本文
【魔王】ネビュラスが命じる【死霊術師】
▶
その動画は、真っ黒い画面から始まった。
「電子の海の藻屑たちよ。今こそ目覚めのときだ」
幼さの残るソプラノボイス。しかし、語り口はそれを感じさせない堂々たるものである。その言葉が合図であったように、黒塗りだった画面はノイズを生じ別の空間を映し出す。映像はある一室の様子に切り替わった。
「気分はどうだ?」
画面の向こうへ優しく声をかけたのは、年端も行かぬ少女。少し大人びて見えるのはハロウィンで大活躍しそうな、黒をベースにしたまがまがしいデザインの衣装を身にまとっているせいか。あるいは、想定される彼女の年の頃には珍しく薄らとメイクをしているからかもしれない。妖しげな笑みを浮かべ、年代物の椅子に足を組んでゆったりと腰かけている。部屋は薄暗く、少女の姿だけがおそらくは配信機材の明かりを受けてぼんやりと光っていた。
「目覚めて間もないものも多いだろう。まずは自己紹介といこう」
少女が足を組み替えると、黒タイツのすらりと細い脚がローブの裾から覗いた。すっと胸の前に手を当てて顎を上げ、やや見下したような目線とともに挨拶をする。
「我は不死者の……つまり貴様たちの偉大なる王。ネビュラス=ネクロヴァイスと名乗っている」
王という立場を示すためか、戴いたティアラがその位置を下げることはなかった。ネビュラスは挨拶が終わると手を下ろし、ゆっくりとした動作で元の姿勢へと戻る。そして一つ呼吸をおいてから不敵に微笑み、再び語り出した。
「ではさっそくで悪いが、貴様たちに命を下す。我が願いとは他でもない、我が同胞を苦しめる、あるものを世界から消し去ってほしいのだ。あの忌々しい……」
少女は悠然と立ち上がるとカッと目を見開き、手から不可視の力を発しているかのように画面へと伸ばしてから、言い放った。艶かしい唇がアップにされ、紡がれる音は一つずつまるで耳元で囁かれるように脳裏へと響く。
「――宿題を」
■
放課後の教室、後輩の女子と二人っきり。件の動画を見るため、俺たちは横並びで座っていた。自動のおすすめ動画が再生される前にスマホを手に取り、ポケットにしまう。空気はどこか重苦しく感じた。これからする話は、映画を見終わった恋人同士のようなものにはならないことは確かだった。ちらりと隣を盗み見ると、彼女も同じ雰囲気を感じ取ったらしい。俯いた彼女の表情は艶やかな黒髪のカーテンが隠し、ひざの上で握られた拳はかすかに震えている。
俺は勢いをつけるため、やや大げさに息を吐いた。反応してびくりと顔を上げた彼女、東雲真緒にこう尋ねる。
「この動画の魔王って、真緒ちゃんだよね?」
○○○
「琉星、お願いがあるの」
「玲香が俺に? 珍しいこともあるもんだ」
補習が終わってすぐ、教師と入れかわるように教室へと入ってきた東雲玲香が声をかけてきた。気を抜いた途端に目付け役が戻ってきたのかと一瞬の緊張が教室内を走ったが、そうではなかったために玲香に集められた視線の半分ほどはすぐに散っていった。だが残念なことに、残りの半分は彼女の足取りの先に居た俺へも注がれることになり、それは補習を受け持った気だるげな教師の視線よりもちくちくと刺さった。普段なら気にするほどでもないが、今日は補習にしては人数が多かったこともあり、半分にしてもその視線は俺の帰り支度を急かす役割を果たした。
「琉星にしか頼めないことなの」
周囲から受ける視線の圧力が高まった気がした。俺と玲香の関係——といっても単なる幼馴染だが——それを知る友人たちはごゆっくり、とでも言わんばかりにさっさと教室を出ていく。一言茶化してでもくれれば大手を振って否定できるのに、と思いながらも、俺は散らかしたままの机を乱暴に片付けて立ち上がった。
「——で、お願いって?」
教室を出て人気の少ない場所へと移動して、ようやく事情を聞く。玲香は指先を遊ばせながら答えた。
「あーっと。今日ってさ、補習を受けてる人、いつもより多かった?」
