終わっていくお話
「………………」
神様に朝の挨拶と戦争の報告をしようと現れた人間達は、驚きのあまりに口をぱくぱくとさせました。
今まで此処に、たくさんの人間を放り込んできました。
とても賢い人間も、罪人も美しく飾った人間も、幼い人間も、老いた人間も、男も女も外国の人間も、放り込んできました。
その誰もが、三日は持ちません。
悪ければ入れたその日、その直後、同行した人間ごと。
長くても二日、神様の機嫌が良かっただけで生き延びていました。
なのに今回は、なんと四日目まで生きていたのです。
取り立てて特徴もない、むしろ頭の悪い、ずっと牢屋に閉じ込めて外に出さず育てた、まだ十年も生きていない女の子をです。
昨日は此処で激しい雷が起きたのを人間達は知っていたので、ついに女の子は殺されたのだろうと思っていました。
なのに未だに生きているのが、とても意外でした。
しかも神様は、その女の子を前脚に乗せて寝させていました。
更に前脚から真っ当な生き物として有り得ない場所と方向から翼を出して、翼を毛布扱いにして寝させています。
人間達は、神様があの翼で砦を平気で切り裂き、人間を串刺しにしていたのを知っています。
あの翼で生き物を食い殺していたのも知っています。
そんなものに触れると思うだけで恐ろしいのに、毛布扱いなんてとてもとても出来ません。
だけど女の子は、呑気な顔をして寝ています。
自分を何の慈悲や感慨も無く、身動きするだけで殺せる存在の上で寝ています。
恐ろしくて、とても有り得ないことです。
夢かと思いましたが、全員の前にそれは本当のこととして存在しています。
でも、いったい何があったのか神様に聞くなんてことは出来ません。
なので人間達は困惑と共に互いの顔を見合わせました。
先頭に立つ男は動揺を悟られないように頭を下げます。
「――神よ。 昨日は貴方様のおかげで、愚かで悪しき国から領地を得ることが出来ました。 あちらの国は神を失って混乱状態にあり、他国に救援を求めるしかない状況です。 全ては貴方様のお力のおかげです」
神様は答えません。 視線も向けないし、起きている様子もありません。
人間達にとっては、そうしていてくれた方が助かります。
何が起きて、どうしてこうなったのか、此処を覗こうともしない人間達には分かりません。
ただ人間達になんとなく理解出来たのは――――今この状況で、神様が不機嫌なわけがないということです。
不機嫌だったらあの女の子は死んでいなければおかしくて、むしろ気に入られたからあの女の子はああやって堂々と寝ているのです。
ということは、同じ人間である自分達が多少何を言ったところで何もされないという自信を得たのです。
人間達はこのまたとない機会に機嫌を良くし、調子付きました。
「神よ、それの何処を気に入っていただけたのか、我々程度には理解出来ませんが、ともかく気に入っていただけて何よりです。 差支え無ければ、いったいそれの何処を気に入ったのか我々に教えていただければ、今後も――」
「黙れ」
ずっと起きていた神様が、低く唸る声で言います。
声を聞いた人間達はびくりと震え、目を開けた神様を恐怖の顔で見上げます。
「これが生きているのは俺の気まぐれに過ぎない」
「そ、そうですよね。 神の意思に人間などが問おうなどという愚行、申し訳ありません」
慌てて全員が深く、床に額をつけるほどに頭を低くしました。
そして、そのうち一人、赤毛の太った男が言います。
「神よ! その娘に特別な寵愛を与えるとおっしゃるのならば、それは――――」
「そうか、お前は耳が無いのか」
ごろごろと、室内にも関わらず雷の音が聞こえてきます。
神様はその気になれば室内だろうと雷でも雨でも炎でも降らせることが出来るので、これは間違いなく本物の音です。
人間達が、発言主である赤毛の男を責めるように見つめました。
「申し訳ありません! ですがそんな教養もない贄などより、もっと」
神様は無言で雷を降らしました。
人間達に当たらない程度の距離で、またしても床に熱を与えます。
人間達はそれぞれに悲鳴をあげ、赤毛の男は大仰な悲鳴をあげ、全員で大きくひざまずきました。
「消え失せろ」
「は――――はいぃっ!!」
