才能が全ての世界から捨てられた人たちより
kokolocoro
第1話 懺悔するシスター
「私の罪を懺悔します」
不法投棄されたゴミが浮かぶ川のほとりに佇む廃教会に流れ込む冷たい隙間風をもろともせず、女は膝まづいて手を組んだ。
「あなたはシスターで、僕は警官だ」
ウィンプルから垂れる金髪をかきあげ、女が顔を上げる。潤んだ慧眼と柔らかな唇が向けられ、僕の頬が真っ赤に染まった。
「僕に罪を告白することがどういうことか分かっていますか?」
電子手錠を取り出し、僕は女の細い手首に押し当てた。
女はそっと目を瞑る。長いまつ毛から滴る玉露の涙を見て、手錠を懐に納めた。
「その前に、僕の罪を聞いてくれますか?」
彼女より低く膝まづくと、彼女はにこりと笑って立ち上がった。女神のような微笑みに、自分事のように嬉しくなった。
「私、イザベルはシスターです。懺悔ならいつでも聞きますよ」
「僕は警官隊のジル・クラーレス。仕事で、ある女性を尾行していました」
「ダイバーシティにお勤めの警官隊も大変ですね。こんな無法地帯のダイーシティにも足を運ばないといけないのですから」
「お気遣い感謝します。ですが……」
僕はイザベルを見上げた。彼女の名前を知って興奮する自分に確信する。
「僕は尾行相手に惚れてしまいました。恥ずかしながら、一目惚れです」
「なるほど、男女の話ですね。どういう所に惹かれたのですか?」
頷くイザベルの姿を見ながら、僕はその女の魅力を告げた。
「まず、ウィンプルから覗く瞳に目が行きました。しっとりした唇に、トゥニカ越しからもはっきりと映える豊満な胸と扇情的な腰つきにも、惹かれました」
「悩ましい話ですね」
イザベルは屈んで僕のあごに手を当てると、顔を付き合わせた。柔らかな唇が僕の目の前にある。イザベルは絹のように滑らかな手を僕の胸に押し当てて来る。不規則に高鳴る心の鼓動を読み取られ、耳の裏まで真っ赤に染まった。
「抱いてみます?」
イザベルは僕の前で両腕を大きく広げた。
微かに揺れる二つの果実が飛び込んで来てと誘惑してくる。小窓から射す西日に彼女の頬が赤く染まり、勘違いを起こしてしまいそうだ。
分かっているはずなのに、僕の身体は彼女に近づいていた。彼女の腕の内側へ身体が入る。それでも、彼女から抱き寄せることはない。彼女のささやくように艶かしい吐息が僕の頬をなで回す。惚れたその身体が目の前にある。
僕は両腕を彼女の肩に伸ばした。
「僕は一人の男である前に、一人の警官です」
彼女の両肩に手を置き、首を振った。「情けない男ですよね」と呟く僕の手をイザベルは優しくふりほどいた。
「何か勘違いさせたかしら?」
「勘違いさせたのは僕の方のようです」
首をかしげるイザベル。
「僕が気になったのはあなたの瞳に宿る憂いだ」
僕の答えに彼女の瞳が微かに揺れる。目を細めて警戒心を顕にするイザベルに打ち明けた。
「罪悪感に囚われたような悲しげな瞳に惚れたんです。下心でしかあなたを見ていない浮浪者と一緒にしないでください」
静かにため息をついて、僕は彼女に尋ね返した。
「僕の懺悔は終わりました。次はあなたの番ですよ」
「そうね」
イザベルはため息をついて再び僕の前に膝まづく。そして、懺悔の言葉を告げた。
「偶像崇拝をしていました」
「確かにダイバーシティでは資本主義以外の信仰を一切禁止しています。ですが、肝心の偶像はどこですか?」
電子警察手帳の録画機能を起動して廃れた教会を撮影して回り、再び彼女の前に立った。彼女の背後にそびえ立つ頭の割れた石像にカメラを向けると、「Not Found」の文字が表示された。
「もしかしてあの石像のことですか?何を模した物かさっぱり分かりませんし、警官隊のデータベースにもありません」
「御許しいただけるのですね。主よ、感謝いたします」
「もう一つ、懺悔すべきことがありますよね?」
イザベルの肩が微かに震える。
それを見逃さなかった自分を内心誉めつつ、手帳からホログラムを展開した。
「これはダイバーシティ第九エリアにあるラブホテルの防犯カメラの映像です」
ホログラムに一組の男女が映し出されていた。二人とも帽子とサングラスを被っている。屈強な男が女を引き寄せるように肩を組み、受付を済ませて、エレベーターに姿を消した。
「この男は政府が発行する住民管理タグの違法改造品を売りさばく悪徳ブローカーです。昨夜、僕が捕まえました」
「すごいですね」と声を詰まらせながら褒める彼女を余所に、僕は録画映像の高速再生して時間を飛ばした。二人が部屋に入って一時間後、女だけがホテルを後にした。
「この女性、あなたですね?」
何も答えないイザベル。
「訂正します。この女性型アンドロイドのモデルは、あなたですね?」
ひたすらに黙りこむ彼女に代わって僕は説明を続けた。
「精巧な人型アンドロイドは冤罪の温床となっています。作製やその幇助は懲役十年の重罪です。最近のAIの予測は正確でしてね。この女がシスターに変装した姿や女の歩き方で個人を特定できるのです。よろしければ、ご覧になります?」
意地悪な問いだと苦笑しながら電子手錠を取り出した。顔立ちは偶像を探す時に、歩き姿は尾行中に撮影してすでに照会済みだ。
「モデルはあなたでしょうが、作製者は誰ですか?」
僕が捕まえるべきは人型アンドロイドの作製者と協力者だ。作製者を捕まえない限り、僕の仕事は終わらない。
