第6話 やってやるよ





 ドラゴンの到着予想時刻まで、あと三十分。

 首都を出入りする門の上に登り、ドラゴンが来るのを待っていた。

 門はかなり大きく、下を見下ろすと危機感を感じるくらいだ。高いところは苦手だと言うのに、連日高いところに来るはめになっている。

 ドラゴンが来るとされる方角の遠くの空を見ながら、ナギはぽつりと呟く。


「僕、ツカサさん嫌いです」

「知ってる」


 隣に立っているツカサが、何でもないように返事した。

 視線は交わらない。ナギも、ツカサも同じ方を見ていた。


「でも、ツカサさんが僕のことが嫌いだから強制しようとしてるんじゃないことを知ってます。ツカサさんが僕のこと嫌いじゃないことを知ってます。……嫌われるのを覚悟で、やってくれてるのを知ってます」


 ツカサは何も言わなかった。


「全員、集まってくれ。最後の確認をする」


 予想時刻まであと十分。

 最後に門の上に上がってきたジュリアンの元へ行くと、彼は背の丈を余裕で越す槍を持っていた。


「レイジ、フェイ、これが竜殺しの槍だ」


 槍が二本それぞれ、赤い瞳の吸血鬼たちの手に渡る。

 竜殺しの槍と呼ばれるわりに、観賞用の武具のように綺麗だと思っていたら、黒色だと思っていた刃が赤黒い色味だと気がついた。血がこびりついているのではなく、宝石のごとく輝く刃は元からそういう色の素材から出来ているのだろうに、あれは血の塊だと感じさせられる。


「ナギとツカサ以外は中に入ろうとするドラコのみを撃ち落とし、その間にツカサがナギをドラゴンの元までつれていき、ドラゴンを止めてもらう。それが出来なければ、全掃討に移行する」


 作戦は簡潔なものだった。

 ドラゴンとドラコが門に達するまでにナギがドラゴンを止められなければ、ドラゴンもドラコも最後の一匹まで殺す。


「見えてきたぞ」


 ジュリアンを中心に集まっているメンバーの内、レイジが進路想定方向を見て言った。

 すぐにナギもそちらを見たが、茜色に染まる空の彼方にそれらしきシルエットを認めることはできなかった。

 けれど誰も疑問を呈することはなかったから、きっとラードルフのようにレイジの目がいいのだ。

 しかしすぐそこまでドラゴンが来ているという事実に、ナギはごくりと唾を飲み込む。額から緊張による汗が一滴垂れる。


「準備出来てるか?」

「吐きそうです」

「よし、やるぞ」

「なんで聞いたんだよ」


 ったく、この人は本当こういうところがある。

 ツカサを見やると、彼は全く緊張感なく笑みを浮かべていた。ツカサだけではない。ナギのように緊張を隠しきれない表情をしている者は他におらず、全員心臓が鋼で出来ているのだと思う。


