見ているだけのお話






 少しだけ時間が過ぎました。

 それがどれくらいの時間なのか、何百年と生きている神様には関係なく、外に出ない女の子にも関係ありません。

 ただ女の子の外見に大した変化はなく、せいぜい服が汚れる程度の時間が過ぎました。



「ねえねえ、神様」


 女の子はまだ生きています。

 それはただ、神様の気まぐれが、ほんの少しだけ長かっただけです。

 何百年も生きている神様だから、人間とは時間の感覚が違うのです。



「神様は、どうして此処に居るの?」


 女の子はずっと神様に話しかけていましたが、神様は女の子をずっと無視していました。

 最初の日に話してから、それから何も答えてくれません。


 ただどれだけ無視されても、女の子はずっと話しかけます。

 返事なんて無いと分かっていても、女の子には他にやることが無かったからです。



 

 女の子の一日は、とても簡単で、単純です。

 起きたくなれば起きて、神様を遠くから見上げて、そして眠くなったら眠る。 それだけ。

 

 たまに小さい扉につけられた、女の子でも通れないぐらいもっと小さな扉がこんこんと小さく叩かれて、何かが置かれます。

 そこにはお盆があって、その上にお皿が二つあって、水と乾燥した肉一つと葉が二枚置いてあります。

 せいぜい女の子が、火傷の残った手でそれを食べている程度です。


 あとは人間用の扉から立派な格好の人達が定期的に入ってきて、神様に挨拶してきます。

 起きることといえば、それぐらいです。


 神様はずっと誰の声にも答えず、不機嫌そうに眠っています。

 女の子は不思議そうに首を傾げます。



「私知ってるよ、外は広いの。 とっても広くて……壁がなくて、何処まで歩いても、端っこが無いくらい広いんだって、皆が言ってた。 神様は外に出ないの? 神様はお外に出てもいいんでしょ? 一番偉いのに、怒られるの?」


