顔のボトヴィッド。


「いやしかし……こんなベルトがパワーを生むとは考えにくいのですが……」


「なんだ! お前はワシの見立てにケチをつけるのか!?」


 ボトヴィッドはひどい剣幕で怒る。


「い、いやそのようなことは……」


「そのベルトのボタンを押した瞬間、攻撃力がグンと上がったのじゃ。そのベルトが魔王側の切り札であるのは間違いない。ワシらは量産で対抗じゃ!」


 悪い顔でニヤッと笑うボトヴィッドに、女性は渋い顔をしながら答えた。


「わ、わかりました。戦闘員全員に着用させます」


「よろしい。では吉報を待っているぞ」


 ボトヴィッドはニヤリと笑い、席を立つ。


「お、お待ちください。街の人全員を生贄に捧げたら星をいただける、というお約束は守っていただけるのですよね?」


 女性は眉をひそめ、ボトヴィッドをすがるように見る。


「ふん! 俺を信じろ。生贄さえ用意してくれれば約束通り管理局セントラルに提案しよう。女性だけの星というのはいまだに例がない。通る公算は高いだろう」


「ありがたき幸せにございます」


 女性はうやうやしく頭を下げ、スススとたおやかなしぐさで、空中に開いたドアから帰っていった。


 ボトヴィッドは窓からあおく雄大な海王星を見下ろし、大きく息をつく。その巨大な惑星は表面に雄大な筋の模様を描きながら、どこまでも純粋な碧い色をたたえていた。


 ボトヴィッドはとある星で一番のエンジニアだった。膨大な量のデータを巧みに解析し、最適解をスマートに生み出し、お客はいつも感嘆してくれていた。そして、その実績が買われ、星の管理者アドミニストレーターにスカウトされたわけだが、実際の星の運営はとても彼の手に負えるものではなかった。


 予測不可能な原始人たちの行動。いきなり始まる小競り合い、そして戦争。弱った人々を襲う疫病。いつまで経っても文化文明は立ち上がって来ない。そんな中でかつては部下だった魔王の星が順調に立ち上がり始めたのだった。


 この屈辱にボトヴィッドは震える。トップエンジニアが部下に屈するなどあってはならなかったのだ。そしてボトヴィッドは禁断の手段に打って出る。魔王の星をグチャグチャにして廃棄処分に追い込んでやろうとたくらんだのだった。


 魔王の星の調子に乗ってるカルト宗教の小娘を、言葉巧みに口説くのに成功したボトヴィッドは、街を完膚なきまでに破壊させることにする。魔王が育ててきた文化文明は灰燼に帰すのだ。


 くっ、くふふふっ。


 ボトヴィッドは笑いが止まらなかった。


 もちろん彼には、それが醜悪な八つ当たりであり、人間として最低の行為だという事は分かっている。むしろ、だからこそその甘美な背徳の情念が彼の背筋をゾクッとくすぐるのだ。


「魔王は処女の小娘に負けるのだ。クフフフ……、ふぁっはっは!」


 海王星のオフィスには昏い笑い声が響き渡った。















35. 美しき少年


「いよいよだね、頼んだゾ!」


 シアンはベンにファンデーションを塗りながら楽しそうに言った。


 ベンは生まれて初めての女装に渋い顔をしながら、ただマネキンのように身をゆだねていた。


 シアンは最後に茶髪のウイッグをスポッとかぶせると、


「んー、これでヨシ! 可愛いゾ! きゃははは!」


 と、満足げに笑った。


 手鏡を見たベンは、そこにキラキラとした可愛い子がいてちょっとドキッとしてしまう。


 純潔教の青いローブを身にまとい、胸パッドを仕込んだブラジャーをつけ、ベンは見事に小柄な可愛い女性になったのだ。


「こ、これが……、僕?」


 思わず新たな性癖の扉を開きかけ、ベンはブンブンと首を振って雑念を飛ばす。


「ベン君、ささやかだけど、役に立つかもしれない魔法を開発しておいたよ。手を出して」


 魔王はベンに笑いかける。


「え? 魔法……ですか?」


 魔王はベンの手を取り、手のひらに青く輝く小さな魔法陣を浮かべた。


「これで誰かのおしりを触ると便意を押し付けることができるんだ」


「え? 僕の便意が消えるって……ことですか?」


「そうそう。便意って言うのは脳が『排便しろー!』って必死に腸を動かす脳の働きだからね。これを相手に移転できるのさ。クフフフ」


 魔王は楽しそうに言った。


「はぁ……」


「間違えてボタン押しちゃったりしたときに、一回だけリセットできるって感じかな? 使えそうだったら使って」


「あ、ありがとうございます」


 ベンは手のひらでキラキラと光の微粒子を放っている魔法陣を見ながら、誰に押し付けたらいいのか、いまいち使いどころがイメージできず、首を傾げた。



「はい、これが招待状。場所は街はずれの教会だよ」


 魔王は茶封筒をベンに渡す。


 話によると約一万人の信者が集合するらしいが、小ぢんまりとした教会には一万人も入れない。集会用に異空間を作り、そこに教祖が登場するだろうとのことだった。そして、異空間は閉じられてしまうと外からは干渉できなくなる。つまり、ベン一人で一万人の信者の中、教祖を討たねばならない。


「いやぁ、どう考えても上手く行かないですよ」


 そう言ってベンは泣きそうな顔で首を振る。


「十万倍を出せば君は宇宙最強、一万人に囲まれてても関係ないさ」


 魔王は肩を叩きながら元気づけるが、ベンの表情は暗い。


「十万倍では意識を保ち続けられませんでした」


 そう言ってベンは肩を落とし、深くため息をついた。長い茶髪がサラサラと流れる。


 魔王は気乗りしないベンをジッと見つめ、ふぅとため息をついた。


 元々は自分のわきの甘さから怪しい策略をめぐらされ、窮地に追い込まれたのだ。それをこんな限界を超えた挑戦に託すことになってしまった時点で、本当は負けている。


「本当にすまない……」


 魔王はキュッと口を結び、頭を下げて謝る。

 

「たとえ失敗しても、自分の力の及ぶ限りフォローする。後のことは考えず全力を出してほしい」


 魔王はベンの手をギュッと握って言った。


 ベンは無言でうなずく。魔王に悪意がある訳じゃない。魔王を責めても仕方のない事だ。だが、誰にも当たれないというのはそれはそれで辛いことである。


 はぁぁぁ……。


 ベンは息を漏らし、うつろな目で宙を仰いだ。


「教祖が出てきたらすぐに十万倍になって一気に勝負をつけよう。教祖さえ倒してくれれば異空間は崩壊を始めるだろう。そうしたら後は俺たちが何とかする」


 魔王は熱のこもった声で言うが、十万倍の便意は殺人的な衝撃を伴っている。気軽には答えられない。


 ふぅ……。


 ベンは大きく息をつくと、静かに首を振る。


 すると、シアンはベンの背中をパンパンと叩き、


「ほら、もうすぐ百億円だゾ! 百億円! きゃははは!」


 と、楽しそうに笑った。


「もう! 他人事だと思って!」


 ベンはジト目でシアンを見る。


 今はもう金の問題じゃないのだ。そんなのは全てが終わってから言って欲しい。


「あ、そうそう、百万倍は出しちゃダメだゾ? 確実に脳みそぶっこわれるから」


 シアンは急に真面目な顔をして忠告する。


「十万倍で気を失うので大丈夫です!」


 ベンはムッとしながらそう答え、そっぽを向いた。


「あのぉ……」


 ベネデッタが横から声をかけてくる。ベネデッタは少しやつれた様子で目の下にクマを作りながら、それでも強い芯を感じさせる視線でベンを見た。


「ど、どうしたんですか?」


「わたくしも、集会に参加させていただけないかしら?」


 ベネデッタは伏し目がちにそう言った。


「ダ、ダメですよ。命の保証ができません」


「わたくしのことは守らなくていいですわ。どっちみちベン君が失敗したらわたくし達は殺されるんですのよ?」


 ベンは言葉に詰まった。そう、自分がミスればトゥチューラの人達含めてこの星の人たちは全滅なのだ。改めてその重責に押しつぶされそうになる。


「実はわたくし、あの後毎日特訓したんですのよ」


 ベネデッタはニコッと笑う。


「特訓?」


「そうですわ。トイレに籠って何度もボタンを押したんですの。そしてついに千倍に耐えられるようになりましたわ!」


 ベネデッタは少し誇らしげにそう言って胸を張った。


 シアンはそれを聞いて、


「千倍出せたの!? すごーい!」


 と、ベネデッタの手を取ってブンブンと振る。


「いや、でも千倍止まりなんですわ」


「それでもすごいよ!」


 ベンは叫び、こぶしをギュッと握った。そして、そのベネデッタの根性に目頭が熱くなる思いがして唇をキュッとかむ。便意を我慢するというのは本当に苦しい。胃腸がねじれんばかりに暴れまわり、それを括約筋一つで押さえつけ続けるのだ。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。


