第2話 白色コードと天才少女
真っ白だった。
何度もソースコードを解析しても、ログには何も書かれていない。
「あーん!どうなってんのよ、このチップ!」
パソコンから取り出したICチップを隈無く見渡した。
何の変哲もない政府発行の管理用タグだ。生後三ヶ月が経ったダイバーシティの住民のうなじに埋め込まれるICチップで、その人の居場所や健康状態、網膜に写った映像や感情の変化まで、プライバシーを全て丸裸にできる。
だけど、手の中にある管理タグには何も書かれていない。
ログを消去した後かと尋ねたが、あのシスターは確かに告げた。
「メッセージが隠されているの。噂に聞く天才少女ならきっと解析できると思って」
彼女が嘘をついているかもしれない。だが、すでに前金を貰っている。
プロとして仕事を完遂させなければならない。パパから教わった解析屋の鉄の掟その一だ。
「天才少女なら」
厭味のように彼女の言葉が脳内を駆け巡り、頭をかきむしった。キーボードに突っ伏すと、素っ気ない声がかけられた。
「アリシア、いつもの客が来てるぞ」
「パパ、ありがと」
アタシの工房に顔を出したパパはすぐに自分の工房に引っ込んだ。
パパは捨て子のアタシをここまで育ててくれた寡黙な師匠だ。初めは、パパの真似事だった。アタシの才能を見込んだパパから技術を叩き込まれ、アタシは常連客がつく天才美少女解体屋になった。
「アリシア、今日も機嫌良さそうだね」
「それで、今日のタグは?」
「あ、ああ。これの解析と消去をしてほしいんだ」
客と個人的な関係を持つな―――解析屋の鉄の掟その二だ。
ここに流れてくるチップにまともな物はない。ダイバーシティの病院で摘出し、中央研究所で解析すると言う正規の手続きを踏まないで、無法地帯のダイーシティの解体屋に流れ着いた物は違法品がほとんどだ。
客の事情に下手に踏み入って、死体としてデビューしたくない。
アタシに笑顔を振り撒く目の前の常連客、確かリカルドと名乗ったか、見かけは好青年な彼にも後ろめたい事情があるのだろう。
「いつまでに解析すれば良い?ちょっと立て込んでて」
「君にしては珍しい。難題かい?」
「まぁね……」
「天才少女に不可能はない!私が保証しよう!」
大袈裟に褒め称える青年にぎこちない礼をして、二週間後までにデータを消去する契約を交わして帰らせた。
リカルドがくれた管理タグの解析にかかる。
一時間毎の位置情報が数字で表示され、健康状態や脳波が続いて表示される。夜中に検出されたオキシトシンの数値から、オーガズムに達したと考察できる。その後に異常に高いコルチゾールの数値から、殺意に似た怒りの感情が観測された。
性行為中に何らかの裏切りが発覚し、怒りに身を任せて相手を殺した。
殺意の有無を問われた弁護士が喉から手が出るほど欲しい証拠に違いない。
「普通はこうなのよ」
依頼通りデータを消去して、問題の白紙チップを再び入れた。
「隠れたメッセージかぁ」
天才少女のアタシの前に現れた大きな壁に、持てる知識をぶつけてキーボードを打ち込んだ。やがてタイピング音が消えたかと思うと、暗闇の静寂が訪れた。甘ったるい匂いが鼻を刺激し、慌てて顔を上げると、目の前にココアが置かれていた。
「よだれがついてる」
指摘され口元を拭うアタシの前にパパがサンドイッチを差し出した。パパはアタシの隣に座ってサンドイッチをつまんだ。
「何か腹に入れとけ。幾らなんでも三日も解析するのはやり過ぎだ」
「ありがと」
三日間も解析し続けて力尽きたことに愕然としながらサンドイッチを頬張った。ぶつ切りの茹で玉子が口内を転がり、豚肉の味に似せた寒天ゼリーが舌を心地よく刺激する。
「仕事はどうだ?」
「順調よ。天才少女アリシアの辞書に不可能の文字はないわ」
「落丁してるぞ」
パパは渋い笑みを浮かべ、「無理するなよ」とだけ告げて工房を去った。パソコンの横にアルゴリズムの解析本が積まれていた。
「何回も読んだことあるわよ」
パパが残した本を拾い上げて苦笑する。初めての誕生日プレゼントで何度も読んだ本の改訂版だ。最新の情報に更新されているが、それくらいはネットですでに調べているし、今更開ける必要もない。
本をキーボードの側に放り投げると、工房の呼び鈴が鳴った。
「アリシアさん、いますか?」
