ジョハリの窓の、その先に

 自分のことが自分で分かっていない人は、多いはず。

 そんな自分でも、他の人から見たら、貴方にはこんな面があるんじゃない? と言われ、そう言えばそうだ。自分はいつも無意識にこういうことをしてる。自分はこうだったんだ。全然知らなかった。そう思うこともあるはず。

 この「堂々同盟」という作品は、そんなジョハリの窓のような小説だ。



 主人公、東堂の悩みは、「盗み癖がある」というもの。
 しょっちゅう人のものを盗んでは、両親に叱られ、自分でもどうして盗んでしまうのか分からず、何も改善が出来ないまま、東堂は高校生に。

 ある日東堂はまた、物を盗んでしまう。それはクラスの委員長、山田ひまりのボールペンだった。
 ……意外とファンシーなものを持ってるんだな。そう思いながらも、罪悪感にボールペンを戻そうと奮闘していたところに、その当の本人、山田ひまりに窃盗現場を目撃されてしまう。



 この後の展開・描写共に、とても見事だった。どうして東堂は物を盗んでしまうのか。そしてやめることが出来ないのか──。

 詳しくは言わないが、それは「本当の自分」を認めなければいけなかった。こんな自分がいると、知らなくてはいけなかった。

 高校生とはいっても、もう十数年生きているのだ。その間に培われた「考え方」を端に置き、新たな考え方を取り入れること。それはどんなに難しいことだろうか。

 この現代社会でも、偏見といった思想も後を絶たない。というか、偏見を持つことは否めない。それが人間の性だからだ。それでも、マイノリティという人もいるし、世の中、誰もが何かしらのマイノリティなのだろう。

 そんな偏見に怯え、私たちは「普通」になろうとする。そんな中、「堂々」としていられたら。本当の自分を認めることが出来れば。

 今この作品を読んで、私はそんなことを考えた。