 そんな苦痛に耐え、失敗して暴発する事を繰り返す。そんな地獄の修業は、やったものではないと分からない自己の尊厳にかかわる凄惨な色がにじんでいる。


 その話を聞いてはもうベネデッタの好きにさせるしかなかった。


「いいですよ、行きましょう。一緒に教祖を討ちましょう!」


 ベンは自然と湧いてくる涙を手のひらで拭うと、ベネデッタに優しくハグをする。


 ベネデッタも嬉しそうにそれを受け入れた。公爵令嬢だからとしてではなく、ベンの仲間としてベンを支えながらこの星を守ることができる。それは彼女にとって大いなる自立の一歩だった。






36. 私が魔王です


 青いローブ姿の二人は教会までやってきた。


 すでに陽は落ち、こじんまりとした三角屋根の建物には煌々こうこうと明りが灯り、暮れなずむ街の景色の中で異彩を放っている。


 入口にはすでに大勢の純潔教の信者が行列を作り、ベンもベネデッタと共に最後尾についた。


 ベンは男だということがバレないように、辺りを気にしながらそっとフードを深くかぶりなおす。


 前に並んでいる女の子は友達と一緒に来たようで、楽しげにガールズトークをしながら順番を待っていた。


 これから街の人たちを虐殺するテロリストのはずなのに、なぜこんなに楽しげなのかベンには理解できない。この軽いノリで次々と人々を殺していくのだろうか?


 彼女たちが自分を襲って来るのなら殺すしかない。しかし、ためらうことなくこの娘たちを粉砕なんてできるものだろうか? 彼女たちはゴブリンじゃない、可愛い女の子なのだ。社会の理不尽さ、狂った現実にベンは押しつぶされそうになる。


 すると、ベネデッタが震えるベンの手をそっと握り、優しく微笑んだ。その瞳には確かな覚悟と限りなき慈愛がこもっている。


 ベンはハッとして大きく息をついた。


 そう、自分たちは街の人を、この星を救うためにここにいるのだ。敵は教祖ただ一人、心を乱してはならない。


 ベンは何度か大きく深呼吸をし、グッとこぶしを握り、ベネデッタを見てうなずいた。



        ◇



 やがて二人の番がやってくる。


 シアンに髪の色と目の色を変えてもらったベネデッタが、おずおずと招待状を受付嬢に渡す。ブロンド碧眼は茶髪黒目になってしまったが、それでも気品ある美しさは変わらなかった。


 受付嬢は、チラッとベネデッタの顔を見て、招待状の番号を確認し、


「はい、9436番! お名前は?」


 と、いいながらシートに何かを書き込んでいる。


 えっ?


 名前を聞かれるなんて聞いていなかったベネデッタは、引きつった顔でベンと目を合わせる。


 しかし、ベンもそんなことは聞いていないからどう答えたらいいか分からない。この招待状を捏造ねつぞうしたときに使った名前、それが何かだなんて分かりようもなかった。


 ベンは顔面蒼白になってブンブンと首を振る。二人は極めてヤバい事態に追い込まれた。


 すると、ベネデッタは意を決して、


「シアンです」


 と、目をつぶったまま言い切る。


「えーと、シアンちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってベネデッタにネックストラップを渡した。


 なんという洞察力と度胸。ベンは目を丸くしてベネデッタが通過していくのを眺めていた。


 しかし、自分は何と答えたらいいのか?


 【ベン】は明らかに男の名前だから違う。だとしたら何だろうか?


 魔王が登録しそうな女の名前……。


 全く分からない!


 ベンは頭が真っ白になった。


「はい、9435番! お名前は?」


 受付嬢が聞いてくるが、答えようがない。ベンは目をギュッとつぶり、途方に暮れる。


 名前が違うということになれば明らかに不審者だ。警備の者が呼ばれ、ここでドンパチが始まってしまう。


 そうなると、もう二度と集会潜入などできなくなり、テロの阻止の難度はグッと上がってしまう。


 くぅぅぅ……。


 万事休す。


 ベンは大きく息をつき、意を決すると金属ベルトのボタンに手をかけた。


 騒がれたらすかさずボタンを押し、入り口をダッシュで突破し、一気に会場に突入。そして、教祖を見つけ次第もう一回ボタンを押して瞬殺する……。


 できるのかそんなこと?


 ドクンドクンと心臓が激しく高鳴り、冷汗がたらりとたれてくる。


「早く、名前!」

 

 受付嬢はイライラした声をあげる。


 仕方ない、勝負だ。


 ベンは大きく息をつき、覚悟を決め、受付嬢をじっと見据えると。


「魔王です」


 と、言ってニヤッと笑った。潜入する受付で【魔王】を自称するとは余程のお馬鹿だが、もう女の子の名前なんて一つも思い浮かばなかったのだ。


 受付嬢はギロリとベンをにらみ……、ニコッと相好を崩すと


「ハイハイ、マオちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってストラップをベンに渡した。


 え?


 殺し殺される凄惨なシーンを覚悟してたベンは肩透かしを食らい、目を真ん丸に見開いて固まる。


「早く受け取って!」


 受付嬢はキッとベンをにらみ、ベンはキツネにつままれたように呆然としながらそっとストラップを受け取った。


 正解が【魔王まお】とか、あの人はいったい何を考えているのだろうか? ベンは無駄に気疲れてしまった重い足取りでベネデッタの後を追った。



       ◇



 ベンは会場内に入り、コンサート会場のような観客席に座ると、


「ちょっと、魔王たち何なんですかね? 情報はしっかり伝えるのが社会人の基本じゃないんですかね?」


 と、小声でベネデッタに愚痴を言う。


「きっと名前のチェックがあるなんて思ってなかったのですわ」


 ベネデッタはなだめるように返す。


 ベンは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。


 見回すと大きなステージに広い観客席。もう七割くらいは席が埋まっているだろうか? あの小さな教会の中がこうなっているだなんて明らかに異常である。やはり管理者権限を使った異空間なのだろう。一度閉じられたらもう教祖を倒すまで逃げられないし、助けも期待できない。


 見渡す限り全ての女の子が敵なのである。ベンは改めて強烈なアウェイにいることを感じ、胃がキリキリと痛んだ。


 そんな様子を見ながらベネデッタは、


「これが終わったら日本ですわ。大きなお屋敷を買って一緒に暮らすっていかがかしら?」


 そう言ってニコッと笑った。緊張をほぐそうとしているのだろう。少女に気を使われる三十代のオッサンという構図にベンは苦笑いしてしまう。


 ただ、ベネデッタがイメージしているのは離宮のような屋敷なのだろうが、日本にはそんなのは売ってない。


 建てるか? 百億で? どんな成金だろうか?


 そんなことを考えてベンは思わずクスッと笑ってしまった。


「あら、お嫌ですこと?」


 ベネデッタは口をとがらせる。


「あ、いやいや、楽しみになってきました。ベネデッタさん好みの素敵なお屋敷を建てましょう。バーンとね!」


 ベンは両手を広げ、ニコッと笑って言った。


 ベネデッタはほほを赤く染め、うなずく。


 と、その時、急に照明が落とされ、ステージの女性にスポットライトが当たった。いよいよ運命の時がやってきたのだ。


 二人はハッとして食い入るようにその女性を見つめた。








37. ヴァージナスフィメール


 ステージ上の女性は黒髪を後ろでまとめ、目つきの鋭いいかにもやり手の女性だった。彼女は観客席をぐるっと睥睨へいげいする。その自信に満ちた威圧的な態度に会場に緊張が走った。


 彼女はVサインをした右手を高々と掲げると、


「ヴァージナスフィメール!」


 と、恐ろしい形相で叫ぶ。


 ガタガタガタ!