リカルドの嬉々とした声が、疲れた脳に銅鑼のようにやかましく響く。顔を出すと、薄汚れたカウンターテーブルにもたれ掛かっていたリカルドの笑みが険しくなった。
「少し頬が痩けてるけど、大丈夫?」
「大丈夫よ、三日食べてないだけだから」
「三日?あの親父から虐待を受けてるのか!」
鼻を鳴らしてパパの工房に殴り込みに行こうとする青年に、「違うわよ」と慌てて声をかけた。脚を止めた無謀なリカルドは「じゃあ、どうして?」と聞き返す。
「難しい解析なのよ」
「親父さんに聞けば良いじゃないか?その道のベテランだろ」
「そうだけど」
後に続く言葉を思わず飲み込んだ。黙りこんだアタシにリカルドは不適な笑みを浮かべている。見透かされるような熱視線にそっぽを向いてごまかした。
「行き詰まってるなら、気分転換が一番。ちょうど良いのがあるんだ」
リカルドは思い出したかのようにポケットからチケットを二枚取り出した。
「ダイバーシティの第七エリアにサーカス巡業団が来るんだって。ちょうど、今から一週間後だし、気晴らしにどう?」
「ありがとう。でも……」
「分かってる。客と個人的な関わりを持つな、鉄の掟その二でしょ?」
受付に置いたサーカスのチケットを取り上げると、リカルドが提案する。
「裏にある酒場からサーカス会場まで君を道案内するだけにしよう。会場前で解散して、席も別々で帰りは君一人だ。これなら妥協できるかな?」
ダイバーシティに不慣れなアタシに道案内は必要だ。必要最低限だけ関わって楽しませようと、リカルドはアタシに配慮してくれているのだろう。
「一応、考えとく」
「良い返事を期待してるよ」
リカルドがバラック小屋を出ると同時に、シスターが入って来た。シスターはすれ違うリカルドの横顔を見やって、「解析終わった?」とアタシに尋ねた。
「いえ、まだです」
「そう……」
正直に答えるしかないアタシにため息をつくシスター。玉石のように輝く瞳から放たれる侮辱の視線に、奥歯を噛み締める音が二人の間に響いた。
「やっぱり、難しかったかしら?」
やっぱり―――この天才であるアタシを試すアンタは一体何様だ。
煮え滾る憤怒の叫びが喉元まで駆け上がってくるのを押し殺した。
「そ、そんなことないわ。必ず仕上げてみせるわ」
だが、声の震えまで誤魔化せなかった。露骨に失笑するシスターは「一つだけ」と人差し指を伸ばしてアタシに説教した。
「一人の才能ができることには限界があるのよ」
「そんなことない!」
「騒がしいぞ!」
アタシの声を聞きつけてパパが工房から飛び出してきた。老眼鏡を外してアタシを睨みつけると、シスターに頭を下げた。
「ウチの娘っ子が生意気言ってすいません!」
「どうしてそうなるのよ?生意気言ったのはアイツの方よ!」
「客のせいにするな、バカタレが!」
パパからのげんこつに視界が一瞬だけ霞む。一年ぶりの痛みを堪えながらパパを睨みつける。突然始まった親子喧嘩にシスターは戸惑っていた、いや、歪んで嘲笑っているようにも見えた。
「何も書かれてないコードの解析なんか初めてよ!時間がかかるのよ!」
「期日に間に合うのか?どうなんだ?」
「間に合わせてみせるわよ!プロとしてのプライドにかけて!絶対に!」
「プロだと言うなら、プライドとお客様を同じ天秤にかけるな!」
パパの言葉にアタシは鼻息を荒げて、工房に駆け込み鍵をかけた。扉を叩く音をノイズと割り切ってシスターからの挑戦状に向き合った。
やがて扉を叩く音が消え、キーボードを弾く音だけが響いた。
「ああっ、やっぱりダメ!」
床に本が散らばった。
それでも、キーボードにコードを打ち込む。
白、白、白。エラー、エラー、エラー。
とうとうアタシの手が止まった。指先の感覚はとっくに無くなっていた。時間の感覚も無くなっていたが、座りっぱなしから来る腰の痛みのお陰で現実を辛うじて認識できる。敗北を認めたくないと心では躍起になっても、脳と身体はもう動かなかった。
一つのため息が工房に響く。
席から立ち上がり、散らばった本を拾い上げた。一番上に積んでいたアルゴリズムの解析本以外にも様々なタイトルの本が散らばっていた。
「これって……」
天才少女の呟きが工房に反響した。
「来てくれたんだね」
