堂々同盟
冬原水稀
堂々同盟
自分には、盗み癖がある。
厄介だと分かっているし、困ったもんだと自分でも思うし、「悪いことなのだ」ということも、もちろん承知している。が、俺のこれは抗えない衝動としか言いようがなかった。
弁解ではないということを承知で聞いてほしいのだが、衝動は追い風……いや、俺を故意にそうさせる意思を持った両手のように、背中を突き飛ばす。それくらい強いものなのだ。突き飛ばされた俺は簡単によろめき。そうして気付けば、一歩踏み出した右足の爪先が、超えている……「盗んではいけない」「盗め」の境界を。
ハッと我に返った頃にはいつも、片手に窃盗品。
しかも恐ろしいことに、盗んだ「それ」を見て俺の心は密かな安堵を覚えるのだ。全く、恐ろしいとしか言いようがない。
二重人格なのか?
何かの精神病なのか?
しょっちゅう同級生から物を盗ってくる俺に、呆れ怒る(当たり前だ)両親へ相談することは出来なかった。これは俺の意思でやっているわけではない……多分……と。というのも、俺の家は両親が厳しい。
「人間として誠実かつ謙虚な姿勢であれ」
「男は家を支えるもので、日々堂々とせよ」
厳しいというか、古い?
小学生の頃から何か違和感を抱いていた俺は、きっとカンがいい。「何か心の病があるのかも」なんて口に出した日には「お前の心が弱いのだ、そんなものは気持ちで乗り越えろ」と言われていたに違いない。
まぁおかげで、口に出せず、「ただの泥棒」としてのレッテルを貼られ、そのまま何の改善も無く、高校生の現在にまで至るのだが。
盗み癖が「万引き」まで発展することはなく、「同級生のものを盗む」に留まっていたのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
──
「ま、また、やってしまった」
震える。声が、喉が、唸る。こくり。動揺を飲み込んだ喉は、同時に唾を飲み込んでいて。あぁ、分かる。自分がこんな状況下で高揚していること。
その証拠に同じく震えた手は、震えているクセに、たった今盗んだものを落とさん離さんと握りしめていた。
教室の片隅。放課後。夕焼けの尾ひれを泳がせている窓枠。カーテンがひらひらと揺れて、この窓際一番前列の席──そして俺が傍らに立っている──を時折隠していた。ファスナーが空きっぱなしのペンケース。そこから俺は、ものを抜き取った。いつもと同じに。
早く盗んでしまおう。このまま立ち去ろう。両足が言う。
俺はぐっと、耐えた。
心の内で決意する。今日こそは耐えてみせる。この謎の衝動に。
一人の教室で、自分の足元を見つめる。息を吐く。逃げるなよ。
ここは確か、委員長の席だ。先生からの信頼も厚い委員長。文房具は、盗んでも「紛失した」ということで納得されるケースが多い。今までの経験上、分かる。その度に、罪悪感が全身の神経を刺すばかりだった。盗む時はあんなに躊躇いが無いというのに。あの痛みを、もう感じたくない。
今日は、今日こそは耐えろ。今なら間に合う。返せ。これを、今目の前にある、机の上のペンケースの中へ、入れるだけで良いんだ。
──ドッドッドッ。
どうした。
──ドックンドックン。
腕をペンケースへ伸ばしたいのに、伸ばせない。
空の手が最初にペンケースへ伸びた時は、あんなにスムーズに、流れるように手が伸びたくせに。それが当然であるかのように。
──ドグルンドグルン。
目の前がぐるぐるしてくる。何で、何でだ? 奥歯を噛みしめる。
もう盗みたくないのに。
考えろ。これは俺には要らないものだと考えろ。事実、そうじゃないか。右手がしっかりと握りしめる内側には、シャープペンシル。当然自分だって何本も持っているもの。要らない。要らないだろう……なぁ、盗む必要なんて無いだろう。しかもシャーペンには、ガラガラと少女趣味の模様が施されている。四葉のクローバー。ラメがちらつくハート模様。ネオン風のフォントで記された「HAPPY」の文字。言っては失礼だけれど、こんなの小学生の趣味だ。男が持っていてどうする。というか関係ないけれど、意外だ。あの真面目な委員長が小学生女児みたいな……可愛いものを持っているなんて。文房具屋でなく、明らかにファンシーショップで買っただろう、これ。委員長が一人ファンシーショップに入ってこれを買うシーンを想像したら、少し笑えた。違う。馬鹿にしているんじゃなくて。
“堂々”としていて良いな、って。
真面目で固いばかりだと思っていたから。
ほら、分かったら早く離せ。
「離せって……! こ、の」
一人で奮闘する姿は、端から見ればさぞ滑稽だろう。
見えない亡霊とでも戦っているみたいだ。
「俺には必要ない、必要ないって……」
「東堂くん、誰と喋っているの?」