人間達は必死に頭を下げて、慌てて部屋を去りました。
邪魔なのが前脚で寝ているせいで起き上がれない神様は、恐怖し慌てて逃げる人間達を見送って、鼻で笑い飛ばしました。
しばらくして、静かになった部屋で、女の子が遅れて起きました。
さっき起きたことに何も気付いてない顔で、ぼうっと辺りを見渡します。
そして、自分が今何処で寝ていたのか気付いて、驚いて起き上がりました。
「わあっ! ごめんなさい神様、ニエ、寝ちゃった……あれ?」
女の子は、自分の上に毛布のように翼が乗っていたのに気付いて、好奇心と驚きを半分ずつにしました。
好奇心もむき出しに翼に触りますが、神様はそれを嫌がって翼を消してしまいます。
「神様、ニエのこと、寝させてくれたの?」
「お前を動かすと唾液まみれになるからだ」
「あのねあのね神様、ニエね、すっごく良かった! ありがとう!」
女の子はとても嬉しそうに、輝くような笑顔で感謝します。
両手を広げて、感謝をたっぷりと示しています。
「……それでお前は、一回だけと言っておきながら、いつまで図々しく俺の上に乗っているつもりだ」
そんな事を言って、神様は女の子を見下ろして睨みます。
「うん、ありがとう神様! ニエはもう、神様を触ったりしないよ」
女の子はゆっくりと神様の前脚から降りました。
降りた時、普通の人間なら上手く着地出来るぐらいの高さしかありませんが、女の子は足が床についた衝撃に耐えられなくて尻餅を突きます。
これに、女の子は一人で楽しそうに笑っていました。
女の子は触らないように遠くまで動いて、小さく座ります。
視線はずっと神様に向けられていて、ニコニコと楽しそうです。
「ねえ神様。 神様はどうして、怖がられるのが好きなの?」
触りはしませんが、女の子の言葉は止まりません。
たとえ神様が黙っていようと、脅したり意地悪を言おうと止まらないのはこの数日で既に分かっています。
何度同じ言葉を繰り返したって女の子はちっとも飽きない上にずっと言い続けるので、暇な神様は気まぐれに、質問に答えてやることにしました。
「人間を喜ばせてやる必要を感じないからだ」
「でも、嬉しくて楽しい方が、きっとすっごく良いよ? 皆が此処にいっぱい来てくれたら、神様はずっと一人じゃないよ? いっぱいお話出来たら、楽しいよ」
「群れるのは、弱いものがすることだ」
神様は答えます。
この神様にとって、人間も同じ神も、全部、近寄りたいと思わないものです。
怖がったり、内心での罵倒を隠せない様子も、悲鳴をあげる様子も、それら方が神様にとっては楽しいのです。
人間を喜ばせることに、何の意味も感じません。
「神様って、どうしてずっと此処に居るの? 神様は一番偉いんだよ? 神様よりも偉い人が、神様に此処に居なさいって怒るの?」
「指図する者など居ない」
「じゃあ神様は、此処に居るのが好きなの? お空を見なくていいの?」
「くだらない事を聞くな」
「…………えっと……?」
女の子は不思議そうに首を傾げます。
「……神様は、皆に怖いって言われるのが楽しいんだよね? だからニエにも怖いって言ってほしいんだよね?」
心底、不思議という顔で女の子は続けます。
「じゃあ神様は、どうして、ずっと此処に居るの? 神様は怖いってされたいのに、此処に居たら、ちょっとの人しか怖いって思ってくれないよ。 でも、外に出ないの?」
「………………」
神様は何も言いません。
外に出て、この女の子にやったような事を沢山すれば、皆が神様を怖がります。
そんなの、当たり前です。 普通なら怖がります。
でも神様はこの国の人達から怖がられて、嫌われていますが、だけどこの国の人達の前に出ることはしていません。
神様が一番最初にこの部屋に入った時、その頃はたくさんの国民が、神様のことを知っていました。
どんな姿で、どれくらい怖くて、どれくらい強いのか、神様のことを皆が知っていました。
でもそれはもう何百年も前の話で、今はもう兵士と偉い人、ずっと扉の向こうに居る人達しか知りません。
兵士から噂を聞いて、『こんな怖いものが居るらしい』というぐらいにしか、思われていません。
神様は、戦う時にしか外に出ないからです。
それだって、神様に殺されたこの国の兵士よりも、敵の兵士の方が多いのです。
