獣の神様と、生贄の女の子のお話
馴染S子
昔々のお話
昔々のお話です。
ここから海も山も砂漠も超えたずっと向こうには、とある大きな国がありました。
その国は、軍隊が強かったのではありません。
豊かな知識があったのでも、素晴らしい魔法があったのでもありません。
神様が、自分の気に入らないものを全て殺していたのです。
大きくて強く、そしてとても恐ろしい、複数の獣を混ぜたみたいな姿をした黒と紫に輝く神様でした。
それは戦いと破壊、殺すことが好きな、人を人を思わぬ残酷な神様でした。
神様は戦うことにしか興味が無かったから、神様がたくさん殺してたくさん無くなった土地を、神様に従う人間たちが奪って支配していました。
そうやってこの国は豊かになっていました。
神様に従う人間たちは、いつも神様に怯えていました。
『次は自分達が狙われるのかもしれない』『明日には殺されるかもしれない』と、神様のことが怖くて仕方がありません。
だからいつも新しい敵を探して、いつも嫌いな人を見つけて、頑張って機嫌を取っていました。
神様は気難しくて気まぐれな神様だから、誰も近付けません。
でも近付かないと、何も出来ません。
人間たちは考えました。
どうやったら神様に、自分達にとって都合のいいように動いてもらえるのか、考えました。
でも神様は殺すこと、壊すことにしか興味がありません。
食べ物もお酒も宝石も嫌いです。 綺麗な景色も、美しいものも嫌いです。
機嫌を損ねると殺されてしまいます。 もう、たくさん人間が殺されています。
怖いけど、近付かないと、何も出来ません。
せめて誰かが神様の近くに居ないといけません。
でも、誰も近付きたくありません。
だから国の偉い人間達は考えました。
偉い人間達は、どうでもいい人間を一人選びました。
死んだって誰も困らない、そんなのを人間から一人選びました。
その人間は、頭が良い必要も、良い血統を持っている必要も、何かに恵まれる必要もありません。
神様の機嫌さえ取れるのなら、どう殺されたって構わないからです。
そうやって神様の前に連れてこられたのは、一人の女の子でした。
十年生きたかどうかぐらいの、小さな子供です。
真っ赤な髪を真っすぐに伸ばしたその女の子は、飾りの少ない綺麗な服を着ています。
神様に怯える大人達に連れて来られて、神様の近くに女の子は立ちました。
神様は動きません。
ずっとその石に囲まれた部屋の真ん中に丸くなって目を閉じていて、そもそも人間が部屋に乗り込んできたことを認知すらしていません。
これは機嫌が悪くない時です。
悪い時だったら、部屋に入った瞬間にも殺されてしまいます。 部屋の隅には、回収出来なかった骨や、骨だった黒いものが転がっています。
これに、大人は少しだけ安心しました。
「この娘を、此度の貴方様の世話係として認定しました。 どうかお好きなように、使ってください」
大人は神様に恐る恐る頭を下げます。
そして返事も聞かず、女の子を置いて部屋から逃げて、扉に鍵をかけてしまいました。
とても大きな部屋に、神様と女の子だけが居ます。
神様はずっと目を閉じたままで、女の子は神様を見上げました。
「神様、はじめまして!」
女の子は神様に声をかけました。
「ニエね、神様に会いたかったの!」
その表情には恐ろしい神様への恐れなんて少しも無く、むしろ見たことがない存在にキラキラと目を輝かせています。
「黙れ」
低いところから響くような声が、部屋に響きました。
目を閉じたままですが、神様は不機嫌です。
でも女の子は、そういった反応が嬉しいように、表情を輝かせました。
「神様、神様! あのね!」
女の子は、恐ろしい神様にゆっくりと近寄ります。
「寄るな」
神様はとても不機嫌そうに言います。
すると女の子はふらつくように止まって、神様を見上げる場所で小さく座ります。
「ニエは、ずっと神様に会いたかったの」
女の子はにこにこと笑っています。
神様に言われても、女の子には関係ありません。
恐ろしい神様がすぐ近くに居るのに、何も怖がりません。
「神様って、とっても大きいのね。 こんなに大きいの、見たことがないわ!」
「黙れ」
神様は不機嫌です。
でも女の子は、それでも笑っています。
この五月蠅い声に、ようやく神様は目を開きました。
部屋の真ん中で丸くなって寝ていても、神様は女の子がどれだけ背伸びしても届かないぐらいに大きな体をしています。
そんな神様の目ですから、女の子を丸呑み出来そうなぐらいに大きな目です。
神様は女の子を睨んで、見下ろします。
女の子は、やっぱりニコニコと笑っています。
「神様って、どうしてそんなに大きいの?」
女の子は止まりません。
神様から見て、女の子は簡単に踏みつぶせるぐらいに小さくて、とても弱く、細い生き物でした。
なのにニコニコと笑っています。
たくさんの人を平気で殺してきた神様を見ても、何も怖がりません。
それどころか嬉しそうにしています。
「耳は無いのか。 黙れと言った」
ごうごうと唸る声が神様から放たれます。
でも女の子は、何も怖がりません。
むしろ、何故かもっともっと嬉しそうにしました。
「耳? あるよ!」
女の子は眩しい笑顔で、両手をあげます。
そしてその両手を自分の耳に当てます。
「耳は此処に、二つあるの! 神様と同じね! ……でも神様の耳って、頭の上にあるのね? ニエの声は、聞こえるの?」
「何度言わせる」
神様は不機嫌です。
神に眠りも食事も必要ありませんが、何もしていない時はただ目を閉じて、時間が過ぎるのを待ちます。
それを無意味に邪魔されているのですから、不機嫌で当然です。
「黙れと言っている。 囀るな」
「ダマレって、なぁに?」
女の子は首を傾げました。
本気で、嘘も冗談も言っていない顔です。
「もしかして、神様のお名前は、ダマレなの? ダマレって呼んだらいいの?」
「…………」
これには、黙るのは神様の方でした。
こうやって人間が連れて来られるのは、初めてではありません。
これで何人目なのか、もう忘れました。
神様にとって人間は大体同じにしか見えないので、数える意味も感じていません。
今までどれくらい殺したのか、何百年も生きている神様は、とっくに忘れてしまいました。
「あのねあのね、神様、ニエはね」
そうして見てきた人間の中で、女の子は一番頭の悪い子でした。
神様の言葉も、自分の立場も何も理解していないからです。
もしかしたら次の瞬間には簡単に殺されるかもしれないのに、さっきからずっと一人で話しながらも、もっと喋りたくて喋りたくてたまらないという顔をしています。
きっと、この神様がどれぐらいに恐ろしい神様なのか、頭が悪すぎて、何も理解出来ていないに決まっています。
本当だったら、物音一つ出さないように部屋の角で震えていなければならないからです。
面倒だから、神様は殺そうかと思いました。
これより大きい人間も、これより小さい人間も、殺さないでと言う人間も、味方のように近付いてきた人間も、この部屋に入ってきた人間も、気まぐれでたくさん殺してきました。
だから、こんな女の子を殺すぐらい、何とも思いません。
そんな慈悲は、最初から持っていません。
ただその前に、神様は女の子を怖がらせてやろうと思いました。
さっきからニコニコと笑っているのが気に入らないからです。
神様は、女の子のすぐ近くに雷を落としてやりました。
当たればとても痛くて、こんな小さい女の子ならすぐに死んでしまう雷です。
もちろん、当てないようにするのは、神様にとってはとても簡単なことでした。
女の子のすぐ近くに雷は落ちて、眩しい光と激しい音がしました。
床の石が燃えて溶ける音がします。
「次はお前がこうなる」
神様は、きっと驚いて怖がっているだろう女の子を想像しました。
神様にとって、自分を見ている人間はヘラヘラと媚びるか、跪いて頭を上げないか、怯えて恐れているか、泣いて逃げるかです。
こんなニコニコと笑っている生き物は、要りません。
「わあ! すごいね!」
でも女の子は、驚いただけでした。
それどころか燃えて焦げた石を見て、興味を示しています。
しかも面白そうに這って近寄り、手を伸ばして、触ってしまいました。
「あっ」
女の子はすぐに手を引っ込めます。
触った手を押さえて、初めて困った顔をしています。
「あ」
そして、また驚いた顔をして神様を見上げました。
神様は女の子が怯えている姿を考えていましたが、そんなものではありませんでした。
「えっと、あのね? 驚いてしまったの。 でも、『良い』んだって思い出したわ」
ニコニコと笑います。
熱いものに触れた手は痛そうに抑えているけど、怖がってはいません。
「黙れ」
神様は言います。
それと同時に女の子は、上から見えないものに頭を強く押さえつけられて、音を立てて倒れてしまいました。
小さな手足が床に伸びています。
真っ赤な髪は散らばっています。
女の子の首に、見えない何かが強く巻き付いています。
「お前は愚かだ。 自分の立場も知らない。 俺はお前をいつでも簡単に殺せる」
女の子は答えません。
首を絞められて、呼吸も出来ません。
その青白い額からは、ぶつけたせいで血が流れていました。
「か――さ――」
女の子は、自分の首に手を伸ばします。
でも何をしたところで、見えない何かには触れることが出来ません。 そこにあるのは自分の肉だけです。
触れることの出来ない何かに、首を絞められて、女の子の指はただ空気に触っています。
ほら見ろ、と神様は笑います。
「お前はどうやって殺してやろうか。 まずその手足を引きちぎってやろうか、無駄な舌を抜いてやろうか。 それとも、全身の血を抜いてやろうか。 皮膚を裏返しにしてやろうか。 その体を、指の先から刻んでやろうか?」
苦しんでいる女の子を前に、神様の不機嫌で、でも愉しそうな声が響きます。
「そしてお前の死体を高いところから吊るして、人間どもに見せつけてやろうか」
女の子は苦しそうにしています。
目を大きく開いて、口は何も得られない空気を求めて、手は触れない何かに触れようとしています。
そんな無様な姿が愉快で傑作で滑稽で、神様は楽しくなりました。
これが神様にとってはよく見てきたことです。
自分は殺されないと思い込んだ人間が、急に殺されそうになって命乞いをしてくるところを何度も見てきました。
「せめて死に方ぐらい選ばせてやろうか? うん? どうだ、何がいい?」
女の子の首にかかる力が緩みます。
口から空気が一気に入り、女の子は激しく咳き込みます。
「どうやって死にたい。 選んでみろ」
「――――」
咳き込み終わって、女の子は首元に触れながら、神様を見ます。
その視線は恐怖ではありません。
ただ目の前に差し出された未知の何かに、好奇心でいっぱいにしています。
さっきまで首を絞められて殺されかけていたのに、そんなことに怯える様子はありません。
「……いいの?」
女の子は、恐る恐る尋ねます。
「あの、ね? ニエは神様のものだから、痛いのも、どうやって死ぬのかも、全部神様が決めるんだって、皆が言ってたの。 なのに、ニエが決めても、いいの?」
呼吸は荒く、弱った体です。
でも女の子の目は、怯えていません。
そればかりか、今与えられたものに喜んでいます。
「だって、ニエは一回しか死ねないんだよ? 死んだらもう動けないんだって、皆が言ってたわ。 神様が決めた方が、神様は気持ちいいよ?」
「…………」
女の子は笑っています。 喜んでいます。 嬉しそうです。
選べることが嬉しくて、ドキドキしています。
「勝手にしろ」
神様は、女の子を見るのをやめてしまいました。
また丸くなって、目を閉じてしまいました。
こんなのを殺してしまうのは、なんだかバカバカしくなってしまったからです。
「あのねあのね神様、私ね、選ぶのは初めてなの。 選ぶってどうやったらいいの? どうしたら、選べるの?」
「…………」
神様は、黙ってしまいました。
女の子は不思議そうに首を傾げて神様を見ます。
それから、またゆっくりと神様に近寄ります。
近寄って、一人で転んでしまいました。
そんな自分に女の子はきょとんとして、でも楽しそうです。
「あのね神様、私、痛いのは久しぶりなの」
女の子はゆっくりと起きて、その場に座ります。
神様に触れようとしても、まだまだ遠くて触れない距離です。
神様は女の子を見ようともしません。
「ずっと前に、部屋にキラキラしたものがあったの。 火っていってね。 それに触ったらとても痛くて、怒られちゃった。 だってニエに痛いことをしても良いのは神様だけだから、ニエに傷があったら、価値が無くなっちゃうんだって」
女の子は自分の、溶けた石に触れて火傷した手を、照れたように撫でます。
「それからずっと、キラキラしたものは届かないところにあったのよ。 皆『ニエヒメサマに何かしていいのは神様だけ』って言ってたわ。 そして、さっきもキラキラしてたのが見えたわ、キラキラって痛いのね。 神様のおかげね」
女の子は笑っています。
痛いのも、熱いのも、苦しいのも、女の子にとっては久しぶりなものでした。
「神様は、火って見たことある? とてもキラキラしてるんだよ」
「…………」
その手には火傷がありますが、女の子はとても嬉しそうです。
神様は黙って無視してしまうので、女の子はその場に座って、じっと神様を見上げました。
そこは大きな部屋で、重い石に囲まれていて、窓なんてありません。
部屋にある灯は、とても高いところにある天井に嵌められた魔法の石と、神様の紫に輝く毛並みだけです。
でもこの灯だって、そんなに明るくありません。
あとあるのは女の子が入ってきた人間用の小さな扉と、神様が外に出る時に使う大きな扉だけです。
他には、何もありません。
暇を潰せるようなものなんて一つもありませんが、女の子は気にしていません。
女の子はその場にじっと座って、目を閉じてるだけの神様を見上げます。
それしかやる事はありませんが、女の子は気にしていません。
「あっ、そうだ」
しばらくして、女の子は大事なことを思い出しました。
「神様は、お名前は何て言うの? ダマレでいいの? 私より長い名前なんだね」
その意味も分からず、女の子だけがニコニコしています。
「あのね、神様。 私は、ニエっていうの」
それは、女の子が皆から呼ばれている名前でした。
神様が何か言うのも待たずに女の子は続けます。
「皆は私のことをニエヒメサマって言うけど、でもそれは『ニエ』の『ヒメサマ』だからで、私はニエなんだから自分のことをニエって呼びなさいって言ってたわ。 それにニエって短くて、言いやすいと思うの、だから私は、ニエで良かった!」
そう一人だけ楽しそうに、くすくすと笑いました。
他に誰も居ない暗いところで、女の子の声だけが響きます。
「本当に頭の悪い人間だ」
神様の低い声がします。
ずっと無視されていたところに言われて女の子は少し驚きましたが、すぐ嬉しそうにしました。
「贄の意味も知らないでよくも笑える」
「うん!」
女の子はとても嬉しそうに手を叩いて笑います。
「初めて名前、呼ばれちゃった!」
きゃっきゃっと喜びます。
きっと、頭が悪すぎて、今の自分の状況がどういうものなのかも理解していないのです。
「……愚かな人間」
そして神様は、そんな頭の悪い人間に付き合う気はありません。
神様には人間の区別がつかないからです。
今は気まぐれで、殺すのも面倒になったから生かしているだけ。
頭が悪すぎて苛々して、そのうち殺すはずです。
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