突然の声にハッとして顔を上げる。
教室の扉の前に、立っている。当の委員長──山田ひまり、が。
彼女は不審そうに眉をひそめ、「そこ私の席」と小さく呟く。それから、おさげにした髪を揺らして、体を傾けた。俺の手元が見える角度を、覗き込むように。
「っあ、こ、これは……その、違うんだ!!」
咄嗟に飛び出た言い訳に呆れた。
何だ、この安っぽい否定は。刑事ドラマに出てくる犯人だって、もう少しマシな弁解をするだろう。
それに……一度ペンケースからシャーペンを抜き取った。これは紛れもない事実だ。
山田さんがゆっくりとこちらに近付いてくる。久々に現行の場面を見られて、俺の体は動揺で全身が固まっていた。中学生を卒業する頃には、俺の「盗み」技術が向上していて、誰にも気付かれずに済むことが多かったのだ。こうして人に罪を見られることが小学生ぶりで。今さら逃げようという気すら起きない。
やっぱり罪悪感は、嫌な感覚だ。
「それ、私のシャーペン……?」
「……ごめん!!」
一気に蛇口を捻るが如く、謝罪が溢れる。
頭を下げたのと同時に、シャーペンを彼女に差し出した。というか、半ば突き出した。体が固まっている今がチャンスだ。俺は「衝動」の鎖から今、解き放たれている。盗んだものを返せる。返したい。それでもう、終わりにしたい。
「これ、盗もうとしてた。本当、ごめん」
せめて、逃亡の衝動は耐えることが出来て良かった。逃げなかっただけで盗んだモノを自分で返すことは叶わなかったけど、こうして直接返すことは出来たんだから。
頭上の山田さんは困惑しているらしい。
「か、顔上げてよ! 何だか落ち着かないよ……盗んだ、ってどういうこと? これ、シャーペンを……? え? 要らないよね……あ、もしかして私が嫌いで困らせよう、みたいな……」
「違う! それだけは断じて違うから!」
盗み癖のことは、話しても仕方ないことだ。けれど、その誤解は良くない。慌てて顔を上げると、案の定、眉の寄ったままの委員長の顔。
返されたシャーペンを胸の位置で持って……俺の手が疼いてしまう。盗りたかった。
「じゃあ、どうして?」
「…………」
「謝ってくれたし、返してくれたんだもん。東堂くんが悪い人じゃないってことは分かるよ」
「……先生に告げ口しても良いから」
「それをするにも理由が分からないと」
今度は、俺が困惑する番だった。
規律は絶対守るし、与えられるべき罰はきちんと与える人だと思っていたのに。優しいやつだ。適当にでっち上げたら良いのに……そう思って、それこそ誠実な委員長にはあるはずないなと思い直す。
真っ直ぐな黒い瞳に見つめられて、俺は盗み癖のこと、今までの不安。全部話してしまった。
思えば、不安を誰かに口にしたのは、初めてだったかもしれない。
──
「衝動でものを盗んじゃう、か……」
俺の話を聞いた山田さんは、自分のシャーペンを見つめる。
彼女は自席に、俺はその隣に座っていた。盗人と被害者。それにしては、奇妙なほど静かな空気が流れている。きっと彼女が、俺を「盗人」として見ていないからだろうか。
少々、思案の時間があった。
「……思うところでもある? やっぱ病気かな」
「うーん……もしかしたら、そうかもね」
でも、と続ける、柔らかい声。
「私、その原因が分かったかもしれない。何となく」
「え!?」
分かった? 俺の盗み癖の、原因が? 今まで原因が分からなかったから、対処のしようも無かったことが?
流石委員長、頭が良い。
「頭の良さは関係ないよ」
くすっと笑われる。声に出ていたらしかった。
「でもその前に教えて。最近ね、女子生徒の持ち物が盗まれる事件が学校内でたくさん起こってて、学年会でも話題になってるの。その犯人も、東堂くん?」
うっ、と息詰まる。それから、頷いた。
恥ずかしい話だ。でもここまで来たら隠す必要もない。名も知らない女子の鞄についていたクマのキーホルダー。リボン。ヘアアクセサリ。置きっぱなしのマスキングテープ。そして今日のように、文房具。それらは、今俺の部屋にある箱にしまってある。親に見つかれば当然怒られるから。
なぜこんな女子物を持ってるんだ、って。
それを聞いた山田さんは「やっぱり」と言う。
「ねぇ東堂くん。もしかして今まで『衝動』で盗んできたものって女子からが多いんじゃないかな? ううん、女子じゃなくても……例えば、かわいいもの、とか」
「……言われてみれば……」
そうだったかもしれない。
小学生の頃は、よくからかわれたものだ。俺があまりにも女子からばかりモノを盗むから、「女の子に気にされたいんだ」「モテたいんだ」って。でもそうじゃなかった。それだけは断言出来た。
俺の中には。
もっと何か、別の意識があった……よう、な……。
男子から盗んだものは何だった?
