そして、どうでもいいお話
とある深い森の中で、一人の神様が生まれました。
その神様は少年の姿をしていて、生まれたばかりだったから何も知りません。
ただ誰かに教えてもらわなくても、どうすれば歩けるのか、呼吸や言葉を知っていただけです。
森の中、無垢で純粋な少年は、裸で森を歩きました。
やがてとある人間に出会います。
彼は楽器を片手に旅から旅へ、気の向いた方向を歩き、好きなだけ空を見て、好きなだけ音楽と言葉を奏でる詩人でした。
詩人は裸で現れた少年に驚きましたが、『そんなこともあるさ』と笑って少年に外套を貸しました。
そして詩人は、何処にも行く場所の無い不思議な少年に名前をあげて、共に旅を続けることを決めました。
二人は、ある町では暖かく歓迎され、美味しいご飯を食べます。
かと思えばある町では邪魔者扱いで追い出され、そこら辺に生えた草を抜いて食べて眠ります。
良い事ばかりではなかったけど、詩人も少年も、毎日楽しく過ごしていました。
詩人は少年の音楽の才能を見抜いて、彼のために新しい竪琴を作って贈りました。
少年が歌や曲を覚えて自分で作り奏でるようになれば、もっと楽しい旅が始まりました。
二人の旅はとても愉快な旅でした。
少年は明らかに人間より頑丈で、不思議な力も使えたけど、詩人は何も聞きません。
詩人は色んな経験をしていて、たくさんの知識を持っていたけど、少年は詩人の経歴を聞きません。
互いの名前しか知らないような旅だったけれど、二人はとても幸せでした。
そしてとある大きな街で、少年は神殿の人に話しかけられました
神殿の人は言うのです。
少年の正体は神様で、少年のことをずっと探していたと。
生まれたばかりで無垢な神様を愛し優しくすれば、その神様は皆に愛されるように優しく振る舞うようになります。
反対に、神様に酷いことをして怖がらせたら、その神様は皆を怖がらせることでしか生きられません。
そんな神様がたくさん居たら、皆が困ってしまいます。
だから神様が生まれそうなところを全力で探して、生まれたばかりの神様を大切にして、そして人間を守る神様に育てることが神殿の人達のお仕事でした。
神殿に未来予知の神様は居ますが、そんな神様でも都合よく生まれたばかりの神様を見つけることはとっても難しいのです。
出会えた野良の神様が良い人間に拾われ、良いように育てられていることを祈るしかない方が多いのですと、神殿の人達は言いました。
少年は、詩人によって楽しさを与えられて育ちました。
だから人間に酷いことをしようと思わない、むしろ皆で楽しくなりたい神様になっていました。
神殿の人達は、少年にもっと知識と力を与えるから、是非とも神殿に来てほしいと言いました。
少年はそれに同意し、行くことを決めました。
そしてその決定は、二人の別れという意味でした。
詩人は旅から旅への自由な人だから、一緒に神殿で生活なんて、したくないのです。
詩人は、お礼のお金も貰わず、また一人で旅に出てしまいました。
だけど二人は『いつか何処かで出会える』と約束しました。
少年には、詩人がくれた竪琴があったから寂しくありません。
そして神殿に行き、そこで贅沢と愛のある歓迎をされ、たくさんの勉強をしました。
少年は成長して、立派な青年の姿になりました。
でも青年は、何処かの国で人間を守ったり、一つの場所で何かをするのは好きではありません。
神殿や偉い神様の許可をもらって、詩人に作ってもらった竪琴を持って、また自由な旅に出ました。
青年は色んな国を歩きました。
時には楽しい事があって、時には嫌なことがあって、それら全部を青年は笑い飛ばしました。
そして、色んな神様に出会いました。
真面目に国を守る青い龍の神様、人々に混ざる赤い神様、狼の姿で山奥に閉じこもる神様、大きな図書館に居る神様、鼠の姿で町の地下を守る神様。
色んな神様と出会いました。
あの詩人に出会うことはありませんが、それでも青年は楽しい旅をしました。
神殿が青年を自由にした理由は、自由に出歩く神様に、別の仕事をやらせるためです。
それは神様と人間の間に立ったり、仲介したり、問題ある神様に怒ったり戦ったりする仕事です。
面倒なこともありましたが、そう悪くも無い仕事がほとんどでした。
長く旅をしているうちに、青年はとある内容をやらされることになりました。
とある大きな国に、大きな虎の姿をした神様が居ます。
