モノクロ世界でもぐらが語る

植田伊織

モノクロ世界でもぐらが語る

 古川 京子 様


 酷い事を言ってしまってごめんなさい。


 京子ちゃんにとって大切なお友達を、私は侮辱してしまいました。

 許してもらえるとは思っていません。それでもこうやって筆を取り手紙を書いているのは、あなたにはあなたの正義があるように、私にもそれなりの理由があって、ああいった言動をしたのだと、どうしても知ってほしかったからです。

 勿論、だからといって自分のした事を許してもらえるとは思っていませんし、この手紙が読まずに捨てられてしまうかも知れない事は百も承知です。

 それでも諦めきれないのは、本当に友人としてあなたが好きだったから。そして私は自分の言動が、あなたをあれほどまで怒らせる類の凶器になるのだと、考えもしなかったからなのです。


 本題に入る前に少しだけ、私の話をさせてください。


 昔、小学校の帰り道。アスファルトの隅にどういうわけだか、よく、ちびた鉛筆がころころ転がっていました。放っておけばそのうち朽ち果ててゆくそれらを見るに、落とし物というよりは誰かが捨てた物には違いなかったように思います。

 私は砂埃を被った短い鉛筆を、ハンカチでぬぐってはポケットに入れて持ちかえって、お菓子が入っていた缶の中に入れ、コレクションするという癖がありました。決して褒められた習慣では無いとわかってはいたのですが、誰にも必要とされていない物を拾って自分の物として使うことで、満たされない何かを埋めていたのだと思います。

 もちろん、誰かが落としたのだとわかるような新品や記名入りの物は、学校に届けていました。

 木の部分が短くなった上に芯が折れ、鉛筆削り器に入れたら取れなくなってしまいそうないわゆる任期を終えた鉛筆を、カッターナイフを使ってぎりぎりまで削り、使える状態に整えて己の相棒に加え、捨てられる運命の物に再び命を吹き込んだような気になっていました。


 私は、「泥棒の子は所詮泥棒」と言われながら育ちました。


 この学校に転校してくる前の話です。田舎に住んでいたから、そんな評判が常に付きまとって離れなかったのでしょうか。確かに、母は、妻子ある方との間に私を授かり、一つの家庭を壊して自分の巣を創りあげた人でした。

 父と、彼の元配偶者が住んでいる地域から離れた、いわゆる新天地で生活をはじめたはずなのに。後ろ暗い事実は尾ひれ背びれをつけた噂とともに、つねに私たちのそばにありました。気が付けばいつも、私は同級生の皆から、ひそひそと陰口を叩かれるような存在になっていたものです。


「リャクダツコン」という言葉を、耳にタコができるほど聞きました。


 私自身が母のように、「リャクダツコン」をするような人間に育つと思われるのは心外でした。「泥棒の娘」と見られなくて済むには、どのようにふるまえば良いのでしょう。

 私は幼いなりに知恵を絞り、おしゃれや女の子らしい趣味を自分に固く禁じる事にしました。「母親に似て男好き」と言われないために。そして勉強に力を入れて、「リャクダツコン」をした母とは、対極の人間になろうと藻掻いていたのです。

 誠実で、悪事はおろか色恋にも疎いような人間として存在すれば、誰も私を「泥棒」などと呼ばなくなるかもしれません。


「あの人はそんな事をするようなキャラじゃないよ」


 そう言ってもらえたなら、私の勝ちなのです。


 気が付けば、私の日常からはいつの間にか色が消え、モノクロ映画のような世界で日々を生きるようになりました。大きな喜びはなく、冒険とも無縁な毎日。何かに心を動かされることなどなく、誰かからの白い目から身を守るようにして、淡々と日々のすべきことをこなすだけの毎日です。


 そんなある日、クラス一の美少女の消しゴムが盗まれました。

 もしかしたら、どこかに落としたのを勘違いしただけかもしれませんが、発言力の強い彼女が「盗まれた」と言ったなら、事実はどうあれ「盗まれた」事になるのです。親衛隊が徒党を組んで、消しゴムの捜索にあたりました。その時、


「倉持が盗んだんじゃね?」


 取り巻きの一人である男子が私を見て、言いました。もちろん、私は消しゴムなんて盗んでいません。どうしてそんなことを言うのかと反論すれば、彼は胡乱な目で私を見て言うのです。


