華月堂の司書女官 【短編~花猫(ファマオ)】
桂真琴@11/25転生厨師の彩食記発売
※書籍版に合わせたお話となっております
輝く笑顔の少年が入ってくると、室内にいた女官たちの歓声が上がった。
「藍悠様、今日はお早いですね。まだお勉強のお時間では?」
少年の額には艶やかな黒髪が散って、息も上がっている。よほど急いだのだろう。そのいじらしく愛らしい姿に、女官たちは目を細める。
「もう終わったよ。今日は母上に会えるって約束の日だもの。急いで勉強を終わらせたんだ。老師様も褒めてくださったよ」
少年――藍悠は得意げに言った。
「……オレだって、老師様に褒められたぞ」
続いて、藍悠とまったく同じ顔の美しい少年が入ってくると、女官たちはうっとりとため息をつき、傍に寄った。
「あらあら紅壮様、またお召し物が乱れていますよ」
「いいんだよ、きつく帯を締めると動きにくいじゃないか」
「紅壮様はお美しいので、乱れた御姿も素敵ですけれどね。御母上様がご覧になったら、きっと心配なさいますよ」
「わかったよ……」
紅壮はぶつぶつ言いつつ、世話を焼きたがる女官たちにされるままに衣装を直す。
その様子を傍で見ていた藍悠が鼻で笑った。
「今日は僕の方が早かったな」
「少しだけだろ。それに、剣術の稽古は断然、オレの勝ちだったじゃないか」
う、と藍悠は黙り、みるみるその紫水晶のような目に涙がたまっていく。女官たちが慌てて言った。
「ほ、ほら、藍悠様も紅壮様も、こちらへ。
「「いいもの?」」
二人は顔を紅潮させて、露台へ走った。
「「母上!」」
露台の長椅子の
「ほんとうに、こんなに美しい
「月読様の御美しさと御人徳よね。帝の御寵愛が深いのは頷けるわ。もっと早く
月読の君が麗春殿に入って、まだ間もない。
麗春殿は四季殿の一、皇貴妃候補の四貴妃の殿舎だ。多くの場合、朝廷の有力者や大貴族の姫が入内する。
月読のように下級貴族の娘で、他の妃嬪付きの女官だった姫が四季殿に入るのはかなり異例だった。
「二人とも、元気そうね。また背が伸びたかしら?」
嬉しそうに言ったのは、麗春殿の主となった月読の君だ。透き通るような肌に絹糸のような黒髪。天女のようなたおやかな麗貌は嬉しそうに微笑んでいる。
「母上、その猫はどうしたのですか」
藍悠と紅壮は、母の膝にちょこん、と座った子猫に驚いた。
「かわいいでしょう。
黒い、痩せた小さな猫だ。翡翠のようなくるりとした目が印象的で、藍悠が手を出すと桃色の舌がちろ、と手をなめた。
「あはは、くすぐったい」
「顎の下を撫でるとうれしいみたいだ」
紅壮は熱心に子猫の顎の下を撫でてやっている。
そんな様子を微笑んで見ていた月読が、二人に言った。
「二人に、この子を預けるわ」
「え」と藍悠が顔を上げる。
「いいの?」と紅壮が目を輝かせる。
「ええ。東宮で可愛がってあげて」
「「やったあ!」」
二人は同時に歓声を上げた。
「名前、つけないとね」
「たま」
「そんなの嫌だ」
「じゃあなんだよ」
「えっと……」
月読はああだこうだ言い合う二人の間からそっと立ち上がって、庭院へ降りた。
「桃も桜も綺麗だけれど、こういうお花もきれいね」
それは、庭院の片隅に咲く、ありふれた雑草の花だった。月読はそれを大事そうに手で触れ、二人の幼子を優しく見つめた。
「名も無いお花も、生命力にあふれて美しい。大輪の華やかなお花も美しい。すべてのお花に、それぞれの美しさがある。二人には、すべてのお花の良さを見て、大事にしてほしいわ」
母の言った言葉をしばし考えていた紅壮がぱっと顔を上げた。
「じゃあ、名前は
「ええっ、そんなの変だよ」
藍悠が眉を寄せる。しかし、紅壮は得意げに胸を張った。
「変なものか。母上が花を大事にって言ったじゃないか。オレたちはこの猫を大事にするんだから」