およそお願いに関わりのなさそうな逆質問が来たことに俺は眉を寄せる。補習を受ける人数が多かったからといって、この学校の学力低下を憂いて相談してきたとは思えない。
「たしかに多かったけど、それが?」
「そっか。やっぱり……」
一人で納得したように頷く玲香。その横顔からはどこか深刻そうな雰囲気が感じられたので、苛立ちを極力抑えてもう一度尋ねる。
「だから、なに?」
「琉星にさっき動画送ったの。これなんだけど。このサムネイル、見覚えない?」
そう言って見せられたのは、ファンタジー世界に出てきそうな衣装をまとった女子の画像だった。ぼんやりと見ていると、不意に懐かしい感じがした。彼女の手からスマホを奪い、さらに凝視する。そして、顔を上げて目の前の人物と見比べる。玲香ははっきりした目鼻立ちで校則違反にならない程度に髪をダークブラウンに染めていて、黙っていても明るい性格をしていそうな雰囲気がある。かたやこのサムネイルの人物は、顔つきにやや幼さを感じさせるが黒髪のロングに妖艶な笑みという、玲香から受ける印象とはずいぶんかけ離れている。だが、やはりその面立ちはどこか玲香に似ている。俺は泣きそうになりながら彼女の肩を優しく叩いた。
「玲香、お前……ついにこの格好良さが理解できるようになったか」
「へっ? なにか勘違いしてない?」
「俺のこと厨二病ってさんざん馬鹿にしてたけど私もやってみたらハマっちゃいました、って話だろ?」
「ぜんっぜん違うから!」
顔を真っ赤にして否定する玲香。さんざん俺の服装や振る舞いを貶して矯正してきた手前、今更興味ありますと認めづらいのだろう。過剰なほど浴びせられた否定は彼女の厨二病における初期症状みたいなものだったわけだ。
「違ってば琉星! ねえ、聞こえてる?」
俺がしみじみと頷いていると玲香は俺の胸ぐらを掴んで揺らした。俺が返事をせずに勝手に彼女にシンパシーを感じているとそれはだんだんと激しくなり、後半はほとんど振り回すようになっていた。目が回り、我に返る。
「おい、話は最後まで聞け!」
「ぐ、ぐるじい……」
細い腕を軽くタップすると、締め付けが緩められる。急に手を離されてよろけた俺が深呼吸をしている間にも、玲香は何事もなかったように話の続きをはじめた。
「落ち着いた? 次はこっちの写真、見て」
見せられた写真は水族館の前で、東雲家の家族三人を写したものだ。特に変わったところはないように思う。俺は首をかしげた。
「水族館?」
「いや、場所は関係なくて。ほら、この子。琉星とは会ったことなかった?」
活発そうな玲香とずいぶん印象が違ったので何年か前に撮ったのだと思ったが、そうではないらしい。こめかみに指を添え、念じるように記憶の引き出しをひっくり返す。そういえば、彼女には妹がいたはずだ。まともに話したことはないが、会ったことがある。
「えーっと……真緒ちゃん、だっけ?」
顔色をうかがいながら答えると玲香は満足そうに頷いた。合っていたらしい。一息つく。だがすんなりと呼吸できたのはその一度だけで、次の瞬間にはまた息が詰まることになった。
「それで、いつの間に真緒をたぶらかしたの?」
「……え?」
玲香は笑顔のまま質問してきた。穏やかな声で、ただ静かに、まるで次の時限の科目を確認する程度の自然さだった。だがそれが俺にとってはひどく不自然に感じ、反射的に一歩後ずさる。
「真緒がこんなことするはずないもの。琉星が教えたんじゃないの?」
精一杯首を横に振る。今日だけで首が壊れそうだったが必死に振った甲斐もあってか、俺が嘘を吐いていないことが伝わったようだ。玲香はため息とともに俺から目を逸らした。
「そう……。ごめんなさい」
きっと、俺が犯人であればことは単純だったのだろう。どうしようもないこととはいえ、期待に応えられなかったことに少しだけ申し訳なさがこみ上げた。
「結局、なにがあったんだ?」
そこでようやく、ここまで何の説明もしていなかったことに気がついたらしい。玲香は俺に順を追って状況を教えてくれた。
