最終話 桜吹雪の下、きみと二人で


 三学期が終わり、四月一日。私と千聖くんは、近くの川沿いにある桜を見に来ていた。


 穏やかな陽気の、午前一〇時。鳥のさえずりや川の流れる音、木々が揺れる音が全て心地よく身体の中に浸透していく。


「今日いい天気だね。さすが花見日和」


 川沿いに、数千本の満開の桜が咲き誇り、あたり一面ピンク色。木々の隙間から漏れる日の光が桜をより一層輝かせて、濃いピンク色へと変化する。


「……すごく綺麗だね」


 思わず口をついて出た。


 景色を見ただけで心が動くって、いつぶりなんだろう。胸がすごくわくわくする。


「ね、ほんとに」


 私を優しく見据えて笑う。


 まるで子どもをあやすときのように穏やかな表情で、子ども扱いされているみたいで途端に恥ずかしくなる。


「みんな今日の天気を見て来たのかもね」


 花見日和だと思ったのか、あたりには次々と人がやって来る。ちょっとした混雑のようで、桜にばかり気を取られていると、うっかりとはぐれてしまいそう。


「ほんとだね、意外と多い」


 人を避けながら歩くと、手の甲に触れた何か。ただの偶然かと思って、気にしないでいると、手のひらに落ちてきた温もりに恐る恐る顔を見上げると、


「人多いから、迷子にならないように」


 スマートに私の手をとった彼に、どきどきと鼓動がうるさくて何も言えなくなる。


 現実では同い年。けれど実際は、一つ年上で。すごく大人っぽく感じて、彼の視線から逃げるように顔を逸らした。


 それからしばらく歩いていると、あちらこちらに屋台が出ていた。かき氷やたこ焼き、焼きそば、そしてお団子屋さんなど。そこで気になったものをいくつか買って、空いているスペースに腰を下ろした。