だが、彼女は無言のまま、何の抵抗もせず、手首を晒していた。
「おい、イザベル!いるか!」
扉を乱暴に叩く音に思わず飛び退く。ドスの効いた野太い声にイザベルは冷静だった。
「少し乱暴な信者が来たようです。奥の部屋に隠れてください」
「そうは言っても……」
「どこにも逃げませんから」
僕の懸念を凛とした声が吹き飛ばした。無意識に頷いた僕は奥の部屋へ押し込まれる。
イザベルが押し込んだ部屋は、小さなオルガンと黒ずんだテーブルに埃のかぶったタンスが並んでいて狭苦しかった。奥の方にもう一つ黒い扉を見つけたが、入り口の扉が開く轟音にイザベルが気がかりでならなかった。
扉の隙間から信者に対応するイザベルを覗いた。鼻息を鳴らす恰幅の良い男とイザベルが揉めているようだ。悪趣味な宝石を首からぶら下げた男は鼻の下を伸ばしているが、肝心のイザベルの顔が見えない。
「なぁ、こっちは何度もお前に告白してるんだ。そろそろ抱かせてくれよ」
「そう言われましても……」
「マザーから聞いてるぞ。この教会を建て直すには金が要るんだろう」
男のポケットから分厚い札束が覗いた。電子マネーしか認められていないダイバーシティで札束を使うのは証拠が残りにくいからに他ならない。「汚い金じゃねぇ」と男が白々しく否定するのを、イザベルは頑なに拒んだ。
今すぐにでも、飛び出して男を逮捕したい。
だが、相手は先日捕まえた男と同じくらい屈強だ。何より彼女にも被害が及びかねない。
無力な自分にうちひしがれているとイザベルが僕に目を合わせた。彼女は僕に向かって首を振って、男に伝えた。
「私だけでは判断できませんので、マザーに聞いてください。あちらの部屋にいらっしゃいます」
僕が潜む部屋と反対側の部屋、確か懺悔室と書かれた部屋へ男が嬉々として入っていく。それを見届けたイザベルは僕のいる部屋へ駆け込むと、無言のまま僕の横を素通りした。慌ただしく部屋中を駆け回る彼女に声をかける隙はなかった。
「マザーから許可は貰った。さぁ、行こうぜ」
懺悔室から出た男が彼女を強引に引き寄せた。その柔らかな尻臀を揉みながら立ち去る男に僕は声をかけられなかった。
情けない男だ。五寸釘を打たれたかのような痛みが心に走った。
潜んでいた部屋を散策する。オルガンは調律されており、綺麗なドの音が鳴った。テーブルに飾られた造花を見回した後、僕はタンスを開けた。
「貞操を守るためでしたか」
「ええ」
懺悔室へ続く黒い扉から出てきたイザベルが小さく頷いた。
「無法地帯のダイーシティに捨てられた、無能な女には身体を売る以外に生きる術はありません」
イザベルはタンスの前に立つ僕に手首を差し出した。
「ですが、あなたには才能があった」
タンスに押し込まれたイザベルにそっくりな人型アンドロイドを見上げながら、僕は言葉を続けた。
「これを作ったのは、あなたですね」
「はい」と人型アンドロイド作製の罪を認める彼女。
僕は頭を下げた。
「ありがとうございます」
礼を言われて困惑した表情を浮かべるイザベル。彼女の素の姿を見れて得をした気分だ。
「僕、警察署では無能扱いだったんですよ。誰一人犯罪者を捕まえられないと上司から怒られてばかりで、リストラの筆頭候補でした」
唐突な自分語りに戸惑う彼女に構わず、僕は言葉を続けた。
「ですが、昨夜、ブローカーを捕まてリストラ候補から外れました。ダイーシティに捨てられずに済みましたし、ひ弱な僕が屈強な男を取り押さえたと同僚の間ですっかり話題になりましてね」
「それが一体、私に何の関係があるのですか?」
「ですから、あなたのお陰ですよ。人型アンドロイドとの自慰行為に疲れ果てた男なら僕でも捕まえられますから」
「そうですか……」
心なしか、イザベルは顔を赤らめながら白けているようだった。レディの前では控えるべき下世話な話だが、事実を包み隠さず話さないと感謝する理由を伝えられないから仕方がないことだ。
「つまり、あなたのアンドロイドが僕を救ったのです。ブローカーの逮捕が裏社会に蔓延るマフィアやテロリストを逮捕する糸口になるでしょう。その功労者に手錠をかけることはできませんよ」
「私のもう一つの罪も見逃してくださるの?」
「ええ、当然です」
「それは、社会を健全にしたから?それとも、あなたをリストラから救ったから?」
「もちろん、後者です」
微笑む僕に、「俗っぽいのね」とイザベルが笑みを浮かべる。
微笑ましい一時を現実へ引き戻したのは隙間風だった。夜のダイーシティほど危険な街を僕は知らない。タイムリミットを告げる冷気にタンスを閉じて、扉へ向かった。
「もう日が暮れるから、今日はこれで失礼します。また立ち寄るかもしれませんが、最後に一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何でしょう?」
「ブローカーがうずくまっていたベッドが血だらけだったんです。あのアンドロイドにどんな機能が付いているのですか?」
「ああ、単純な機能です」
イザベルは小悪魔のような笑みを浮かべ、人差し指をクルリと回した。
「あそこにミキサー刃が付いてるんです。入れた瞬間にズタズタに切り裂くようにね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます