The day I met you
「ただいま」
この言葉についてどう思うだろうか。
日常の中で最もと言って良いほど、よく使う言葉。しかし、帰る場所があるということの幸せを、思ったことはあるだろうか。
僕が彼女の出会ったのは、酷く薄暗い部屋だったような気がする。彼女は痩せ細った腕に顔を埋め涙を零していた。
帰る場所はある。でも「ただいま」は言えない。
何故ならば、彼女は捨てられた子だからだ。
最先端の技術を持って造られたのに、彼女には何の能力もない。ただの人間。
彼女は家族になる資格すら与えられず、いつも愛する人たちの活躍を遠くから見つめ続けてきた。
彼らが笑うたび、話すたび、自分がその輪にいた世界を想像する。
そんな、近くて遠いシアワセ。
彼女の瞳に映っていた世界は、一体どれほど美しく、そして眩しかったことか、僕は今になってそう考える。
誰にも愛されない。誰も愛さない。
独りを好み、ただシアワセを夢見るだけ。
その脆く哀しい世界が、いつしか彼女を取り込んでいた。
【帰りたいと思った 君は手を握った
その振動は確かに 花瓶に触れた
笑えない話しは 出来ればしたくないんだ
いつも通りなら ここで】
(『花瓶に触れた』より)
これは彼女に合うと思って選んだ曲のサビにあたる歌詞である。
この曲のMVはとてもシンプルなものなのだが、花瓶に生けられた花がその花弁を散らしていく様が非常に印象深く描かれている。この花は「ホウセンカ」。花言葉は「私に触れないで」。
帰りたいと思った私に、君が触れる。
その温かさが、優しさが、花瓶に触れた。
花瓶というのは花を生け、生かしておくもの。つまり花瓶がなければ花は枯れてしまう。「私に触れないで」と思っていた気持ちが、君に触れられたことで微かに揺らいでしまう。思わず割ってしまいそうになる。
笑えない話しがしたくないのはきっと、君が私の本心に気づいてしまうのを恐れているから。私の心を生けた花瓶が壊れてしまうような気がしたから。
いつも通りならここで。
そして最後にこの台詞。貴方はその後どのような言葉を綴るだろうか。
僕は、「ただいまと言えるのに」と付け足したい。
何気ないその願いが、今はとても儚く、哀しく漂っているような気がする。
朱音は最初、咲穂の同期という立場にあった。しかし、LIFESTORYを改稿する際に、ふと思い立って彼女を上司にした。
理由は自分でもよくわからないが、今はそれが彼女の訴えであったような気がする。「独りにしないで」という、最初で最後の我儘であったような気がする。
いつも強くて優しくて。そんな彼女が自分の前ではひどく脆く、儚く見えてしまう。あの強さも優しさも、きっと自分の理想を演じているだけなのだと思ってしまう。本来は部下ではなく、大好きな兄妹に向けたかった笑顔だ。優しさだ。それがとても煌めいていて、何故か無性に哀しい。
この物語の中で、彼女は永遠と「自分が帰る場所」を探し求める。それは愛し、愛されたかった家族のもとであるはずだ。でも。人の心情は変わるもので。彼女は誰よりも自分を慕う人がいる「家」を手にしてしまった。自分が「ただいま」を言えるのは一体どちらの家なのか。彼女の葛藤は物語の終盤まで続く。ある人にはその姿が残酷に写るはずだ。実際僕も、血に濡れていく彼女を見続けることがとても息苦しかった。
でもどうか覚えておいて欲しい。彼女がその決断をどれほどの苦しみの中で生み出したか、ということを。
そしてもし彼女が、その決断に胸を張ることが出来たのなら。
彼女に目一杯の笑顔で、
「おかえり」と言ってやってほしいと思う。
タダイマトツゲルモノ 幻中紫都 @ShitoM
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