神様のことを味方だと思ってる国民は多いのです。
だから、神様がどれくらい怖いのか、ちゃんと怖がってる人は少なくなっています。
なのに、神様は出ていません。
普段から出て国民に見せたら怖がられるのに、出ません。
その理由を聞かれても、理由なんて神様にもありません。
そこを聞かれたことが無いから、今まで考えたこともありません。
「あ、もしかして」
女の子は嬉しそうに手を叩きます。
「神様は、本当は皆に怖いって言われるのが嫌だから、ずっと此処に居るの?」
「そんなわけがあるか」
「神様は本当は、すっごく優しい神様で――」
神様の背から腕が伸びて、女の子の首を捕まえました。
落としただけでも簡単に殺せるぐらい高く持ち上げて、女の子の首を絞めます。
「くだらない妄想を囀るな」
女の子の首が、少しずつ締まっていきます。
何をしたって振りほどけないぐらいの強い力で女の子の首が締まり、女の子から空気が無くなっていきます。
「どうやらお前は、何を言っても殺されないと思い上がったらしい。 俺が優しい? そんな事は有り得ない。 俺はお前に何の慈悲も持たない、同情もしない。 お前の無様な死体も、今までの些事も、俺は全てすぐ忘れる」
「――――」
その紫の縞模様の光を放つ黒い指先に、僅かな力が込められていきます。
神様にとっては『僅かな力』でも、人間にとってはとても強い力です。
女の子のただでさえも白い顔が、もっと白くなって、他に支えの無い全身が、手足が、ぶらぶらと揺れます。
「お綺麗な場所は見えてきたか? それとも、今までの発言は全てただの戯言だったか? だとしたらお前は嘘つきだ、嘘を吐くとはとんでもない奴だ、やはり死ねばいい」
どんな無知な人間であれ、死は恐ろしいものです。
どれほど冒涜的な人間であったとしても、目の前に死が迫れば、慌てて生存を求めるに決まっています。
神様は愉快な気持ちを取り戻して、女の子の首を絞めます。
絞めて、絞めて、絞めて。
そして神様は、女の子は全くの抵抗をしないことに気付きました。
女の子はまだ生きています。
手足だって、まだ動くはずです。
より苦しめるために、なんとか死なない程度に狙っているからです。
でも女の子は動きません。
空気を求めて無駄に暴れたり、足をジタバタとさせたり、そんなことはしません。
その手足はぶらんと下がり、大人しいままです。
「おい、まだ死ぬのは早いぞ。 もっと怖がってみせろ」
神様は女の子の様子を確かめます。
やっぱり、まだ生きています。
意識は今にも途切れそうになって、血の流れすら止まりそうになったせいで顔は赤くなってきていますが、それでもまだ生きています。
なのに、女の子は何の抵抗もせず、生きようともしないのです。
「何故、生きようとしない。 生きたくはないのか」
神様は、いつまでも怖がったり生にしがみついたりしない女の子に、苛々しながら問います。
ぐったりとしている女の子は、僅かな空気を求めるように口を開きました。
ほら見ろ、やっぱり死は怖いんじゃないかと、神様は嘲笑います。
でも女の子は違いました。
神様を見て、苦しいはずなのに優し気に笑って、何の抵抗もしません。
「も、う、さ――ら――――て―――――か、ら」
はっきりとした声にはなっていません。
それでも神様には、唇の動きだけで女の子が何を言っているのか、何を思って抵抗しないのか、理解してしまいました。
神様は黙って女の子を下しました。
そこで手を離したり、高いところから叩き落したりせず、ゆっくりと下しました。
床にちゃんとおろしてから、神様は首を絞めていた腕を話しました。
「ゴホッ――」
女の子は激しい咳をして、一気に流れてきた空気に苦しそうにしながら床を転がります。
でも、あんなことをされたのに、神様を見る目には一切の恨みや恐怖はありません。
『もう触らないって言ったから』などと。
そんなつまらない理由で、この人間は、何の抵抗もなく殺されようとしたのです。
「お前は愚かだ、どうしようもない。 そんなにも俺に殺されたいのか」
「で、も……かみさまは、ニエにさわられたくない、から」
「…………」
神様は黙りました。
さっきはそんな事を確かに宣言していましたが、だからって生きようとする本能を全て捨てて、されるがままに殺されようなど、絶対に有り得ません。
