05 我が愛しのレディ、目覚めのキスでもしたほうが?
自分の身体を見つめる私に、マスグレイヴスは気取った態度でくちを開く。
「我が愛しのレディ、目覚めのキスでもしたほうが?」
「結構ですんで」
「まったくつれないな、君は。いったい、いつになったら僕の愛を素直に受け取ってくれるんだい?」
出会って、青春を謳歌して、卒業して進路を決めるときも、一緒に研究所へ誘ってくれて。
なんというか、周囲は当然ながら、私と彼は、そういう関係だと思っていたことだろう。私も外野だったらそう思う。むしろ「それで付き合ってないんかいおまえら」だよ。自分の身に置き換えたら、「そうは言っても、こっちにも事情があるんだよ」と言いたいんだけどね。
私は平民だけど、身分的なことは問題にならない。魔法使いというだけで地位は確立されているし、マスグレイヴスも王族の血縁とはいえ、表には出られない立場。高位貴族と縁付くほうが、逆にまずいのである。
だから問題なのは、私の心情のほう。このままマスグレイヴスと関わっていては、ゲームの世界が損なわれると思ったのだ。それに、将来的には「人形を偏愛する変態講師」となることもわかっていたので、そこは問題あるかなって尻込みも。べつに個人の趣味にくちを出す気はないけど、さすがに等身大人形を愛でるのはちょっとねえ。まさか、その人形が私だったとは思わなかったし、人形じゃなくて魂が抜けた本体だったとは想像だにしていなかった。斜め上すぎる。
卒業後も付き合いが続いているアルヴィンは、侯爵家の跡取りとして順調に評判をあげている。友人として鼻が高い。紹介してくれない? と、声をかけてくる女子もいるけど、目下、取次自体を私は断っているところだ。
しかし、そんな日々を送っていると、当然気になってくる。
エルヴィーラちゃんはどうなっているんだろう。本当にゲームのストーリーは始まるのだろうか。ヒロインは現れるのだろうか。あの天使のようなエルヴィーラちゃんが悪役令嬢へ変貌を遂げ、非業の死を遂げる? そんなことになったら、アルヴィンはどれだけ嘆き哀しむことか。
いちプレイヤー、読者として想像していたそれは、今の私にとっては身近な現実。アルヴィンにあんな顔をさせたくはないし、エルヴィーラちゃんが死んでしまうのも絶対にイヤだ。
もやもやしていたら、その日はやってきた。マスグレイヴスが学院に臨時講師として招かれることが決定したのだ。国王からの勅命だと肩をすくめて、「しばらくは一緒にいられないな」と不満そうに呟いたが、私はそれどころじゃない。
「私も行きたい、見たい」
「嬉しいことを言ってくれるね。では、いっそのこと結婚しようか。妻帯者ともなれば、学院の外に家が持てるし。学院長や先生たちにもひさしぶりにあいさつを」
「エルヴィーラちゃんが気になるの。マール殿下って評判悪いじゃん。都合よくサンドバックにされてるんじゃないの? アルヴィンが心配してるし、でも男はあんまり近づけないから」
「……君ってそういうひとだよね。でも、生徒以外は不用意に立ち入れない。君もそれは知ってるだろう?」
王立学院というだけあって、立ち入る人間は厳重に管理されている。「先生として雇ってください」って言っても、すぐに諾とはならないのだ。それは魔法使いでも同様。むしろ魔法使いだからこそ、厳選される。危ないからね。
「そうだ。幽体離脱して、意識だけを飛ばすのはどうかな」
「どうかなって……」
「ほら、どれぐらいの時間、肉体を離れていられるのか知れたらいいなって、言ってたでしょ。私が被験者になる。学院は守られし場所だから、外敵を気にしなくていいし、テストするには最適な場所じゃない?」
幽霊状態でエルヴィーラちゃんを見守り、なんだったらヒロインとマールの邪魔をしよう。ポルターガイスト起こしましょう。
「言い出したら聞かないのがエッダだよね。わかった。だけど、危ないと思ったら止めるからね」
「了解」
そして私たちは学院に向かい、この学院外れの研究室で魂分離の秘術をおこない、実験を繰り返した。はじめは研究室の周辺を漂うだけだったけど、すこしずつ距離を空けて、そうすると魂が希薄になることもわかってきた。
あ、はい。ここで出てくるのがマスグレイヴスが所持していた、小型人形でございます。あれ、私と会話してたんだなあ。
小さい人形(フィギュアとは言いたくない)で見る世界は、また不思議なかんじだった。すべてが巨大。小さくなったアリスってこんなふうだったのかな。マスグレイヴスからすれば、小人の国へ行ったガリバー状態か。
マスグレイヴスが妙に嬉しそうだったのは、なんでだろうね。おもしろい体験ではあるとは思うけど、比率の違いはいろいろと不便だと私は思ったんだけど。
じつは本当に人形マニアなのだろうか。奴の部屋にそういうのはなかったはずだけど。人形のスカートをめくる変態じゃなくてよかった。
