12-2
「…………」
「…………」
歩けども歩けども草原は続く。
代わり映えのしない景色に、ゼノはしだいに不安になってきた。
ここは本当に元の世界なのか。〈封印の地〉の消滅と同時に世界も終焉を迎え、生き残ったのは自分たち二人だけなのではないか。あるいは自分たちはすでに死んでいて、あの世とやらをさまよっているのでは……。
あまりにものどかで、時間の経過すらわからなくなる。
とはいえ肉体は確実に疲弊しており、空腹や喉の渇きを訴えはじめている。
あたり一面、瑞々しい草に覆われているのに、川や湖といった水場は見当たらない。鳥や獣の気配もなく、虫一匹見かけない。
──いよいよとなったら、この草を食うしかないのか?
不安が悲壮感に変わりかけたころ、ゼノの目に初めて草地以外のものが映った。
遠くにぽつんと、棒が一本立っている。
「なあ、あれは何だと思う?」
「む……枯れ木、ではないな」
そちらへ向かって歩いていくと、しだいに輪郭がはっきりしてきた。白いまっすぐな棒──いや、柱か? まっすぐな円柱形で、しぜんにできたものとは思えない。さりとてほかに人工物の影もなく、建物の一部というわけでもなさそうだ。
間近に寄って見たその柱は、なんとも奇妙だった。
高さは身長の二倍ほど、太さは一抱えほど。見たことのない材質でできており、表面はなめらかで真珠のような光沢を帯びている。汚れもなく、風雨による劣化もない。下草が異物をよけている様子さえなく、まるでたったいまそこに置かれたかのようだ。
「墓標にも道しるべにも見えないが」
イルマラートは柱の周りをぐるりと回って眺めた。
「何の意味もなくここにあるというわけでもないだ──」
言いながら柱に手を伸ばした、その瞬間。彼の姿が消えた。
「──え?」
ゼノはぽかんと口を開けた。
慌ててあたりを見回すが、長身の英雄の姿はどこにもない。
「え? イルマラート? おい……!?」
──もしかして……この柱に触ったせい……?
柱の中に吸い込まれたのか、それともどこかへ跳ばされたのか。いずれにしても、このままでは離ればなれだ。行った先が安全とはかぎらないが、一人で残されるよりはまし……いや、自分一人では間違いなく生き残れない。
──ええい、ままよ!
ゼノは思い切って柱に触れた。
一瞬後には後悔していた。
赤く乾いた大地。地表はひび割れ、まばらに生えた草木は枯れて、端から崩れかけている。何か月も──あるいは何年も一滴の水も与えられなかったような、荒れ果てた土地だ。見渡すかぎり続く死の荒野──。
だが。
少し離れたところにイルマラートの姿を見つけて、ゼノは心底ほっとした。
向こうも安堵の表情を浮かべて近づいてきた。
「よかった。戻れなくて困っていた」
あの不思議な柱はどこにもない。広々とした緑の草原も跡形もなく、まるで夢でも見ていた心地だ。
そう。荒廃したこの場所のほうが、現実感に満ちている。一方的に水分を奪っていくような日差し。ひりつく風。土埃の臭い。足裏を押し返す硬い地面の感触。
「ここは──」
「思うに、先ほどの場所は、まだ〈封印の地〉の中だったのかもしれない」
ゼノが言い終えるより先に、イルマラートが口を開いた。
「あの柱は、たとえば結界の要石のようなものだったとか」
「じゃあ、ここが本当の、元の世界……?」
──世界の終焉……?
最悪の想像が頭をよぎって、ゼノはぶるっと身震いした。
残してきた仲間たちのことが急に心配になり、全身にいやな汗が噴き出す。
みんながもう死んでしまっていたとしたら? 自分のせいで世界が終わった? リテルが正しかったというのか? やはり自分は〈魔王〉の申し子だった? すべては運命? 最初から決まっていたことなのか……?
