第39話 嘘偽りなくダメ人間
昼休みになると、俺はおにぎりと椅子を持参してみつきの教室に向かった。
みつきはぽつんとひとりで自分の席に座っているだけだった。
実は休み時間にも便所に行くついでに、廊下を素通りして何度か様子を見に来た。一応ちゃんと授業は受けているようだが、ずっとこんな調子。まったく手のかかるやつになったもんだ。
俺はまっすぐ近づいていって、景気よく声をかける。
「おむすびまん参上!」
ガン、と持ってきた椅子を机の前に置いて、腰掛ける。
みつきの席は窓際から二列目の先頭。もし同じクラスだったら隣同士だったな、などと考えつつ、机の上で弁当箱を広げる。中身は全部おにぎり。
「なんの具が入ってるかは食べてのお楽しみ~」
みつきはうつむいたまま、俺のほうを見ようともしない。朝にもましてリアクションがない。なんか悪化している。
おにぎりなんて食べそうにない雰囲気だが、このまま何も食べないわけにもいかないだろう。
「聞いてるか? おーい、みつきー」
顔の前で手を振ってみせる。
周りがわいわいがやがやとうるさい中、ここだけ静か。
なにやら俺が独り言をいっている変な人みたいである。しかしこうなったら根気比べだ。
ひたすら待っていると、みつきはかすかに顔を上げた。目を合わせることなく、ぎりぎり聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言った。
「……もういい」
「ん?」
「わたしのことなんて、もういいから。放っておいて」
やっと口を開いたと思ったらこれだ。おかしなことを言っている。
きっと腹が減って気が立ってるんだろう。俺はおにぎりをつかんで、無理やりみつきの口元に押し付けていく。が、すぐに腕ごとのけられた。
「なんだよ、食べないのか?」
「……わたしは、泰一の足を引っ張るお荷物だから」
「どういうこと?」
「だって、泰一は……」
みつきは顔を上げて、まっすぐ俺を見た。そしてぐっと口をつぐんだ。
いつだったか俺の部屋に来て、何事か言いかけたときと似ていた。あのときは結局、何も言わずに立ち去った。だけど今度は、言った。
「……本当はすごいの、わたしなんかよりずっと。本当にダメなのは、わたしだから」
「は? お前いきなり何言って……」
「そうなの! わたしが泰一の足を引っ張って、泰一のことを利用してるの! 自分のために! 自分がいい子だって、みんなから言われるために!」
みつきは急に声を荒らげた。
一瞬、周りがしんと水を打ったような気配がした。
俺も少なからず驚いた。みつきの剣幕に飲まれそうになった。
しかしみつきが何を言っているのか理解した次の瞬間、一気に頭に血が上った。考えるより先に口が動いていた。
「なに言ってんだよそんなわけねえだろ」
「そうだよ! 本当は……気づいてるんでしょ、泰一だって!」
「はあ? 足引っ張ってんのは俺に決まってんだろ? お前を利用しまくってんのは俺だよ、俺が一番うまくみつきを使えるんだよ」
「ちがう! だって本当は、わたしのほうがダメ人間なの! ずっとずっと前から、ずっとそうだったんだから!」
「なにそれどこ情報? どこ情報よそれ? ていうか誰? 誰がそんなこと言った?」
「言われた! 小さいときに泰一に!」
「俺が言った~? 僕アホなんで全然覚えてましぇ~ん。え、何? こんな自分の言ったこと忘れちゃうようなアホが言ったこと真に受けてんの? 今でも?」
「それだけじゃない! わかるの、わたしのせいで、お母さんだって……お父さんも」
「何の話か知らんけど、深雪さんはお前は全然関係ないって言ってたぞ? 全部私がダメな母親だからって」
「お母さんはダメな母親なんかじゃない! ダメ人間はわたしなの! そんなの見たらすぐわかるの!」
「見たらわかるって何をだよ?」
「それはその……SNSの人とか!」
「SNSの人って誰だよ? 知らねえよそんなの赤の他人だろ? お前あれって、陰キャが必死に陽キャごっこしてるの知らなかった? みんな平日は工場でたんぽぽ載せてるから」
「うそ! そんなわけない」
「本物は日本ランク上位2%ぐらいだから。他はさえない日常を送ってるプロのマウンティングの方々だから」