「あ、そうだ。耳栓しとかねえと」


 にわかに、ツカサが上着のポケットをごそごそ探り始めた。


「指示聞こえなくなるけど、やることシンプルだからいいだろ。あれ? ない」


 ポケットの内の布をひっくり返すが、探し物はないようだ。文句を言いたくなるのを我慢して、ナギは傍観していたが、他の面々はツカサの行動に疑問を感じたらしい。


「なぜ耳栓なんだ?」


 ジュリアンが心底不思議そうに尋ねた。


「ナギの能力使用時対策」

「? だが、能力は対象にしか効かないのだろう?」

「ああ、別に制御出来ないわけじゃない。別問題だ」


 とうとう絶えきれず、ナギはツカサの脛を蹴ってやった。


「いってえ! 何すんだよ、気ぃ使ってやっただろ」


 ナギはふいっと顔を逸らして、抗議を無視する。

 その代わり、周りのメンバーに言っておく。


「絶対に聞かないでください。まあ、僕の通信機は能力使用時には切っておくので聞こえないと思いますけど」


 レイジも怪訝そうな顔をしていたが、それ以上は突っ込まず「失敗したら、すぐに知らせろ。鱗剥いで貫く」と言った。


「グロいですよ。平和的に行きましょうよ」

「それがおまえにかかってんだよ。お、見えてきたぞ」


 ツカサが、ようやく見つけたらしい耳栓を耳につけながら、空の彼方を見た。

 赤に限りなく近いほどの色に染められた空の向こうに、今度こそ鳥のような影が見えていた。

 ナギをドラゴンの元までつれていくツカサの目で捉えることが出来た。


 作戦開始だ。


「君たちのタイミングで行ってくれ」


 ジュリアンの言葉に、ナギは一度頷く。

 そして、遠くのドラゴンを見つめて一度深呼吸した。

 手は空っぽ。銃もナイフも武器はない。ツカサも見えないところに仕込める武器しか持っていないはずだ。


 ──今日よりずっと前から、ツカサの言う通りだということは、分かっていた。

 もう自分もここで正式に働き始めるときが近づいている。

 だから、どうせいつかその日が来るのならこの機に決める。せめて、力の使い方は自分で決める。

 今日がその始まりだ。


「ツカサさん、お願いします」

「ああ」


 耳栓で聞こえていないはずだから、こちらを見ていたのかもしれない。ツカサが返事して、ナギの腕を掴んだ。


 直後、足は地面から遠く離れ、空中にいた。

 すぐに落下しはじめることにより吹き付ける風に髪をあおられながら、「下だ!」というツカサの声に落ちていく方を見る。

 眼下には青色の美しいドラゴンがいた。

 周りにはドラコらしき群れがいる。

 周囲のドラコの群れに気がつかれない距離に移動して来たらしい。


 近づくたびにツカサに瞬間移動してもらえばいいが、手間だ。一度でやる。


 ナギは息を吸い、喉を震わせ、特殊な音を発した。


 ひ弱な人間の一部に、世界が合わさったときに授けられたとされる力。

 ナギにもその力はある。その力を特殊能力、能力を持つ人間を特殊能力保持者と言い、警察機関が積極的に保護を行っている。

 だからナギは、正式採用でもないのに国家機関で図書室のバイトなんていうことが出来ている。


「……駄目だ」


 ナギは一旦能力の使用をやめ、呟いた。

 ドラゴンがこちらを気にする様子がない。


「聞こえてない……もっと近づかないと」


 気がつかれない距離では駄目だ。

 ナギはいつでも瞬間移動できるように腕を掴む手を無造作に剥がした。空気の流れにより、あっという間にツカサと引き離される。


「──おいっ、ナギ!?」


 珍しく焦る声に、ナギは強がりの笑みを向け、下を向いた。

 大丈夫。もう決めた。この力を手に、怖いものなどありはしない。

 空気を割って進む音に、ドラコが気がつく。ドラゴンが気がつく。ナギは再度口を開く。届け届けと、力の限りの声を出す。


「『────』」


 音色に、強い思念を乗せる。

 牙を向くな。攻撃するな。


 ドラゴンとドラコが牙を剥きかけていた口を閉じる。


「『────』」


 止まれ、止まれ、止まれ。


「『────』」


 僕の言うことを聞け!


