墓参り

惟風

墓参り

 うん、そりゃあ、もう一度会いたいって死ぬほど思ったけどさあ、こうもすんなり目の前に現れるとそれはそれでちょっと引くわー。


「えーお前、俺のこと見えるんだすげー」


 世間話でもするように話しかけてきたのは、先日、大々的な祈りの儀式と共に人柱にされた兄だ。

 遺髪を埋めた粗末な墓の前で、ゆらゆらと立っている。

 夜だし曇ってて暗いし見間違えたかな、ちょっと疲れてるんかもしれんな最近あんま寝てないし……と思って何度か目をこすってみたけど、一向に消えない。

 はっきり見えてるし声も聞こえてくる。

 俺より頭一つ高い身長、ほっそりとした身体、おっかあに似た切れ長の目。

 向う側が透けてること以外は、死ぬ前と全く変わらない姿だ。

 わー幽霊って本当にいるんだー。

 爺ちゃん婆ちゃんが、おっとうおっかあが、他の村人の誰が死んでも出てこなかったのにー。


 ……まてよ?

 もしかしたら、これは俺の弱い心が自分に見せた幻かもしれない。

 あまりにも会いたくて。

 だって、俺は納得してなかった。兄貴一人が村の犠牲になることに。

 雨乞いが成功するなんて、誰も信じてなかった。ただ、水も作物も無くなって、二進も三進も行かなかったから。

 大きな犠牲を払って、これだけのことをしたんだから報われる、って思いたかったんだ。

 眉唾の言い伝えに縋るしかなかった。

 成人したばっかのクソガキな俺が反対したところで、止めることなんてできなかった。

 雨乞いが終わって兄貴が死んでも、俺の中の未練が消えてないんだな。

 きっとそうだ。

 だから、こんな都合の良い白昼夢を見ちゃうんだ。夜だけど。


「お花持ってきてくれてありがとなー。他に墓参りに来る人いなくって、墓場って殺風景だなあって思ってたところなんだよ。やっぱそういう気遣いしてくれるとこ、自慢の弟だわ」


