ガール・コンバイン・ロボット

海沈生物

第1話

 エフニちゃんが壊れてしまった。幼い頃からずっと一緒に暮らしていた、大切な家族が死んでしまった。


 ピンクのショートカット、丸々とした黒い目、モデルみたいに細い体形。一見すれば人間にしか見えない彼女だが、れっきとしたロボットであった。彼女は「試験管ベイビー」故に「両親」に当たる存在がいない私の、「正しい育成」を目的としたロボットだったのだ。


 ロボットと言われたら「倫理観が人間とずれてそう」と思う人がいるかもしれない。だが、彼女は違った。私も詳しくは知らないのだが、彼女は生きた人間の記憶のデータをそのまま移植された個体らしい。話していた感覚の年齢や性別としては、おそらく「大学生のお姉さん」と言った雰囲気があった。


 そんなエフニちゃんだが、彼女は破天荒な私をいつも介護してくれていた。


 たとえば、小学生の頃のことだ。当時の私は破天荒故に「社会性」に欠ける行動ばかり取っていた。学校の中にある巨大な桜の木の上に上ろうとしたり、あるいは給食室に忍びんでココアパンを盗んだりしようとした。


 今から考えれば倫理的にも不味いことなのは明らかである。ただ、小さな子どもが蟻の巣に水を流し込むように、私はそんな倫理的ではない行いを容易く行っていた。なんとなくそれが「楽しい」ような気がしたから、だったと思う。


 だがまぁ、その程度のことなら大体は優秀な彼女がどうにかしてくれた。桜の木の上から落ちそうになった私をキャッチしてくれたり、あるいはココアパンを盗もうとした私を給食室直前で発見して止めてくれたり、のような感じで。


 しかし、それ以上のことが一度起こったのだ。ある時、エフニちゃんがいないタイミングでクラスメイトに屋上へ呼び出された。そして、私はイジメを受けた。ちょうどそれはココアパンを盗もうとしたことが他の生徒にバレたことが原因であった。


「お前……頭イカれているんじゃないのか?」

「おかあさんが言ってたぞ。試験管ベイビーって、この世にいちゃいけない生き物なんだって」

「でも、ココアパンは美味しいよね~。分かる~」


 三人の内のリーダー格らしい男は、私を屋上の柵の端の向こうへ行くよう、カッターナイフを持って恐喝してきた。私は仕方なくその指示に従って柵の向こうへ行った。


 びゅーと風の音がする。柵を持った両手だけが命綱だった。このまま手を離したら、死ぬのだろう。ぼんやりと地上を見下ろしながら、そう思った。


 リーダー格の男は多分、私が怖がっている私を見てキャッキャッと喜びたかったのだろう。だが、あまりにも反応のない私を見て、ニヤッと笑った。


「おい、お前。そこから飛び降りろ」

「うん、分かった」

「……は?」


 今から考えると、あれは冗談だったと思う。冗談にしては笑えない部類ではあると思うけど。ともかく、私はその指示に従って屋上から飛び降りた。その瞬間の、リーダー格の男の驚いた顔と言ったら……今でも思い出すだけで笑みがこぼれる。


 そうして飛び降りた私の肉体は落下していき、案の定「地面」に叩き付けられた。だが、その「地面」は妙に柔らかいものだった。まさか、他の人間でも下敷きにしてしまったのか。そう思って恐る恐る「地面」を見ると、そこには身体から巨大なクッションを出したエフニちゃんの姿があった。


 彼女は目を丸くした私の顔を一瞥すると、はぁと溜息をついた。


未来みらい。ちょっと、そこに正座して」


 そしてその数秒後、彼女からの一時間にも渡る、私の「愚行」に対しての、長いお説教がはじまった。お説教が終わった後に先生と一緒に校長室へ行くと、リーダー格の男とその親から謝罪と示談が行われた。正直、冗談を真に受けて飛び降りたのは私の方だしなぁと思った。だが、余計なことを言えばまたエフニちゃんからお小言を喰らうので、大人しく彼女の隣で黙っていた。