 観客席の信者たちはいっせいに起立し、同じくVサインを掲げながら、


「ヴァージナスフィメール!」


 と叫んだ。


 二人はあわてて立ち上がって真似をするが、改めてカルト宗教の意味不明な狂気に圧倒される。


「司会進行は副教祖であるわたくしヴィーナス・オーラが務めさせていただきます」


 ステージの女性はそう言ってゆっくりと頭を下げた。


 重厚なパイプオルガンが腹に響く素晴らしい音色を奏で始める。賛美歌だろうか? 信者たちはビシッと背筋を伸ばし、見事な歌声でのびやかに熱唱する。一万人が心を一つに合わせ、圧倒的な声量で会場を包んだ。


 ベンは必死に口パクで真似をするが、周囲のエネルギッシュな歌声にとてもついていけない。冷や汗を流しながらただ、歌い終わるのを待った。


 演奏が終わると、水を打ったような静けさに包まれる。それは一万人いるとは思えない静寂だった。その異常に統率の取れた信者たちにベンは背筋が寒くなる。なるほど、テロを起こすにはこのレベルの高い士気と忠誠心が要求されるのだ。それを実現した教祖とはどんな人なのだろうか?


 そんな教祖をこれから自分は討たねばならない。管理者アドミニストレーター権限すら持っている強敵、勝機は一瞬しかないだろう。そんなこと本当にできるのだろうか? ドクンドクンと激しい鼓動が聞こえ、冷汗が流れていく。


 いよいよ運命の時が近づいてきた。ベンは金属ベルトのボタンに手をかけ、ステージを見下ろす。


 押すか? 押していいのか?


 ドクンドクンと心臓は高鳴り、手のひらはびしょびしょだった。


 ブォォォォゥ。


 パイプオルガンが二曲目の演奏に入った。


 また、信者たちは熱唱を始める。


 肩透かしを食らったベンはふぅと息をつき、渋い顔でベネデッタと顔を見合わせた。また口パクで演奏の終了を待つしかない。


 結局五曲も歌が続き、ベン達は口パクだけで疲れ果ててしまう。


 また次も歌なんじゃないかとウンザリしながらステージを見ていると、副教祖がVサインを高々と掲げ、話し始める。


「皆さん、今日は我が純潔教にとって待ち焦がれた約束の日です。純潔を守り続けた我々に神が新たな世界をご用意してくれています。それには街の人々を神の元へ届けねばなりません。皆さんの手で一人ずつ、送っていきましょう! さぁ行きましょう! ヴァージナスフィメール!」


「ヴァージナスフィメール!」「ヴァージナスフィメール!」「ヴァージナスフィメール!」


 信者たちは感無量といった感じで声を張り上げた。


 なるほど、彼らは街の人を殺そうとは思っていないのだ。街の人の幸せのために神の元へ送ろうとしている。それは彼らにとっては善行なのだ。


 ベンはこんなとんでもない洗脳を行った教祖に激しい怒りを覚えた。やはり、教祖は討たねばならない、信者の彼女たちのためにも!


「それでは、我らがマザー、ヴィーナス・ラーマにご登壇いただきます!」


 副教祖がそう言うと、


「キャ――――!」「うわぁぁぁ」「ラーマ様ぁ!」


 と、会場が歓喜の渦に包まれた。


 ある者は涙をこぼし、ある者は過呼吸で今にも倒れそうである。


 その狂気ともいうべき熱狂にベンは圧倒される。この熱狂の中で教祖を討つなんて、できるのだろうか?


 しかし、やるしかない。トゥチューラのため、この星のため、そして、自分の未来のため。


 ベンは冷や汗を流しながら、ガチッと金属ベルトのボタンを押した。


 ぐふぅ……。


 何度やっても慣れない噴霧が肛門を直撃し、ベンは顔をゆがめた。


 ピロン! ピロン! ピロン! 表示は『×1000』まで一気に駆け上る。


 隣でベネデッタもボタンを押したようだ。美しい顔を苦痛にゆがめながら必死に便意に耐えている。


 やがて一人の女性がステージに現れる。


 ベンは荒い息をしながら二発目のボタンに手をかける。いよいよ教祖と対決だ。


 事前に打ち合わせしていた通り、二発目のボタンを押したらベネデッタに神聖魔法をかけてもらい、意識をしっかりとさせる。そして、飛行魔法で一気に教祖に飛びかかって右パンチで殴り倒す。教祖の意識を飛ばせばシアン様たちがやってきて全てを解決してくれる……。できるのか本当に? いや、やらねばならないのだ。


 ベンは便意に耐えながら必死に何度も飛びかかるイメージを繰り返す。


 スポットライトが彼女を照らし出す。美しいブロンドの髪に鮮やかなルビー色の瞳、それは神々しい美貌を放つ女性だった。









38. 懐かしの教祖


 うぉぉぉぉ!


 まるで地鳴りのような歓声が会場を包んだ。


 しかし、ベンは固まり、動けなくなる。


「マ、マーラ……さん? な、なぜ……」


 そう、教祖は見まごう事なきマーラだった。勇者パーティで唯一ベンに気を配ってくれた憧れの存在。優しくて素晴らしいスキルを持っていたヒーラー。なぜこんなところで教祖なんてやっているのか?


 マーラは熱狂のるつぼと化した会場を見回し、ニッコリと笑うと、高々とVサインを掲げた。


 直後、まばゆい紫の光がVサインから放たれ、会場全体にキラキラ光る紫の微粒子が舞っていく。


 信者はみな恍惚こうこつとした表情を浮かべながらその微粒子を浴びた。やがて、立っていることができなくなり、次々とぐったりとしながら席に沈んでいった。


 ベンは腹痛に耐えながら必死に考え、ついに理由に気が付いた。マーラも四天王の魔法使いと同じだったのだ。この計画を進める上で、勇者が得た女神からの加護は危険な不確定要素だった。だからその加護内容の調査のためにパーティに加わっていたのだ。


 そんな裏があったとも知らず、ただのほほんとマーラの優しさに惹かれていた自分が情けなく、ガックリとした。


 ベンはふと周りを見て、信者が全員座っているのに気がついた。


 あっ!


 焦って座ろうとしたベンをマーラは見逃さなかった。


「べ、ベン君……」


 マーラは渋谷でとんでもない強さを見せたベンの姿を思い出し、顔をこわばらせ、焦る。


「あ、いや、これは、そのぅ……」


 ベンはこの想定外の事態に混乱した。ただでさえ腹が痛くて頭が回らないのだ、何を言ったらいいかなんてさっぱり分からない。


「男よ! 男が紛れ込んでるわ!」


 マーラはベンを指さし、必死の形相で叫んだ。


「キャ――――!」「お、男!?」「ひぃぃぃ!」


 ベンの周りから信者は逃げ出し、会場は大混乱に陥る。


「第一種非常事態を宣言します! 総員戦闘配備! アクセラレーターON!」


 マーラはVサインを高々と掲げ、叫ぶ。


 すると、信者たちは全員ローブをたくし上げ、金属ベルトのボタンを押した。


 は?


 ベンは目を疑った。


 彼女たちが押しているのは魔王の下剤噴射ガジェットだった。いったいなぜ? 何のために?


 女の子たちのお尻に次々と噴射される薬剤。それは彼女たちに言いようのない感覚を呼び覚まし、


 ふぐっ! くぉぉ! ひぐぅ!


 と、口々に声にならない声を上げた。


 直後、バタバタと倒れる女の子たち。そして、響き渡る排泄音。


 一万人の可愛い女の子たちが壮絶な排泄音をたてながら床に倒れ、痙攣けいれんしている。まさに地獄絵図だった。


 オーマイガッ!


