第40話 えらいぞ泰一くん
朝はちょっとだけ、目覚ましより早く起きた。
けれどぜんぜん眠くなかった。元気。
一階に降りて、キッチンに向かう。タイマーで炊きあがっていたご飯で、おにぎりを作った。お昼ご飯。二人分。手抜きだけど、おにぎりでいいって言うから、しょうがない。
お母さんが帰ってきたのは、昨日の夕方。検査の結果、特に問題はなし。お母さんはわたしの顔を見るなり、突然わたしのことを抱きしめた。びっくりだった。また泣きそうになったけど、我慢。でも変な顔をしてたみたい。お母さんはわたしのほっぺたをつまんでぐるぐる回して、笑った。
学校に行く支度を終えて、庭から、隣の庭へ。
縁側からガラス戸をのぞきこむと、中にいた真奈美さんが気づいて、開けてくれた。
「大丈夫?」
「……お、おかげさまで」
口ごもりながら言うと、真奈美さんは笑った。ちょっとあせあせ。恥ずかしい。
隠したって無駄だ。真奈美さんはきっと全部、お見通しみたいだったから。
「困ったらお姉さんがいつでも相談乗るからね」
「うん、ありがとう。真奈美お姉さん」
お姉さんは頼もしい。
泰一はいつもボロクソに言うけど、きっと泰一だって心の底では本当は頼りにしてる。頼りにしてるからこそ、憎まれ口を叩けるのかも。変な自信たっぷりに、前に進めるのかも。ふとそんなことを思った。
家に上がって、二階の部屋へ。ずっと忍び足。音を立てないようドアノブをひねって、ゆっくりドアを開ける。
時間はまだ早かったけれど、もうすっかり明るい。中途半端に閉まったカーテンが、かすかに風にそよいでいる。
わたしはそろりそろりとベッドに近づく。変なポーズで寝てる姿を発見。ちゃんと目覚ましはかけてるみたい。えらい。えらいぞ泰一くん。
わたしは枕元に立ち膝をついた。じっと、寝顔を見下ろす。
――安心、させて。
本当はあのとき、抱きしめて、キスしてほしかった。
ずっと落ち着かなくて、不安で、怖くて、泣きそうで……辛かった。
変な子だって、気持ち悪いって……周りになんて言われてもいい。後ろ指さされてもいい。
でも。
それじゃダメなんだ。
そうしたらまた、弱い昔の自分に逆戻り。
名実ともに、人の足を引っ張るだけの、ただのダメ人間。
泰一はいま頑張って、少しずつだけど、ちゃんと前に進んでいる。
きっと本気になったらわたしなんてすぐに追い抜いて、あっという間に先に行ってしまう。
だからわたしは……置いてかれないように。
今までどおり、一歩先を行って、見守ってあげる。それが役割。
今回みたいに、ときどきはごまかすかもしれないけど……こうやってお互い少しづつ、前に進めたらいいなって。
そうすればいつかはきっと、みんなが羨むような二人になれる。そう信じて。
ベッドのふちに両肘を付いて、顔をのぞきこむ。
寝息が聞こえる。耳を澄ましながら、近づく。ゆっくり近く、近くに。吐息が当たって、頬と頬が触れ合いそうになる。かすかに肌に体温を感じる。
そのときぴくりと、まぶたが震えた。寝息が止まった。わたしは慌てて身を引いた。
「はっ……」
泰一はがばっと上半身を起こした。
わたしを見て、すぐに枕のそばの時計を振り返って、
「なんだまだ七時前じゃねえかよ! 脅かすな遅刻かと思ったわ! ……ったく、なんでまたいるんだよ、もう起こす必要ないって……」
ぶつくさ言う泰一を、わたしは黙ってじっと見つめていた。
わたしの視線に気づくと、泰一はそっぽを向いて気まずそうに頭をボリボリかいた。
「あー……まあいいか」
呆れたようにため息をつく。
かと思えば、急にわざとらしく無表情を作って、わざとらしく平坦に言った。
「のどかわいた」
「のどかわいた? それじゃあ……」
身を乗り出して、泰一の膝元に片手をつく。
ぼうっとした寝ぼけ眼と目を合わせる。すぐ下には、すっかり油断して、半開きになった唇。
わたしは薄く目を閉じると、そこに向かってゆっくりと、自分の唇を押し当てた。
絶対に人をダメにする幼なじみVS俺 荒三水 @aresanzui
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