 ドラコの群れの中を落ち、その中心にいるドラゴンの巨体が近づく。

 祈るような気持ちで、強い意思をのせた音を発し続け、そして気がつくとナギの足はドラゴンの背についていた。


 靴の爪先がついた瞬間上手く着地するなんていう芸当はできず、勢い余って落ちそうになって、背に倒れ込んでその背にしがみつく。

 けれど、ドラゴンは暴れなかった。周りのドラコも弾丸のようにナギを貫こうと突っ込んで来なかった。

 群れすべてが、ゆったりと翼を動かし、その場に留まりナギを見つめていた。ナギの意思を待つように。


 ナギは、作戦の成功を感じ、未だに緊張しながらも慎重に喉を震わせ続ける。


「『────』」


 さあ、ゆっくり門に近づこうか。

 ナギの意思を受け、ドラゴンとドラコはゆっくりと羽ばたき空を進み始めた。







 門にドラゴンが降り立ち、ナギはドラゴンの背から降りる。


「いでっ」


 訂正、落ちた。

 尻餅をついた痛みに歪めた顔の前に、手が差し出された。

 見上げるとツカサだった。その口元に浮かぶ笑みが癪なので、無言で手を取る。

 そのとき後ろでばさりと音がして、ドラゴンが翼を大きく広げていたのを見て、そういえばずっと音を聞かせ続けていたのにと反射的に口を開こうとする。


「あ、歌うならまた耳栓するから待て」

「いてっ」


 急に手を離すなよ。

 ナギが能力を使うと見てとり、ツカサがナギを引っ張りあげている途中なのに手を離した。当然ナギは再び尻を打ち付け、痛みに声をあげる。


「……大丈夫ですよ」


 ドラゴンは翼を上手く収めようとしていただけで、翼を仕舞うとじっとするばかりになった。

 怒りの類いは一切感じられない。

 どうせナギも念のためと聞かせ続けていただけだ。じとりとした目でツカサを見上げると、ツカサは悪びれもせず「お、そうか?」と上着のポケットから取り出しかけた耳栓を戻した。

 再び差し出された手は叩き、自力で立ち上がって周囲を見渡す。門には続々とドラコが集まり、綺麗に整列してとまる。

 これで問題ないだろう。


 指揮官であるジュリアンを探すと、ジュリアンは──地面に膝をついて青い顔をしていた。


「ジュリアンさん、どうしたんですか?」


 もしかしてドラコに襲われでもしたのか。このひとてっきり強いと無意識に思っていたのに、そんなことなかったのか。

 慌てるナギの横で、「あ」とツカサが声をあげる。


「結局ナギの『歌』、ジュリアン聞いたのか」

「なんで!? 僕通信機切ってたんですけど??」


 ナギは首がネジ切れるほど素早くツカサを振り返った。


「ジュリアンが興味ありそうにしてたから、俺のつけといた」

「おい!!」


 おまえかよ!!!と叫ぶところだった。


「ジュリアンさん、なんで聞いたんですか!?」


 ツカサに怒りをぶつけてから、そもそもジュリアンが聞かなければ良かったのにどうして聞いたのかと矛先をそちらに向ける。


「君が、過去に一人で犯人を一網打尽にしたとツカサに聞いていたので、能力が対象にしか効かないのなら、聞いてもいいだろうと」


 ジュリアンはそう明かし、弱々しい笑顔で続ける。


「音程を、とるのが苦手なのだな」

「音痴って言ってもらって大丈夫でーす」


 くっそ! だからせめて聞かれたくなかったのに!


「だから聞かないでくださいって言ったじゃないですか……」


 ナギの能力は歌に思念を乗せ、対象の行動を操るというものだった。

 しかしその能力発動時に不可欠の『歌』が、それはもう下手くそだった。聞くに耐えないほど音痴だった。


「超絶音痴なんだよなぁ。能力の対象には音痴は影響しないのに、外野は気分が悪くなるくらいの音痴で影響が出るって、明らかに音程とる技術と引き換えになってるよな。──って言っても、俺は瞬間移動の引き換えにされたもの無さそうだから元から音痴だったんだろうけど」

「うるさい」


 もはやツカサは飾りもなく、遠回しでもなくド直球に言うので、睨んで黙らせる。


「その能力の効果も含めて、セイレーンのようじゃないか」


 セイレーン。幻想生物大百科の項目の記載が勝手に思い出される。

 上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされる海の怪物。海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わせて、遭難や難破に遭わせるという、かつてのファンタジー。

 ジュリアンの世界には、ドラゴンだけでなく、セイレーンも存在したのだろうか。能力の効果『も』ということは、セイレーンは音痴なのだろうなと邪推してしまう。


「褒め言葉には聞こえないです」


 ナギは苦笑した。

 音痴はもちろんのこと、能力の効果についても。この能力は対象を操るものだから。だからナギは音痴を抜きにしても、この能力が好きではない。


「どうあれ、やったじゃねえか」


 背を叩かれ、見上げるとツカサが嬉しそうにしていた。

 やっと、ナギが一歩踏み出したからだろうか。その笑みにつられながらも、ナギは言う。


「これから、でしょう?」

「まあな」


 大変なのはこれからだ。


「とりあえず、おまえC班正式加入な」

「え、ツカサさんの下とか嫌なんですけど」


 それはアサツキのじいさんと進路相談させてもらいたい。








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その歌声を聞け 久浪 @007abc

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