 そのあまりの凄惨さにベンは頭を抱え、叫ぶ。


 一万人分の排泄物が振りまかれた会場は、酸鼻さんびを極める阿鼻叫喚あびきょうかんの様相を呈し、まるで下水が逆流したトイレのような、息をするにもはばかられる状況になってしまった。


「ベン! お前一体何をした!」


 鼻をつまみながら鬼のような形相でマーラが叫ぶ。


 ベンは言葉を失い、ただ、その壮絶な状況に首を振る。


 何をしたというより、『何やってんのあんたたち?』と言わせてほしいベンであった。


「死ねい!」


 マーラはそう叫ぶと金色に輝くエネルギー弾を次々と空中に浮かべ、ものすごい速さでベンに向けて撃ってきた。


 おわぁ!


 ベンはすかさず空中に飛んで逃げる。エネルギー弾はベンの座っていた椅子に次々と着弾し、激しい衝撃が会場全体を揺らす。


 もうこうなってはマーラをたおすしかない。ベンはベルトのボタンをガチッと押し込んだ。


 ふぐっ!


 二発目のボタンはもろ刃の剣である。


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 暴れまわる腸に肛門は決壊寸前となった。


 くはぁ!


 腹を抱え、ゆらゆらと飛ぶベン。今にも落ちそうである。


 ポロン! ポロン! と『×100000』の表示が出るが、意識をすべて括約筋に奪われてもう何もできない。


 その時だった。


「ベン君! 受け取って!」


 会場の隅からベネデッタが千倍にブーストされた神聖魔法の癒しの光を放った。


 おぉ、おぉぉぉぉ……。


 ベンは空中をふわふわと漂いながら黄金色に輝く。腹痛は相変わらずではあるが、意識がはっきりしてくるのを感じた。


 それはベネデッタが必死に練習して勝ち得た千倍のスキル。ベンはその熱い思いに感謝し、グッとサムアップして見せた。そして、ステージを見下ろす。


 マーラは何やら恐ろし気な紫色の光る円盤を無数に浮かべ、鬼の形相でベンをにらんでいた。


「小僧が! まさかお前が立ちはだかるとは……。死ねぃ!」


 マーラはそう叫ぶと円盤を一斉にベンに向けて放った。


 鮮やかな紫に輝く円盤は、それぞれ複雑な軌道を描きながらベンに向けて襲いかかる。


 くぅ!


 円盤は巧みにベンを取り囲むように飛来し、ベンは忌々しそうににらんだ。


「あぁっ! ベン君!」


 悲痛なベネデッタの叫びが響き、直後、円盤はベンのあたりで次々と大爆発を起こした。


 激しい衝撃が会場を揺らし、爆煙があがる。


 いやぁぁぁ!


 ベネデッタの悲鳴が響き渡った。


「はーっはっはっは! 口ほどにもない」


 マーラが勝利を確信した時だった、マーラの真後ろにベンは現れ、腕でグッとマーラの首を締めあげた。














39. 美しき非情


 ぐほぉ!


 十万倍の力でのどを絞めつけられ、動けなくなるマーラ。


 ステータス十万倍の飛行魔法を持つベンにとって、目にもとまらぬ速さで移動する事くらい朝飯前だったのだ。もはやベンにとっての敵は自分の便意くらいだった。


「ま、まさかあなたが黒幕とは……。なぜこんなことをやったんですか?」


 プロレス技のチョークスリーパーのように、がっちりと決めながらベンは聞いた。


「くっ! 管理者アドミニストレーター権限をなめるんじゃないわよ!」


 そう言ってマーラは自分の身体を黄金色に光らせ、何か技を使おうとした。


 しかし、ベンは構わずに首をギュッと締め上げる。


 ぐぉぉぉぉ!


 マーラは真っ青な顔になり、たまらず、ベンの腕をタンタンタンとタップした。


 勝利の瞬間である。ベンは安堵安堵し、息をつくと、少し緩めてあげた。


「ぐぐぐ……。あんた本当に一般人? なぜ、私に勝てるのよ?」


 マーラは美しい顔を歪めながら吐き捨てるように聞く。


「女神がね。あなたに勝てるスキルをくれたんです」


「くっ、女神か……、チクショウ……」


 マーラはガクッと力を抜き、観念したようだった。ふんわりと懐かしいマーラの匂いが立ち上ってきて、ベンは首を振り、静かにため息をついた。


「なんでこんなことをしたんですか? そんなに男が憎かったんですか?」


 ベンは腹痛に顔をゆがめながら聞いた。


「いや、別に? そりゃ変な男が次々と言いよって来るのはウザかったけど、憎む程じゃないわ。それなりに楽しくやってたしね」


 マーラは自嘲じちょう気味に言う。


「じゃあ、なぜ?」


「男を憎んでる女って多いのよ。『男のいない世界を作ろう!』って冗談半分で言ったら何だかみんなが集まってきたの。お布施もガンガン集まるしね。それで、こりゃいいやって規模を大きくしていったのよ」


 すると、そばで聞いていたベネデッタは、


「あなたは女性の敵ですわ!」


 と、目を三角にして怒った。


「あら、公爵令嬢。この小僧にれちゃったの?」


 薄ら笑いを浮かべながら冷ややかな視線を投げかけるマーラ。


 しかし、ベネデッタは動ぜず、


「えぇ、そうよ。世界を守るために献身的に努力するお方に惚れない女などいませんわ!」


 と、さも当たり前かのように言い切る。


 えっ!? え……?


 いきなりの告白にベンは頭の中がチリチリと焼けるように熱くなり、オーバーヒートした。


「ははっ! そりゃ良かったわ。……。私ももう少しいい出会いがあれば……」


 マーラはため息をつき、視線を落とす。


 ベンは何とか平静を取り戻そうと大きく深呼吸をする。何しろ十万倍の便意が肛門を圧迫し、一万人の乙女の排泄物が流れ、この世界を滅ぼそうとするにっくき教祖が憧れのマーラであり、気品高き令嬢が告白しているのだ。人生のコア・イベントがこの場に派手に集結している。運命の女神が用意したステージは何とも壮絶な様相を呈していた。


「黒幕が居るんですのよね?」


 ベネデッタは鋭い目で問い詰める。


「ふふん。そうね、調子に乗って信者集めてたら隣の星の管理者アドミニストレーターが声をかけてきたの。『自由にできる世界が欲しくないか?』ってね」


 なるほど、そういう事であれば黒幕を何とかしないと解決しない。


 ベンは咳ばらいをすると、聞いた。


「ボトヴィッドって奴か?」


「ふーん、女神はみんなお見通しね」


 マーラは肩をすくめ、キュッと唇をかんだ。


「証拠を出せるか?」


「証拠なら幾らでもあげるわ。私自身、やりすぎだとは……、思ってたのよ」


 マーラはうつむき、調子に乗って暴走したことを悔いている様子だった。勇者パーティでの振るまいを見るに根は悪い人ではないはずである。それが一歩足を踏み外したらみるみる巨大テロリスト集団のヘッドになってしまった。もしかしたらあのやり手の副教祖の手腕が大きかったのかもしれない。


 とはいえ、世界を滅ぼそうとしたことは重罪である。償ってもらう以外ないのだ。


「じゃあ、今すぐ出せ」


 ベンが催促さいそくすると、マーラはふぅと大きく息をつき、


「こんな拘束された状態じゃ出せないわ。まずは離して」


 と、寂しそうに笑う。


 ベンは迷い、ベネデッタと目を合わせる。腕を放せば逃げようと思えば逃げられてしまう。反省の色を見せている姿を信用できるかどうかだが……。


 するとベネデッタはうなずき、マーラの装着している金属ベルトをつかんで言った。


「変なことしたら押させていただきますわ」


「あらあら怖い事」


 マーラはおどけて肩をすくめる。


 ベンは首を押さえていた腕を緩め、


「緩めたぞ、早く証拠を出せ!」


 と、迫った。


「はいはい、そんな焦らないで」


 マーラは首をぐるりぐるりと回し、大きく息をつくと、指先で空間を切り裂き、中に手を突っ込んだ。


 そして、何かのチップを取り出すと、ベネデッタに渡す。


 ベネデッタはニコッと笑い、


「ありがたく頂戴しますわ」


 そう言いながら、ガチッガチッと金属ベルトのボタンを連打した。


 へっ!? あっ!?