「いい場所あいててよかったね。ここなら桜も見れるし食べれるし最高の場所だね」


 楽しそうに笑う千聖くん。コロコロと変わる表情に私の心は解きほぐされて。


 さっきは大人っぽく見えたのに、今はなんだか千聖くん、同級生みたい。


 それが少しおもしろくて、思わず口元が緩む。


「じゃあ食べよっか」


 さっき買ったばかりの袋を開けて、シートの上に広げる。真っ先に千聖くんが取り出したのは。


「三色団子もあってよかったよね。花見といえばまずこれだもんね」


 ピンク、白、黄緑のお団子。春といえばの定番のやつだ。


「千聖くんのお花見って、桜より団子の方が割合多いんじゃないの」

「えー、そんなことないよ。花見と三色団子が揃うからいいんじゃん」


 子どもみたいな言い訳をしたあと、一本を私に手渡した。そして自分はぱくりと食べる。まるでこれ以上余計なことをしゃべらないようにお団子で口を封じるみたいに。


「あ、うま」


 一口お団子を食べた千聖くんの表情が、みるみるうちに変化して口元が緩む。


「やっぱり桜もいいけど団子も最高だなー」


 彼がおいしそうに食べるから、つられて私も一口食べる。優しい甘さが口いっぱいに広がって。


「おいしい」


 思わず口元が緩む。


 そうしたら、


「ね、やっぱ花見に団子は最高だよね」

「うん、そうだね」


 桜を見ながらのお団子は、すごくおいしかった。


「まさかこうして花見をするまでになるなんて思わなかったなぁ」


 ふいに、桜を見上げてポツリとつぶやいた千聖くんが、〝なにを考え、なにを見ているのか〟理解できた私は、


「……もしかして去年のこと?」


 聞かずにはいられなかった。そうしたら、肯定も否定もせずに表情を緩めて。


「バスケ人生を絶たれてから自暴自棄になって、何もかも投げ出して今に至るけど」


 おもむろに〝過去〟の話を始める。


 いつか聞いた話の続きを。


「念願の高校に入ってプロのバスケ選手目指してた。それしか俺にはないと思ってた」


 ──あの日も千聖くんは、私に話してくれた。つらくて苦しい過去を。


「だから怪我をしてバスケができなくなって、レギュラーも外されたとき。ああ俺の世界は終わったんだって思って絶望した」


 この世界のどこかで、私と同じことを思っていた千聖くん。


 それを知らずにお互い過ごしていた日々。


「生きるのも嫌になって自暴自棄になって学校も行かず町をふらついていたとき」


 そう言って、止まったあと私を優しい眼差しで見据えて。


「公園でひとりで泣いていた美月を見かけたんだ」

「……えっ?」


 〝泣いていた〟


 そう聞かされて、急速に記憶が手繰り寄せられる。


「公園で人目もはばからず、ひとりで」


 思い当たるのは、受験結果を知った一年ほど前のあの日だけだ。


「どうしたんだろうって思って声かけようと思ったんだけど、どうしても声かけられなくて」


 知らなかった。まさか誰かに見られていたなんて気づかなかった。あのときの私は、不合格だったその現実が苦しくてたまらなくて。


「俺が声をかけられずにいると、公園に遊びに来た女の子がいたんだ。でもつまずいて転んだんだ。で、急に泣き出して……」


 私以上に、その子が泣くから、私の涙は引っ込んで。


「そうしたら美月がその子のそばに駆け寄ったんだよね。〝大丈夫?〟って。そして手当てしてあげてたよね」

「……うん」


 目の前で転んで泣く女の子は、まるで自分と重なって見えた。それで見て見ぬフリができなかった。


「その姿を見て思ったんだ」


 そう言って、私を見て微笑んだあと、


「〝なにかつらいことがあって泣いていたのに、そんなときに誰かを思いやって優しくできるのはこの子が心の底から優しい子だからだ〟って」


 一言一句を丁寧に優しく息でくるむように紡いだ千聖くんの言葉に、恥ずかしくなって。


「なに、言ってるの……べつに私は、そんなに褒めてもらうほどいい人間なんかじゃ……」


 全然ない。むしろ、人を羨んで妬んで憎むような、醜い人間なのに。


「俺にとって美月はそう見えたよ。心が純粋だからこそ、自分が苦しんでいるのに誰かに優しさを分け与えてあげることができるんだって」


 そんなふうに褒めてもらったことがなくて、少しそわそわして落ち着かない。


「だから俺、この子のこともっと知りたいって思ったんだ。でも、名前も学校も知らなくて途方にくれたんだけど」


 名前も知らない私のことを、そんなふうに思っていてくれたなんて。


「偶然、学校ですれ違ったことがあって、あのときの子だって思ったんだ。まぁ当然美月は俺のこと知らないから気づくわけないし」


 少しいたたまれなくなって、「……なんか、ごめんね」と目線を下げる。


「ううん、全然大丈夫。むしろ俺、嬉しく思ったんだ」

「え、なんで……?」

「だってさ、何十万人何億人って人がいるこの世界で再会できるなんてまずないじゃん。だから、神様が俺にチャンスをくれたんじゃないかって思ってさ」

「か、神様……?」

「うん、だってほんとに偶然だよ。俺、すごい驚いて、だけどそれ以上に運命感じて」


 千聖くんは、〝偶然〟や〝運命〟って言葉をなんの躊躇いもなく使う。私は、そんなもの信じていなかったけれど。


 信じない。


 ──そう思っていたのに、少しくらい信じてみてもいいって思えるようになったのは、きっと千聖くんのおかげ。


「ある日の放課後、ふいに空を見上げたらさ、屋上が見えて。で、視線の先に女の子が映り込んで」

「……あ、それって」

「うん、美月のことなんだけど。もしかしてって頭をよぎったんだ。そう思ったら助けなきゃって思って」


 それで屋上までの階段を駆け上がってきてくれたんだ。


 あのとき千聖くんは、私に〝死ぬつもり?〟って聞いてきた。それも初対面で。


「あの言葉にはすごく驚いた、けど……」


 しかもそのあと、もしかしてすでに幽霊?なんて言われちゃったし。


「ごめん、咄嗟にあれしか出てこなくて……自分でもあとになって後悔したんだ。初対面であんなこと言ったから嫌われたかなって、少し、いやかなり後悔した」


 ──私が自殺すると思ったらしい。


 まあでも、屋上で暗い表情を浮かべていたら、誰だってそう思うのかもしれない。


「いきなりあんなこと言われたら誰だって警戒はしちゃうよ」

「うん、だよね。あのときの美月、猫みたいだったよね。すごく威嚇してたし」

「……猫じゃないもん」

「ううん、ほんとに。すごく全身の毛を逆立ててるみたいだった」


 威嚇? 毛を逆立てる?


