ギフト
麦直香
本編
クリスマスは毎年憂鬱になる。
それは恋人がいないからだとか、家族と過ごせないからだとか、クリぼっちで何もしても虚しくなるからだとかそんな学生じみた理由なんかじゃ、断じてない。
「ふわああ~、筋肉痛全然治んないや」
彼女――鹿沼刑事の12月25日は終日勤務が近年常態化していた。
世間はクリスマスムード一色らしく、現場に向かう車内からは、ライトアップされ始めた大通り沿いに多くの人が集まっているのが見えた。
せめて刑事という職業に就いていなければ、と時々思う。
別に仕事嫌いなわけでもないし、かといってワーカホリックな訳でも無いのだが、大多数の人が休みを謳歌している中で仕事に励むのは虚しい。それに今年の四月から階級が上がって巡査部長に昇任したせいか、任される仕事が確実に多くなっている。だから最近は、支柱に巻き付く
28歳でこの有様だというのに、この先どうなってしまうんだろうか。
パトカーで事件現場に到着したのは、夕陽がビル間に消えていく頃だった。バディを組んで一年になる野口は、なぜか顔を異様にこわばらせていた。
彼は寡黙で仏頂面なところがあるから、そういう姿を見るのは珍しい。
現場は都心からほど近い高層ビル。黄と黒の物々しいKEEP OUTのテープ線をくぐり抜け、最上階のオフィスへと非常階段で駆け上がる。
やっとのことで現場に到着すると、数人の鑑識が現場保存の作業をしていた。といっても、特に注目せず見ただけでは終業前の会社と変わらない有様だった。
「一切汚れのない壁、磨かれたフローリング、そして埃のないクロスの上に派手なプレゼントボックス……怪盗OXの犯行でしょうね、間違いありません」
野口は部屋を見回しながら淡々と察知した情報を伝える。
「指紋鑑定の結果はどう?」
「鑑識いわく、一切残されていないと」
「……それじゃほぼ間違いなくOXね。ハァ、まったくわざわざこんな日に盗みやるとか悪趣味の極みでしょ。私の貴重な休日返せっての」
怪盗OX――。
別名・現代義賊と呼ばれるヤツの素性は謎に包まれている。
毎度どこからともなく颯爽と現れ、いかにも高級感あふれる豪邸か建物に忍び込み、高級そうな品々を根こそぎ奪い取っていき、国内各地のドヤ街や児童養護施設、更生保護施設等にばら撒く。
やっていることは無論全て犯罪なのだが、金品を奪う対象が最近不祥事を起こした大企業だったり、暴力団との癒着疑惑のある某俳優だったり、援交スキャンダルで大炎上した国会議員だったり、いわゆる財力のあるロクでなしばかりであるため、一部の週刊誌やジャーナリストからはカルト的な人気を誇っている。
「何を言っているんです。こんな日こそヤツは実行に移すものです。今までの事件録も調べ上げましたが、そのほとんどが土日、またはハロウィンやW杯、衆議院選挙の期間中などイベント時期に集中していました。それに加え、その時々のラッピングの色は赤、緑、紺青、琥珀、そして――」
「まさかソレ、全部野口くんが調べ上げたの?」
彼の右手にはボロボロに使い古された黒手帖が握られていた。
形状こそ丈夫な革のおかげで原型を留めているものの、びっしりと紙面はボールペンのインクで書き尽くされている。しかも刑事には珍しい美文字に鹿沼は驚いた。
「これくらい当たり前です」
野口はため息まじりに言い切った。
「俺はOXをこの手で引っ捕らえるまでは、何でもしますよ。ヤツは証拠を全くといっていいほど残しませんが、あの手がかりがある限り、我々は戦えます」
部屋の奥にある長テーブルの上――彼の視線は、やけに装飾の施されたプレゼントボックスを捉えていた。
「今回は何が入ってるんだろうね」
「……先輩、ふざけているんですか。この確認作業は鑑識の方にわざわざ許可を貰い、我々警視庁がやらせていただく作業です」
「だって、アイツが毎回この箱に入れるモノわかってる?」
プレゼントボックスはOXが唯一、犯行現場に残す証拠品だ。そして箱の中身にあるのはきまって食べ物だ。それ以外は何も同封せず、ただ和牛肉だったり、宅配ピザだったり、フランスパンだったりがランダムで鎮座している。
「関係ありませんよ。先輩と俺はただ箱の中身をチェックして、その情報を本部に送るまでです」