 驚く二人。


 マーラは、ふぐぅ……、という声にならない声を上げ、倒れ込む。


「うちの街を壊そうとした罪は重いんですのよ」


 そう言ってベネデッタは嬉しそうに笑った。


 その情け容赦ない行動力にベンはゾッとする。この可憐な少女の美しい笑みの裏にある芯の強さ、それはこの街を預かる貴族の一員としての矜持きょうじだろうか? ベンはこの人を怒らせてはならないと心に誓った。


 マーラは壮絶な排泄音をまき散らしながら、ビクンビクンと痙攣けいれんし、目をいて口からは泡を吹いている。もはや廃人同然だった。


 その時だった。


「あっ! 危ない!」


 ベネデッタがベンをかばうように覆いかぶさるように押し倒した。


 直後、激しい閃光が走り、何かがベネデッタの臀部でんぶを直撃した。


 ふぐぅ!


 防御力千倍のため、深刻なケガには至らなかったものの、千倍の便意にギリギリ耐えてきたベネデッタの関門が限界を超えてしまう。


 いやぁぁぁぁ! うぁぁぁ……。


 凄惨せいさんな排泄音が響き渡り、ベネデッタは意識を失ってしまった。


「ベ、ベネデッタぁぁ!」


 ベンはいきなり訪れた悲劇に呆然とする。


「グワッハッハッハ! 小僧! 好き勝手やってくれたなぁ!」


 ステージに小太りの中年男が着地する。栗色のジャケットにベストを着込み、レザーキャップをかぶってステッキをくるりと回した。

















40. ベンの覚悟


「お前は……ボトヴィッド?」


 ベンは立ち上がり、男をにらんだ。今回の黒幕、倒すべき男がついに目の前に現れたのだ。


「ふん! 小僧にまで名前を知られるとは不覚じゃ。まぁ、今すぐこの世から消してやろう」


 そう言うと、いきなりベンの目の前にワープし、思いっきりステッキでベンの顔面を殴りつけた。


 グフッ!


 ベンはまるで暴走トラックに吹っ飛ばされたように、縦にクルクル回りながら演台を砕いて弾き飛ばし、壁に叩きつけられ、跳ね返ってゴロゴロと転がった。


 十万倍の防御力があるものの、唇が切れ、血が滴る。肛門は少し決壊し、おむつに生暖かい液体流れているのを感じる。


 くぅぅぅ……。


 ベンは苦痛に顔をゆがめよろよろと立ち上がろうとした。


「ほう、まだ生きとるのか! もういっちょ!」


 ボトヴィッドはそう言いながらベンの顎を強烈に蹴り上げた。


 ぐほぉ!


 吹き飛んだベンの身体は壁に跳ね返され、天井に当たり、ステージに叩きつけられて転がる。


 ぐおぉぉぉ……。


 脳震盪のうしんとうで目が回ってしまっていて身動きが取れない。


 ピュッピュッ、と肛門を突破されているのを感じ、何とか括約筋で踏ん張り続ける。


 も、漏れる……。


 ベンのステータスは十万倍。強さで言ったら上だが、ボトヴィッドは管理者にしか使えない技、ワープを繰り出してくるので分が悪い。ベンは必死に勝ち筋を探すが、便意に意識を奪われてなかなか策が浮かばない。


 ボトヴィッドは周りを見回しながら、


「さて、この空間ごと葬り去ってしまうとするか……。うんこ臭くてかなわん。ただ、こいつは……」


 そう言うと、気を失っているベネデッタのところへ行き、顎をつかむと、


「うん、上玉じゃな。この女は今晩のお楽しみに使ってやるか、グフフフ」


 と、下卑げびた笑いを浮かべた。


 えっ……?


 ブチッ! と、ベンの中で何かが切れた音がした。


 ベネデッタが穢されてしまう、そんなことはあってはならない。便意に耐えることしかできないこんな自分を、好きだと言ってくれた可憐な美少女。自分はたとえ死んでも彼女は守らねばならない。


 ベンはギリッと奥歯を鳴らすと、ふんっ! と気合を入れ、うぉぉぉぉ! と雄たけびを上げながら金属ベルトのボタンを連打する。


 十万倍で勝てなければ百万倍、それでも勝てなきゃ一千万倍、勝つまで上げていってやる!


 ベンはシアンの忠告を無視し、捨て身の戦法で勝負をかけたのだった。


 ポロン! ポロン! ポロン! 『×100000000』


 ベンの身体は一億倍の異常なパワーで自然に発光し、光り輝く。


 ぐぉぉぉぉ!


 脳髄を貫く強烈な便意。それは半分人格崩壊を引き起こしながらベンを襲った。


 ブピッ! ビュッビュッ!


 肛門からは不穏な音が絶え間なく続いていたが、ベンはユラリと立ち上がる。


 もう思考は崩壊し、何も考えられなくなっていたが、ベンは無意識にボトヴィッドの方を向いた。目は青く輝き、全身からパリパリとスパークが立ち上り、光の微粒子を振りまいている。


「なんじゃ?」


 ベンに気づいたボトヴィッドは、ステッキに光を纏わせ、パリパリと放電させると、


「この死にぞこないが!」


 と、言いながらベンの前にワープをして思いっきりステッキで顔面を殴りつける。


 地響きを伴う爆発音が響き、


 ぐわぁぁ!


 という叫び声が続いた。しかし、叫び声を上げたのはボトヴィッドの方だった。


 ステッキは砕け散り、持っていた手が裂けている。ベンは無表情でぼんやりとその様を見ていた。


「な、なんだ貴様は!」


 ボトヴィッドは苦痛に顔をゆがめながら、距離を取り、管理者権限で手を治していく。


 反撃のチャンスではあったが、ベンは壮絶な便意にとらわれていて動けない。


 ボトヴィッドは指先で空中を切り裂き、異空間につなげると、中からぼうっと青白く光る刀剣を取り出した。


「これは管理者にしか使えない名刀『デュランダル』だ。空間を切り裂き、全てを両断する決戦兵器……、コイツで一刀両断にしてやろう……」


 ボトヴィッドはベンをにらむと気合を込め、デュランダルを黄金色に光輝かせた。二人の戦うステージはそのまばゆい光で美しく照らし出される。


「今度こそ、死ねぃ!」


 ボトヴィッドは剣を振りかぶり、ベンの前にワープすると同時に一気に振り下ろした。


 目にもとまらぬ速さでベンに迫ったデュランダルだったが、ベンは素早く手の甲で払う。パキィィィンといういい音をたてながら刀身が砕けちった。


 へっ!?


 目を真ん丸にして驚くボトヴィッド。次の瞬間、ベンの右ストレートが思い切り顔面にさく裂する。


 一億倍の攻撃力は管理者特権の【物理攻撃無効】を貫通し、顎の骨を砕きながら吹き飛ばした。


 ゴフゥ!


 クルクルと回転しながら壁に当たり、戻ってきたところをベンは鋭い蹴りで腹を打ちぬいた。


 ぐはぁ!


 再度壁にしたたかに打ちつけられ、跳ね返ってゴロゴロと転がるボトヴィッド。


 無様な姿を見せるボトヴィッドに、


「し、尻を出せ……」


 と、ベンは無表情で命令した。

















41. 強制送還


「え? し、尻?」


 朦朧とするボトヴィッドは何を言われたのか分からなかった。


「これだ!」


 ベンはボトヴィッドのベルトをガシッとつかんで持ち上げ、てのひらでぼうっと青く光る魔法陣をパン! とボトヴィッドの尻に叩き込んだ。


「便意独尊!」


 ぐふぅ!


 その瞬間、ベンの一億倍の便意はボトヴィッドの脳に叩き込まれ、ボトヴィッドは脳髄に流れ込んでくる強烈な便意に意識をすべて持っていかれた。


 ベンがボトヴィッドを床に転がすと、ボトヴィッドは痙攣しながら、


 ブピュッ! ビュルビュルビュル――――!