「だってお前、よく落ちてる鉛筆拾ってんじゃん。落っこちてた消しゴムも一緒に拾っちまったんじゃねぇの?」


 その一声を皮切りに、クラスメイト達が次々に私の荷物を暴いて、私が女の子の消しゴムを隠し持っていないかどうか、探し始めたのです。

 やめて、やめてと言いながら、私は己の悪癖をその日、初めて後悔したのでした。確かに、見知らぬ人から見れば私は、落とし物を勝手に持って行ってしまう子供です。でもそれは、埋められない何かを癒すための、私独自の儀式だったのでした。

これ以上使えないゴミになるだけの鉛筆を復活させる。それは、周囲の人間から蔑みの目で見られるゴミのような自分と鉛筆を重ねて、


「あなたはまだまだ大丈夫だよ。ゴミなんかじゃないよ」


と、魂を吹き込んでいたような感覚だったのです。決して、泥棒をしていた自覚はなかったのです。

 しかし、「そういう子」として見られたならば、「そういう子」として接されるものです。

 私の荷物から彼女の消しゴムは出てきませんでした。校内のどこにも彼女の消しゴムはありませんでした。それにも拘わらず、私は一部の人たちから陰口を叩かれ続けました。


「どうせ倉持の仕業だろ、泥棒の子は泥棒なんだから」と。


 人は、その人の本質を知る前に、勝手なイメージで相手を己が物語の配役に決めるもののように、私は思います。それは当然のことです。

 相手の人となりを知るには時間が必要で、出会う人すべての構成要素を見るほどの時間的余裕は、誰の人生にも無いのですから。でも、京子ちゃんはそういう風に人との関係を結ぼうとはしないのですね。


 私にとっては、「後ろ暗い事をしそうにない印象」という意味で必死に守った「キャラじゃない」という言葉を聞いて、自分の殻から飛び出さんとしているのに足を引っ張って邪魔されたように、京子ちゃんは感じたのでしょうか。

 それとも私が、深く相手を知りもしないのに、どのような人間か勝手に決めつけて断じているのが腹立たしかったのでしょうか。きちんと対話しあわなかったので実際の所はわかりませんけれど、京子ちゃんはそういう風に考えていたのかな、と、私は想像しています。


 京子ちゃんはとても色彩豊かな世界で生きていますね。

 思い違いをしたならば、話し合ってきちんと誤解を解いて。相手の本質をしっかり見て。噂話に惑わされないで。新たな出会いを恐れないで。そうやってどんどん自分の世界を色鮮やかに、カラフルにしてゆける人なのだと、最近知りました。

 この学校に来てから、京子ちゃんとはずっと一緒にいたはずなのに。あなたがそんなにも勇気のある人だったと知っていたら、私はあなたと仲良くなっていたでしょうか。


 そう、私はあなたと違うのです。だから、あなたとは少し距離を置きたいと考えています。

 私にはあなたの存在が、眩しすぎて直視できないからです。


 おかしな事を言っていると、京子ちゃんなら笑うでしょうか。それでもかまいません。

 私はまだ、「人からどう思われても構わない」と思えるだけの強さがありません。ですから、新しく出来たおしゃれな友達に影響されて、どんどん綺麗になってゆくあなたが羨ましかった。妬ましかった。

 きっとあなたは、自分の女性としての価値を高めるのを、躊躇した事なんて無いのではないでしょうか。素直に「おんなのこ」でいられなかった私の色あせた世界などとは、無縁の場所で生きてきたのではないでしょうか。


 そんなあなたは私にとって、喉から手が出るほど欲しかったものを躊躇なく掴み、なんとも思わない人。たまらなく眩しいのです。


 太陽のようなあなたを前にすると、私は自分の影ばかり見てしまいます。陽光を直視するだけの目を持たない、土竜のような存在が私なのです。


 あなたも私を弱虫だと、思いますか? 私は、思います。けれど、ある日突然土竜が太陽の下を闊歩する事がないように、弱虫は弱虫のまま日々を紡いてゆくしかないのです。ですから私は、自分で築き上げた自分を演じ続けながら、残りの学生生活を終えたいと思っています。


 京子ちゃんと仲良くなれなかった事は本当に残念でした。こんなみっともない私と、今まで付き合ってくれてありがとう。


 またご縁がありましたら、その時はよろしくお願いいたします。

 それでは。


倉持 佳代子

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