シールだ。姉がいる男子が、共用で持っていた「かわいい」シール。
プラスチックの指輪だ。祭りのくじ引きであてて、「要らないけど、きらきらしててカッケーから持ってる」って言ってた男子の「かわいい」指輪。
鉛筆だ。親がピンクの鉛筆買ってきたって不貞腐れていた、男子の。
俺は、山田さんのシャーペンを「少女趣味だ」「小学生っぽい」と思いながら……しかし思う程に、それが手放せなくなった。
それは。
「いや……いや、でもそれは、おかしいだろ」
思わず零れる。一足先にこの結論に辿り着いたのだろう山田さんは、真剣な目をしていた。笑いもしなかった。おかしいと言ったのは、俺だけだった。
俺は、「かわいいもの」が欲しくて物を盗っていた。
今まで、ずっと?
「おかしい。そんな、男がおかしいだろ」
「おかしくないよ」
キッパリと。
目の前の彼女が否定してくれる。
「何もおかしくなんかない。……ねぇ東堂くん。さっき話してくれたよね。ご両親や家が厳しいから、盗み癖のことを話せなかったって。抑圧してたって。……これもきっと、同じことなんだよ。本当は東堂くん、可愛いものが好きなのに、『男らしく』っていう家の方針で、自分でもそれに気付けなかった」
その説得は、やけに心に、ストンと落ちた。
俺は、盗んだものを自室に隠している。
女子物を持っていると怒られるのが、取り上げられるのが怖いからだ。
盗みを怒られることが怖いのでは、ない。
「『男が可愛いものを欲しがるのはおかしい』っていうのも、刷り込みだと思う。……東堂くん。自分を認めてあげて。そうしないと多分、いつまでたっても盗むの、止められないよ」
俺は黙り込んだ。
可愛いものが好き。そんな自分を、自分で認める。それは、それこそ認められるのか? 親に、周りに……あぁ、そうか。少し分かった。
第三者に認められるか気にしている内は、絶対に、上手くいかないって。
「……だからって、『盗む』まですることないだろ……」
原因が分かってホッとした。その筈なのにどっと疲れが押し寄せて、椅子の背もたれに体重を預けた。
本当、盗みも抑圧による爆発だとしたら、とんだひどい話だ。どれだけの人に迷惑が掛かったと思っているのだろう。言い訳にだってなりもしない。こんなの。
山田さんはくすっと笑う。
それから、自分の手元のシャーペンを見つめた。
「……実はね。私もこういうのが好きって、周りに言えないの。だってこんなの、小学生っぽいでしょ?」
こういうの。こんなの。
その言葉が差すのは、俺が盗もうとしたシャーペン。確かに俺も、思った。小学生っぽくて意外だって。そう感じた時点で、自分の中には既に偏見があったのだ。
自分の好きなものを、「こんなの」扱い。
自分のことを認めるのはまだ少し、突然過ぎて追いつかない。けれど第三者の視点に立って、感じた。好きなものを「こんなの」と呼ぶ山田さんを見ていると。寂しい。
山田さんから見た俺も、そうなのだろうか。
だとしたら少しずつ向き合いたいと、ふと思う。
「でも。だからね。……怒るかもしれないけど、ちょっと嬉しいの。東堂くんもこういうの好きなんだなって思ったら。仲間が出来た……って気持ちになっちゃって。本当にごめん!! 嫌だよね」
「あぁいや、全然!」
するり。
「めちゃくちゃ可愛いと思う。そのシャーペン」
あっけなく、言葉が出てきた。
山田さんは一瞬目を見開いて。
それからはにかんだ。おさげ髪が揺れる。その顔も、何だか可愛いと思った。
「あ~~……でもごめん。まだこのこと皆に秘密にしといて。ちゃんと自分で認められるようになるまで」
「もちろん。わざわざ言いふらしたりしないよ」
「やっぱまだ、恥じぃな……」
「恥ずかしくない! ……って言いたいとこだけど、気持ち分かるなぁ」
「堂々と言えるようになりたいな」
「なりたいね」
すっとして、心地良かった。たった今、通常通り疼かずに膝の上で握りしめている手が。もうこの先一度も疼かない。そんな予感がした。
「今度、一緒にファンシーショップ行こうよ」
山田さんの言葉に頷いた。
終
堂々同盟 冬原水稀 @miz-kak
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