 この国が女の子が生まれるよりも昔からずっとあるのは、神様のおかげです。

 だったら神様が一番偉いに決まっています。


 でも女の子が見ている限り、神様はずっと同じところに居ます。

 他の誰かが会いに来るなんてこともなくて、女の子がこうやってずっと喋っていないと、誰も居ないと思うぐらいに静かです。


 そして今も、女の子が何を言ったって神様は無視しています。

 身動きしないし、視線を寄越す素振りも見せません。


 だけど女の子は気にしていません。

 起きてから眠くなるまで座っていても、ちっとも苦痛ではないのです。



「……あっ、そうだ!」


 女の子はぽんとニコニコ笑いながら、音が鳴らない程度に手を叩きます。

 その意味を問う言葉も返事も何もありませんが、女の子は続けます。


「ねえねえ神様、前、ニエが死ぬときのこと、選んでも良いって言ってくれたよね? だから私、こうしたいっていうのがあるの。 良い?」

「……どうせつまらん願いに決まってる」


 久しぶりに返事がありました。

 神様の声はやはり女の子をバカにしきっていて、嘲るものです。


「えへへー当たってるかなー? すごいんだよー?」


 でも女の子はとても嬉しそうに顔を赤らめて、まるで未来のことを夢見る乙女のようです。

 自分の指をくるくると回し、恥ずかしそうにして神様と床を交互に見ます。

 その仕草は照れを多分に含んでいて、さっさと言ってしまえばいいものを、女の子は言うことを躊躇っています。


 どうせ『やっぱり死にたくない』だとか『せめて苦しまないやり方が良い』とか、そういう俗物的な、人間らしいことを言うに決まっています。

 だから神様は何の期待も無く、そして何を言ったところで叶えるつもりはありません。


 むしろ『楽に殺してほしい』だとか言えば、その瞬間にでも苦しむように殺してやろうかと思っていました。

 そろそろ女の子が本当に五月蠅く感じて来たからです。


「あのねあのね」


 女の子は恥ずかしがりながら、本気のお願いをします。

 頬を赤らめて、きゅっと目を閉じて、自分の手を重ねます。



「ニエはね? 空を見たいな」


 言ってから、きゃあ、と自分の発言に女の子は照れます。

 人生最大の告白でもしたかのように頬に手を当て、一人で興奮します。


 これを、神様は鼻で笑い飛ばしました。


「ふん、外に出たいか。 外に出たところで、お前の細い役立たずの足で、俺から逃げられると思っているのか」

「違うよぉ」


 女の子は激しく照れながら、ぶんぶんと首を横に振ります。


「空を見ながら、殺されたいな」


 女の子はあっけらかんとして言います。


 あまりにもバカバカしいことをひどく無邪気に言うものだから、その奥にある下心を邪推していた神様は、つい黙ってしまいました。



「空、空を見たいだと。 その程度の酷くくだらない、つまらない事さえ叶えば、お前は自分が八つ裂きにされても構わないと言うのか」

「うん!」


 女の子は照れながら、しかし迷いなく頷きました。

 それから腰に手を当てて、とても自信満々にします。



「だって空は凄く綺麗なんだって、皆が言ってたよ。 何処までも行けて、綺麗な青なんだって。 でもニエは、絵本でしか空を見たことがないの」

「……すぐ分かる嘘を言うな、此処に来るまでに一度ぐらいは見ただろう」

「見てないよ? ……あれっ? もしかして、これが空なの? でも、青くないよ? 空って青いんだよ?」


 女の子は興味津々で天井を見上げます。

 もちろんそこにあるのは岩だけで、空であるはずがありません。

 それぐらい、小さな子供でも分かります。


 でも女の子はとても真剣に天井を見ていて、冗談を言っている風でもありません。

 天井から頑張って、望む空の青を探そうとしています。


 

「……もうっ、神様? ニエでもこれが天井だって知ってるんだよ? 私が知ってるのよりずっと大きくて高いけど、でもこれは空じゃないよ。 本当に空だったら、見たら分かるもの」

「…………」


 あまりにもバカバカしくて、神様は黙ります。


 空なんて誰でも見たことがあります。 外に出れば、誰だって見られるものです。

 その程度のつまらないものを、苦痛ある死を引き替えてでも見たいなどと言うのは、とても愚かなことです。


 でもこの沈黙を違う意味に解釈した女の子は、慌てます。

 


「あっ、もしかして、ダメだった? 空ってすごく遠い? 神様でも、空見たことがなかった? じゃあ、えっと……出来ないこと言って、ごめんなさい」


 女の子は一気に不安そうな顔になって、神様の様子を伺います。

 それはもしかしたら、物凄く贅沢なお願いで、神様にも出来ないぐらいに難しいお願いに違いないから、怒ってしまったのかもしれません。

 

「お前と俺を一緒にするな。 空などという退屈でつまらないものをさも素晴らしいもののように言う、お前の愚かさに沈黙しただけだ」

「……じゃあ、神様は空を見たことあるってこと!?」


 とても嬉しそうに、女の子は身を乗り出し、今までで一番の大きな声をあげました。

 あまりにも大きな声だったから、神様は顔を顰めます。



「ねえねえ、空ってどんなの? すごく青くて、でも色んな青なんだよね? 雲っていう白くてふわふわしたものがあって、太陽っていう丸くてキラキラしてて、どんなものよりも明るくて眩しいものが浮かんでるって本当? 鳥って生き物、神様は見たことある!? すごい!?」


 女の子は顔を赤くし、とても興奮して次々と尋ねます。

 それらは全て、女の子にとっては知らないものばかりでした。

 神様の返事を待つよりも先に、女の子は言います。



「いいないいな。 ニエも、空を見て死にたいな」


 女の子は、間違いなく本気でした。 

 目の前に無い空を思い描いて、幸せそうにしていました。



 自分の前でそんな幸せな様子なのがあまりにも苛々して、だから神様は言いました。


「……好き勝手に言うな。 どうして俺がお前ごときに空なんぞ見せてから殺してやらなければならん。 お前にそんな自由は無い」


 勝手に、目の前の人間は自分の好きな状況で好きなように死ねると思っているようです。

 だとしたら、とんでもない思い上がりです。



 この人間がまだ生きているのは、神様の気まぐれです。

 だっていうのに死ぬ状況を選べるなんて、ましてや見たいものを見せてやるなんて、有り得ません。

 どうして人間にそこまでの温情をかけてやらないといけないのでしょう。


「え、あ、あれ?」


 女の子は驚きました。

 ずっと楽しそうに、起きながら夢を見ていた女の子は一気に現実に戻された顔で、困って、動揺しました。




「だ、だって、神様が……選んでも…………あの…………」

「何故俺が、優しくお前のつまらん選択など聞いてやらねばならんのだ。 思い上がるな人間」

「…………」


 それは女の子は初めて見せた顔でした。

 興奮と喜びでいっぱいだったのが、一気に落胆でいっぱいになりました。 

 そんな顔を見て、神様は少し気分が良くなりました。


 神様が見たいのは、そういうガッカリした顔です。

 こんなにも頭の悪い、頭の中に花畑でもあるような人間でも、こういう顔が出来るのです。


 女の子はとてもガッカリしたように口を閉じて、服の袖を掴んで震えました。

 


