後編

(……堂本浩一どうもとこういち……。あ、そうか。ふうん)

 どこかで聞いたことのある名前だなと感じて、しばらく考えると答が出た。

 とにもかくにも大事な物に違いない。なるべく早足になるように努めて、私は落とし主を追った。

 曲がり角を左に折れる。が、視界にはすでに落とし主の姿はない。

 遅かったか。でも――と思っていると、林立するビルの一つから、くだんの若い男性が小走りで出て来た。目線は下を向いていて、落とし物をしたことに気が付いている様子。ただ、私の存在は目に入ってないみたい。早めに声を掛けなくちゃ、気の毒だわ。

「あの、これ、落とされたみたいです」

 おずおずとした口調にならないようにしたつもり。相手にどう聞こえたかは分からない。けれども、伝わったのは確かで、伏せがちだった面を起こしてくれた。

 目が合って何だかもじもじした。が、それはほんの一瞬で、相手の視線はじきに私の手元に移る。

「あ、それ」

 五メートルほど離れていたのが、一気に縮まる。

「よかった。身分証明にいるのに、入ったところで、ポケットにないと気付いて、焦ってたんです」

 さっきまで険しかった顔つきが、心底安堵したものに変わる。柔和な笑みを見て、真面目そうだなという第一印象を抱いた。

「お役に立ててよかったです。それで、ちょっと中を見てしまったんですが」

 私は言わずもがななことまで口にした。普段ならしないのに、今は違う選択をしたのには理由がある。何故なら、私もこの人もここへ来た目的は同じはずだから。

「いえ、かまいません。落とし主を調べるために必要だろうし」

 相手――堂本さんはいささか早合点をした。その反応を肯定も否定もせず、私は続けた。

「堂本浩一さんて、本名だったんですね」

「はい。――え? その通り、本名だけど」

 一気に怪訝な色をなす堂本さん。いけない、警戒させてしまった。ちょっぴり洒落た風に切り出したかっただけだったのに。

「私、てっきりペンネームだと思っていました。ほら、二人組のアイドルに、字は少し違うけれどもいるじゃないですか。光る方のどうもとこういちさんて。あれを意識したんだろうなって」

「いや、たまたま本名が同じで。だいたい、ペンネームをつけるとしたら、既に有名な人の名前とはなるべく被らないようにしたい」

 答えながら、堂本さんは一生懸命考えているみたいだった。私の変な発言――「堂本浩一さんて、本名だったんですね」――の背景を。

 時間はまだたっぷりあるから、考えてもらっていいんだけど、ただ、場所がよくないかも。何せ、ビルの出入り口のすぐそばだ。大手出版社ともなれば、それなりに人の出入りが激しいと思う。

 種明かしをしようか、もう少し待とうか、迷っていると、堂本さんは不意に表情を明るくした。

「そうか。あなたはあれを見たんだ? F&Mの結果発表を」

 かなり察しがいい堂本さん。私は眼だけでうなずいた。

「あれを見たから、堂本浩一という名で書いている小説家のタマゴがいることを、あなたは認識していた。単に、落とし物の生徒手帳を拾ったら名前が堂本浩一だった、というだけならたまたま同姓同名だったという線もなくはない。だけど、落とした場所がね、文像社のすぐ近くときては、もう確信を持って言えるよね。目の前にいる、うっかり落とし物をする男が、あの受賞者の一人だと」

「はい、だいたいそんな感じです。最後の『うっかり』とかは思っていませんけど」

 こちらが答えると、堂本さんは短く笑った。そして紙袋の本を抱え直して、今度は私の姿をじっと見据えてきた。頭のてっぺんからつま先まで、というあれ。

「『私の顔に何か付いています?』――と聞き返した方がいい場面?」

 私は返事をした自分自身の声に、ちょっと驚かされた。いつになく弾んでいる。初対面なのに何故だか打ち解けた気分になっていた。

 対する堂本さんは、私の反応を目の当たりにして、私が不快に感じたせいと解釈したのかな。「ああ、いや、じろじろ見てごめん」と頭を掻いた。真面目さが顔を覗かせたのかもしれない。

 だけどそのあとに続けて彼が言い出した話は、とても面白かった。

「もしや、と思ったんだが、あなたがこれから向かう場所は、僕と同じなんじゃないかと。その、僕もあなたも、年齢に不相応なくらいにお洒落をしているから」

「――ふふ、当たり、です」

 あ、今の私ったらいたずらげな笑みを浮かべているに違いない、と容易に想像できた。

 堂本さんは堂本さんで、満足そうな笑みを見せた。推測が当たって嬉しいみたい。

「ということは、あなたも受賞者の一人なんですね?」

「はい。がんばりました」

「それは……おめでとうございます」

 祝福されてしまった。私ったら、よほど褒められたがりの雰囲気を醸し出していたのかしら。あ、こちらからも言わなくちゃ。

「堂本さんこそ、おめでとうございます」

 深々と頭を下げる。なんだか知り合いに久しぶりに会って、近況報告をしてるみたい。くすくす笑いそうになるのをこらえるの、結構努力しなければいけなかった。

「それで、あなたはどなたなんだろう?」

 最初に比べて砕けた口ぶりになっている堂本さん。私は質問の意味を、すぐには飲み込めず、首を傾げた。その直後に気が付いたのだけれども、堂本さんが口を開く方が早かった。

「僕の他に受賞者は三名。その内、女性は一人だけ……に見えるけれども、実際は分からないからなあ。逆の性別を思わせるペンネームにしたり、中性的な名前にしてみたりなんて、当たり前だから」

「折角なので、当ててみてくれませんか」

「それは無理ってものだ。何のヒントもなしになんて」

「いいから、とりあえず見た目で。選評も読まれたでしょう? それぞれの作品評から受ける作者のイメージで、考えてみては」

「うーん。難しすぎる……」

 軽い気持ちで聞いたのだから、軽い気持ちで答えてくれていいのに。考え込む堂本さんを見ている内に、心身のどこかに残っていた緊張が解けていくのを自覚した。

 最初のライバルになる人は、いい友達にもなれそうだ、って。


 終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タマゴたちはF&M賞の下に集う 小石原淳 @koIshiara-Jun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