美しき沈黙
大隅 スミヲ
美しき沈黙
その電話が掛かってきたのは、深夜3時を過ぎた頃だった。
見覚えのない数字の羅列。03からはじまるその番号は、固定電話からの通知であるということを表していた。
こんな時間に一体誰だろうか。
夜勤中の高橋佐智子は不審に思いながらも、着信を告げているスマートフォンを手に取った。
「はい、もしもし――」
「もしもし、さっちー?」
聞き覚えのない男の声。
一瞬、いたずら電話なのだろうかという思いが脳裏をよぎったが、わざわざ刑事の業務用スマートフォンにいたずら電話をしてくるバカはいないと考え直した。
「どちら様でしょうか」
「きぁあ、ちょっと待ってよ。落ち着いて、お願いだから店のものを壊さないでぇ」
電話の向こう側では誰かが暴れているらしく、大騒ぎになっている。
「さっちー、早く着て。マーメイドよ、マーメイド。夜明けのマーメイド。わかるでしょ。お客さんが暴れちゃっているのよ」
その言葉でようやく電話の主が誰だかわかった。
二丁目でゲイバーをやっているレイちゃんだ。あまりにも
「すぐに行く」
電話を切ると佐智子は出動の準備をはじめた。
新宿中央署刑事課強行犯捜査係。それが佐智子の職場だった。
「富永さん、二丁目の飲食店で客が暴れていると通報が入りました。緊急出動します」
同じ夜勤の相棒であり、一つ年上の先輩刑事でもある富永巡査部長に声を掛けると捜査車両のある駐車場へと向かう。
その途中で二丁目を管轄とする交番に連絡を入れて、制服警官に現場へと向かうように指示をした。
「どこから通報?」
「夜明けのマーメイドです」
「はあ?」
助手席に乗り込んだ富永がわけが分からないといった返事をする。
「二丁目のゲイバー」
「ああ、なるほどね。そこで客が暴れているってわけか」
「なんか尋常じゃない様子でしたよ」
そう会話をしながらも、佐智子は捜査車両のサイレンを鳴らして夜の新宿を走り出す。
現場につくと、先に到着していた制服警官たちが野次馬の整理にあたっていた。
「ご苦労さまです」
佐智子たちは制服警官に敬礼をして店の中へと急ぐ。
店内ではビール瓶やグラスが床に落ちており、破片が飛び散っている。
「あ、さっちー」
現場に入ってきた佐智子に気づいたレイちゃんが若い制服警官に支えられながら立ち上がる。
「どうしたの、レイちゃん」
「参っちゃったわよ」
そういったレイちゃんの声は低く野太いおっさんのものとなっており、いつもであれば美人なお姉さんのはずの顔も、ただの化粧をしている男にしか見えなかった。
「いい加減にしろ。状況をわかっているのか」
店の奥で年配の制服警官と中年の男が揉み合っている。
中年の男は首から下げた一眼レフカメラを持っており、誰かの写真を撮ろうとして制服警官と揉めているようだ。
「どうしたの」
佐智子がそちらに行くと、制服警官と揉めている男とは別に、男女が困ったような顔をして別の制服警官と一緒にいた。
※ ※ ※ ※
すべては後日の記者会見で明らかにされた。
事の発端は、週刊誌による元宝塚トップスターと歌舞伎俳優の交際報道のスクープだった。
「えー、
染川が頭を下げると、カメラマンが一斉にシャッターを切り、フラッシュが焚かれる。
歌舞伎俳優、染川栄之助による謝罪会見。
レイちゃんの店で大暴れしたのは、この歌舞伎俳優と週刊誌の記者だったのだ。
ふたりは写真を撮った撮らないで揉め、最終的には店のテーブルなどをなぎ倒す大騒動となってしまい、佐智子たちが駆け付ける事態となったのだった。
「染川さん、当日一緒に元宝塚男役トップスターの冴木ツバサさんがいたという情報がありますが」
記者たちからの質問に染川は何も応えず、会見場を去っていく。
テレビ局入りをしようとした冴木ツバサのもとにも多くの報道陣が詰めかけていた。
「冴木さん、染川さんとの親密報道がされていますが」
その言葉に対して、冴木ツバサは笑みを浮かべながら無言で会釈をして立ち去る。
翌日のスポーツ新聞の一面には、無言で立ち去った冴木ツバサの写真と共に『美しき沈黙』という大きな見出しが躍っていた。
※ ※ ※ ※
佐智子は真実を知っていた。
すべてはレイちゃんから聞かされたのだ。
本当は染川栄之助はゲイであり、冴木ツバサはレズビアンであるということを。
ふたりは世間の目をそらすためにわざと、夜明けのマーメイドで週刊誌の記者に写真を撮らせたのだそうだ。そこでちょっとした行き違いがあり、大暴れすることとなってしまった。
しかも、大暴れをしたのは染川ではなく冴木ツバサの方だったというのだから、驚きだ。
誰にも話すことが出来ない真実。
佐智子はその秘密を心にしまいながら、スポーツ新聞の記事を眺めていた。
美しき沈黙 大隅 スミヲ @smee
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