「うん、そうだよね、ニエのことは、全部神様が決めるんだもんね。 …………ちょっと、忘れてた。 ごめんなさい、私はニエです。 だから、ニエのことは、神様が自由に使ってください」

 

 女の子はガッカリしながらも笑い、その場で手を突いて、丁寧に頭を下げました。

 とても綺麗に、恭しく下げました。

 なにも知らない頭の悪い人間ですが、それだけはとても綺麗でした。


「ニエのことは神様が自由に殺していいから、他の皆には酷いことをしないでください」


 女の子は笑顔で言いきりました。

 とても言い慣れていて、流暢でした。

 まるで、これだけはずっと練習してきたかのようでした。



「そうやって俺に媚びてこいと、言われたか」


 女の子がちっとも命乞いをしなくてつまらないので、神様はバカにします。

 つまらないから視線は向けません。

 全部、女の子がつまらない存在なのが悪いのです。



「あの……神様がニエのことを殺したら、皆には酷い事をしないんだよね? 皆そう言ってたよ」

「お前も、お前達人間全て、俺がただ気まぐれで生かしてやっているだけだ。 お前が何処の誰かなどと関係ない、お前の死を以て他を許すなど決して有り得ん」

「…………えっと……」


 女の子はちょっと困りました。

 神様の言ってることは難しくて、女の子にはよく分からないことだからでした。



「……でも、私を殺すと、神様は楽しいんだよ?」

「勝手に決めるな」

「だから神様が私を殺したら、皆が」

「黙れ」


 女の子の周りに、また雷がいくつか落ちました。

 女の子には当たりませんが、とても眩しくて、とても大きな音でした。

 

「わっ」


 驚いた声をあげて思わず目を閉じ、女の子は腰を浮かせます。

 そのまますぐにへたりこんで、雷の落ちた後を見ます。

 今度は痛いのを学んでいるから、手を伸ばそうとして、すぐに引っ込めました。



「お前が人間どもに今まで呑気に生かされてきたのは、俺に殺されるためだけだ。 そしてお前がそうやって無駄に生きて無駄口を叩けるのは、俺の気分でしかない」

「…………?」

 

 女の子はきょとんとして、神様を見上げます。

 神様の言っていることは何も分かっていない顔です。

 

 神様もあまりの物分かりの悪さにそろそろ苛々してきて起き上がり、女の子を睨みつけます。

 その場で寝そべって動かなかった時からずっと大きな神様でしたが、こうやって起き上がると、女の子は見上げるので首が痛くなるぐらいに大きい神様でした。


 全身に毛、頭に角、毛の無い尾を持つ、とても大きな、紫の光を放つ黒い神様です。

 山ほど大きい神様にとって、女の子は小さすぎて、こういう状況でもなければ意識の片隅にも入らないほど退屈なものです。



「お前の言う『皆』が望むのは、お前が俺の機嫌を取って死ぬことだ。 人間は愚かだ、どいつも自分のことしか考えていない、お前の親だってお前には『さっさと死ね』と思って、お前を捨てたに決まってる」

「えっと……あの、神様……?」


 女の子は神様を見上げます。

 何か考えている、何かを言いたい困った顔で、神様を見ます。

 

 いつもニコニコと笑っているつまらない人間が、自分を見上げて驚いている姿を見て、神様は気分が良くなりました。

 神様を見る人間は、こうでなくてはなりません。 最初からやればよかったと、神様は大きな口を裂けさせて笑います。



「なんだその顔は? お前など、生きていたって誰も喜ばないんだ。 お前の親も、その周りも、友だと思った者も、お前を俺のエサとして捨てたんだ」



 人間用の扉には、頑丈な鍵がかけられています。


 理由はもちろん、女の子が逃げられないようにするためです。

 だから女の子がどれだけ泣いて喚いても、出られるわけがありません。


「お前みたいな頭の悪い人間でも、死は恐ろしいだろう? この瞬間にも俺はお前を殺すかもしれない。 せめて命乞いか、逃げる準備でもしたらどうだ?」


 それに逃げられたとしても、この女の子には何も出来ません。

 女の子は此処に来た時から、長く歩けない足だからです。

 走るなんて出来ません。 そんな体力もありません。 



 仮にすべての状況が女の子にとって有利に働いて、女の子がとても健康だったとして、神様は一瞬で女の子を捕まえて、ありとあらゆる苦痛を与える方法で殺すことが出来ました。