もはやどっちが恐怖するべきなのか神様にも分かりません。
「ニエ、ね? かみさまにさわ、て、ほ……とに、……うれしか…よ」
女の子の声はかすれて、喋るのだけでもやっとという風でした。
それでも、喋ることはやめません。
「みんな、ね、ニエがさわったらおこるの。 いっかい、さわったら、てを……ぶんって、して、さわっちゃだめって。 ニエにさわっていいのも、さわってくれるのも、神様、だけなんだって、言ってた」
女の子は、自分の火傷も残る手に、神様に触った手に、大事そうに触れます。
自分に今まで起きた不幸も、一つしかありえない未来も、全部受け入れた顔で笑っていました。
「神様は、ニエにさわってくれた。 ニエも、神様にさわれた。 すっごくうれしかった。 だから、もういいの。 ありがとう神様、ニエはいつ死んだって、もういいよ」
「…………………くだらない」
神様は、もう何も言うことがなく、女の子を無視しました。
人間達から散々な扱いを受けて、食事すら満足に与えられず、愛情も知らずに育ってきたこの子は、神様から与えられるものだけが全てなのです。
だから、神様に何をされても怒らないし、怖くも無いのです。
それでも神様にとっては、そんなことが考えられたからって女の子に同情しようと思いません。
神様は本当に薄情で、冷酷で、恐ろしい神様だからです。
ただ神様が思ったのは、こんな頭の悪い人間を殺す方がバカバカしいということです。
~・~・~・~・~・~
少しして、まだ女の子は生きていました。
毎日、確かに生きていました。
少ない量の食事を取り、そして神様のそばに座っています。
女の子は飽きもせず、学習する頭もなく、神様に話しかけます。
それが、その子の一日の全てです。
神様はその全てを無視しました。
もう殺そうとはしませんが、その代わりに女の子の存在を完全に無かったことにしました。
何を言われても、何が起きようと、関わろうとしません。
女の子の声も姿も、神様の視界には入りません。
返事も、視線も、何もありません。
だけど女の子はずっと、飽きもせずニコニコと笑いながら、火傷のある手と絞められた跡のある首で、神様に話しかけるのです。
そしていつものように、また、人間達が現れました。
今度は、いつもと違います。
たくさんの人間が現れて、恐れるように、震えるように神様の前に跪きました。
「――本日も、我等が心穏やかな朝を迎えられました。 全ては強き神たる貴方様のおかげでございます」
でも、その言い方はいつもと違います。
本当に怯えて、本当に苦しくて、本当に神様に縋る顔をしています。
「ですが、どうかお願いしたきことが……」
切羽詰まり、どうしようもない顔で先頭の男の人が顔をあげます。
そこに居る人間達は真剣に、追い詰められた顔です。
「この国に、恐ろしい病が流行っているのです。 それは凄まじい速度で国中に広がり、誰もが口から血の泡を吐き、苦痛に喘ぎ死んでゆくのです」
女の子も神様も言われるまで気付いていませんが、それは本当のことです。
この国には、つい最近になって突然恐ろしい病が流行っていました。
この病に罹った人間は、いきなり血の泡を吐きます。
身体の中にある血を、どれほど吐いても止まりません。
それから熱が出て目眩と咳をして、身体は動かなくなり、その間もずっと沢山の血を吐いて、どんなに健康な人だって三日も持ちません。
どうして罹るのか、どうやって移るのか、どうすれば治るのか、誰も分かりません。
病の人をどんなに遠くに閉じ込めても、関係ない人がいきなり血の泡を吐いて倒れてしまいます。
たったの数日で、もうたくさんの人が病で倒れています。
分かっているのは、どんな魔法や名医でも治せないこと、罹ったらどんなに健康な人でも同じように死ぬということ。
病から治った人は、未だに一人も居ないということ。
そして、他の国にはそんな病なんて無い、ということです。
この国にだけ、この恐ろしい病が大流行していました。
まるで魔法か何かのように、この国だけが呪われていました。
全員が神様に縋るような目をして、話しかけます。