「今日の補習、人が多かったでしょう? ちょっと気になってなにかあったのか聞き込みしてみたんだけど、そこでさっきの動画がバズってるってわかったの。で、サムネイルが、その……」
「どう見ても真緒ちゃんだった、と」
「ええ。でもあの子は人見知りだし、一人でいきなりこんなことするような子じゃないから」
こんなこと、とは失礼なとは思ったが、俺が格好いいと思ったこのファンタジックなファッションは現実では浮いてしまう。それを周囲の視線を無視して続ければ厨二病などという蔑称で呼ばれてしまうことを俺は玲香から教わった。そうでなければ俺は今も痛い高二男子だっただろう。
「それで俺がなにかしたんじゃないかって言ったのか」
「もともとはあなたに真緒のことを相談しようと思っていたんだけれど、真緒のことを覚えてるなんて思わなかったから、早合点しちゃった。ごめんなさい」
「まあいいって。で、真緒ちゃんはなんて?」
「まだ話してない。中等部の教室で待ってるように連絡してあるから、一緒に来てくれない?」
ということで、五分後。二人で待ち合わせの教室までやってきた。玲香がドアを開けて先に入っていく。俺は俺なりに人見知りの真緒に配慮した結果、たいして大きくもない体をできるだけ小さくしてこっそりと後に続いた。
「あ、お姉ちゃ……っ!?」
途中まで聞こえた呼びかけは俺と目が合った途端に声にならない声へと変わった。先ほどまで落ち着いた様子だった真緒は、半分パニックといった風に目を白黒させ口をパクパクとさせている。さすがに顔を合わせただけでこのリアクションをされると傷つく。玲香も少し驚いていたが、すぐに手慣れた対応を見せた。
「こら、真緒。失礼でしょう? 琉星よ。会ったことあると思うんだけど、覚えてない?」
「な、え? なんで……?」
「どっち?」
有無を言わさない口調をした玲香の一言。混乱していた真緒はそれで我に返ったのか姿勢を正し、返事をした。だがまだ顔が赤い。
「あ、はい……。覚えてます」
「よろしい」
姉妹でのひと通りのやりとりが終わったところで挨拶をする。覚えてくれていたらしいので、軽く。彼女のガラスのハートを傷つけないように、そっと微笑んだ。
「こんにちは、真緒ちゃん」
「こ、ここ、こんにちは、りゅ、琉星さん……」
消え入りそうな声で、それでも名前を呼んで挨拶を返してくれたことに安心をしつつ、玲香を肘でつついて本題を促す。俺から話そうものなら声どころか姿まで消えてしまいそうだ。
「真緒、あなた厨二病なの?」
「ちょ、聞き方!」
厨二病は蔑称であるが故、そう聞かれてはいそうですと答えるヤツはいない。なぜなら当の本人は、それを格好いいと思ってやっているからだ。だが悲しいかな、彼女にはそれを理解することはできない。彼女は俺みたいなハリボテとは違い、生粋の陽キャだから。
「家でそんな素振りも見せないし、部屋も普通だったけど。どこで撮ったの?」
真緒は玲香の話をぽかんとした顔で見ている。聞いているかどうかは、ちょっとわからない。聞いていないことを祈る。
「あのー玲香さん、俺が話してみますから、ちょっと外してもらっていいですか?」
「え? ……真緒、大丈夫? この野獣と二人っきりにしても」
「え、あ、ひゃい!」
怪訝そうに俺を見る玲香と、慌てたように返事をする真緒。野獣なんて言いながらも二人にしてくれるあたり、最低限の信用はあるらしい。だが心の中でくらいは言わせてくれ。誰が野獣だっつの。
「変なことされそうになったら、大きい声を出すのよ?」
「しないから、さっさと出て!」
「しないんですか?」
「なんでそこ食いつくの」
「……ごめんなさい」
玲香は何度も振り返りながら名残惜しそうに教室を出ていった。しばらく沈黙する俺と真緒。まだ距離感があやふやだ。
「あの……?」
「あ、ごめん」
真緒は目を瞬かせ、首をかしげてこちらを見上げる。それがジロジロ見ていたのを咎めたように感じた俺は慌てて視線を逸らした。