 

 そういうことを全部知っていて、神様は女の子を逃がそうとしました。

 もちろん、散々に怖がらせて、最後には殺すつもりでした。


「…………」


 女の子は息を呑みます。



 この女の子はもしかしたら、人より少しだけ可哀想なのかもしれません。


 でもだからって、それがいったい、神様になんの関係があるというのでしょうか。

 


 この女の子を可哀想だと思い守ってくれるはずの、この子と同じ人間ですら、喜んでこの子を神様の玩具として、差し出したのです。

 だったらいったいどうして、何故、神様がこの女の子をわざわざ助けてあげないといけないのでしょうか。



「ふ、あはははっ。 神様! 神様ったら!」


 大きく目を開いて、それから笑いました。

 こんな状況で、楽しそうに明るく笑いました。



「何を笑っている」


 神様だって困惑しました。


 どう考えたって、笑うところではありません。

 むしろ涙を流して、命乞いでもしている場所です。


「だ、だって、神様が変なことを言うから、あはは」


 女の子は笑って、何の恐怖も感じてない顔でした。


 これに、神様は怒りました。

 こんな弱い生き物相手に馬鹿にされているようで、とても怒りました。



「俺が、お前ごとき人間を殺せないとでも?」


 神様は女の子を睨んで怒ります。


 神様の、毛に覆われた大きな体が紫色の縞模様の光を放ちながら震えて、全身から違うものが沢山生えてきました。

 それはしなる刺や、長い爪の生えた腕や、とても硬い翼で、どれも真っ黒で光る紫の縞模様をしていました。


 その全てが、ただの人間にとっては触れるだけで危険なものでした。

 神様にとってちょっとした力でも、女の子の肉は簡単に引きちぎれてしまうほどです。

 


 そして離れたところに居る――神様にとっては一歩も無い距離の――女の子に向かって伸びていきます。

 それから全部女の子の目の前でわざとらしく停止しました。

 


「ほら、どうだ。 恐ろしいだろう? 今から、お前の全身を引き裂いて、この牙で砕いてやろうか? 全身の血を抜いて神経を壊してやろうか」


 どれも神様の体ですから、どんな形だろうと女の子を簡単に殺せます。

 見えない力でも、どんな方法でも、神様がそうしようと思えばすぐに殺せます。


 そういうものだからこそ、神様なのです。

 この神様は、殺すことはとても得意なのです。


 そして、こんな風に形が変化する生き物は人間には有り得ないので、恐ろしいに決まっています。

 

 