「それはそうだけど……」
「じゃあ決まりな」
二人は花猫を取り合いながらも、いつもより言い争うことなく東宮へ帰っていった。
その後ろ姿を微笑んで見送っていた月読が、ぽつりと呟く。
「あの子猫が、あの子たちを繋いでくれるといいのだけれど」
「月読様……」
「わたくしは皇子の母として、確固たる後ろ盾がない。そして、わたくし自身も……おそらくもう長くはない」
「そのようなことを言っては、帝が悲しまれますよ」
女官長が月読の手を取った。
「私共も、月読様にお仕えできることを喜びとしておりますのに。せっかく四季殿に移られたのです、これからですわ。月読様はすでに皇子が二人もいらっしゃる。他の貴妃とは比べようもない大切な御身なのですから。この麗春殿は、その名の通り年中春めいた、花の多い殿舎。きっと、月読様の御体調も回復されます」
「そうね……そうだといいわね」
月読は微笑んだ。その微笑みはたとえようもなく美しく、昔話の天女のように、今にも天へ昇ってしまいそうな儚さがある。
「あの子たちには、強くなってもらいたいわ。そして、もっと仲良くなってほしい。あの子たちがお互いを助け合っていけるなら、後ろ盾などなくても朝廷を御していくことができるでしょう。わたくしには、もったいないくらいの子どもたち……」
***
東宮へ戻った二人は、その日からよく話し合うようになった。
勉学でも剣術でも、いとも簡単になんでもできるようになる弟宮の紅壮に、兄宮の藍悠が対抗心を燃やす。そのため喧嘩が絶えず、侍官たちはいつも苦労していたが、花猫がきてからはホッと胸をなでおろす日々となっていた。
今日も二人で花猫を挟んで、本を広げ、様々な食べ物を箱の中に並べていた。
「猫って、何が好きなんだろう」
「うーん……魚とか? 野菜とか? あっ、ちがう、肉を好むって書いてあるぞ。猫は虎の仲間らしい。本当かなあ」
紅壮は花猫を抱き上げ、口もとをそっとめくって小さな牙を確かめる。
「紅壮、乱暴にするなよ」
「しねーよ。ていうか、藍悠こそ、あんまり抑えつけるな。猫は自由に動きたい動物だと書いてあるぞ」
「うるさいな」
藍悠は口をとがらせ、じたばたする子猫をぎゅっと抱きしめる。
「あったかい。やわらかくて、ふわふわしてる。可愛いな。いつまでもぎゅっとしていたい」
「オレにも抱っこさせろよ」
「もうちょっと待って」
「早くしろよー」
これくらいの言い争いは兄弟仲の良い証拠。そんな二人を、侍官たちは微笑んで見守っていた。
***
それからしばらくして、月読の君が薨去した。
めまぐるしくいろいろなことがあって、たくさんの大切なものが幼い二人の手から滑り落ちていった。
そして、藍悠も紅壮も母の死を受け入れられない、まだそんな時期。
花猫も、ふっつりと姿を消した。
***
――それから、時は流れ。
月明りの下、たくさんの本に埋もれた蔵書室に立つ、一人の少女。
初めて会った少女だ。けれど一目で、紅壮はその姿に釘付けになる。
そんなはずはない。わかってはいるが、記憶の中の大切な風景と重なって。
――
そう呼びかけそうになるのを抑え、問うた。
「誰だ」
ゆっくりと近付いていく。
(やはり、似ている)
怯えたような仕草も、翡翠色の瞳も。
手が届くほど近くまできた。華奢な身体や愛らしい顔が、あの黒い子猫に重なって思わず手を伸ばしかけた、そのとき。
少女は本を抱えて毅然と言った。
「あたしは華月堂の司書女官、
【この後、花音と紅壮はどうなるのか? 続きは本編で、ぜひお楽しみください♪】
華月堂の司書女官 【短編~花猫(ファマオ)】 桂真琴@11/25転生厨師の彩食記発売 @katura-makoto
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