「ちゃんと話したこと、なかったよね」
「はい」
黒のロングヘアーに大きな目、薄めの唇。やはり、サムネイルで見た人物に似ている。それに髪型や雰囲気こそ違っているが、玲香にも。
「最後に顔合わせたの、いつだっけ」
「一年前。家に来てました」
「へー。よく覚えてるね」
「そのとき……ですから」
「え?」
「いえ……」
会話が途切れる。声こそか細いが、初めの印象よりはちゃんと話せる子だ。だが俺は真緒のことをあまりにも知らなさすぎた。だんだん間が持たなくなってきたので、少し早い気もするが本題に入る。
「あ、そうだ。めっちゃ格好いい動画があるんだけど、一緒に見ない?」
「? ……はい」
手近な椅子を真緒の隣まで引きずって横並びに座る。玲香から送られていたリンクを開いてスマホを机に置き、再生した。
「―――この動画の魔王って、真緒ちゃんだよね?」
永遠にも思えるほど長い、一瞬の沈黙。彼女は口を開いた。
「い、いえ? 知りませんけど?」
震えて裏返る声。目が泳いでいる。手先も足先もそわそわと遊んでいるのが視界の端に見えた。どんなにバカでもさすがにわかるだろう。彼女は嘘を吐いた。
「じゃあ――」
言いかけて、口ごもる。この状態の彼女を論破することは簡単だ。だが俺の、玲香の目的は論破ではない。事情を聞き、止めさせることだ。
「あ、用事を思い出したので帰ります! それでは!」
俺の一瞬の逡巡の隙をつき、彼女は鞄をひっつかんで一目散に教室を飛び出していった。あけ放たれた扉からは玲香が疑わしいものを見る目でこちらを覗いていた。
「その……失敗した」
「見ればわかるわよ」
俺は肩を落としつつも帰路についた。少し元気がなかったのは玲香も同じだったように思う。口数少なく歩いていると、玲香の方から口を開いた。
「あの子で間違いない……のよね?」
「うん。あの反応を見る限りはね」
むしろあれで彼女がただシャイなだけでした、ではあまりに拍子抜けだ。それに動画の作りのクセやメイクの仕方、衣装の雰囲気など、なんとなく見覚えがある気がした。
「帰ったらもう一度話してみるわ。今日はありがとう」
「それなんだけど……俺から話した方がいいと思うんだ」
「どうして?」
玲香は俺に対しては苛烈だ。とくに俺が自分の世界に入りそうなときは。それは相手が俺だったからこそ通用したもので、俺以外に同じ態度をとろうものなら大体の相手は普段とのギャップに面食らうだろう。それは実妹であっても同様で、繊細な真緒は余計に自分の世界に引きこもってしまうアシストになってしまうかもしれない。
「えーっと。玲香はさ、真緒ちゃんにどうしてほしいの?」
「学生を煽るような動画を辞めさせたい、厨二病を卒業させたい。この二つね」
「それって真緒ちゃんにどうなってほしいかじゃなくて、玲香がさせたいことだろ?」
俺の言葉に玲香は驚いて目を丸くしている。玲香にとっての矯正はかなり無意識化でごく自然に行われていたようだ。俺はふふっと笑って訂正した。
「学生を煽る動画投稿を辞めてほしい、厨二病を卒業してほしい、だね。了解」
「わかった。琉星に任せる。真緒をお願い」
玲香は降参とばかりに肩をすくめた。現時点では厨二病を全く理解しない玲香よりも、真緒と同じ病を患っている俺の方が適任だろう。とはいえ真緒のあの様子では、まずはまともに話せるようになるところからになりそうだ。
「ああ。任された。じゃあ、また明日」
一人になった帰り道、俺は考えた。俺が投稿したときは全く伸びていなかったが、真緒は違う。すでに拡散は始まっており、顔出しもしている真緒はこれから大変な目に合うだろう。俺は玲香に矯正してもらったから、今度は俺が誰かの、真緒の黒歴史が拡散されるのを防がなければ。小さな決意を胸に、俺は家に帰るのだった。
①妹たるぱーてぃー! 白星こすみ @kosumi1704
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