「もしかして、触ってもいいの……?」


 でも、女の子はとても興味津々で神様を見ました。

 すぐにでも自分を殺せる距離の凶器を見て、何の恐怖も示していません。


 怖がるどころか、女の子は恐る恐る手を神様の体へと伸ばします。

 逃げるのではなく、むしろ触ってみたいと好奇心をむき出しにしていました。


「ふざけるな」


 女の子が手を伸ばすと、神様は嫌そうに全部引っ込めてしまいました。

 何も無くなって、女の子の手は空しく空をかきます。


「人間ごときが俺に触れるな」

「え、だって、今……」

「汚らわしい」


 神様が蔑みきった目で女の子を見下します。

 伸ばしたもの全てが体の中に戻って、複数の獣の形を持った神様は女の子を睨みつけます。


 普通の人間なら、この神様に睨まれたら今にも殺されてしまいそうで、怖いにきまっています。

 なのに女の子は何も考えていない顔で、少し残念そうにしていました。



「えっと、でも、私、神様の前に行けるからって、いっぱい水で洗ってもらったよ? けがら……わしく? ないと、思うの」

「肉体の汚れではない、中身だ。 どっちにしてもお前、水で洗っただと? ふん、それは何日前の話だ? お前は見た目も中身も汚い、愚かな人間だ」

「…………汚い、かなぁ?」


 女の子は自分の手を見て、匂いを嗅ぎ、首を傾げます。


 そんな事よりも今から自分を殺そうと思っている神様が目の前に居るのに、命乞いをする素振りも見せません。

 命乞いをすればその瞬間にでも躊躇なく殺してやるのに、こんな頭の悪さでは殺す気も失せてしまいます。



「……お前、何故笑った」

「え?」


 女の子は神様を見上げます。

 神様はずっと不機嫌そうな獣の顔で女の子を睨んでいます。


「先程、俺の言葉の……何に笑った」


 低く唸る神様の毛の無い、鱗に覆われた尾がゆっくりと持ち上がり、先端は這うように女の子へと向けられます。


 とても太く、とても硬く、山だろうと簡単に砕く体ですから、こんな小さい子供なんて『触れた』うちにも入らず殺せます。

 女の子が、神様にとって気に入らない事を言ったら、さっさと突き刺してやろうと思っていました。



「ああ、そんなこと? うん、それはね、ふふふ」

 

 でも女の子は思い出して笑いました。



「ねえ神様、神様にはお父さんとお母さんって居るの?」

「質問に質問で……」

「ニエには、要らないんだよ?」


 ニコニコと女の子は答えました。

 楽しそうに笑って、とても無邪気でした。


「皆がね、『ニエヒメサマに親は居ない』って言ってたの。 だってニエは、神様に殺されるために生まれてきたんだもの。 神様に殺してもらわないといけないから、お父さんもお母さんも居ないのよ。 なのに神様は、親がーとか言うんだもの」

「ならお前は、自分は木の股から生まれたとでも言いたいのか」

「キノマタ? ……えっと、ニエはキノマタから生まれるの? 神様、ニエの作り方、知ってる?」


 女の子は無邪気に言いました。

 決して神様の機嫌を損ねないように同調しているのでも、媚びているのでもありません。

 本当の、本気で、そんな事を言っているのです。


 そして女の子は続けます。


「それにね、『友』って神様言ったでしょ? これも変だよね、だって皆言ってたよ? 『ニエヒメサマには友なんて要りません』って。 ニエは神様の好きに殺してもらうために居るんだから、ニエが持ってもいいのは、神様が殺せるものだけなんだよ」


 だから、女の子は笑いました。

 あはははと明るく、自分の境遇に疑いもなく笑っていました。


 

「あ、でもね、友達もお父さんもお母さんも、意味は知ってるのよ。 でもニエが皆に『ニエにも居るの?』って聞いてみたら、『ニエにそんなものが居たら神様に怒られる』って言ってたよ。 なのに神様が、まるでニエにそんなのが居るみたいに言うの、変だなぁって思っちゃった」

「…………」

 

 それを聞いていて、神様はこんな頭の悪い、本当に愚かでどうしようもない生き物を殺そうと思っている自分に、またバカバカしくなりました。

 神様の尾は引いて、呆れたように神様はまた丸くなって、目を閉じてしまいました。



「神様には『お父さん』と『お母さん』って居るの? 外に居るの? どんなの? 神様より大きいの? お父さんとお母さんって違うの? 神様はお父さんとお母さんに触ってもらった?」

「そんなもの居ない」

「わあ、じゃあ私と神様って同じなんだね! 神様と同じ! 嬉しいな」

「…………愚かな……」


 神様はとても低い声で唸りました。

 でも、こんな頭の悪い、自分の境遇も何も分かっていない人間には、何を言っても無駄なのです。

 

 

 これ以上くだらない事を言う前に殺してしまった方が早いかと、神様は思いました。

  

 神様は人間なんて嫌いです。

 老いた人間も、若い人間も、男も女も、鍛えた者も痩せた者も、頭の悪い人間も、小賢しく媚びる人間も、可哀想な人間も、全部大嫌いです。

 

 いつもだったら此処に放り込まれる人間は、さっさと死んでしまえと同じ人間から思われているくせに、小賢しく媚びるか命乞いをするか、それとも神様を都合よく使おう思っている人間ばかりです。