一週間後の酒場の裏口。昼間の裏路地に人の気配はない。アタシに懐いた野良猫が来訪者を察して逃げ去る姿をボンヤリと眺めた。
「いつもの服だね。よそ行きの服の方が好ましいけど、仕方ないか」
「聞きたいことがあるの」
リカルドがチケットを片手に立っていた。いつものみすぼらしい格好と違って洒落たコートを羽織っている。技術屋育ちのアタシに外のファッションは分からないが、きっと流行りものなのだろう。
「何かな?あまり長いとサーカスが始まってしまうよ」
「どうして鉄の掟を知っているの?」
「君がいつも私の誘いを断る時に言うじゃないか」
「鉄の掟の二番目だって話した覚えはないけど?」
ヘラヘラと笑っていたリカルドの顔が一瞬にして強ばる。アタシはポケットから取り出した物をリカルドに投げた。足元に転がったボタン型の機械をリカルドはじっと見下ろしていた。
「旧式の盗聴機よ。受付カウンターの裏に貼り付けてあった」
「僕が貼り付けたと?」
「アンタがやったなんて一言も言ってないけど」
リカルドから預かったチップを取り出す。宙に放り投げては掴むを繰り返し、その場から動かないアタシにリカルドは眉を潜めた。
「アタシはどうやら天才じゃなかったみたい」
「何を言ってるんだい?自信を失くしたのかな?」
「当たり前に慣れすぎて、柔軟な発想を無くしたのよ」
「いまいちピンと来ないんだけど」と両手を上げて降参するリカルドに解析結果を告げた。
「I Love You」
リカルドの頬が紅潮する。隠す気のない笑みを浮かべ、唇を細めた。
「アンタが今まで渡してきた管理タグの位置情報を、二進数に直したら全部モールス信号になってた。同じ言葉がひたすら羅列されてた」
「好意を示すためなら、何度だって同じ場所を巡る。聖地巡礼って知ってる?」
「アタシも馬鹿だった。位置情報が全部同じなんて、ろくに気づけなかった」
「一年かけてようやく伝わった。感無量だよ」
「アタシに渡してきた管理タグはアンタのものでしょ?人、殺したの?」
「当然さ。私が君の全てを知っていて、君が私の全てを知らないのはフェアじゃないだろ。彼女は僕と仲良くしている時に男の子の名前を叫んだから、思わず嫉妬しちゃってね。つい絞め殺しちゃった」
「へぇ、アタシに一途って訳じゃないんだ」
「いや、君への愛は特別だよ。二年もの間、私の心を焦がしてきたんだから」
待ちきれんとばかりにアタシに飛びかかった。
邪に染まった大きな影がアタシを覆い、思わず目を瞑った。
「何をする!ほどけ!」
「ロリータ主義のリカルドさん。ストーカーの現行犯並びに第七エリアで起きた少女拉致監禁と殺人と死体遺棄の容疑であなたを逮捕します」
目を開けると、網に捕縛されたリカルドが足元でもがいていた。警官隊の男とシスターが酒場の裏口から現れ、暴れるリカルドに電子手錠をかけた。
「イザベルさん、アリシアさん。逮捕協力ありがとうございました」
「私はこの子から相談を受けてあなたに連絡しただけよ、ジル」
「謙遜しなくても良いですよ。市民の協力があってこその逮捕ですから。それでは」
ジルと呼ばれた警官隊の男が網に絡まれたリカルドを引きずり、護送車両へ乗せた。恨めしげに見つめるリカルドの視線を無視して、アタシはシスターに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「良いのよ。私は懺悔を聞いて、その人の心を軽くするのが仕事だから」
「誰の懺悔なんですか?」
何度尋ねてもシスターは「プライバシーだから」と首を横に振るばかりだった。押し問答が続いたところで、諦めると同時に依頼のことを思い出した。
「あのコードの解析ですけど、頂いた前金は……」
「前金はもう返してもらってるから、それも持ち主に返しておいて」
シスターはアタシにそう言い残して、軽やかな足取りで立ち去った。
唖然と立ち尽くしていると、持ち主の正体が一人だけ思い浮かんだ。掟に番号をつけたり、基本書に暗号解読の本を忍ばせる、何も書かれていない白色コードのように黙して語る人物の笑顔だった。
「やっぱり師匠には敵わないな」
天才少女の頬を一筋の水滴が伝っていた。
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