「霊ろ刻(ちろこく)物語」うぶすなの婿

中島 世期

「子々孫々 うぶすな神を絶やさず、仙才鬼才に託し 縁を背負ふ」

第一章 継承… ある日、引きこもりの日向の上に「うぶすな神」が突然に降って来た…。

プロローグ

 うぶすな神である藤代ふじしろ 文月ふづきは思う。いくら考えてもすべての原因は、失踪したおかあ様が


「自由になりたければ早く花婿を迎え、子を産み育てなさい」と言い残し、自分は捨てられた事だ。思い出すたびに、己の呪縛が恨めしい。


『花婿って言うけど、恋愛も結婚もせず、一生独身のままじゃないの』


 そう思うと、全身が重たい石になって、どこまでも落ちしずみこみそうに感じ、そこから抜けだそうと、深くため息をした瞬間。


 川底の深みの斜面に、足を滑らせ、そのまま吸い込まれるようにバランスを崩して川に身を沈めた。


 背負っていた竹籠が、川底にひっかかり、身動きが取れず、慌てて水を沢山飲んでしまった。飲んだ水が喉もとを締め付け、呼吸を塞ぐ。


『息が出来ない』


 竹籠から抜けだし、体勢を整える前に、あっというまに水流に押されて行く。


 手が空や水を掴む。息苦しさの中で、目にする乳白色に近い闇から、薄明の赤と黒と青のちのときのグラデーションの空。川岸の草むらのタヌキ。川底の石。


 水草と大小の水球のゆがみと揺らぎが混ざりあう、見たことのない世界が目まぐるしく変化をしていった。


 このまま行けば、戸和の滝に落ちる…。



【そのころ】


 赤い密着型フェイスプロテクションに赤いスウエットスーツ姿の浅葱 日向(あさぎ ひなた)が滝壺の底から上がって来て水面に顔を出した。


 二つに束ねてある、赤い長い髪を避けながら、赤い密着型フェイスプロテクションのフェイス部分をずらし、ほぼ垂直な崖を見上げ、大げさにため息をつきながら、さも嫌そうに崖にしがみつくように、滝横の岩に登った。


 戸和の一族の男子は遺伝的な異常を持って生まれて来るので、家族が保護している。そのために、世の中で日向の存在を記憶できる人間は、家族以外にはいない。


 ゆえに、家族だけが話し相手の日向は長身は高く、体格がいい十八歳だが、大人になれずに小中学生並みのうるささだ。早速、母親の琴絵ことえママンに文句を言い始めた。


『なんで俺がやるの?滑るのよ、水量も多いよ。落ちたらどうすんだ。泳げないよ』


『泳げないけど、あんたは溺れないから、滝壺に落ちても大丈夫じゃない。毎回飽きもせず同じ文句を言うわね』


『ママン、おかしくない?』


『仕方がないでしょ。山の頂上の方で雨がいっぱい降ったのよ。昨日まで水量が少なくて、タヌキちゃんだって流されたあげく、滝に引っかかるなんて思わなかったのだから』


『なにを引っかけたのよ。なんかの死骸だったら嫌だな』


『あんただって、滝が汚れたら嫌でしょ。日向以外に掃除する人はいないのよ』


『白イワナを湧水路から呼べばいいだろ、生きたタヌキもみんな食っちゃうぞ~』


『日向!騒いでいると落ちるわよ』


『わかっているよ、なんかの死骸だったらカラスにやるからな、タヌ公覚悟しておけよ!』



【日向のブツブツ文句は止まらないまま】


 水量の多い滝の中を覗き込んで岩肌をみた。


『なにもないな~、あれ?滝の岩肌はこんなに尖っている、俺たちのご先祖様の戸和が落とされた時もこんな感じだったなら、ひどい傷だったろうな』


『そんなにすごいの?浸食されているはずだから、千年前もっとゴツゴツしていたのかしら?』


『確か出産間近のお腹で繕いをして、極寒の二月に滝の上から落とされて、滝壺の中で三日間生きていたんだろ?すごいな~』


『母は強しね』


『ああ、男に生まれて良かった。お腹に子供が入るって全然わからないよ。上から身重の女の人が落ちて来たら、びっくりするだろうな。そーか、滝だから上から何が落ちて来るのか、わからないのか?』


 ふと滝の上を見ると、人の頭が見えた。


『嘘だろ?』


 日向の背中に静寂が走った。



文月ふづきは、水に運ばれ】


 あらがう事もなく滝壺に落ちる頃には呼吸も少し出来て、やけに冷静になっていた。


『川の先が見えない。そろそろ落ちるかな。ジェットコースターみたいだ。これで終わる』


 滝壺に落ちながら、文月ふづきは不思議な光景を見ていた。


 落ちる瞬間に滝水の中から、赤い竜が顔を出し、文月ふづきの落ちる先のごつごつした岩が、バッシと割れていく。


 そして、衝撃とともに水面が光を集め騒めいた。朝日が雲の合間から水面に差し込んでいるようだ。


『綺麗だ。水の中からだと、こうやって見えるのかぁ?』


 文月ふづきは不思議な気持ちで映画のワンシーンのような光景を眺めた。


 その時、激しい水音がして水面がまた騒めき、大きな口を開けた、白銀色の竜がうねるように向かって来た。


 文月ふづきは驚いて、残っていたわずかな呼吸を吐き出し、慌てた手足がぶざまに水をかきながら、滝壺の底に沈んでいくのがわかった。


 遠くなっていく光を遮るように、二つに分け結んだ赤い髪が、無造作に長く水中で緩やかに、たなびいた。


 そして、プラクシテレスのヘルメスのように彫の深い顔が、迷惑そうに文月ふづきを覗き込んだ。一人でもめている文月ふづきを困ったように、戸惑い微笑みながら…。


 突然、何かが文月ふづきの登山用のレインウエアのフードを掴んで振り投げた。


 人形のように、力のはいらない文月ふづきの体は、勢いよく滝壺の浅瀬に向かって水中を走った。


 水の中のフードが首を締め、痛く苦しい。その強烈な痛みが、もうろうとしていた意識をはねのけて、生きる事を体に指示した。


 文月ふづきは、水面に向かって顔を必死に向けると、呼吸が出来るところを探し、浅瀬に辿り着き、大きくせき込みながらも、その浅瀬から重たくなった体を引きずるように岸辺に這い出た。



【日向は、滝壺の岩陰でカエルのように】


 目から上だけを水面にだした状態で白イワナに注意しながら、苦しそうな文月ふづきを見ていた。


 助けたつもりだったが、傷つけてしまったかもしれないと、耳元でドキドキと心臓の音がした。



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