そう言って、野口はリボンを切断した。プレゼントボックス一つにここまでやるかという凝り様だ。みるみるうちにフタが開かれ中身に近づいていく。
「え…これ」
「……ブッシュ・ド・ノエル。ブッシュ・ド・ノエルで間違いないですね」
鹿沼はその名を心の中で反芻する。
名前は知らない。でもどこか高級感溢れるケーキだ。キャンプで使う焚き木のようなチョコレートケーキに木々や人のフィギュアが立てられ、周りには粉砂糖がふんだんにまぶしてある。
「先輩、その箱…あとで署に持ち帰ることにした方が…いいと自分は思います」
「当然でしょ。正直コレから分かる情報なんてほとんど無いだろうけど、大事な証拠品なんだから」
鹿沼はブッシュ・ド・ノエルを慎重にもとの箱へ戻そうとした。
ケーキの乗った台に手を掛けたとき、運ぶ途中で崩れ落ちたのか、チョコレートプレートの欠片が箱の奥に落ちているのを彼女は見つけた。
鹿沼はそれを拾い上げる。
表面にはホワイトチョコソース。――いや違う。
ただのソースではない。
何か、文字が見える。
「あ、それ……」
「Happy Christmas !! Dear my ho……ってちょっと! これOXの新しい手がかりなんじゃないの? アイツってたしか料理以外、プレゼントの箱には何も入れないはずでしょ?」
「そうですね……たしかその筈です」
プレゼントボックスという派手な犯行証拠を残すOXといっても、箱の中に残すのは食べものだけだ。食べ物以外の、しかも具体的なメッセージプレートを残していったのはこれまでとははるかに違う進展である。
よく目を凝らしてみると、箱の中にはまだメッセージプレートの欠片が沢山散らばっていた。数にして三十はあるだろう。
「早速、鑑識さんに報告してくる。もしかしたらヤツを逮捕できる材料になるかもね」
「……ええ、そうかもしれませんね」
野口は目尻を下げて外の摩天楼に目をやった。
☆
「そういえば、野口くんはクリスマスの予定なにか無いの?」
二人して部署に戻ったのはテレビのゴールデンタイム帯に差し掛かる頃だった。今頃クリスマス関連の大型特番が各チャンネルで始まっているのだろう。鹿沼の暮らすアパートにはテレビは無いし、実家で最後に見たのはもう十年も前に遡る。
コンビニで購入した、コーンスープ缶を飲み干した野口はちらっと鹿沼を一瞥した。
「変だと思いますか? 警察入って一年ちょっとの新人なのに、休日返上で働いていることが」
「いやそういう訳じゃないけどさ……その、なんていうの、OXの件といい今どきあんな上昇志向高い新人見かけないんだよねぇ。キャリア組は当たり前だけど、嫌でも出世レースに巻き込まれるものだから『早く昇任してやる!』って思いは強い。でもノンキャリアの私達は、死に物狂いで働いても、警部が平均的な階級になるみたいだし、あんまり出世欲ない人が大多数。だからこういう時期は、休みを入れたがる人が特段増えるみたい」
いわゆる幹部候補生で入庁するような一握りの人間と違い、鹿沼たちは中堅大学出のノンキャリアだ。定年までひたすら現場に赴くことが多いから、その多忙さに昇任欲を削られるどころか、早期退職したり速攻で転職するなんていうケースも珍しくない。
「…先輩は?」
「え」
「先輩はどうしてクリスマスでも働いているんですか? 過ごす相手もいないのに」
「ちょ、急に心抉られること言わないで」
「それは失礼しました。先輩、いかにも」
前々からそんな気はしていたが、やはりこの後輩に融通は効かないらしい。鹿沼は胸ポケットから電子タバコを取り出した。
体に悪いのは重々承知だし、昨年はじめて人間ドックに引っかかったが、ショッキングな発言を忘れ去るにはちょうどいい。
「手当」
「……はい?」
フウゥっと主流煙が片付かない部署の雑多な空気と混ざり合う。
「お金が多く出るの。普段より2%くらい割増だけどね」
「それがどうかしたんです」
ウフン、ウフンと鹿沼は息も絶え絶えにむせ始めた。
喫煙者ではあるけれども、吸い始めたのはまだ一年前だ。
「だってわたし、そんなに何か欲しいとか、こういうことを将来したいとか無いから。目の前の仕事をひたすらこなしていくので精一杯だよ。毎日家事して、朝食抜いて代わりにエナドリでキメて、おっさんだらけの職場来てさ、偉いと思わない?」