「神よ、どうかこの病を消してください。 我ら神に仕える人間やその家族ですら、既に何人も病に倒れているのです」
「どうか私の父をお救いください!」
「私はずっと真面目に貴方に仕えておりました!!」
「わ、私の子は、とても可哀想なのです!」
「神よ! どうか!!」
「救いを!!」
ずっと黙っていた人間達が、次々と叫びます。
もしかしたら殺されてしまうかもしれないのに、大声で、次々と言いたい事を言います。
自分の大切な人を、大切な人だけは助かるように、必死で神様にお願いします。
神様は面倒そうに答えました。
「俺は殺すことと壊すことは出来る。 だが病を癒すなんぞ出来ん、そんなものはお前達人間が自分で解決しろ」
「じゃあ病を殺してくださいよォ!!」
いつもなら、絶対に有り得ない返事でした。
流石の神様だって驚いて、人間達を見ます。
「我々はずっと貴方様に、真摯に仕えていたではありませんか! その我々が、いったいどんな罪を犯したというのです!?」
「たくさん人間を与えてきたでしょう!!」
「どうして我々を助けようとしてくれないのですか!?」
「知るか」
神様は不機嫌に、低く唸るような声で言いました。
いつもならここで人間達は恐怖で黙りますが、もう誰も黙りません。
神様に対する恐怖よりも、病に対する恐怖の方がとっても怖くて、他の何よりも優先されるのです。
皆が神様に、なんとか助けてもらおうとしています。
「俺に出来るのは生き物を殺すことだ、お前達が俺に望んだのはそれだ、俺は今までお前たちの望みを叶え勝利してきた。 なのに関係ない病のことまで俺に押し付けるな」
「我々に襲いかかる全てから我々を助けるのが、神の役割でしょう。 でなければ貴方様は、何のために居るんですか!」
先頭の男の人だって大声をあげます。
「何度も言わせるな、治療なんぞ俺には出来ない。 自分でどうにかしろ」
「どんな薬も医者も魔法も効果が無いから貴方に縋っているんです!」
「既に国民の多くが苦しんでいるのに、貴方様は何とも思わないのですか?」
「我々はこんなにも、貴方様に尽くしてきたというのに!」
「黙れ」
神様は苛々して言います。
この神様には本当に、病の治療なんて出来ないからです。
ましてや誰かの魔法、いや呪いならば、この殺すことと壊すことしか出来ない神様には、どうにも出来ません。
「俺には出来ない、勝手にしろ」
この返事に、人間達は心の底からとてもガッカリしました。
神様のくせに、自分達を助けてくれないからです。
「肝心な時に、役に立たない……」
ぼそりと誰かが言いました。
いつもなら絶対に有り得ないのに、熱に浮かされた彼らには、もう制御なんて出来ません。
ガッカリしきって人間達は立ち上がりました。
もう神様には期待出来ないと分かって、期待することを辞めてしまいました。
ぞろぞろと、人間用の扉を通っていきます。
「か、神よ!」
だけど一人、慌ててもっと前に出てきました。
真っ赤な髪をした、少しだけ痩せた丸い体の男です。
「どうか私の娘を助けてください! お慈悲を!」
男は転がるように前に出て跪き、神様をじっと見上げます。
その部屋中に響くような大声に、神様は目を開きました。
「私の娘はとても美しい子です。 貧乏人どもに挨拶をしてやり、高貴なる者の責務として孤児院を建てる、そんな心優しい子です! 幼い子供が苦しそうに血を吐いてベッドから動けず死を待つだけなど、可哀想ではありませんか!?」
男は必死に懇願します。
可愛くて、素敵で、心優しい、そんな娘が可哀想だと、男は神様に訴えます。
「お前の子のことなど知るか」
でも、神様にはそんなことは関係ありません。
その子供が、本当にどれくらい素晴らしく有用な子供でも、だからって神様には関係ありません。
「本当は、何かあるのでしょう……!? 私の娘を病から解放する、そんな力を貴方様は持っているはずです!」
「無い、何度言わせる」
「私の娘はまだ生きるべきだ、まだ十歳なのに……病なんかで死んでしまったら可哀想です……!」
男は、必死の懇願と続けます。
目の前の神様なら絶対にその手段を持っていると、そう信じているのです。
「無理だ」
神様はしつこすぎる問いに、とても苛々してきました。