 だから、少しでも怯えた瞬間に殺していました。


 ただ此処に居る女の子はそのどれでもなく、ただ頭が悪く、ただ愚かで、何も与えられていない不幸な、生きてる価値も無い人間です。

 頭が悪いから、神様を怖がらないのです。

 死ぬということの意味も分かっていないに違いありません。


 何やら不幸な生い立ちがあるらしいですが、そんなのは神様にとって同情にも値しないことです。

 可哀想な人間だから殺されないなどと思っているのなら、それは思い上がりです。



 でも、神様が何よりもこの女の子のことを気に入らないと思っている理由は、自分のことを全く怖がらないどころか、むしろ好奇心でいっぱいに目をキラキラと輝かせていることです。

 神様は此処に来てから、そんな目で見られたことはありません。

 

 だから、さっさと怖がってしまえばいいのにと、神様は思っていました。

 殺す前に、この人間が自分に向かって悲鳴をあげ恐れ逃げる姿が見たいと思っていました。



 どうすれば恐怖を感じるだろうかと苛々しながら神様が考えていると、人間側の扉の向こうから音がしました。

 ちりんちりんと、耳障りな鐘の音です。

 

 この音は、人間どもが神様に向かって毎日の『挨拶』をするために、部屋に入る前に鳴らす音でした。



 神様の返事なんて待たず、扉は音を立てないようにゆっくりと恭しく開きました。



 そこには、大勢の人間が立っています。

 贄の女の子より綺麗で美しく、あるいは金属の鎧を纏う格好で飾った人達は、神様を見ないように頭を下げて入ってきました。

 その中には若い女も、老いた男も、いっぱい居ます。


 いつもだったら五人か六人ぐらい、でも今回はもっとたくさん居ます。

 それに皆、いつも緊張しているのに、もっと緊張しています。

 人間達が神様に向かって異様に緊張しているのはいつもの事で、神様がこの人間達に視線も向けないのもいつもの事ですが、今日はいつもと様子が違います。


 だから、女の子だって今がその『いつも』ではないことも、すぐに分かりました。

 女の子は、この人間達と神様の間に入らないように、自分で退きました。

 そして、今回も人間達に見向きもしない神様に向かって声をかけました。

 

「ねえ神様、この人達、神様とお話したいんだって」

 

 女の子の無邪気で何も考えていない声は、緊張でいっぱいなこの部屋では、空気を読まない煩わしい音として響きました。 

 部屋に入ってきた人間達のうち何人かは、奇妙なもののように、くだらない事を言う女の子を見ました。


 神様は残酷で冷酷な神様だから、人間なんてさっさと殺しているはず。

 なのに、まだ贄が生きているのは珍しいなと彼らは思いました。


 でも、だからってそのことを此処で口に出来るわけがありません。

 人間達は疑問を飲み込んでその場に跪き、先頭に立つ一人だけが神様を見上げます。



「――本日も、我等が心穏やかな朝を迎えられました。 全ては強き神たる貴方様のおかげでございます」


 立派な格好をした精悍な顔つきの男の人の、すらすらと言い慣れた、いつも言っている言葉でした。

 男の人の顔は緊張していて、神様が次に何をするのかをとても気にしていました。


 いつもなら色々と、女の子には何言ってるのか分からない事を短く言って終わるのですが、違う言葉が続きます。


「ですが本日は貴方様にお願いしたいことがあるのです。 実は此処から南方にある国が鉱山を含めたいくつもの領土権を度々主張し、貴方様が拓いた境目を侵し、卑怯にもあちらの神は賊や兵士を用いて我々を苦しめるのです。 どうかこの者共に正当な罰を――」

 

 男の人は緊張していました。

 ごくりと喉を鳴らして、額から汗が静かに流れていきました。

 