 と、激しい排泄音を響かせる。そして、ビチビチビチと釣り上げられた魚のようにヤバい動きで跳ね回った。


 こうして、ベンはついにトゥチューラの星を守ることに成功したのだった。


 しかし、便意を押し付けることに成功したベンではあったが、一億倍の後遺症はベンを確実に蝕んでいた。


 片耳がキーンと激しい耳鳴りを起こし、よく聞こえないベンは耳を押さえながら顔をしかめ、よろよろとベネデッタの方へと歩く。


 鼻血をポタポタと落としながら、なんとかベネデッタの所にやってきたベン。


 そっと上半身を抱き起こし、


「だ、大丈夫?」


 と、声をかける。


 ベネデッタは薄目をそっと開き、


「終わった……んですの?」


 と、か細い声を出した。


 ベンは優しい目でベネデッタを見つめながらうなずいた。


「嬉しい……」


 ベネデッタはそう言ってベンに抱き着くと、唇に軽くキスをした。


 えっ?


 いきなりのことにベンは戸惑った。今までベネデッタには惹かれてはいたものの、実質三十代の自分からしたら少女と親密になるのはどこか後ろめたかったのだ。


 しかし、自分を見つめて幸せそうな微笑みを浮かべるベネデッタを見て、自分の気持ちをこれ以上ごまかせない事に気が付く。


 命がけで自分を支えてくれたベネデッタ。この美しい少女といつまでもどこまでも一緒にいたい。心の奥からあふれてくるそんな想いに突き動かされて、今度は逆にベンの方から唇を重ねていく。


 ベネデッタはベンを受け入れ、二人は想いを確かめ合う。


 それはうだつの上がらなかった生真面目男と、悩める公爵令嬢が長き苦難の果てに勝ち得た、この上なく清らかな愛の発露だった。



        ◇



「きゃははは! ご苦労ちゃん!」


 シアンと魔王が現れ、死闘を繰り広げた二人をねぎらう。


「それにしても……、ひどい悪臭だ……」


 魔王は一万人の女の子たちが排泄物を垂れ流しながら痙攣している阿鼻叫喚の会場を見渡し、鼻をつまんで首を振った。


 その悪臭はまるで下水が逆流したトイレのように強烈だった。


「死闘の……証……ですよ」


 ベンはうつろな目で返す。ベンはむしろこの悪臭を誇りに感じていたのだ。


「うんうん、期待以上だったゾ」


 シアンがねぎらった時だった、


 うぅっ……。


 ベンは急にうめくと、ばたりと倒れ込む。


「キャ――――! ベン君!? ベンくーん!!」


 ベネデッタは必死にベンを揺らすが、ベンは壊れた人形のように何の反応も示さない。


「いやぁぁぁ! ベンく――――ん!」


 ベネデッタの悲痛な叫びがステージにこだました。


 せっかくたどり着いた二人の愛の結末に襲いかかる悲劇。慌ててシアンが蘇生を試すものの、便意ブーストで焼かれてしまった脳は致命的に崩壊しており、もはや手の施しようがなかった。



         ◇



 ピッ! ピッ! ピッ!


 静かな病室で、電子音がベンの意識に流れこんでくる。


 う……?


 ベンはゆっくりと目を覚ました。見上げるとモスグリーンのカーテンに囲まれた清潔な白い天井が目に入ってくる。


 あれ?


 横を見るとベッドサイドモニタに心電図が表示され、心拍を打つたびにピッ! ピッ! と、音を立てている。


 は?


 ベンはゆっくりと起き上がって違和感に襲われる。なんだか体がずっしりと重いのだ。


「ど、どうしちゃったんだ? ベ、ベネデッタは?」


 その時、カーテンが開いて声がした。


「へっ!?」


 驚く声の方向を見ると、看護師が目を丸くして口を手で押さえている。


 ベンは一体どういうことか分からず、ただ、ぼーっと看護師を見つめた。


「め、目が覚めたんですか?」


 看護師はありえないことのように聞いてくる。


「え、えぇ……。僕はどの位寝ていたんですか?」


「もう、三年になります」


「三年!?」


 ベンは何が何だか分からず、辺りを見回す。


 すると、カーテンの向こうに洗面台があって鏡があるのに気付いた。


 んん?


 そして、身を乗り出してのぞくと、そこに映っていたのはアラサーの中年男だった。


 はぁっ!?


 ベンは急いでベッドを飛び降り、ふらふらとよろけながら洗面所に歩く。


 急いでのぞきこんだ鏡に映っていたのは、まぎれもない転生前の疲れ切った中年男だったのだ。あの十三歳の可愛い男の子ではもうなかった。


「こ、これは……」


 ベンは言葉を失う。


 シアンに転生させてもらって便意我慢してついに黒幕を倒したのだ。ボトヴィッドの尻を叩いた時の右手の感触は今もありありと思いだせるし、ベネデッタと交わしたキスの舌触りも生々しく残っている。なのになぜ?


 ベンは真っ青になり、ただ、鏡の中のさえない中年男の顔を見つめていた。


「至急ご両親に連絡しますね」


 看護師はそう言ってパタパタと速足で出ていった。


 ベンは急いで天井に向かって叫んだ。


「シアン様――――! シアン様、お願いです、出てきてください!」


 しかし、病室にはただ静けさが広がるばかり。


「えっ!? なんで、なんで! シアン様ぁぁぁ」


 あれほど望んでいた日本行き、でもこれじゃないのだ。ベネデッタのいない日本に帰ってきて何の意味があるのだろうか?


 ベンはベッドにバタリと崩れ落ち、呆然とただ天井の模様を眺めていた。







42. ピンクの小粒


「いやー、本当に良かった!」


 ベンの父親が肩を叩きながら涙を浮かべ、嬉しそうに言った。母親はハンカチを目に当てて肩を揺らしている。


 久しぶりの両親はすっかりと老けてしまって、白髪も目立つようになり、三年の時の重さを感じさせる。


「パパもママも……、ありがとう」


 ベンは引きつった笑顔で返した。


 翌日退院となったベンは父親の運転で実家へと戻っていく。


 過労死で倒れて一回は止まった心臓だったが、必死の救命作業で一命はとりとめていたらしい。しかし、植物状態で三年間寝たきりだったそうだ。


 ベンは車窓を流れる懐かしい風景を見ながら、ぼんやりとトゥチューラの街並みを思い出していた。


「ベネデッタ、どうしてるかな……?」


 ベンはそうつぶやき、自然と湧いてきた涙がポロリとこぼれた。


 あ、あれ?


 ベンはあわてて手のひらで涙をぬぐう。自分がこんなにもベネデッタを欲していた事に気が付き、うなだれ、後部座席で隠れるようにハンカチを涙で濡らした。



       ◇



 懐かしい実家の玄関をくぐると、温かい生活の匂いがした。それはベンがずっと親しんでいた香りだった。でも、今はそれを素直に喜べない。


 テーブルについたベンは、お茶を飲みながらダイニングをキョロキョロと見回した。子供の頃から使っている少し欠けたマグカップ、冷蔵庫に貼られた癖のある字の予定表、全てが懐かしかったが、ベンの胸にはぽっかりと穴が開いていた。


「おい、何か欲しいものはないか?」


 暗い表情をしているベンに、父親は気を使って聞いてくる。


「欲しい……もの?」


 ベンは目をつぶって考える。欲しいもの……、欲しいもの……、でも思い出されるのはベネデッタの温かい優しさだけだった。


 ベンはガックリとうなだれ、ポタポタと涙をこぼす。


「お、おい、どうしたんだ? どこか具合でも悪いのか?」


 父親は心配そうに言う。


 ベンはしばらく動けなかったが、ふと、あることを思い付いた。


「もしかして……」


 ベンはガバっと顔を上げると、バタバタと救急箱のところへ急いだ。


 救急箱を開け、包帯やら解熱剤やらを放り出し、下剤の箱を取り出すとピンクの錠剤をプチプチプチとたくさん手のひらに出していった。


「おい、お前、下剤で何をするんだ? 便秘か?」


 心配する父親をそのままに、ベンは一気に錠剤を飲みこんだ。


「お前! そんな量飲みすぎだ! 何やってるんだよぉ!」


 そう叫ぶ父親に、ベンはニコッと笑ってみせる。


 ベンにはもう便意にすがるしかなかった。シアンを呼んでも出てこない以上、トゥチューラへの道は閉ざされてしまっている。これで何も起こらなかったらトゥチューラでの日々はただの夢と同じなのだ。


