第5話
口中を満たす血の味に、その美味に、彼は吼えた。虜囚の日々の絶望は、この歓喜を引き立てるためにこそあったのかと思うほど。辱めるためのひと雫やふた雫ではなく、小さな傷から流れ落ちるささやかなひと口やふた口ではなく。欲するままに貪り呑み干すことの満足感と征服感は例えようもない。
美しい少年の頬がみるみるうちに青褪めるのを、宝石の色の目が茫洋として焦点を失っていくのを、彼は愉しんで眺めた。高慢な美貌を踏み躙ってやるのを、何度思い描いたことか。宿願を実現させた高揚もまた、酩酊に似た彼の勝利感をいや増した。
「やった。──やってくれたんだね……!」
と、喜色も露な叫びを聞いて、彼は獲物から牙を離した。予感があったのか、鎖が弾ける音を聞きつけたのか。火傷の少年が、血の気を失った片割れを目の当たりにして目を輝かせていた。復讐が叶った喜びに、引き攣れた顔を満面の笑みらしい表情に歪める少年に微笑んで──彼は、こちらにも牙を突き立てた。
「──え?」
先ほど聞いたのとまったく同じ喘ぎが、少しおかしい。少年の驚きと戸惑いの震えが牙に伝わるのが血の甘さを引き立てた。吸い尽くしかけていた片割れよりも、こちらのほうが水気たっぷりで、良い。あるていど啜ったら飲み比べるのも一興だろう。
彼が大人しく復讐の道具になると思っていたなら、火傷の少年は美しい片割れよりもより愚かだった。彼は、何の約束もしていない。こちらの少年は勝手に恨みを募らせ、勝手に血を流しただけだ。双子の血の甘美さを身を持って教えたのは、そちらのほうではないか。ここまで飢えさせられて、華奢な少年ひとりで満足できると思うのがおかしい。ごちそうがあるなら、両方をいただくまでだ。
より血管を探るべく、火傷の少年の首筋を咥え直そうとした時──だが、足に走った激痛に、彼は口を開けて悲鳴を上げた。見下ろせば、先に投げ捨てた美しいほうの少年が、震える手に銀の短剣を握っている。白い刃を曇らせる濁った赤は、人ならざる彼の血の色だ。
食われるだけの子兎が、悪あがきを。
怒りに任せて、軽い身体を蹴り飛ばすと面白いように転がった。だが、気分が晴れたのも一瞬のこと、今度は背中を痛みが襲う。慌てて振り向けば、火傷の少年がやはり銀の刃を彼に突き立てていた。焼けただれた唇に、引き攣った会心の笑みを浮かべて。こちらも、腕の一閃で容易く吹き飛ぶ。だが、その間に双子の片割れが這い寄り、再び足を狙ってくる。
下に注意を向ければ、上から。上からの攻撃を凌げば、下から。双子たちは巧みに連携して彼の傷を増やしていく。いまだ飢えが癒え切らない肉体から、彼の力が淀んだ色の血として流れ出していく。目がかすみ、足がふらつく。少年たちの血で酩酊した脳は上手く働かず、一方で焦りが生む無駄な動きはいっそう彼を消耗させる。そして──
気が付くと、彼は再び銀の鎖に繋がれ、さらに銀の刃で四肢を床に縫い留められていた。まるで豚の丸焼きにでも齧り付くかのように彼の肌を裂き、肉を噛んで血を啜りながら、少年たちは咀嚼の合間に仲睦まじく語らっている。
ひどいことをしてごめんね。お前を、守りたかったから──
分かってる。お前こそひとりで痛い思いを──
ううん、お陰でこいつを手に入れられたし。
弱らせながら驕らせて油断させる……加減は、大変だったけれど。
お前にもたくさん怪我をさせたよね。
大丈夫。餌付けと──拘束のためだから。
ああ、そうか、と。身体を喰いちぎられる痛みの中で、彼の脳に理解が閃く。このふたりは何もかも知っていた。何もかも計画していた。相手の苦痛も苦悩も。囚われた
見事に嵌められると、怒りよりも感嘆が勝るというのを、彼は長い生で初めて知った。しょせん彼は人ではないから、強い者──
美しい少年の美貌が翳ることはもはやなく、火傷の少年の無残な傷も、もはや跡形もなく癒えたのだろう。化物ひとりを喰らって、新たな化物の対が生まれたのだ。鏡映しの姿の綺麗な化物は、手を取り合って軽やかに闇の中に消えて行くはず。そうして永遠の時をふたりきりで謳歌するのだろう。
残骸のようになり果てながら、彼はその様を見られないのが残念だと思った。
銀鎖の呪い 悠井すみれ @Veilchen
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