「なに、それ……」


 あのときの私を動物で表現するってどういうこと。


 今なら笑い話にできるけれど、あの頃の私はすごく悩んで苦しんでいっぱいいっぱいだった。


「だけど、あのとき美月に声をかけることができてよかったって思うんだ」


 おもむろに私の右手に手を添えるから、変に意識して、どきっと鼓動が跳ねる。


「美月を一番に見つけたのが、俺でよかった」


 と、私の手を握りしめた。


「もうっ、なにそれ……」


 恥ずかしさでいっぱいになった私は、少し目線を下げる。


 千聖くんの最初のイメージは、軽い人だった。それもそのはず。初対面で〝可愛い〟なんて言っちゃうし、そのあともなにかと会うたびに歯の浮くような言葉を次々と言うから。できれば関わりたくないとすら思っていた。


 それに私と千聖くんは、対照的で。


 住む世界が違うと思っていたから。


 けれど、ほんとはそんなことなくて。千聖くんと私は、見えない糸で繋がっていたのかもしれない。


「俺、新しい目標見つけたんだ」


 桜が風によって巻い、ひらひらと落ちる中。


「何を見つけたの?」


 ふいに強い風が吹き、桜の匂いが充満して、私の髪を掬い上げる。


 そして、私に向かって手を伸ばした千聖くんは、


「美月を幸せにすること。それがこの世界に生かされた俺にできることだと思うんだ」


 と、言って私の髪を一掬いする。


 まるでドラマのワンシーンのような空気に、言葉に、胸がときめかないわけがなくて。


 胸がきゅっと苦しくなった。


「嫌になることだってあるし、打ちのめされることだってある。またこの世界に嫌になることだってあるかもしれない」

「……うん」

「でも生きる上でつらいことは付き物だ。それを乗り越えて初めて人は強くなれるんだと思う」


 ほんとは、十七歳の千聖くん。

 けれど、今は十六歳の千聖くん。


 きっと、私にも想像のつかないほど苦しくて壮絶な人生を歩んできたに違いない。


「同じ苦しみを経験しているからこそ、わかり合うことができるし支え合うことができる」


 花見をしにやってきた人たちの中で、こんなに重っ苦しい過去を話す私たち。


「つらい過去を経験してる俺たちだからこそ、きっとこれからの人生は明るい日々が待っていると、そう信じたい」


 けれど、誰も私たちのことを気には留めない。


 ここには、たくさんの人がいる。


 世界には、何万、何十万と人がいる。


「俺には美月がいる。そして美月には俺がいる。俺たちは一人じゃない。一番自分のことを理解してくれる人がすぐそばにいるんだ」


 私たちがどう過ごしてきて、どんな苦しみを経験してきたかなんて関係ない。


 それが当たり前の世界。


「千聖くんが味方……?」


 けれど、たった一人それを理解してくれる人がいる。優しく手を差し伸べてくれる人がいる。


「それってなんか、心強いね」


 それだけで私は、無敵になれたような気分になる。


 そして、


「これからは、俺と一緒に過ごしていこう」


 優しく握りしめる。


 だから、私もきゅっと握り返す。


 この世界は、暗くて苦しくてつらいものだと思って人生に諦めていた私。


 けれど、千聖くんと出会って過ごすようになって、知らない景色や光景、言葉をもらって。そして、恋を知って。


 千聖くんは、私にとって命の恩人。


「きっと俺たちの未来は、明るくて楽しいことばかりだ」


 気がつけば、花見に団子どころではなくなって、しんみりとした空気が漂う中。


「そう願って、一日一日を大切に過ごそう」


 千聖くんが穏やかに笑うから、私も自然と笑う。


「うん、うん……!」


 うららかな春の陽気。午後十四時過ぎ。


 去年は、受験に失敗して花見どころではなかったけれど、今年の春はそれが一変する。

 まさかこんなふうに誰かと一緒に過ごすなんて思いもしなかった。しかもそれが異性だなんて、誰が想像しただろう。


「これから紡ぐ時間を大切にして、そして二人で幸せになろう」


 千聖くんが笑うから、


「……うん、幸せになりたい。千聖くんと二人で一緒に」


 私は、その言葉に大きく頷いた。


 きっとこの世界の誰よりも幸せになることを欲している。


 今までは、幸せになることを諦めていた。


 けれど、千聖くんとなら私の願いは叶う気がした。


 この広い世界の片隅で、今日も私は生きて。そして、明日も生きてゆく──。


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広い世界の片隅で、明日もきみは生きてゆく。 水月つゆ @mizusawa00

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