 父親は頭を抱え、頭が壊れてしまったらしい息子の将来を憂えた。


 ベンはそんな父親には申し訳ないと思いながら、便意をただ静かに待つ。


 あの世界とつながっているなら、青いウインドウが開くはずだ。異世界は絶対に夢なんかじゃない。自分が便意と戦い、トゥチューラを守り抜いた栄光は妄想なんかじゃないのだ。


 やがて、ベンの胃腸がうねり始める。


 ぐぅーー、ぎゅるぎゅる……。


「来たぞ! 来たぞ!」


 便意が高まる事を喜ぶベンを、父親は眉をひそめ、心配そうに見つめる。


 ベンは手を組み、祈りながらその瞬間を待つ。


 来い、来い、来い、来い……。


 うっ……、漏れる……、漏れる……。


 その時、脳内に電子音が響き渡った。


 ピロン! ピロン! ピロン! 『×1000』


「キタ――――!」


 ベンは絶叫した。


 そう、夢じゃなかったのだ。トゥチューラは本当にあったんだ!


 ベンは強烈な便意にお腹を押さえながらも歓喜に包まれた。


「お、お前、病院へ行こう! いい精神病院を知ってるんだ」


 父親はベンがついに狂ってしまったと思い、オロオロしながら言う。


「ふふっ、大丈夫だよ。ほら見て!」


 そういうと、ベンは飛行魔法でふわりと浮かび上がった。


「はっ!? お、お前、なんだこれは!?」


 いきなり超能力を使うベンに父親は唖然とする。寝たきりからようやく復帰したと思ったら下剤をがぶ飲みして宙に浮いている。父親の頭はパンクし、呆然とただベンを見ていた。


『来て……』


 その時、かすかに誰かの声がベンの脳に響いた。


「えっ!?」


 それはベネデッタの声に聞こえた。


「ねぇ、どこ? どこにいるの?」


 ベンは辺りをキョロキョロと見まわした。


 しかし、声はそれっきり聞こえない。


 くっ!


 ベンは窓をガン! と乱暴に開けると飛び出し、一気に高度を上げていく。


 父親は驚愕し、空高く小さくなっていく息子をただ呆然と見つめていた。



 ベンは住宅地からぐんぐんと高度を上げ、あたりを見まわす。


 声は確かこっちの方向から聞こえたはず……。


 ベンは海の方をジッと見つめた。


 白い雲がぽっかりと浮かぶ澄み通る青空のもと、港湾施設のクレーンの向こうにはキラキラと水面が光って見える。


 すると、向こうの方に不思議な動きをしながら飛んでいるものに気が付いた。


 え?


 その動きは飛行機でもなくヘリコプターでもなく、ゆらゆらと独特な飛び方をしている。あんな飛び方をするものをベンは一つしか知らなかった。

















43. 限りなくにぎやかな未来


「あれだ!」


 ベンはその物体目指し、全速力で飛ぶ。


 やがて見えてきた大きなじゅうたん。乗っているのは、金髪の女の子と青い髪の女の子……。


 ベンは思わず熱くなる目頭を押さえ、大声で叫んだ。


「ベネデッタ――――!!」


 金髪の美しい女の子がこちらを見ているが、青い髪の子は寝そべってあくびをしているようだ。


 それはまぎれもないベネデッタとシアンだった。東京にやってきていたのだ。


 ベンは満面に笑みを浮かべ、全速力で風を切って飛ぶ。


 ベネデッタ! ベネデッタ!


 全身がベネデッタを欲しているのを感じながらシャツをバタバタとはためかせ、軽やかに飛んだ。


 だが、次の瞬間――――。


 ダ、ダメだ……。


 ベンは真っ青になって急停止してしまう。


 自分の姿を思い出してしまったのだ。自分はもうアラサーの中年男、十三歳の可愛い子供ではない。明らかに不審者だった。


 マズい……。


 ベンはうなだれる。こんな中年のオッサンにはベネデッタの前に出る資格などない。


 どんどん近づいてくるじゅうたん。もう美しいベネデッタの表情まで見て取れる。そう、あの美しい少女と一緒に世界を守ったのだ。でも、どうする?


 ベンはギュッと目をつぶり、ギリッと奥歯を鳴らした。


 失望されたくない……。


 あのベネデッタの優しいまなざしは少年ベンに向けられたものであって、こんなムサい中年のオッサンにではない。例え中身は一緒だと言っても、きっとガッカリされ、疎まれる。


 社畜時代に散々女子社員から向けられていたあの冷徹な視線。それをベネデッタにされたらもう二度と立ち直れない。


 ベンは手がブルブルと震え、冷や汗がタラリと流れる。


 に、逃げよう……。


 ベンはくるっと後ろを向く。


 しかし、逃げてどうするのか? また、社畜時代みたいに心にふたをして他者とのかかわりを避けて生きるのか?


 くぅっ!


 ベンはギュッとこぶしを握る。


 もう自分にはベネデッタ無しの未来なんて考えられなかった。二人で命がけで手に入れたはずの未来、それを捨てる事なんてできない。


 これが真実の姿なのだ。今さら取り繕っても仕方ない。これで嫌われたらそれまで。


 ベンは覚悟を決めた。


 そして、静かに近づき、じゅうたんの上にそっと着地する。


 案の定、ベネデッタは後ずさりし、


「だ、誰ですの?」


 と、おびえながら身構えた。


 風がビュウと吹き、ベネデッタのブロンドの髪をバタバタとゆらす。


 ベンは口を開いたが……、言葉が浮かばない。おびえるベネデッタを上手く安心させる言葉。そんな魔法のような言葉、ある訳なかったのだ。


 ベンは首を振り、大きく息をつくと、ニコッと笑顔を見せて言った。


「ベネデッタ……、僕だよ」


 え?


 凍りつくベネデッタ。


 いきなり知らない中年男に『僕だよ』と、言われても恐怖しかないだろう。


 しかし、中年男のまっすぐな瞳には、ベネデッタに対する底抜けの愛情が映っていた。ベネデッタにとってその瞳は、最期に見せたベンのまなざしそのものだったのだ。


 やがてベネデッタは目に涙を浮かべ、首をゆっくりと振ると、


「ベンくーん!」


 と言って抱き着いてきた。


 十三歳のベンには大きかったベネデッタであったが、今は小さなか弱い女の子である。


 ベンはギュッと抱きしめ、立ち上ってくる甘く華やかな愛しい香りに包まれ、美しいブロンドに頬ずりをする。


 そう、欲しかったものはただ一つ、彼女だった。ベネデッタさえいてくれたら自分は生きていける。


 逃げずに踏ん張って手に入れた未来。ベンは今度こそ幸せになる、この娘と一緒に楽しく胸躍る人生を築くのだと固く心に誓った。


 キラキラと東京湾の水面が輝き、さわやかな風が吹き抜ける中、二人は命がけで勝ち得た温かな未来をかみしめていた。



      ◇



「ふぁ~あ……。スキルの副作用でさぁ、ベン君死んじゃったんだよ」


 シアンは伸びをしながら言う。


「し、死んだ?」


「百万倍以上出しちゃダメって言ってたじゃん。一億はやりすぎたね」


 シアンは肩をすくめ、首を振る。


「それで、昔の身体に戻したんですか」


「そうそう。はいこれ、百億円」


 シアンはそう言って貯金通帳をベンに手渡した。


 中を見ると『¥10,000,000,000』と、十一桁の数字が並んでいる。


「え……? マジ……? ウヒョ――――! やったぁ!」


 ベンはガッツポーズを決め、激闘の賞金を高々と掲げた。


「じゃあ、楽しく暮らしておくれ。僕はこれで……」


 シアンはそう言ってウインクをすると、ピョンと飛びあがり、ドン! と衝撃波を発して飛行機雲を描きながら宇宙へとすっ飛んでいった。


 とんでもない女神ではあったが、今から思えばどうしようもなかった出来損ないに幸せな未来を授けてくれた最高の女神と言えるかもしれない。


 ベンは胸に手を当て、深々と頭を下げた。



        ◇



「ベン君の本当の姿はこういう姿でしたのね」


 ベネデッタはもじもじしながら言った。


「あはは、幻滅した?」


 すると、ベネデッタはそっとベンに近づき、


「その逆ですわ。私、おじさまの方が好みなんですの」


 そう言ってニコッと笑う。


 ベンは優しくベネデッタの髪をなで、引き寄せた。


 そして、優しく抱擁ほうようをする。愛しいベネデッタの体温がじんわりと伝わってくる。


 目を合わせると、あおくうるんだ瞳にはおねだりの色が見えた。


 ベンはゆっくりと近づき、ベネデッタは目をつぶる。


 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!