ずっと神様に都合のいいお願いをして贅沢な暮らしをしてきた体のくせに、まるで今人生で初めてお願いをしているとばかりの態度が、神様にとっては気に入らないのです。
もう、この人間を殺しても別にいいかと、思っています。
「だったら、何故……何故、その贄は、まだ生きているのですか!?」
男は女の子を、震える指で鋭く指さしました。
「貴方様が、その贄に特別な寵愛を向けたから、病など無縁で未だに生きているのでしょう!? でしたら、その寵愛は私の娘のものでもいいではありませんかっ!」
女の子がまだ生きているのはおかしいと、男は言っていました。
とっくに死んでいるべきなのにまだ生きているのは、神様に特別に愛されているからです。
でも、男にとってはこの女の子なんて、道端の雑草くらいにどうでもいいものでした。
こんなのが平然と生きてるのに、自分の可愛い娘が苦しまなければならないのは、なんて理不尽なんだと思っていました。
「私の娘は、そこの何の教養も無く頭も悪いみすぼらしい痩せ細った贄と違って、とても賢く美しく、誰からも愛される子なのですよ……っ!? どっちが貴方にとって有用か、考えるまでもない!」
「何が寵愛だ。 どいつもこいつも、俺の気まぐれで生かしてやっているだけなのに、図に乗るな」
神様は、とても苛々しました。
神様にとって、この人間の男がいつから居て、どういう立場の人間かはよく知りません。
此処に来られるのだから、この国でも高い地位を持っているのでしょう。
この国がどういう国で、どういう政治で、他国からどう見られているかすら、神様には興味もありません。
ただこの男が、自分がとても純粋で正しいことを言っているのに酷い対応をされているとばかりの顔をしているのが、気に入らないのです。
「おい、贄、贄姫様」
神様が冷たいので、男は女の子に視線を向けます。
媚びるように丸い笑みを浮かべて、四つん這いで這いながら、女の子に迫ります。
「な、なに……?」
「贄姫様は、神の寵愛を受けているのだろう……!? だったら贄姫様からも何か言うべきだ、そうだろう!? なのにさっきから何故、何も言わない?」
男は女の子の両肩を、砕けようと構わないとばかりに強く掴みます。
鼻息荒く、目は血走り、顔を真っ赤にし、女の子に勢いも荒く詰め寄ります。
「私の娘は、お前が救うべき命だ! そうだ、俺が救ってやったんだ! 平民が産んだ子なんぞさっさと死んでも良かったのに……この俺がお前に生きる許しを与えてやったんだ! 恩返しをしろ、今すぐ!」
「わっ」
男は、女の子の首元を掴みます。
唾も吐きかけるほど必死に、女の子の無能ぶりを責めます。
「早く、早く神に願うんだ! 『姉を救え』と!!!」
「あねって、なに……?」
首元を掴まれ持ち上げられて、でも女の子は困惑いっぱいに問います。
『あね』というのは、女の子にとって、一度も聞いたことがない言葉だったのです。
だから女の子は、さっきから話題になっている少女が自分にとっての何で、目の前に居るのが自分にとっての何なのか、全く分かりません。
知らないのだから、理解しようもありません。
「お前は、いったい誰のおかげで今までのうのうと生きていると思っている!? 俺のおかげだ!」
「……ニエが生きてるのは、神様のおかげ、だよ……?」
「――恩知らずがァ!!」
男は空いていた手を振り上げて、女の子の頬を思い切り叩きました。
鋭い音がして、軽くて小さな女の子は、頬の片方だけ真っ赤にして床に倒れます。
「ふう、ふぅ、ふぅう――」
男は荒い呼吸で肩を大きく動かし、女の子を睨みます。
愚かで、頭が悪くて、自分の命なんて何にも劣ると分かっていない女の子が悪いのです。
すると突然、辺りに強い風が吹き荒れました。
立っていた男でも、そこに立っていられないほどの強い風で、ついつい床に倒れます。
こんな場所で、突然こんな風が吹くわけがありません。
やったのは神様しかありえません。
男は慌てて這いつくばり、恐る恐る神様を見上げます。
起き上がっていた神様は、男のことを睨んでいました。
娘想いで、たった一人の娘をとても愛している、自分勝手で自己中心的で不愉快な男のことを、低い唸り声をあげて睨んでいました。
「お前は何をしている」
「か、神よっ、これは教育というものでして、この贄が愚鈍なのが……」