 その頃はまだ、私にとって彼女は「親代わりの存在」以上のものではなかった。


 だが、私が大学生になるとそれも違ってきた。私は以前よりも肉体が成長して、すっかり大人らしくなった。昔のように破天荒なことをすることもなくなった。しかし、相変わらず「社会性」という点では他の人間よりも欠けていた。。

 さすがに屋上から落ちかけるような命に関わるようなことは起こさなくなっていた。だが、今度は他の人間との積極的な「恋愛行為」を図ることがないバグが発生していた。


 そのことはエフニちゃんもよく心配していた。彼女は彼女の演算機能をフルに使って、毎朝「未来。貴女の性格とマッチする人間はこちらです」と言って、老若男女問わず、様々な「私が恋愛をしやすいと思われる人間」を紹介してくれた。


 しかし、私はそのどの人間にも「恋愛感情」と呼ばれるものを抱くことはできなかった。無論、だからといって人間と全く関わらなかったわけではない。同性・異性問わずに人間の友達はそれなりにいた。実際人間の友達だった人たちから何度か告白されたこともある。


 だが、私はその全てを「ごめんなさい」の一言で断ってきた。「強制はしませんが、一度ぐらいお試しで付き合ってみたらどうでしょうか?」とエフニちゃんから提案されたこともある。しかし、どうしてか「と付き合う」と考えた瞬間、いつも吐いてしまいそうになるのだ。まるで口の中に生ゴミを詰められるような、そんな気持ち悪さを覚えていた。


 しかし、大学も四回生になってくると、そうも言ってられない。このまま結婚するのかしないのかという人生設計を決めないまま就職先を決めるのは、あまり良くないという気持ちがあった。


 企業への自己アピールを考える度、人間を愛することができないなんて異常性を持っている私が、社会で生きていくことができるのかと不安になった。学校という箱庭から脱した時、その異端さを責める人が出てくるのではないか。それが不安で不安でたまらくなった。


 そんな時、エフニちゃんはずっと私の隣にいてくれた。不安な私を後ろからギュッと抱きしめて、まるでのように「未来の社会性が終わっているのなんて、今更です。不安になることはないですよ」と慰めてくれた。


 そうやって何度も慰められている内、段々と私は自分の異常性と向き合うことができた。そうしてある時、ついに私はその異常性の正体が分かった。私がどうして、人間を愛することができないのかという理由が分かった。

 

 私はエフニちゃんに恋をしていたのだ。。幼い頃からずっと私の「全て」を見守ってくれたその存在に、不安で不安でたまらない時にずっと一緒にいてくれたその存在に。私はをしたのだ。


 しかし、今更エフニちゃんに告白するのにためらいを持っていた。多分、彼女は私が告白したとしても「私には恋愛をする機能がないわ」「それは社会性に欠いた行動よ」などと言って拒絶してくるだろう。


 それに、彼女はあくまで「正しい育成」を目的としたロボットである。愛玩用ロボットのように「性欲」や「恋愛感情」といったものが搭載されていないのだ。それ故に、理論上彼女と「恋」をすることなど不可能だった。


 私はエフニちゃんに永遠の「片思い」をするしかなかった。仮に社会が「ロボットの恋愛」を社会的に認めてくれていたら。そうであるのなら、私はエフニちゃんに告白して付き合えうことができるし、彼女も「社会性のある行動だ」と認めてくれただろう。


 いっそ、エフニちゃんに愛玩用ロボットの持つ「性欲」機能を搭載してやろうかと思う日もあった。だが、そのようなデータを彼女に入れて無理矢理「変化」させてしまうということに対して、私はなんとなく抵抗があった。そんなことをしてしまえば、私が好きだったエフニちゃんはエフニちゃんではなくなってしまう。そんな感覚があった。