そんな実験を繰り返しているうちに、ついにヒロインが現れて、マスグレイヴスいわく、マールが平民の少女と話をするようになったと聞かされて、私は大いに焦った。次の幽体離脱ではエルヴィーラのようすを見に行ってくると告げて、出かけて。
そうして、ああなったわけだ。
園庭は研究室とは正反対の位置にあるから、身体から離れすぎてしまって、私の意識は希薄になった。エルヴィーラちゃんのことを心配していたことだけは強くこころに残っていたのか、彼女を見つけて近づいて。
近づきすぎて一体化して、そのままエルヴィーラを依り代にして、定着してしまった。というのが、今回の顛末である。
エルヴィーラの身体にいるあいだは、そちらの意識が勝っていたけれど、意識だけの状態で自分の身体を見たことで、記憶が戻ってくる。
一歩一歩進んで、私は自分の身体に近づく。近くで見ると、よくわかった。髪も乱れなく綺麗だし、顔もまったく汚れていない。とても、とても丁寧に扱われていたことが見て取れて、こそばゆい。もぞもぞする。きっとずいぶん心配をかけたのだろう。
授業を終えて戻ってきたら、研究室にはなんの気配もなく、魂が抜け落ちた人形となった身体だけがあったら、そりゃ驚くよね。言うなれば死体遺棄。事件ですよ事件。
でもマスグレイヴスは幽体離脱実験のことを知っているから、ひと晩待った。次の日も戻らないことがわかると、私の身体に時間凍結魔法をかけ、魂を探しはじめる。
最後の幽体離脱をしてから、約二ヶ月。ようやく見つけた私は、エルヴィーラと完全に同化しており、エイディッタとしての記憶がいっさいないときたもんだ。
それでもマスグレイヴスは真実を突きつけることもなく、遠まわしに、なんとなく、それとなく匂わせながら、私をこちらへ誘導した。エイディッタの憂慮がエルヴィーラにあることがわかったから、協力もしてくれた。
性格に若干の難はあるけれど、彼は優しいひとではあるのだ。
眠れる森のなんとか(自分で美女とか言うのはちょっと)状態の身体に手を伸べた。幽体が溶けるような感覚がして、肉体に引っ張られていくことがわかる。
ふわりと身体が浮く感覚。高層エレベーターに乗ったような、あの奇妙な感覚。
小さな瞬きを繰り返して、ゆっくりと目を開くと、すぐ傍にいるマスグレイヴスが視界に入った。リアルで見ると、透き通った碧眼とプラチナブロンドの髪が美しい。片側の肩に流した長髪は、陽光を受けてきらめく。シルクのような艶やかさ。
エルヴィーラのときはなんともなかったのに、自分の身体に戻った途端、勝手に胸が高鳴る。乗じて体温も上がる。くそう、イケメンめ。
過去の――エイディッタとしての数々の記憶が脳裏をかすめ、己の心情に舌打ちしたくなる。素直じゃないとか意地っ張りだとか、生前、数々の作品キャラクターに対して言っていたものだが、私も傍から見ればじゅうぶんそれに値しているとわかるからだ。自分テンプレすぎ。
マスグレイヴスは、そういう私の天邪鬼っぷりをわかっていて、適度な距離を保っていた。押したり引いたり、付かず離れず。十代の半ばから現在に至るまで、気が長いというかなんというか。そのことを嬉しく感じている自分がいて、申し訳なさと、やっぱり素直になれないことへの苛立ちとがないまぜになって、胸の中がさらに騒がしい。
そしてこの男は、私が今いろいろと焦ったり、後悔したり、恥ずかしさに悶えたりしていることも承知していて、見守っているのだ。
悔しい。すげー悔しい。くそうイケメンめ。
不機嫌さを表すためにくちを尖らせると、奴は嬉しそうに微笑んだ。端正な顔がゆっくりと近づいてくる。
「ちょっ、待って、隣の部屋にはアルヴィンとエルヴィーラちゃんが」
「向こうだって、それどころじゃないだろう?」
「でもエルヴィーラちゃんは優しいから、自分の中にいた『私』がどうなったのか、心配するだろうし」
「あとで顔を見せればいいさ」
「でも、こっちのようすを見に来るかもしれないし!」
「平気だよ。だって」
がちゃり。
そうだ、さっきこいつは扉に鍵をかけた。
大事なことなのでもう一度言おう。鍵を、かけたのだ。
「さて、君がきちんと実体を取り戻したのか、五感のチェックといこうじゃないか」
覚悟はいいかい? レディ。
意地の悪い、マッドサイエンティストの顔で笑ったマーレイが囁く。
そうして執拗なる接触を繰り返すことで、ありとあらゆる感覚を私に知らしめたのだった。
なお、具体的にどういう接触だったのかについては、ご想像にお任せする。
推しのハッピーエンドのために婚約解消に尽力したら、全方位幸せになりました。たぶん。 彩瀬あいり @ayase24
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