ミライノコ
大隅 スミヲ
ミライノコ
太陽の光が眩しかった。
なぜ空を見上げているのだろう。
そんな疑問をいだきながら、おれは上半身を起こした。
体は新雪に埋もれていた。
なにがあったのだろうか。
記憶をたどると、その答えはすぐにみつかった。
そうだ、おれは滑落したスバルに手を伸ばして、一緒に谷底へと落ちたのだ。
体を動かして、自分の状態を確かめる。
多少の傷みはあったが、骨などは折れていないようだ。
一緒に落ちたはずのスバルは、どこにいるのだろうか。
おれは周りの雪をかき分けながら、スバルのことを探した。
手袋が落ちていた。ショッキングピンクの手袋。
間違いなく、スバルのものだった。
その近くを掘り起こしてみると、そこにはスバルの足があった。
慌ててまわりを掘り、スバルを助け出す。
まだ意識を失っているのか、目は瞑ったままだった。
胸は上下しており、かすかながら呼吸はしているようだ。
よかった、生きてる。
「おい、しっかりしろ」
おれは平手でスバルの頬を叩いた。
長いまつげの瞳をゆっくりと開いたスバルは、おれの顔を何秒かみつめていた。
「えっ? おとうさん?」
まるで寝ぼけた子どものような口調で、スバルはいった。
「いや、違うけど……」
おれは笑いをこらえながら、スバルの顔をじっと見る。
少しずつ状況がわかってきたのか、スバルの顔が赤くなっていく。
「あ、先輩……。なんで、先輩? え? え? ええ!?」
「まて、落ち着け。落ち着くんだ、スバル」
おれは咄嗟にスバルのことを抱きしめた。
ここで取り乱されて、二次災害が発生したりしたらたまったものではない。
少しずつ、スバルは落ち着きを取り戻してきた。
「先輩、もう大丈夫です。大丈夫だから、はなしてください」
「あ、ああ。悪い、悪い」
おれはスバルのことを抱きしめていた腕を解いた。
「あの、ここはどこなのでしょうか?」
スバルの言葉に、おれは辺りを見回す。
一面銀世界であり、ところどころに低い木が生えている。少し離れたところには、巨大な壁のような断崖がある。おそらく、おれたちはこの上から落ちてきた。
たしか、この山の八合目までは登ったはずだ。
おれたちのパーティーは山頂付近にある山小屋を目指していた。
パーティーは大学の登山サークルのOBで結成されており、冒険家としてようやく軌道に乗りはじめたおれと後輩で現役自衛官の阿部を中心に、当時サークルのメンバーだった白岩とスバル、そして久保アユの5人でこの雪山踏破に挑んだのだった。
まだみんなには言っていなかったが、この雪山踏破を最後におれは登山サークルのOB会から離脱する予定だった。
おれは冒険家として世界の山を目指し、久保アユにプロポーズをするつもりだったのだ。
指輪は山頂の山小屋に隠してある。そこでみんなに証人となってもらい、プロポーズを成功させるはずだったのに……。
「先輩、どうしたんですか。どこか痛いんですか」
目に涙をためているおれに気づいたスバルがいう。
あれは事故だった。誰も悪くはない。
おれはそう自分に言い聞かせて、スバルの方へと顔を向けた。
スバルはおれにとっては妹のような存在だった。こんなところで泣いている場合ではない。何とかして、彼女を守ってやらなければ。
少し辺りを歩いてみたが、本当に何もなかった。
背負っていたはずのバックパックもどこかへ消えてしまっていたし、ポケットの中に入れておいたはずの非常食用のチョコレートもどこかへ消えていた。
あまりのんびりしている暇はなかった。
天気が怪しくなってきている。
「まずはベースキャンプを作る必要があるな。このまま、ここにいたんじゃ、凍死してしまう」
おれはそういうと、雪洞を作りはじめた。
雪洞があれば、少しは寒さをしのげるはずだ。
なんとかスバルとふたりが入れるほどの雪洞を掘り終えた頃には、風が強くなり、吹雪になりはじめていた。
この様子では阿部たちも、おれたちのことを探しに来るのは不可能だろう。
時間が経つごとに寒さは増して行った。
食料もなければ、暖を取るための火もない。
このままではマズイ。
おれはスバルに近づくと、二人で抱き合って暖を取ることを提案した。
最初は嫌がったスバルも、寒さに耐えきれなくなったのか、おれの提案に乗り、ふたりは雪洞の中で抱き合って体を温めあった。
どのぐらい時間が経ったのだろうか。
いつの間にかおれは眠ってしまっていた。
目を開けると、すぐ目の前にスバルの長いまつげが見えた。
どうやら、スバルも眠ってしまっているようだ。
「おい、スバル。おい、大丈夫か」
慌てておれはスバルを起こした。
一瞬、間があってスバルの目が開く。
「いま、何時ですか」
「わからない。ただ、吹雪は収まっていないみたいだな」
「そうですね。このまま、助けを待つしかありませんかね」
「少しでも天候が回復してくれればな……」
おれは持っていたスマートフォンの画面を覗いた。電波は全く届いていない。これではただのプラスチックの塊だった。
「そうだ。せっかくなんでジェンガやりませんか?」
「はあ?」
「時間つぶしにはもってこいですよ、先輩」
スバルはそういうとポケットから細長い棒状の木を幾つも取り出した。
どうなっているのかわからなかったが、そんなことはどうでもいいと思い、おれはスバルの出したジェンガの棒を拾い上げた。