 俺の動揺をよそに、目の前の幻影は生前の兄貴と全く変わらないのんびりした口調で語りかけてくる。

 やめろ。にこやかにすんな。

 儀式の直前にニコニコして「お前は達者で暮らせよ」て言ってくれたこととか思い出してまた泣いちゃうから。


「アッごめんもしかして怖がらせちゃった? それとも具合悪い? ごめんなあ、俺昔からそういうの鈍感でさあ。バカって死んでも治らねんだな」


 めっちゃ喋ってくるじゃん。しかも優しいことしか言ってこない。いや兄貴はバカじゃねえよ殺すぞ。

 ……やっぱり、幻なんかじゃなくて実在する幽霊かもしれない。何だよ幽霊のくせに実在って。

 兄貴は困ったように頭をいている。指が長くて羨ましい。これも、おっかあ似だ。

 俺より八つも年上で大人なのに、一つ一つの仕草はどこか幼いんだよな。あざとい。

 かわいこぶるんじゃねえよ殴んぞ。

 思わず手を伸ばしてれようとしてみたけど、あっけなくすり抜けてしまった。何の感触もない。

 もう、あの長くて艶々の髪にさわれないのか。

 おっとうに似て剛毛で癖毛の俺なんかと違って、すげえ綺麗で絹糸みたいだったのにな。

 よく見たら、風が吹いても髪も着物も揺れてないや。

 そっか。やっぱ幽霊なんだな。


「なあなあ、どうだった? 兄ちゃんが死んだ後、ちゃんと雨降った? 俺こっから動けないし化けて出てきたばっかでよくわかんないんだよね」


 真面目だなー。ちゃんと村のこと気にしてくれてさあ。責任感がすごい。

 もっとさあ、あるじゃん。人柱にされた恨みつらみとか。

 そりゃ兄貴が自分から志願したけど、わりとそういう雰囲気になってたじゃん。俺か兄貴が言い出す他ないなーって。そういう空気になっちゃってた。

 幽霊なんだから、そういうことに対して恨めしやーってならないのかよ。

 弟の俺が人身御供になれば良かったのに、って。喧嘩ばっかりしてろくに働かない穀潰しなんだから、その方が村のためにもなったのに、って。

 兄貴が死ぬのは嫌なくせに、身代わりになるのは怖くて言い出せなかったヘタレ野郎が、って。

 村か俺を憎んでも良いのに、全然そんなこと思ってなさそうだなあ今めっちゃ笑顔だもん。

 でも、そういう実直なとこも含めて俺にとって最高の兄貴だったよ。今もそうだ。

 日照り続きでむらじゅうが食うや食わずになって、もうこれは生贄いけにえを捧げるしかないってなった時。

 集会所で誰もが俯いて押し黙ってた中、一人だけ名乗り出るくらいの、お人好しの男。

 皆の前では何てことないような顔してヘラヘラ笑ってたけど、儀式の前の晩は頭から布団被って震えて泣いてたの、俺だけは知ってるからな。

 俺はその横でもっと震えてたけど。


「何だよ無視すんなよー、寂しいじゃんかよお」


 顔近いよ。

 イヤ寂しいのはこっちの方なんだわ。

 二人きりの兄弟だったのに、兄に死なれた身にもなれっつーの。

 あーあ生きてるうちにもっと仲良くしとくんだったなあ。

 年離れてるし、どうにも照れくさくていっつもぶっきらぼうな態度しか取ってこなかったの、今になってめちゃくちゃ後悔してるもん。

 うわー本気で涙が出そう。やばい泣き顔見られるのはちょっと。恥ずかしい。


「オイオイ、泣くなってえ。全くお前は何歳いくつんなっても泣き虫なんだからよお」


 うるせえまだギリ泣いてねえから。コレは違うから。いつまでも子供扱いすんじゃねえよ。

 ……違う。

 本当は、「いつまでも変わんねえな」って何十年先も笑って言っててほしかったんだよ。

 そんで、兄貴だってそうじゃねえかって言い返したかった。

 ちくしょう。

 なんで俺に生きろとか言い残したんだよ。

 そんなこと言われたら、後を追うにも追えねえじゃん。

 自分だけ先に逝って、すげえズルい。

 俺、一人ぼっちになっちゃったじゃねえか。

 こんな宙ぶらりんで。


 涙腺が限界で、せっかく持ってきた花も供えずに兄貴の墓から逃げ出した。

 背中越しに、また来るからって声を張り上げるのが精一杯だった。

 兄貴は何か言っていたようだったけどよく聞こえなかった。

 涙声なの、気づかれただろうか。

 涙か鼻水かわからないモノが顔中を流れていく。

 走っている自分の足が、静かな夜にびちゃびちゃと湿気しっけた音を響かせる。

 花を捨てて、袖で雑に顔を拭く。

 拭いたそばから目も鼻もぐちゃぐちゃになる。

 足元は泥濘ぬかるんでいる。

 ずびずび。

 びちゃびちゃ。

 我ながら情けない姿だ。

 走って走って、とうとう、俺は声をあげて泣いた。

 うおおと獣みたいな声が出て、いっそう惨めになった。

 何もない。

 大事な人も。

 矜持も。

 何もかも無くしてしまったこの村で、俺は明日も生きていかなければならない。

 全然、自慢の弟なんかじゃねえよ。

 道端のごみを蹴り上げる。ぐちゃりと湿った音を立てて、遠くに飛んで行った。

 跳ね上げた飛沫で着物が汚れてイライラが増しただけだった。



 気がついたら家の前まで帰ってきていた。全身、汗びっしょりになっている。

 明日こそは花を供えてやろう。明るいうちに行って、墓の周りの掃除もして。兄貴は綺麗好きだったから。

 無様に生き残ってしまった自分にできる、数少ない兄への弔いだ。

 玄関に入ろうとして、何かにつまずきそうになる。落ちていた物をガチャン、といくつか踏みつけてしまった。

 家の中も片付けなければ。兄がいなくなってから、荒れるばかりだ。

 足に引っかかったものを摘み上げて、少し笑ってしまった。



 雨、なあ。

 ああ、ちゃあんと降ったよ。

 降ったとも。

 弟の俺が責任持って、降らせてやったから。

 だから兄貴。

 安心して。


 俺は汚れた手斧や包丁を片っ端から家の外に放り出していった。

 

 これで日照り問題も解決だ。




 散々降らせた血の雨が、村のそこかしこに赤い水たまりを作っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墓参り 惟風 @ifuw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