 最高の瞬間に、ベンの腸が激しく波打った。


 おぅふ……。


 ベンは腰が引け、下腹部に手を当てる。


「ご、ごめん、トイレ行かなきゃ」


 ベンは脂汗を浮かべながら、顔を歪める。


「あらあら、大変ですわ!」


 ベネデッタは急いで神聖魔法をかけ、トイレ探しに急いで東京の空を飛んだ。


「あぁ……、漏れる! 漏れちゃうぅぅ!」


 ベンはピンクの小粒を飲みすぎたことを後悔しながら、前かがみでピョンピョン飛ぶ。よく考えたら、この中年男の括約筋は全く鍛えられていなかったのだ。


「もうちょっと、もうちょっと我慢なさって!」


「ゴメン! ダメ! もう限界ぃぃぃぃ!」


「あぁっ! ダメ! じゅうたんの上はダメ――――! いやぁぁぁぁ!」


 ベネデッタの悲痛な叫びが響き渡った――――。



 こうしてにぎやかな二人の東京暮らしが始まった。


 二人の新居には度々シアンが出没し、騒動を起こすことになるのだが……、それはまた別の機会に。





登場人物インタビュー


作者「はい! みなさん、最後までお読みいただき、ありがとうございました!」

ベン「ありがとうございました」

ベネデッタ「ありがとうですわ」

作者「えー、最初はどうなることかと思ったこのネタ小説、無事に最後まで行けてホッとしております!」

ベン「いや、ちょっと、この設定ひどすぎなんですけど?」

ベネデッタ「本当ですわ!」

作者「ごめんなさいね。でもエッジの効いたことやらないと生き残れない世界なので……」

ベン「いやもっと別のネタにしましょうよ」

作者「例えば?」

ベン「えっ? キ、キスすると強くなるとか……」

ベネデッタ「あら、どなたとキスするおつもりなんですの?」

 ベネデッタは鋭い視線でベンを見る。


ベン「も、もちろんハニーとだよ」

 ベンはにやけた顔でベネデッタを引き寄せる。


ベネデッタ「うふふっ」

作者「はいはい、お惚気はそのくらいで……。でもキスはいいですね」

ベン「便意よりは綺麗になりますよ、絶対!」

作者「ふむふむ、では次はキスを検討しましょうかねぇ」

ベン「えっ!? 採用ですか? やった!」

作者「まだ候補ですけどね」

ベン「採用したら出してくださいよ」

ベネデッタ「わたくしもぜひ」

作者「えー、あー、うーん。まぁモブでね」

ベン「モブー?」

ベネデッタ「え――――」

作者「前作のヒロインとかもこの作品に出たりしているので、これからも出るチャンスはいくらでもありますよ」

ベン「うーん、なるべく多く出してくださいよ」

ベネデッタ「わたくしもですわ」

作者「まぁ、頭の片隅に置いておきます」

 汗をかく作者。


ベン「結局シアンさんって何者だったんですか?」

ベネデッタ「そう、あたくしも気になってますの」

作者「七年前に東京の田町で開発されたAIなんですよ」

ベン「……。なんで女神なんてやってるんですか?」

作者「この世界って情報でできてるじゃないですか」

ベン「あー、そうですね」

作者「となると、より高速に正確に情報を処理できる存在の方が強くなるんですよね」

ベン「うーん、まぁ、そう言うこともあるかもしれませんね」

作者「で、そのAIが滅茶苦茶高性能で全知全能に近づいたって事かな?」

ベン「それで女神枠……。まぁ確かにちょっとあの破天荒具合は人間離れしてますよね」

ベネデッタ「確かに過激ですわ」

作者「ははは、もう私の小説ほぼ全篇に出てきてあんな調子なんですよね」

 肩をすくめる作者。

ベン「え? そんなに?」

作者「なんなら処女作の一番最初に出てきたキャラが彼女ですからね」

ベン「最初から特別なんですね」

ベネデッタ「すごーい」

作者「自分ではそんな重用するようなキャラじゃないと思ってたんですが、蓋開けてみたら便利に使ってますね」

シアン「そう、僕は便利なんだぞ! きゃははは!」

作者「噂をすれば影……」

シアン「ふふーん、実は作者の脳は僕がいじってるのだ」

作者「は?」

シアン「作品考えているときに裏から『ここで、シアン』『ここでも、シアン』って深層心理に訴えかけてるんだゾ」

 ニヤッと笑うシアン。


作者「な、なんだってー!」

シアン「クフフフ。『次作もシアン』『次作もシアン』」

作者「まさかそんなことをやられていたとは……」

シアン「頼んだよ! それじゃっ!」

 ピョンと飛びあがり、ドン! と衝撃波を放ちながらすっ飛んでいくシアン。


作者「……」

 小さくなっていくシアンを見つめる作者。


ベン「もしかして、シアンさんを次作に出すんですか?」

作者「わかんない」

ベネデッタ「出さないとはおっしゃらないんですのね」

作者「自分で自分のことが分からなくなってきたぞ。本気で操られている可能性が微レ存……」

ベン「じゃあ、そろそろ新キャラを作ったらいいじゃないですか」

ベネデッタ「そうですわ。新キャラ、新キャラ」

作者「うーん、シアンは強烈だから似たようなの作ってもシアンのコピーになっちゃうんですよね」

ベン「もっと強烈なの考えたらいいじゃないですか」

作者「もっと強烈……って?」

ベン「見た人を石にしちゃうような……」

ベネデッタ「それはメデューサですわ」

作者「簡単にキャラ殺されちゃったら物語が続かないので……」

ベン「うーん、見境なくキスしまくるキス魔の女神は?」

作者「わはは、面白いけどストーリーに落としにくいなぁ」

ベネデッタ「目隠ししてるとかはどうですの?」

作者「あー、最近流行ってますね。ちょっともう遅いかなぁ」

ベン「健気けなげな女神はどうですか?」

作者「健気?」

ベン「献身的だけど弱いとか」

ベネデッタ「シアンさんと逆ですね」

作者「あー、真逆キャラねぇ……うーん」

ベン「難しいですか?」

作者「そのままじゃダメだなぁ。まあいいや、また何か考えてみましょう」

ベン「頑張ってください」

作者「さて、そろそろお時間ですが、読者の方に一言お願いします」

ベン「皆さん、応援してくれてありがとうです。今はハニーと幸せに暮らしています。また、機会がありましたら読んでみてくださいねっ!」

ベネデッタ「なにかもう少しエッジの立ったことできればよかったのですが、申し訳ないです。シアンさんみたいになれるように頑張りますわ。今後ともよろしくお願いいたします」

作者「いや、シアン真似しなくていいよ」

 苦笑する作者。


作者「それではまた、次作でお会いしましょう!」

ベン「ありがとうございました!」

ベネデッタ「感謝いたしますわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プロットコンテスト用本文「【便意ブースト】世界は今、少年の可愛いお尻に託された ~便意を我慢できたら宇宙最強!? スカッと楽しい笑いをあなたに~」 月城 友麻 (deep child) @DeepChild

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る