「それは勤務としての最低レベルの行動だと思いますよ」
野口は荷物をまとめ始めた。最後に食べ残しのパンと手帳を引っ掴んで、迷彩色のバックパックに放り込む。
「先輩がそれほど仕事意識の低い人だとは思いませんでした。本日は失礼させていただきます。遅くまでの作業ならここに毛布置いておきます」
「…はっ!? ちょっと今のどういう意味よ、ねえどこ行くの! 」
刑事課を出ていこうとする野口が止まった。
「家系ラーメンです。ムシャクシャしているので頭温めてきます」
☆
冬の都心を歩くのは鹿沼にとっては久々だった。昨年の冬は数年規模で捜査していたある事件の案件で、ずっと署に詰め込んで作業していたからだ。
「DOG StaR……DOG StaR……お、あったあった」
店は、総務部で警察学校同期の女友達に特定させた。今夕のOXから届いたブッシュ・ド・ノエルはここで作っているらしい。
店内に入ると客は鹿沼一人だけだった。
「いらっしゃいませ」
灰のあごひげを生やした主人らしき男性が目に入る。
ここに来たのは、情報収集……というのは半分建前で半分本音だ。運悪く鑑識に回される羽目になったブッシュ・ド・ノエルを食べられるなら食べておきたい。
「夜分遅くにすいません。警視庁の者です」
警察手帳をダッフルコートの胸ポケットから取り出す。
こうして、いかにも警察とは無縁そうな人に警察を名乗るのは、問答無用で恐怖を与えてしまう瞬間であまり鹿沼は気分がよくない。
「つかぬことをお聞きしますが、今日営業していた中で、どなたか不審な人物を見かけませんでしたか? 」
「はぁ……、不審な人はちょっと見なかったかなぁ」
「そうですか、すいません突然お訊ねして」
私は短く礼をした。帰ろうかと思ったが、やはりこの洋菓子屋のブッシュ・ド・ノエルが気になった。ショーケースの前に中腰になると、目の前にあのブッシュ・ド・ノエルが鎮座していた。
「刑事さん誰か人探しでもしてるのかい。あぁ、でもこういうことは機密事項っていうんだっけ? あんまり言っちゃいけないようなことだったかな」
「いえいえ! そんなことは無いです!実は近辺で、その、怪盗OXと名乗る人物による窃盗事件が発生したのですが、現在のところ有力な情報が得られていないんです。なので、こうして現場近辺の方々にお声掛けさせていただいている次第で」
主人は事件、の言葉で目を見開いたものの、すぐに腕組みをして考えだした。
「あ、もしかしたら違うかもしてないんだけど」
「何か思い出したんですか!」
バックパックのファスナーを開けて、メモ帳を取り出した。こういう時に野口のような手帳が欲しいものだと鹿沼は思う。
「なんかね、お昼過ぎだと思うんだけど刑事さんよりも年下の、迷彩柄の大きなバックパックを背負った男の子が来てね、いま刑事さんの下にあるブッシュ・ド・ノエルを買っていったんだよ」
へ?と一瞬頭が思考をやめた。
まさか、いやそんなはずはない。あの手帳の書き込み具合からして、実行犯本人な訳がない。
「……そのとき、なにか主人に言っていたことはありませんか?」
「あんまり覚えていないけど、たしか女の先輩へのプレゼントとか言っていたかな。男の子なのに女性に洋菓子をあげるとか、あんまり聞かないものだから少し変かなと思ったけど、でもね――」
「でも?」
主人はひとつ息をついて、
「ブッシュ・ド・ノエルを受け取るとき、彼の目が子どもみたいに輝いた目をしていてね、女性の話が嘘か本当なのかわからないけど、本当だったらきっと心から尊敬できる人なんだろうねえ」
鹿沼はメモ帳をそっと閉じて、ダッフルコートにしまった。
そして、彼の購入したブッシュ・ド・ノエルを買う。外に出ると、あたりは完全に暗闇で主人もそそくさと閉店準備に取り掛かっていた。
ふと、注射の前に小さく塗られるアルコールに似た、ぶるるとした冷風が吹き付ける。彼は今頃、ラーメンを食べ終わって胃もたれしている頃だろうか。
彼がこの同じ風を受け止めていればいい、と鹿沼は小さく微笑んだ。
ギフト 麦直香 @naohero
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