この神様と国は意味の分からない理由で他の国を襲い、そこを守る神様を平気で殺して、侵略と略奪をしているのです。
そんな神様を説得か殺すかして、周辺諸国の平和を取り戻してこい、なんていう無茶苦茶な内容でした。
「うーむ、これは参った。 僕は死ねと言われているに違いない」
その国の悪い噂を青年は知っていました。
そこの神様がやたらと強くて、今まで送った他の神様も殺されているというのも、知っていました。
でも断ったら他のおっかない神様達からものすごく怒られて自由まで没収されるので、青年は渋々その国に向かい、虎の神様の話を聞いて回りました。
「此処の神様? 見たことありませんけど、他の神すら食らう強くて恐ろしい神様なのでしょう?」
「この国が平和なのは、他の悪い国を神様がやっつけてくれるおかげなんだよ!」
「神? 知ってるわよぅ、戦うことしかしてくれない奴。 ふんぞり返ってる暇があるなら、税が上げる連中殺してくれないかしら……」
「お母さんがよく『悪いことしたら神様が怒りに来るよ』って言うけど、神様って他の悪い人達を殺す神様なんでしょ? アタシ悪い子じゃないもん」
国民は神様の事を怖がっているのか頼っているのか、よく分からない状態でした。
とにかく、良くないことになっているなと、青年は思いました。
「きっと滅多に外に出ないから、こんな事になるんだな。 何をしたいのかよく分からない奴だ、これだから引きこもりは体に悪いんだ」
青年は笑いながら、神様の居るところに向かいました。
「しかしそいつは恐怖を食うくせに人前に出ないというのも、変な奴だ。 うんうん、きっと性格も悪いに違いない」
虎の神様が居るのは大きな湖のすぐ近くにある山の神殿です。
でも虎の神様はとても嫌われているのか、あまり人は居ません。
これが隣の国なら、皆から愛される青い神様の神殿には毎日たくさんの人が居ました。
こういうところで神の差がはっきりとします。
青年は誰にも見つからないように透明になって、さっそく神様のところに向かいました。
石で囲まれて、窓が無くて真っ暗な部屋の真ん中に、真っ黒な毛並みと紫に光る縞模様、牛のような黒い角と、同じ色の鱗と模様をした蛇の尾を持つ大きな虎の神様が寝ていました。
変わった姿をしている神様は今まで見たことがありますが、こういう生き物をたくさん混ぜた形の神様は見たことがありません。
ただ神様というのは好きに形を変える者が居るから、この神様が元々こういう姿だったのかは、青年にも分かりません。
青年だって、やろうと思えばこういう姿は出来ます。
「やあ我が同胞! 君のやってることが周辺の平和に迷惑だって言われてるから、改心してやめてもらえると助かるな!」
ぽろろんと竪琴を鳴らしながら、愉快に青年は言いました。
すると足元から激しい炎が吹きあがります。
「おいおい同胞、せっかく会った同胞に向かって、随分な挨拶をするじゃないか!」
「黙れ」
軽々と避けた青年に、虎の神様は低い唸り声をあげました。
「人間の形をした奴ごときが、同胞扱いするな」
「え、獣の姿だったら君は真面目に話をしてくれるって!? だったらいくらでもなるよ、鳥でも亀でも虎でも、好きなのを選んでくれたまえよ同胞」
「黙れ」
どうやら虎の神様はとっても短気なようでした。
更に、予想通り恐怖を食う神様のようで、青年にちっとも親切にしようとはしません。
青年はへらへらと笑いましたが、心の中では、本気で来られたらとても怖いなと思っていました。
こんな仕事をしている神様だから青年だって弱くはありませんが、相手の方がもっと強いのは言われなくても分かっていました。
「でさ、この国による他国に対する侵略と、神殺しを止めてもらえない? でないと君を殺しに、もっと怖い神様が来ることになるよ」
「来たいなら勝手に来い」
虎の神様はにやりと笑いました。
その背から真っ黒な、紫の光る縞模様をした腕や翼が、何十本も伸びてきます。
「お前が逃げられたらな」
「おいおいなんだよその姿、やりすぎだろ。 僕は上から雑に使われる可哀想で善良な一般神だっていうのに!」
虎の神様の背から伸びた腕や翼が、一気に青年へと向かってきました。
どういう扱いをされるにしても、最後には殺されるに決まっています。
青年は慌てて逃げます。
宙に浮かび、風を呼び、石を動かしますが、虎の神様の体はそんなもの平気で無視して、青年を執拗に追いかけてきます。
そのくせ本体はそこに座ったまま動かないから、なんとか避けながら青年は怒ります。
「はいはい、君が強いのは分かったから! もうちょっと楽しくお話をしてみようじゃないか、結構趣味が合うかもしれない! そう、俺の趣味は竪琴なんだ!」
「俺にはお前のような愚か者と話す趣味はない」
青年に腕が迫ります。
捕まったらきっとそれで終わりです。
終わったら、もう楽しい旅は出来ません。
なので青年は、部屋から逃げることにしました。
壁をすり抜ける力で外へと脱出し、虎の神様から逃げました。
「なんて奴だ! 話が通じない奴っていうのは困る! これを上に報告する中間管理職の身にもなってほしいね!」
曇り出した空の下、青年はぷりぷりと怒りながら、足元を見つめます。
きっと部屋ではあの虎の神様が不機嫌になって、青年を怒っている頃でしょう。
でも何を言ったって仕方がありません。
一人ではとても勝てそうにないので、青年はもう少し様子を見ることにしました。
そして青年は、あの神様が生贄を求めているらしいと聞きました。
神殿の中に次の生贄が居ると知って、その生贄に会いにいくことを決めました。
「生贄? ダメだよ、『贄姫様』って言わなきゃ! 僕の代わりに死んでくれる、凄い人なんだよ!」
「あんな恐ろしい神が俺たちを殺さないのは、贄が死んでくれるおかげだ、誰もが感謝しているよ。 ……ところで、今年のはまだ生きてるんだっけ? あっ、まだ入ってもない? ふーん」
「最近、天気が悪いんだよ。 きっと贄御子……今回は女? ああそう、その贄姫様がまだ生きてるから天気が悪いんじゃないの、さっさと殺されてくれないかな……」
「殺されるなんて、贄姫様って可哀想だよね。 でも私の払った税金で綺麗な服着て美味しいご飯食べて、皆にお姫様扱いで贅沢してるんでしょ? はー? なにそれ、ムカつくわ。 じゃあもういいじゃん」
皆、生贄のことは可哀想だとか言いつつ、それ以上にどうでもいいと思っていました。
驚くぐらいに、そんなのばかりでした。
青年は早くこのつまらない国から去りたいと思いながら、生贄の居る部屋にまで来ました。
「やあお嬢さん、こんばんは!」
つまらない気持ちでしたが、明るく青年は部屋に侵入します。
そこは石に囲まれていて窓はなく、手前の机の上にはランプが二つとボロボロになった本が一冊、奥には厳重で狭い鉄格子の牢屋がありました。
牢屋の中には毛布が一枚だけあって、小さい女の子が閉じ込められていました。
「誰?」
女の子は不思議そうにしています。
こんな暗くてジメジメしたところに閉じ込められているのに、そんなことも感じさせない明るい顔をしています。
青年は丁寧に頭を下げました。
「僕は君とお話に来たんだよ、贄姫様」
「お話? ニエとお話をしに来てくれたの?」
「その通り! 僕は君とお話がしたいのさ」
真っ赤な髪をした女の子は嬉しそうに笑って、鉄格子の傍にまで来ます。
たくさんのご飯がもらえていないのか、とても細い体をしています。
牢屋の中では必要がない足と、見るもののない真っ黒な目は、人より衰えています。
此処にこの女の子を閉じ込めているような人達は、女の子が生きていればあとはどうでもよかったのでしょう。
こんなところで神様に殺されるために飼育されているのに、女の子はちっとも贅沢をしていません。
「でも、僕が来たのは誰にも秘密にしてほしいんだよね」
「どうして?」
「僕が此処に居るってバレたら、神様にとっても怒られてしまうんだ」
「そうなの? でも、それは大丈夫だと思うの。 あのね、ニエが神様に殺されたら、皆は神様に怒られないのよ。 だから大丈夫なの」
女の子は何の疑いもない顔で言いました。
見たところ十歳も生きていない女の子なのに、百年生きた神よりもずっと悟っています。
むしろ、何も考えていないようでした。
「それって誰が言ってたんだい? 此処の神様?」
「ううん。 神様がニエを殺したら、神様は皆のこと怒らなくなるんだって、皆がね。 皆が言ってたけど、神様がそうだって言ったから、皆もニエにそう言ったのよ」
「へえ、そりゃ凄いな」
青年は笑って返しました。
此処の神様が生贄を求めているとは知っていましたが、この国の神殿だっておかしいと知っていたので、青年は半分しか信じません。
少し話しただけですが、青年は『あの神は無関係な一人を殺せば許すなんて、そんな優しい性格ではない』と思っていました。
青年は早くこの国から出たいと思いました。
「それでも、僕のことは神様にも秘密にしてほしいな。 神様は君を殺したって、それでも僕には怒るだろうからね」
「うん?」
女の子はよく分かっていない顔でした。
それでも、そう頭の悪い子には見えません。 知らなくても、どこかで分かっている子でした。
「ねえねえ、貴方は神様に会ったことある?」
「まあ、あるよ」
「神様ってどんなの? 大きい? 小さい?」
女の子は好奇心いっぱいで尋ねます。
自分のことを酷く殺す相手のことなのに、まるで運命の王子様のことを聞いているようで、青年は驚きました。
「神様は大きいよ。 僕よりもずっとずっと、ちょっと大きな家ぐらいには大きいね」
「イエ?」
女の子は首を傾げました。
聞いたことがない、とはっきり顔に書いていました。
「イエ、家って、子供が帰るところ?」
「そうだね。 皆が帰るところさ」
生まれてからずっと旅をしている青年には家が無いので、青年は適当に頷きます。
「君は家を見たことがないのかい?」
「絵本にはあるよ!」
女の子は細い手を鉄格子の間から出して、机の上を指さしました。
ボロボロになった一冊の本は、よく見たら小さい子供向けの、ただの絵本でした。
「これ、君の絵本?」
「うん」
鉄格子の向こうで女の子は大きく笑顔で頷きました。
でも絵本は、どう見ても、女の子がどんなに手を伸ばしたって絶対に届かないところに置いてありました。
女の子にとって手が届くのは毛布と、あとは壁と鉄格子と床だけです。
「ねえねえ、ニエとお話してくれるなら、それ読んでくれる?」
「いいとも、僕は読み聞かせだって得意なんだ」
絵本を持った青年は鉄格子を背に座り、絵本を開きました。
ボロボロで何度も捲ったような絵本でも、鉄格子の向こうから女の子は楽しそうに覗きました。
「――ツィツャの朝は、お空に太陽が登ったらはじまります。 『おはよう』と太陽が言うから『おはよう!』と挨拶して、それからお父さんとお母さんにも『おはよう!』と元気よく挨拶を――」
絵本の内容は、ごく普通の優しい女の子が目を覚まして、家族と仲良くご飯を食べて、家の外で友達と空を見ながら草原に寝転がり、海から来る船を見て、仲良く遊んで、月と星が見える頃に家に帰って、眠る。
そんな、ごくありふれた日常の内容でした。
青年はどんなにつまらない話でも面白く読める自信がありましたが、絵本には盛り上がるところがどこにもありません。
怖い生き物が出て来るわけでも、危ないことが起きたりも、何もしません。
よく見る幸せで穏やかな、ありふれた一日です。
そんなつまらなくて退屈な話でしたが、女の子はとても嬉しそうに聞いていました。
「君はこの話が好きなのかい?」
「うん、好き! 皆がね、ここに来たらこの絵本を読んでくれるの!」
「じゃあ誰も居ない時は、どうしてるの?」
青年は、この絵本が意地悪みたいな置かれ方をしていたのを気にしていました。
窓も玩具もない牢屋では、他に楽しいことなんてありません。
だったらこの女の子は、いつもはどうしてるのでしょうか。
「寝て、ご飯食べて、起きてるよ」
「でもずっと、と云うわけにもいかないだろう?」
「ここで座ってるよ?」
「座って、それで?」
「神様のこととか、その絵本のこととか、考えてる!」
青年は、この狭い牢屋には普段から、近くにだって人が居ないことを知っていました。
窓なんて無いから女の子は出られません。
そのおかげで青年は簡単に、こんな堂々とお話が出来るのです。
だから、このお話が大好きな女の子は、誰かと話している時間よりも、一人で誰かが来るのを待っている時間の方がずっとずっと長いのです。
でもそれをおかしいと思わないぐらいに、女の子は何も知りません。
そういう風に、育ってるのです。
むしろこんなに明るい顔をしている方が、変でした。
「ねえねえ貴方は、空を見たことある?」
「ん? それぐらい有るけど、君にだってあるんだろう?」
「ううん? 無いよ?」
女の子はとても普通に答えました。
「空って青いの? 太陽って本当にあるの? 天井が無いって本当? 鳥って見たことある? 雲に触ったことある?」
「見たことがないのかい?」
「うん。 ニエが出ていいのは、体をきれいにする時と、神様に殺してもらう時だけなんだよ。 だから空って見たことないの」
「おいおい」
青年はてっきり、何処かの家の子供が神様の生贄として差し出されたのだと思っていましたが、そんな悲劇的なものですらありません。
最初から殺されるための生贄として、此処で育てられているのです。
それも、自分を殺す神様に対して何も怖いと思わないように、他のどんな知識も得られないように、閉じ込められているのです。
きっと、この絵本やランプが届かないほど遠くに置いてあるのは、勝手に女の子が触らないようにするためです。
同じ人間からも、人間として扱われていません。
青年は生まれてからずっと自由にのびのびと育ってきましたが、この女の子は青年ととても反対のところで育っています。
まるで肉にするために育てている豚や牛のようです。 いいえ、豚や牛だって、もっと優しく大切にされています。
青年にとってこの女の子の育った世界というのは、考えただけで苦しくて、痛々しいものでした。
「ねえ君、外に出て、空を見たいと思わないかい?」
勝てる自信もないのに勝手に生贄を外に出すのは危ないことですが、女の子の境遇があんまりにも酷いから、我慢出来なくて青年は言いました。
「……見てみたいけど、ニエは神様に殺されないといけないから」
女の子はちょっとだけ、少しだけ、空に興味があるようでした。
でも『出たい』とは言いません。
「殺されるのは怖いことだよ。 此処の神様は、君にとても痛いことをするだろうね。 だからその前に外に出て、此処の神様に会えないところまで行ってしまえばいいのさ。 僕なら出してあげられるよ?」
「うーん……」
女の子は考えます。
どう考えたって逃げた方がいいのに、真面目に考えています。
「空は見たいけど……ニエは神様に会えないの嫌だなぁ……」
「おいおい、此処の神様は君が考えてるよりもずっとずっと酷い奴なんだぞ? 君が小さい子供だからって優しくしてくれるとは思えないけど、いったいどうして会いたいんだい?」
こんな小さな女の子があの部屋に入ったら、すぐに殺されてしまいます。
そういう優しさも無いような神だから、青年はわざわざ悪名ばかりのこの国に来ているのです。
なのに女の子は『神様に殺される』ということが当たり前のように言っていました。
それどころか、女の子は夢の王子様の話でもするかのように、自分の指と指をくるくると回します。
「だってニエが生きてるのは神様のおかげなんだもん。 神様がニエに生きてても良いよって言ってくれたから、ニエはまだ生きてるの。 だから、早く神様に会いたいな。 あのねあのね、ニエはもうすぐ神様に会えるんだよ」
「ははあ、さては君ってば救いようのない奴だな?」
これで『怖い』とか『殺されたくない』とか言えば外に連れ出しますが、女の子はむしろ率先して会いたがっているようでした。
目の前の女の子は、とても変な女の子です。
「本当に会いたいの? あいつは君に凄く酷いことをするんだぞ? 死ぬってことの意味、分かってるのかい?」
「うん、ニエは一回しか死ねないから、神様が喜んでくれるように殺されなきゃいけないんだよ」
「……じゃあ、君を此処から連れ出すのは無理だなあ」
青年なら無理やり外に出すことは出来ますが、女の子が望んでないのなら、出すことは出来ません。
どんな状態を幸せだと思うかは、女の子が自分で決めることだからです。
外の世界にある幸せを知らないから、この女の子にとっての幸せは『神様に殺されること』なのです。
それはとても悲しいことで、幸福なことでした。
「じゃあ、僕は出るよ。 神様と仲良く出来るといいね」
「うん、ありがとう」
女の子は頷きました。
嘘なんて一個も吐いていない顔でした。
青年は少し考えましたが、でもやっぱり一人で外に出ました。
外に出て、青年は様子を見ました。
お話が通じないので、他の国から強い神様を呼んで、一緒に此処の神様を囲んで殺してしまうのが、一番早いと考えました。
なので青年は近くに居る、とんでもなく強くて白い神様を探して、その神様に相談しました。
「なるほど、お話が通じないのなら仕方ない。 我々の今後の利益のためにも、アレには死んでもらおう」
「……あのさぁ、僕じゃなくて、最初から君が出ていけばよかったんじゃない? 君なら殺されかけることもないだろ」
「はっはっは。 おいおい君、私にとって神とは同胞、つまり家族も同然。 家族殺しなんて出来れば避けたいんだよ? 私よりも会話が好きな君なら、アレと少しは真っ当な会話を成立させてくれると思ったのさ」
「……あー、ふーん、そうですか」
それってつまり『自分は勝てる』と堂々と言いきってるようなものですが、とんでもなく強い神様は、本当にとんでもなく強いのです。
会ったこともないくせに自信たっぷりに言いましたが、きっと、本当に勝ててしまうのでしょう。
「理解してもらえて何よりだ。 ……だが、人間は出来るだけ逃がしておきたいな。 うんうん、じゃあまずは周りの国の神に、あそこの人間を逃がすための軍隊を組織するように言ってこようか」
「で、どんな理由であそこの国にそんな軍隊を入れると?」
「それは、後で考えるよ」
とんでもなく強い神様は、そう言って笑ってました。
青年は、どいつもこいつも面倒だな、と思って、合わせて笑うことにしました。
国に戻ってきた青年は、自分が居ない間に、あの女の子が神様のところに連れていかれたと聞きました。
可哀想に、きっともう死んでいるに違いありません。
でも会いたかった神様に会えたのだから、少しはあの子の人生だって報われているでしょう。
青年が心の中でそっと手を合わせていると、なんとあの恐ろしい神様が、南の国の神を殺しに出たと聞きました。
慌てて後を追いかけましたが、もう全部が終わっていました。
「すぐ酔って吐くくせに呑みたがる、面白い奴だったんだがなぁ……」
青い龍の神様は、あっさりと殺されてしまいました。
青年なら助けようと思えば助けられましたが、行ったところで殺される数が増えるだけです。
そんなことをしてまでも助けても、何も意味がありません。
食われている青い神様を見殺しにして、青年は様子を見ることにしました。
青い神様と一度だけ目が合ったけど、青い神様は青年の決めたことを恨みがましげに睨んで、それで終わりました。
そして、また日が過ぎました。
青年はこの国に、恐ろしい病が流行っていると聞きました。
どんなに健康な人も、どんなに若い人も、関係なく大量の血を吐いて死んでいきます。
全く関係ない人だろうと、貧乏な人も豊かな人も、突然、死んでしまうのです。
青年は治す方法を探しましたが、何をやっても病は治りません。
他の国で情報を聞きましたが『そんな病気は聞いたことがない』と物知りな神様からも断られてしまいました。
「まさか君が呪いでもばらまいたんじゃないだろうな」
「ははは、そんなわけがないだろう? 確かに国民が減ればアレも少しは弱くなろうが、その程度のことのために趣味の悪い呪いをばらまく必要があるかい? 人間を殺すのだって勿体ない」
とんでもなく強い神様は、そう言って笑っていました。
「おそらくは彼女が最期に呪いでも放ったんじゃないかな。 ほら彼女、死んだのは国内だったんだろう?」
「でもあそこの神まだ生きてると思うよ」
「それは彼女が弱いからさ。 強かったらアレを殺せただろうが……はあ、まあよっぽど怒り狂っていたのだろうな。 人間まで巻き込む必要はあるまい。 しかし全てはアレに責任がある」
そしてとんでもなく強い神様は、少しだけ考えました。
考えたけど、すぐに考えるのをやめました。
「愛の無い神は哀れだ。 どのような感情を食う神であったとしても愛と優しさを振りまくことは出来るのに、しなかったのだからな」
「まあ、小さい子を殺したところで悼む心なんて無いような、趣味の悪い奴だからね」
「今からでも改心してくれたら、私は殺さずに済むのだが。 もし出来たら此処に連れて来てよ」
「まさか」
今度は青年が笑いました。
あの恐ろしい虎の神様が心変わりだなんて、そんなの、絶対に有り得ないからです。
そして、周囲の国から軍隊が向かいました。
国を滅ぼすためではなく、あくまでも国民を謎の病気から守るため、優しさと親切さのためです。
不思議なことに、他の国に入ると病気は治ることが分かりました。
あの国の中だと何をやっても治らなかったのに、他の国に入った瞬間、病気はあっさりと消えてしまうのです。 死んでしまうのは、体力がない人達ばかりでした。
それでも『病気が治る』と聞いて、たくさんの人間が国外に向かいました。
それを知ったあの国の偉い人達も、慌てて国外に逃げようとしました。
でも、国民は誰もそれを許そうとしてなくて、皆が家族ごと殺されていました。
兵士も誰も、偉い人を守ってくれるような人間は居ないからです。
「あの赤毛のガキが、俺の娘を殺したんだ! 『犬が生意気だから』って!! ちくしょう、お前が犬を蹴ったのが悪いっていうのに!!」
「俺の兄は、そのガキに『頭の悪い犬を売ったから』ってだけで鞭打ちの刑だった!」
「私の父はあの男に殺されたわ! 絶対に許さない!!」
「俺は罪人扱いされた! 俺は無実なのに! 俺は何も悪いことをしていないのに、片腕を奪われた!!」
「殺せ! 殺してしまえ!!」
あの国は神様のおかげで繁栄しましたが、でもお金持ちなのは偉い人だけです。
普通の人達は、お金がもらえません。 お金が無いから、食べ物もありません。
だから太ってる偉い人は、とっても嫌われていました。
青年はあの国で、とりあえず一人でも多く国外に連れ出しました。
歩けない老人を背負って、金が無い貧乏人も担いで、親が死んだ子供の手を引いて、病で血を吐いている人だって運んで、たくさん国の外に出しました。
青年は、別に優しい善神ではありません。
ただ目の前で病で苦しんでる人間が居れば、不愉快だから放置出来ないからです。
「ありがとう、ありがとうお兄さん、本当にありがとう……」
「いやいや、どうってことはないよ」
「ありがとうオッサン!」
「オッサン!? えっ、僕そんなに老けて見える? もうちょっと若くなろうかな……」
それに感謝されることも、嫌いではないだけです。
軍隊に国民を引き渡して、雨が降っている中、青年は国外に逃げる人間達の姿を見ました。
まだまだ国内には人間が居るはずです。
一人でも多く出してあげないと、いつか病で死んでしまうから、出してやろうと思っていました。
それに、あの虎の神様が今どうしているのか、気になります。
あんなのだから国から逃げてはいないと思っていたけど、もっともっと怖い神様が殺しに来る前に、何か言ってあげないとと思っていました。
それでもどうせ逃げないとは思っていても、言わないよりは言ってやった方が親切でしょう。
ふと空が円の形で一気に晴れてきて、とても綺麗な空が見えました。
あんなに降っていたのに意外なことです。
きっと誰かが魔法で雲を退けて晴らしたのでしょうが、そんな簡単に出来ることではありません。
ただなんであれ、晴れているのなら山道で滑らなくて助かるから、気の利いたことをしてくれる優しい奴も居たものです。
それからしばらくして、軍隊に紛れながら、そろそろあの虎の神様の様子でも見に行こうかと考えた青年は、一人で立っている子供を見つけました。
その腕に黒い何かを抱えて、空を見上げてぼうっとしています。
青年はその子を見て、とても驚きました。
真っ赤な髪をしたその子は信じられないほどボロボロになった服を着ていて、裸足で、とても痩せた体をしていました。
それに、元々は真っ白だったはずの服は、きっと病気のせいで真っ赤になっていました。
そんな服を着て痩せた体なのに、でも今にも死にそうではありません。
「ねえ君。 何をしているんだい?」
青年は女の子に声をかけます。
真っ赤な髪をした女の子は青年を見て、嬉しそうに答えました。
「空を見てるの。 空って、とってもきれいだから」
おや、と青年は思いました。
空なんて誰でも見たことがあって、今更感動するものではないからです。
それに今は、誰もがこの国から逃げたくて必死なので、空なんて見ているほど暇ではありません。
この子は、きっととっても変わった子供なのです。
「ねえねえ、絵本に描いてあったの。 空ってとっても青くて遠くて、キラキラしてて、太陽もキラキラだけど、海も同じくらい青くて遠くてキラキラしてるって」
「ほうほう?」
「だからね、海と空をいっしょに見てみたいなって。 ……海ってどこにあるかなぁ?」
女の子は笑っていました。
こんな時で、笑える時ではないのに、笑っていました。
「うーん、だったら残念。 この国には、海が無いんだ。 こんな所に居たら、どこまで行っても海なんて見えないんだよ。 月と星なら、黙って此処に居れば見られるだろうけどさ」
「海、ないの?」
「うん。 無いよ。 だから君は、この国の外に出るべきだ」
それから青年はちょっと首を傾げました。
この女の子は何処から、どうやって来たのだろう、この女の子の両目はどうして紫色なのだろうと、不思議に思いました。
「ああ、何なら僕が海にでも連れていってあげようか」
「……いいの?」
「いいよ。 僕はこの国であと一つだけ仕事があるけど、それさえ終われば」
青年は答えます。
こんな時なのに、ちょっとだけ機嫌が良かったので、ついついそんな事を言ってしまいました。
「君はちょっと物を見ただけで満足しないほうがいい。 空や海なんか見た程度じゃダメだ、この世界には飽きられないほど多くのものが、果てなく広がっているんだからね」
「……ありがとう!」
女の子はとても嬉しそうでした。
どうしてこんな態度なのだろうねと自分で思いながら、でも青年もちょっとだけ上機嫌でした。
「ねえねえ、貴方は、ニエと会ったことある?」
「無いよ? 僕と君は今初めて会ったばかりだね」
青年は当たり前のように嘘を吐きました。
「ところで君、一人で海に行くつもりだったのかい?」
「ううん!」
真っ赤な髪の女の子は言いました。
大きく首を横に振って、抱えている黒いものを、全く慣れてないように持ち上げました。
それは、ふてぶてしい顔をした猫でした。
真っ黒な毛をした、少し長い尾の、片方の目は見えないのか閉じて隻眼となった、ただの猫でした。
「ははは! 猫! ただの猫だねぇ!」
これを見て青年は思い切り笑いました。
随分と面白い猫だったから、周りの人達が五月蠅そうにすぐほど、大きく笑いました。
「はっははは、随分とカワイイ猫ちゃんじゃないかぁ。 名前はあるのかな?」
青年は面白がって黒猫を指でつつきます。
ふてぶてしく生意気な目で青年のことを睨んでくる黒猫は、前足でとても嫌そうに青年の指を振り払います。
でも女の子は寂しそうに言いました。
「……名前は教えてくれないの、道は教えてくれるのに」
「そりゃあ、ただの猫は喋らないものだからねぇ」
青年は黒猫を見て面白そうに笑います。
こんなに面白いものを見たのは久しぶりだから、黒猫がどれだけ嫌がろうと関係ありません。
「ううん、ちゃんと喋るよ? でも誰かが居るときは、喋りたくないって……」
女の子だけは、とても不安そうに青年を見上げました。
黒猫はとても嫌そうな顔で「にゃあ」と、まるで本当の猫みたいな不機嫌な声を出していました。
「へえ、喋りたくないんだ? 本当は喋れるけど、ふうん? 名無しなら、僕が名前つけてやろうかなー?」
それがあまりにも面白いので、青年は声に出して笑います。
はね除けられても構わずに黒猫をつついて苛め、黒猫は今にも噛みつきそうな様子で青年を睨み付けます。
「そんなに睨まれても、ただのカワイイ猫ちゃんの言いたいことは分からないね。 悔しかったら喋ってみてごらんよ、ほらほら」
「……もしかして、喋ったら、ダメなの? ……えっと、こ、この、ねこ? と、一緒がいいよ」
女の子は黒猫を庇うように隠します。
こんな小さくて細い女の子では青年から猫を守るなんてとても出来ませんが、それでも女の子はそうしていました。
「その猫ちゃん、君の猫なのかな? いつから一緒?」
「……え、えっと……よく分からない、けど起きたら近くに居て……『もう知らん』ってどこかに行こうとするから」
女の子は、黒猫を離さないように強く抱き締めます。
こうしてないと、今にも大事な猫が何処かに行ってしまいそうなんだと、猫の抱き方も知らないできつくきつく絞めます。
「ふーん? 何処かに消えようとしたんだーふーん、一人が好きな猫ちゃんなのかなー? 悪い猫ちゃんだなぁ?」
「…………」
黒猫は凄く嫌そうな顔をして青年に何かを訴えていました。
「ダメなの? 一緒がダメなら、ニエは海なんか見たくないよ」
青年に何かを強く訴えます。
なんだか青年の方が酷い悪者なのではと思れるような、そんな目が周りから向けられます。
だから青年は慌てて言いました。
「ははは、まさか。 君が連れて居てくれるならそいつだって少しは大人しくなるだろうから、是非とも連れててほしいぐらいだね。 せいぜい海の前に行く場所が変わったぐらいさ」
どうしてこの女の子がそんな不安そうにするのかと、青年は思いました。
だって、意味の無い不安です。
なんといってもこの子が持ち上げているのは、ただの生意気な隻眼の黒猫であって、他の何でもないからです。
生意気な猫を相手に、何を怯える必要があるのでしょう。
なので青年は、ニヤリと笑って言ってやりました。
「僕には、ただの猫ちゃんと話す趣味はない……というだけさ!」
――――それで、この話はおしまい!
獣の神様と、生贄の女の子のお話 馴染S子 @NajimiSko
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