 結局、私は何も決められないまま時間だけが過ぎた。就活のために色んな企業を見回りつつ、ずっとエフニちゃんとの「未来」を考えていた。

 しかし、そんな思いはある日突然潰えた。


 突然、エフニちゃんが壊れたのである。前述した通り、エフニちゃんが「正しい育成」を目的としたロボットである。その「正しい育成」とは「子どもを成人まで正しく育てあげること」である。それ故に、耐久年数が二十年程度にしか想定されていなかった。


 壊れてしまったエフニちゃんを持って、私は急いで修理業者に頼んだ。しかし、何分彼女は二十年以上前の代物である。もはや彼女を修理する部品はどこにもなく、どこのメーカーにも「うちではちょっと……」と言われ、断られてしまった。


 私は部屋の壁にもたれかかったまま動かない彼女を見て、泣いた。彼女はもう死んでしまった。くたばってしまった。私はその亡骸を抱きしめると、泣いた。ただ、もう蘇ることのない彼女を抱いて、バカみたいに泣いた。泣いて、泣いて、泣いて。泣くことしかできなかった。


 そうしていつか涙が枯れ果てると、私は空っぽになった。もう生きる意味がなくなったように感じた。彼女がいない今、もはやこんな世界に生きている意味はない。


「うん、死のう」


 昔から思いっきりだけは良かった。私は台所へ行って包丁を持ってくると、彼女の亡骸の上に乗って、自分の心臓を貫いた。死んでやる。早く死んで、死んで、死んで。こんな人間同士の愛が普通なバカみたいな世界から抜け出してやる。口元が歪んでしまうような激痛は、私にとってはこんな世界を解脱できる「祝福」であるように感じた。

 そうして、心臓から大量の血を彼女の上に垂れ流すと、私は彼女の胸に軽くキスをして意識を失った。




 それから、どのぐらいの時間が経ったのだろうか。私はまたその理不尽な世界で目を覚ました。そこはベッドの上で、しかも身体がやけに重かった。被せられていた布団を退けてみると、そこにあったのは私の身体ではなかった。


 それは、明らかに彼女の――――「エフニちゃん」の肉体だった。


 私はベッドから急いで起き上がると、都合よく近くにあった鏡で自分の姿を見る。身体中に縫合の痕があり、私の身体であったものとエフニちゃんの身体だったものが混ざった――――まるで「フランケンシュタインの怪物」のような――――見た目をした生き物が見えた。ピンクのショートカット、丸々とした赤い目、モデルみたいに細い体形。


 私は変わり果てた自分の姿に嘲笑した。おそらく、私を生かすためにエフニちゃんの身体を移植したのだろう。そこまでして、私は生かされたのだ。生きてしまったのだ。


 私は彼女の後を追って死ねなかった自分の悪運の強さに嘲笑した。小学生の時に起こした「愚行」の時と同じように、私はまた彼女に助けられたと嘲笑した。自分という人間が心底嫌になった。けれど、私には奇妙な感覚があった。胸の奥底に「何か」を感じた。それはなんとなくだが、エフニちゃんであるように感じた。


 彼女はポカンとした顔をする私に、またいつものように「私の後を追って死のうとするなんてバカなんですか? 相変わらず社会性に欠けています」と説教をしてきた。


 これは私の都合の良い幻聴なのだろうか。あるいは、本当に聞こえているのだろうか。その真偽は分からなったが、私にとってそんなことはどうでも良かった。ただ、偽りであったとしても彼女の声が聞こえたのが嬉しかった。私は心臓に手を当てると、ふっと笑みを漏らした。


「それがな行為なんだとしても、社会性が欠けただったとしても、さ。それでも、私はエフニちゃんのことが好きだったんだよ。……大好き、だったんだよ」


 その言葉にエフニちゃんはふっとだけ微笑むと、そのまま何も言わず、私の心の奥底へと還っていった。私はただ、みたいにこぼれ落ちる涙が止められないまま、ベッドの上で泣きじゃくっていた。

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