「滅びという名の罰を下していただけませんか?」

「…………」


 男の人は深く、床に額をつけるほどに深く頭を下げました。

 それに続く人々も深々と頭を下げました。



 そこに居る全員が、黙っていました。

 全部が神様の機嫌次第なので、もしかしたら『面倒だ』の一言で拒否されるかもしれないし、悪ければこの場に居る全員が殺されるかもしれないからです。

 だから此処に居るほぼ全員が神様の機嫌を、注意深く伺いました。


 状況を何も分かってないのは、この赤髪の女の子だけでした。


 女の子の視線は神様ではなく、今深々と頭を下げている人間達の中の一人に向けられていました。

 いつもなら此処に来るのは大人ばかりですが、今回は珍しく小さい子供が居たからです。


 子供というのは、ニエと呼ばれた女の子にとっては珍しいどころか、初めて見るものでした。

 真っ赤な髪を真っすぐに伸ばして綺麗な飾りをつけて、とても綺麗な服を着た、周りから大事にされていそうな少女です。

 初めて見た生き物を好奇心でじっと見ていましたが、でも少女は神様を前にして緊張と恐怖で顔を白くし震えていて、女の子の視線には全く気付いていません。




 沈黙が少し続いて、神様が立ち上がりました。

 でもそれは此処に居る人間を殺すためではなく、背を向けて、神様しか使わないとても大きな門を超えていってしまいました。


 大きな四肢で歩く神様の足音が遠くなり、神様の姿が見えなくなって、人間達は緊張から解放されて安堵の溜息を吐きます。

 それから、物寂しそうに神様を見送った女の子を見ました。



「贄がまだ生きているとは珍しい。 二日も持てば長い方だというのに……」

「いやはやまったく、どんな媚び方をしたのやら」

「あの……のことだ、どうせ気まぐれに決まっている……」


 人間達は女の子を見てひそひそと話します。

 でも近寄ろうとか、話そうとは思っていないようです。


 女の子は人間達を見て何か言いたそうにしていますが、動きません。

 目だけは好奇心でいっぱいで、緊張など無縁の顔で、その場に座ったまま話しかけました。



「小さい人間が居るよね、これがニエと同じ子供なの?」


 ニコニコと笑っています。

 人間達は一度互いの顔を見て、そこに一人居る赤毛の少女を見て、また女の子を見ました。


 赤毛の少女は蒼白の顔で、女の子を見ます。


「贄が、私に話しかけてるの……?」

「? うん、ニエだよ」


 女の子は何も知らずに答えます。


 女の子は、ニコニコと笑っていました。

 こんな状況で、さっきまで殺されてもおかしくなかったのに、ニコニコと笑っています。



「贄の分際で、私に話しかけないで! 汚らわしい!!」


 だからではありませんが、少女は汚らわしいものを見るように、女の子を睨みつけました。

 清潔で綺麗な服を着て、大切に可愛がられてきただろう体の少女は、軽く涙を流し肩で大きく息をしながら、女の子を蔑みました。



「ああ気持ち悪い気持ち悪い! 私はお前と違って高貴な血を持つ、尊い人間なのよ!? お前みたいな、あの化け物に殺される為に育てられた家畜なんかが見たら、私の美しい身体が汚れてしまうわ!」

「こ、こらお前っ、贄姫様に向かって、おやめなさい……!」


 その女の子の近くに居た、同じく清潔で綺麗な服を着た、少し太った赤毛の男が女の子の服の袖を引っ張ります。


「なによお父様、お父様は私よりもあんな家畜が大事だっていうの!? お父様だっていつも――」

「いいやっ、言ってない、言っておりませんぞ贄姫様! 何もありません!!」


 男は大慌てで女の子に向かって言い訳をします。

 でも女の子は、言われたことの意味も、今何を言われているのかも、よく分かりません。

 女の子は、たくさんの言葉を知らないのです。


「お父様はあいつが居なくなったらもう安心だって言ってたのに、なんであんな汚らわしい貧民ごときを意識してるの、おかしいわおかしいわ!」

「いいから! 後で服を買ってあげるから、今は静かにしてくれないか……!」


 男は少女を必死で宥めます。

 もし女の子が、今聞いたことを神様に告げ口したら、何をされるか分からないからです。

 

 でも少女にとっては、あの怖い神様が居ない今、たかが人間のしかも殺されるために居る家畜なんかに気を使いたくはなかったのでした。

 


「服だけ!? 私はこんなに不愉快な気持ちになったのに、服しか買ってくれないなんて。 お父様はなんて意地悪なの!」

「ああもちろん、お前に似合う髪飾りも宝石も、好きなだけ買ってあげようじゃないか」

「あと犬も買って! 今居るのは生意気だから、飼育人ごと処分してよ!」

「ああ、ああ。 可愛いお前の言う通りにするよ」


『お父様』による必死の説得を聞いて座りましたが、少女はそれでも不満たっぷりに沈黙します。

 ワガママを聞いてもらったのに腕を組み、赤い頬を膨らませて『お前のせいだ』と女の子を睨みました。

 

