第3話 花びらの便り
「……なつかしい」
麻ちゃんがつぶやく。
どこにも寄り道せずに、まっしぐらに部屋に帰った僕らは今、いつも二人でおしゃべりを楽しんだリビングにいる。
「そんなに何年もたってるわけじゃないのにね」
麻ちゃんがかすかに笑う。
「そやね。まだ、そんなに経ってない」
麻ちゃんが旅立ってから、僕は初めのうち、毎日カウントせずにはいられなかった。……彼女のいない日数を。
さみしくて。
会いたくて。
会えなくて。
もう一度会える日を指折り数えるみたいに、カウントしていた。
でも、あるとき、気がついた。
彼女の去った日にこだわり続けて数えた日数は、一日一日増えてゆく。その増えてゆく日数分、彼女が遠くに行ってしまう。そんな気がした。
だから、僕は、数えることをやめた。
過去も、今も、そしてこれからも、彼女は、僕の中にいる。
そうしたら、僕と彼女の間にある境界は、曖昧になるような気がした。
僕は、リビングのローテーブルの上に、花びらを挟んだ手帳を載せて、そっと開く。花びらが微かに揺れる。
「麻ちゃん。お帰り」
「ただいま、大ちゃん。あのね」
「うん?」
「今回はね、お知らせなの」
「お知らせ?」
「そう。お知らせ。だから、……長くはいられないの」
僕が、たちまち顔を曇らせたのを見て、麻ちゃんが慌てたように付け足す。
「でもね。いいお知らせだから」
「そうなん?」
「私ね、わりと早く戻ってこれるかもしれない」
「ほんま?! いつ? いつ戻ってこれるん?」
「ごめん。日はわからないけど。でも、そう遠くはないよ」
そして、麻ちゃんは、扉の向こうの世界のことを、少しだけ話してくれた。
向こうの世界では、前に、麻ちゃんが手紙でこぼしていたように、親切な案内表示はなくて、かわりに、また別の扉がいくつもあって、そのうちのどれかを自分で選んで進むのだという。
麻ちゃんが選んだ扉は、運良く僕のいるこの世界につながるものだった。
ただ、僕のいる場所の近くに生まれ変われるかどうかは、僕次第だったらしい。
――――僕が、彼女を待っているかどうか。
『花びらの便りを送って、それに気づいた人のもとに、生まれ変わって戻れる。
もし、全然別の場所に生まれ変わりたいのなら、花びらの便りは、送らなくていい。そのまま、この扉を通って進めばいい』
「この世界につながる扉の横にね、そんな貼り紙と、花びらの入ったカゴが置いてあってね。
『花びらを手に、会いたい人を思い浮かべて、その人の名を呼んで、その人が、それに気づいて会いたいと思ってくれるなら、その人のもとに帰れる』
そう書いてあったの」
「私、嬉しくて、嬉しくって。うっかり花びら握りしめそうになったよ」
麻ちゃんが笑う。
「握りしめたらあかんの?」
僕がたずねると、
「だめとは書いてなかったけど。くちゃくちゃよれよれで、大ちゃんのところに行くのは、ねえ」
麻ちゃんが、くすくす笑いながら答える。
(ああ。これだ。これが、僕がずっと、待ってい瞬間だ)
僕は、懐かしさと愛しさで、思わず涙腺がゆるむ。
「ヨレヨレでも何でもいいよ。……麻ちゃんなら」
泣き笑いしながら、やっとの思いで言う。
そして、心を込めて、僕は続ける。
「待ってた。ずっと、待ってた。会いたくて会いたくて、待ってた」
「大ちゃん」
「いつとか、はっきりわからんくてもいい。待ってるから」
必死で言う僕に、麻ちゃんの柔らかな声が応える。
「ありがとう。大ちゃん。そう遠くないうちに、きっと帰ってくるよ」
僕は、そっと手のひらに、花びらをのせる。
「じゃあね。……待っててね」
次の瞬間、花びらは、ひらりと揺れて、空気の中に紛れるように、ふっと消えた。
僕は、花びらの消えた手のひらで、そっとその気配を握りしめる。
瞬きの終わる前に 番外編 原田楓香 @harada_f
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