「言っておくけど、おれジェンガ得意だからな」
「そうなんですね。わたしは初めてです。一度、ジェンガやってみたかったんですよね」
「え? やったことないの?」
「はい。おとうさんはジェンガが得意だったって聞いてはいたんですけれど、やったことはありません」
しばらくのあいだ、ふたりは時間を忘れてジェンガを楽しんだ。
ジェンガは確かに時間を潰すことは出来たが、空腹を紛らわすことはできなかった。
「お腹、空きましたね」
「そうだな」
「あ、そうだ。わたし、いいもの持ってます。忘れてた」
そういってスバルがポケットの中に手を入れる。
先ほどはジェンガ、今度は何が出てくるのだろうと、おれは期待と不安でいっぱいになっていた。
出て来たのは、土鍋セットだった。
「え……」
さすがのおれもこれには言葉を失った。
しかし、スバルはそれが当たり前かのように土鍋を雪で作った土台の上に置く。
「さあ、たべましょう。熱々ですよ」
スバルはそういって土鍋のふたを開ける。
そこには熱々のおでんが入っていた。
「というか、どこからこれを出したの、スバルちゃん?」
「ポケットですけれど」
「いやいや、こんなデカイものが入っているわけ無いじゃん」
「そんなことは気にしないで食べましょう。おでん、好きでしょ?」
色々と疑問は残ったが、空腹には勝てなかった。
それにスバルのいう通り、おでんはおれの大好物でもあった。
スバルにおれがおでん好きだって話をしたことあったっけな。このことを知っているのはアユくらいだと思っていたのだが……。
おれはそんな疑問を抱いたが、熱々のおでんを頬張っているうちにそんな疑問はどこかへと消えてしまった。
「一緒におでんを食べるの、夢だったんです」
「
おれは熱々の大根を口に含みながらスバルの言葉に反応した。
「やっぱり、一緒に食べるおでんは最高ですね」
スバルは嬉しそうに笑っていた。
食欲が満たされたことで、今度は睡魔との戦いとなった。
眠りそうになるのをおれは必死に耐えた。
しかし、
なにか温かいものに包まれているような感覚があった。
とてもふわふわで温かい。もしかして、ここが天国なのか。
はっと目を覚ました。
目を開けるとそこは天国ではなく、雪洞の中だった。
おれの上には羽毛布団が掛けられており、スバルも一緒に眠っている。
「え、なんで?」
自分の目が信じられなかった。なぜ、雪洞の中に羽毛布団があるのだ。
そうか、もうおれには限界が来ていて幻覚が見えているんだ。
おれは大声で笑った。
「うるさいな」
そんなおれを見てスバルが羽毛布団に
「なあ、スバル。おれたちは、頭がおかしくなっちゃったんだろ。もしかしたら、本当はもう死んでいるのかもしれない。なあ、そうだろ。そうなんだろ、スバル」
「なに訳解んないことを言っているの。きちんと、生きているよ。しっかりしてよ、お父さん」
スバルの平手が飛んできて、おれの頬を打った。
そこでおれは我に返った。
そして、我に返ると同時に疑問が湧いてきた。
「いま、なんて言った?」
「なに訳解んないことを……」
「いや、そこじゃなくてさ。最後」
「あれ?」
「いやいや、とぼけるなよ」
「そっか、バレちゃったか」
その後、スバルの口から語られた話はすべてが信じられなかった。
スバルは未来から来たおれの娘だった。
どうしても、おれに会ってみたくてタイムマシンを使って2022年へとやって来たのだそうだ。
「え、じゃあ、登山サークルの後輩っていうのは?」
「それは思い込みだよ。そう思い込むようにしたんだけどね」
「なんだよそれ、未来人こえーよ」
「楽しかったよ、お父さん。会えて良かった。ありがとう」
スバルはそう言うとおれに抱きついてきた。
おれはなんだか複雑な心境だった。
未来から来た娘は、おれとやってみたかったことを実現して満足している。
ってことは、未来のおれは娘に対して、いまやってきたようなことをしてあげれていないということだ。
おれってダメ親父になっちゃうのかな。
いまからそんなことを考えても仕方ない。
過去は変えることが出来ないけれど、未来はどうにでも変えることが出来るのだ。
おれは暗い考えを捨てて、スバルのことをぎゅっと抱きしめた。
それから数日後、仲間たちと山岳救助隊がおれの雪洞へと救けにやってきた。
どうやら、おれは10日もの間、遭難していたらしい。
すでにスバルの姿はそこにはなく、ジェンガも羽毛布団も消えていた。
おれは救助ヘリに運び込まれて、山を降りた。
そして、山を出たと同時に、あの時の記憶はすべて消えてしまっていた。
※ ※ ※ ※
夏になり、おれは忘れ物を取りに行くといって、アユとふたりであの山を訪れた。
遭難していた10日間の記憶はなかったが、どこか懐かしいものを感じていた。
不思議な気分だった。
山小屋に隠しておいた指輪を回収したおれは、改めて彼女にプロポーズをした。
そして、1年後の冬。彼女は身ごもった。
「なあ、このお腹の中の子が女の子だったら、スバルって名前にしないか」
おれはソファーでうたた寝している妻にそっと伝え、頬に口づけをした。
ミライノコ 大隅 スミヲ @smee
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