reminiscences of winter

いるか

第1話

あの人の切長の目が好きだった。低く響く声が好きだった。遠くを見る横顔が好きだった。丸い後頭部が好きだった。綺麗な長い指が好きだった。鍛えていない柔らかいお腹が好きだった。スラリと伸びた足が好きだった。あの人を形作る全ての物が好きだった。


 夏が過ぎ、秋が来て、もうすぐ冬がやってくる。あの人の季節が、やってくる。


 サクサクと鳴る落ち葉の上を歩く。近くの自販機で買ったコーンスープの缶を片手に、ベンチに腰を下ろした。この公園も何度もあの人と来たことがある。だから何だというわけではない。普段からここは生活圏内で、よく通行に使う道沿いにあって、こんな秋の日の心地良い昼下がりにはもってこいの散歩場所なのだ。

 持っていたコーンスープの蓋を開けると、コーンの甘い匂いが広がった。

 コーンスープは寒くなるとあの人がよく好んで飲んでいた。僕はどちらかというとそれよりもコーヒーの方がよくて、コーヒーが苦くて飲めないというあの人をいつも子供舌だとからかっていた。


 あの人は綺麗でクールな外見とは裏腹に内面はとても純粋で、子供のような人だった。繊細で傷付きやすく、守ってあげないといけない存在だった。本当は、そんなあの人を僕の側に閉じ込めておきたかったけど、あの人は自由を愛する人だから。僕の居ないところで傷付いて、また僕のところへ帰ってくるあの人をただ抱き締めるしかなかった。


 空気も凍るように冷たい12月も終わる頃、あの人の誕生日がくる。毎年二人で過ごすその日は僕にとってとても神聖な日で、抱き合って眠る夜はまるで世界に僕達しか存在しないかのように幸せだった。

 次の日の朝起きるとあの人は必ず僕に朝食を作ってくれとせがんでくる。僕は決まってめんどくさそうに顔を顰めて、自分でやりなよと言って寝返りを打つ。するとあの人は身体をピッタリとくっつけてきて、「俺にやらせてキッチンが使い物にならなくなってもいいの?」とか、本人曰く、脅しをかけてくるのだ。僕は笑いを堪えて、それは困るね、と返事をする。


「そうでしょ? それに包丁とか使っちゃったら俺の指は二、三本無くなっちゃうかもしんない。そうなるとおまえはもっと困るんだよ?」

「どうして?」

「指が無くなったら不便でしょうがないじゃん。そしたらおまえは俺の面倒を一生見なきゃいけないでしょ」

「そうなんだ?」

「そうだよ。だからご飯作って」


 そうして、めんどくさそうにするフリを忘れて上機嫌でキッチンに立つ僕を見て、あの人は満足気に笑って食卓に座るんだ。

 あの人は知らない。彼の綺麗な指と引き換えに彼の一生が手に入るなら……そんな甘い誘惑を、叶えてはいけない妄想を、綺麗な長い指にキスを落としながら願っていたことを。


 僕は、臆病で、弱虫で、意地っ張りで、無力だ。

 僕達の恋はオープンな恋では無かった。親や友達には部屋をシェアしてるという名目で一緒に住んでいた。上手く隠せていた。そう思ってた。ある日、あの人が帰って来なかった。電話も出ない。思い当たる場所を探し回った。が、見つからず、途方に暮れ、部屋に帰ってはみたもののどうすることも出来ず、真っ暗な玄関で犬のように帰りを待った。

 次の日の朝、電話が鳴った。着信画面を見るとあの人の名前だった。勢いで立ち上がりながら電話に出ると、いつもより低い声が静かに僕の名前を呼んだ。


「話がある」

「話? それよりも、無事なの? どこにいるの? すぐ迎えに行くから」

「俺たち、別れよう」

「え?」

「友達に戻ろう」


 そのまま、僕達の関係は終わった。呆気ないくらい簡単に、僕達を繋いでいた糸は切れてしまった。涙は出なかった。だって、解らなかったから。彼が何を言ってるのか、僕は良く解らなくて。だから僕は普通に過ごした。朝起きて、大学に行って、バイトして、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。そうやって一週間ほど過ごしていたらバッタリと彼と会った。「おはよう」と彼は言った。だから僕も「おはよう」と返した。そのまま彼は友達と去っていった。なんだ、こんなものか、と思った。なんてことはない。全然平気じゃん。僕と彼は友達に戻ったんだ。別々の家から大学に行って、会えば挨拶をして、それぞれの講義を受けて、別々の交友関係があって、別々の家へ帰る。