 少女にとっては、どんなに素敵な贈り物をされても、自分よりみすぼらしく汚い女の子に我慢してやらなければならないのは、とても不愉快なことだからです。


「お前のところの娘はまあさぞかし甘やかされて育ったのだろうな」

「ははは……可愛い娘の頼みぐらい聞かねば、親ではありますまい」

「こら、皆の者。 贄姫様の前だぞ。 贄姫様の気を悪くしては、神の罰が下りましょうぞ?」


 ワガママ放題に育った子供が終わったのを聞いて、気の緩んだ人々が笑います。

 


「贄姫様」


 それから先頭で頭を下げていた男が、女の子に向かって深々と頭を下げました。




「本日で三日目、未だに生存おめでとうございます。 もうすぐで最長記録です、良かったですね」

「……うん?」


 どうして自分がそんな風にされるのか分からず、女の子は首を傾げました。

 いつもなら神様がこういう事をされるのであって、自分なんて無視されるのが当然だからです。

 神様が今居ないからって、こんな風に頭を下げられたことだって一度もありません。


 先頭に居た男は続けます。



「どうやって神に取り入ったかは知らぬが、出来るだけ長く神の機嫌を取ってもらいたいですね。 どうせすぐ死ぬ贄を育ててやるのは、無駄な手間と時間がかかって、我々にとっては迷惑がかかりますからな」

「えっと…………ありがとう、ございます?」

「おお! そのような難しい言葉を知っているとは、贄姫様はとても賢い方ですなぁ」


 先頭の男は女の子に向かって、ニヤリと笑いました。

 他の人間達も、あまり大声を出さないように笑いました。


「いえいえ、贄姫様が我々のために神に殺され、神の機嫌を取ることこそが、我々の最大の望みですぞ」

「あ、うん。 ニエは神様に殺されるために居るんだもんね」

「ははは、我々は神だけではなく贄姫様にも、深く深く感謝していますとも」


 そして先頭の男は立ち上がりました。

 他の人間達も続けて立ち上がり、その後に続いて、人間用の扉へとぞろぞろと戻っていきます。



「さあ、神が鉱山すら壊してしまう前に、行動をせねば」

「既に二将の隊は動いております」

「ははは、神のおかげで、また豊かになりますな。 全ては神のおかげですよ」


 女の子には理解出来ない何かを言いながら、人間達は朗らかに去っていきます。



「ねえお父様、あの汚らわしい家畜はいつまで生きてるの? 私に話しかけるなんて不愉快だから、あれもさっさと殺してよ?」

「こ、こら、そういうのは後で聞いてあげるから」


 最後に赤毛の少女は太った男に優しく手を引かれていき、声が遠くなっていきます。

 それから少女は振り返って、女の子に向かって勝ち誇ったように笑い、人間用の扉の向こうに消えました。


 そして、扉に鍵をかける音がしました。



 


 広々とした部屋に、女の子だけが残されました。

 他には誰も居ません。


「…………」


 女の子は一人できょろきょろと辺りを見渡して、両膝を抱えるように座り込みました。 


「……オトウサマって、お父さんのことかなぁ……」


 ちょっとだけ呟いて、自分の手を見ます。

 女の子は誰かと手を繋ぐなんてやったことがありません。

 


 いつもなら神様が居るけどそれでも広かったのに、女の子だけではとても広かい部屋です。

 女の子は一人でぽつんと座っています。

 とても広い部屋なのに、両膝を抱えて、とても小さくなって座ります。 


 女の子は、いつもなら神様が寝ている場所を見ました。

 そこには別に布や何かが敷いてあるわけでも、高い台があるのでもなく、女の子が今座っている場所と同じように石が敷き詰められてあります。



「……あっ!」


 それから女の子は、ふと一つ思いついたように、ゆっくりと立ち上がりました。

 部屋を出ようとするのではなく、その反対。

 むしろ部屋の真ん中、いつもなら神様が寝ている場所に向かって歩き、いつもなら神様が居たところで寝転びました。


「えへへ」


 照れて、とっても嬉しそうに女の子ははにかみます。

 楽しそうに、目を閉じてしまいます。


 こんなことをしているのを神様が見たら怒るに決まっていますが、女の子にはそんなことは関係ありません。

 むしろささやかな冒険で胸がいっぱいで、興奮に心が踊っていました。

 


「神様、早く来ないかなぁ」


 女の子は小さく呟きました。

 どうせ、女の子の声なんて、誰も聞いていません。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る