絶望的な思考の渦からゼノを引き戻したのは、何者かの気配だった。
それは無数の、大きさも強さもまちまちな脈動。息遣い。視線。
いつのまにかゼノとイルマラートは、見えないそれらに取り囲まれていた。
イルマラートが身構え、ゼノを背後にかばうようにして立つ。
「──魔王様」
かすかな声が、風に乗って流れてきた。
「魔王様」
「──魔王様」
「魔王様……」
囁きが絡み合うように広がり、四方八方から押し寄せてくる。
「魔王様が復活された」
「おお、魔王様」
「魔王様が」
「魔王様が戻られた……」
「魔王様だ」
「あれが魔王様」
「魔王様──」
ふぞろいなざわめきが一つになり、耳を聾するばかりの大合唱になる。歓喜と畏怖の入り混じった熱気にあてられ、ゼノはただ立ちすくむしかない。
「──違う」
小さな呟きがそれを遮った。
押し殺した声は、イルマラートのものだった。
「魔王ではない」
静かな口調とはうらはらに、彼の全身がゆらりと殺気立つ。
「私は──魔王ではない……!」
急にあたりが暗くなり、驚いてゼノが見上げると、どす黒い雲が空を覆いつつあった。
雷鳴が轟き、雲の中を稲妻が走る。
前に立つイルマラートの姿が、輪郭を失うように揺らめいたかと思うと、白い輝きを放ちながらまたたくまに巨大化した。
白銀の鱗。鋭い鉤爪。しなやかにうねる長い体躯。
二本の枝角を戴いた竜の口がかっと開き、泣き叫ぶような咆哮を上げると、太い紫電がいくつも垂直に走って地面を穿ち、続いて雨が勢いよく降りはじめた。
「──……っ!!」
桶の水をぶちまけられたような豪雨に、息もできない。
「イル……マ……ラート……!」
両腕で顔をかばいながら、ゼノは必死に前へ進んだ。
「……よせ……イルマラート……! 落ち、着け……!」
鱗に覆われた巨体にすがりついて、なんとか声を振り絞る。
「俺が死ぬって……!」
ふいに雨が弱まった。
竜の巨体がしぼむように縮みながら形を変え、ふたたび人の姿を取り戻す。
稲妻がおさまり、雷鳴が遠のいて、空がにわかに晴れていく。
周りを囲んでいた気配はほとんど消えていた。
あたりを見回せば、水浸しになった地面のあちこちに、雷に打たれたのか異形の生き物たちが倒れてぴくぴく震えている。
熊のようなもの、狼のようなもの、鷲のようなもの──案内人の村でドーチャと呼ばれていた豹に似たもの。数種類の生き物が合体したようなもの、ぐにゃぐにゃした粘土の塊のようなもの、人族にしか見えないものもいる。
魔物だけあって落雷程度では死ななかったようだ。意識を取り戻したものから順に、よろよろと立ち上がり、イルマラートに一礼して逃げるように去っていく。
例外もいた。
「タスケテ」
「タスケテ」
「マオウサマ」
「マオウサマ、タスケテ……」
程近い水たまりの中で、小さな影がもがいていた。
ゼノが近づいて覗いてみると、白黒まだら模様の土竜に似た生き物が二匹、溺れているらしく手足をばたつかせている。
見捨てるのも寝覚めが悪いので、おっかなびっくりつまんで出してやった。
すると二匹は、犬のように全身を震わせて泥水を跳ね飛ばしてから、這いつくばって頭を下げた。
「カミヨ……」
「カミ……」
「いや、俺は神じゃないからな」
まともに顔に振りかかった泥水を拭いながら、ゼノは辟易として否定した。
「それに、おまえたちは魔王を崇めに来たんだろうが」
「マオウサマ」
「マオウサマ」
二匹はイルマラートに向かってうやうやしくぬかづき、ふたたびゼノに向き直って平伏した。
「カミ」
「カミ」
あいかわらず魔物たちの信仰心はよくわからない。いや、魔王が様づけで神が呼び捨てということは、そういう序列なのか?
全身ずぶ濡れのままやれやれと空を見上げたゼノは、ふと気づいた。
──しまった、雨が降っている間に飲んでおけばよかった。
にわか勇者と連環の魔王 國村青生 @kunimula-aoi
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