 そっか。なんだ。僕はもう彼のわがままを聞かなくていいし、狭いベッドでぎゅうぎゅうになって寝なくてもいいし、泣いている彼を慰めなくてもいい。テレビのチャンネルで言い争うことも、アイスの取り合いでケンカになることも、お風呂の順番で揉めることもない。部屋は広くて、僕は自由で、そして、隣に彼がいない。


 少し冷めたコーンスープを口に運ぶ。コーンの甘みが口いっぱいに広がった。

 優しい甘みは嫌でもあの人を連想させる。ちがう。もうずっと、僕はあの人の事ばかり考えている。もう忘れたい。忘れたくない。嫌いになりたい。好きだ、愛してる。そんなことばかりを延々と考えて、僕はどんどんダメになる。ああ、やっぱり、あの人の綺麗な指を切り落としておけばよかった。


「こんなところで何してんの?」


 少しぼーっとしていると声をかけられた。どうやら大学の一個上の先輩であの人の友達らしい。


「……散歩です」

「若いのにじじくさいね」

「まぁ、そうですかね」

「あいつとさ、喧嘩でもしたの」

「……いえ、別に」

「そう? だってもう一緒に暮らしてないでしょ?」

「まぁ、はい」

「てかさ、あんたら付き合ってたんじゃないの?」

「…………」

「隠さなくてもいいよ。俺、そういうのどうでもいいし」

「…………」

「って言ってもあんたは隠すよな」

「……?」

「部外者の俺が言うことじゃないかもしんないけどさ、あいつはあんたのそういうところが不安だったのかもね」

「え」

「付き合ってた相手が異性でも、同じように隠してた? ってこと」

「それは……」

「あいつはさ、きっとあんたに隠れるような恋愛はしてほしくなかったんじゃない。相手の幸せばっか願うんだよなぁ。あいつってそういう奴じゃん? あいつはさ良くも悪くも純粋だよ。まぁそんなことあんたの方がよく知ってるだろうけど」


 じゃあな、と言ってその人は去って行った。

 なんなんだよ。僕だって、彼が純粋なことくらい知ってる。友達思いなところも、他人を優先してしまうところも、色んなことを一人で背負い込んでしまうところも、その癖そんなに強くないことも知ってる。

 だから僕は二人の関係を隠した。彼が傷付くことがないように、僕達二人だけの箱庭を作りたかった。もしかして、それが彼を追い詰めてたのか……? バレるのが嫌で隠れたがってると思ったんだろうか……? そうだとしたら、もしかして、彼は僕を守ろうとしてくれてる? 

 

 そんな、まさか、でも


 ーーだったらきっと、彼は今、一人で泣いてる。


 僕は、臆病で、弱虫で、意地っ張りで、無力だ。

 いつだって泣き虫な彼を僕が守りたいのに、いつだって彼が泣きながら僕を守ってくれてた。僕も、ほんとは泣きたかった。ううん、泣けば良かったんだ。なのに、臆病で、弱虫で、意地っ張りな僕は、物分かりの良いふりをして、傷つきたくなくて、彼から目を逸らした。絶対に逸らしちゃいけなかったのに。泣いて、叫んで、縋れば良かったのに。彼が居なくても、平気だなんて、どの口が言えたんだ。僕は馬鹿で、本当に馬鹿で、彼が居ない人生をどう歩いていけばいいのかも解らないのに。だから、迎えに行く。あの人のためじゃなく、僕のために。凍てつく冬が来る前に、あの人を取り戻さなきゃ。お願いだから拒まないでね。僕のために側に居てね。でももしもまた、僕から離れようとする時が来たら、綺麗な長い指と引き換えにあなたの人生をちょうだいね。


 僕はゆっくり歩き出した。



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