「それは俺のものだ、お前の所有物ではない」
苛々して、その苛々のあまりに神様の尾も大きく揺れます。
別に神様は女の子のことを自分のものだと本気では思っていませんが、この急に現れて偉そうに振る舞う男のことが、とにかく気に入らなかったのです。
「俺のものをお前が勝手に触れた挙句傷つけるとは、どうやらお前は娘の命すら要らないらしい」
「そ、そんなことはありません! ただコレが育ててもらった恩すら忘れるから――!!」
「ふん」
神様は、慌てて言い訳する男を吐き捨てるように睨みます。
それからニヤリと笑い、男に言いました。
「特別に一つ教えてやろう、神には死者すら生き返らせることが出来る。 どんなに引き裂かれた死体も復元し、全ての病から解放する方法がある」
「おお! では、それを是非とも私の娘に……!」
「その代償は、神が死ぬことだ」
神様は、男を忌々しげに睨みつけます。
「神が力を分け与えれば、たとえ死者だろうと蘇る。 ただしどれほど力強く長生きした神であっても、力を与えられるのは一人だけだ。 神すら弱くなり、死ぬほどのものを与えて、ようやく一人が生き返る。 ……つまりお前は、お前の娘などというくだらない生き物のために俺に死ねと言っているわけだが」
そして神様は、裂けた笑みを浮かべて、驚いている男を見ます。
「愚かな。 何故俺が、お前の娘ごときのために命を使ってやらなければならない? 思い上がるなよ人間、死にそうならさっさと死んでしまえ」
「……!」
男は口を大きく開けて、がっくりと肩を下します。
とても絶望した顔で、何か言いたげに手をあげそうになり、しかし無意味だと悟って下ろします。
もう何も希望は無いのです。
「そんな……あの心優しい子が、いったい、何をしたと…………?」
男は真っ赤な髪と反対に顔を真っ青にして、神様に背を向けました。
恐怖も超えて絶望しきった背で、さっきより小さくなったような体で、とぼとぼと男は去っていきます。
その体に雷でも落としてやろうかと神様は思いましたが、それよりも神様は女の子に視線を向けました。
そうしている間に、外で待っていた人間達によって扉は閉まりました。
「おい、お前、さっきから何をしている」
床に倒れていた女の子は、自分の叩かれた頬に手を当てて、呆然としています。
知らない誰かに叩かれたことが信じられないという顔で、そこに座り込んでいました。
「あ……あのね、ニエ、神様じゃない人に触られたの、はじめてで……」
「気にするところはそこか」
女の子は頬を強く叩かれたことよりも、誰かに触られたことの方に驚いているようでした。
そんなくだらなくてどうでもいいことを、気にしているのです。
「何故怒らない。 お前は理不尽に……殴られたのだぞ」
男は理不尽でした。
さっきのは、ただの理不尽な暴力でした。
「…………」
でも、女の子に向かってずっと理不尽で酷いことをしていたのは、神様の方です。
女の子に怪我をさせて、首を絞めて、無視して、怖がらせようとして、ずっとずっと痛くて苦しくて酷いことをしていました。
あの人間のことを、神様は悪く言えません。
悪いのは神様の方です。
それを神様は自覚していましたが、まるで他人事のように接していました。
ただ、女の子が怖がるどころか怒ろうともしないことを、腹立たしく感じていました。
「…………えっと……でも、ニエが……よく分からなかったけど、あの人の子供が苦しい気持ちになってるのは、きっとニエのせいだから……ニエが神様に殺されなかったせいで……」
「違う」
そう強く言っておきながら、何が違うのか神様にも分かりません。
女の子はどうしたら良かったのか分からない顔で、神様を見上げました。
「神様は、あの人の大切な子供を、助けてあげられないの? 苦しいのも痛いのも、無い方がいいよ。 本当に、助けてあげられないの? 可哀想、なんだよ」
「……お前は愚かだな」
そして神様はすっかり飽きたように、さっきまでと同じように目を閉じてしまいました。
全てが、何もかもが面倒でバカバカしくて、どうでもよかったからです。
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