「そんな、知らない人ばっかりじゃない。茉白ちゃんだって、杏奈ちゃんだって……」
「いやいや茉白ちゃんも実際ボッチ飯のクソ陰キャだし、杏奈ちゃんも本能のままに動く単細胞生物だし、俺はそいつらに媚びへつらうゴミムシだし?」
なんで急にあいつらの名前が出てくるんだか。
とばっちりの二人には悪いが、まったくもって見方が歪んでいる。正しく見れてない。
もちろん俺の見方だって歪んでいるのはわかってる。俺の言うことが正しいなんて言わない。俺が説教なんてできる立場じゃないしする気もない。ただみつきがあんまりバカなことを言い出したので、キレただけだ。いつもの発作だ。
「てか誰と比べてんだよ! 俺を見ろ、俺と比べろ。そんなほんとなんだか嘘なんだかよく分かんねえ奴らより俺を見ろ! 嘘偽りなくダメ人間だよ! ちゃんとここにいるだろ! ずっと近くで見てきただろ!? 俺のダメっぷりを! クズっぷりを! お前はすげえんだよ! 文句言わずにこんなダメ人間の面倒見てきたんだから!」
「すごくなんてない! わたしなんて、愛嬌があってちょっと胸が大きいって言われるぐらいで! あとは料理ぐらいしかできないし……!」
「なんだよそれ、がっつり強カード揃ってんじゃねえかよ! 自虐風自慢かよ!」
強い口調でかぶせると、みつきは言葉を飲み込んでうつむいた。
視線を惑わせたあと、おずおずと口にする。
「でも、泰一は……お前はもういらない、必要ないって……」
「バカかお前、お前の助けがいらないってことだよ! お前はいるよ! いるに決まってんだろ! お前はここにいるんだからいるだろ! それでいいだろ!」
俺はみつきの両肩をつかんでまくしたてていた。
勢いでこっちもわけのわからん返しになっていた。自分でも何言ってるかよくわからなくなって、頭が熱くなってガンガンしてきた。飛び出そうになった鼻水を勢いよくすすった。やっぱこれ風邪だわ。
肩を引き寄せて、じっと見つめる。
うつむいていたみつきの視線が、わずかに上向いた。
「でも、だけど……不安なの。ずっと」
潤んだ瞳が、俺を見た。
至近距離で、目と目が合う。
「安心、させて」
みつきは顎を上げて、軽く目を閉じた。
もしかしたら、俺が間違っていたのかもしれない。
俺はダメな自分を変えるため、真人間を目指した。けどそれは、もとをたどればみつきのため。みつきを悲しませないため。安心させてやるため。
そのはずだったのに、今悲しませていたら、不安にさせていたら、何もかも本末転倒だ。
ずっと二人一緒。たとえクズ野郎だろうがダメ人間だろうが、それだけで幸せだったはずなのに。
だからもう、なんて言われたっていい。周りの目なんて気にするな。今は目の前のこいつだけを見ろ。
――ざわざわ。ざわ。ざわ。
ふと気づけば、さっきから周りが騒がしい。
……何だ? うるさいな、今いいところなのに。
俺は一度あたりを見渡す。
人。すごい。いっぱい。みんな。たくさん。見られてる。視線が向いている。注目を浴びている。あっちこっちから。いたるところから。
いつの間にか、俺とみつきを中心に据えて変な円陣ができている。一定の距離を取られている。近寄ったらいけなくなっている。見えない結界ができている。まるで儀式でも始まりそうな雰囲気。
そう、忘れてはいけないのがここ、みつきのクラス。昼休みの教室。
「んー」
薄く目を閉じたみつきが、唇を突き出してくる。
彼女にはもはや、俺しか映っていないようだった。
やる気だ。この子、やる気です。
……え? この状況で? 本気で?
思ったよりどえらいことになっててびっくりなんだけど。ちょっと声大きすぎた? 熱くなりすぎた?
だってこれ周りからしたらバカップルがなんか痴話喧嘩して揉めて何やかや仲直りして公衆の面前で仲直りチューかましちゃう感じにしか見えないやつじゃん。バカじゃん。超バカップルじゃん。
「おーまーかせ! おーまーかせ!」
なんか周りでコール始まっちゃったよ。これおっさんだろ、ノリがおっさん。
え、ていうか撮られてない? あっちこっちからスマホすげえこっち向いてるんだけど。なんか廊下からも見てる人いるんだけど。
マジで今するの? ここで? しないとダメな感じ?
デジタルデータで黒歴史が……伝説が残ってしまう。まだ入学して半年も経ってないのに。
「……がんばれ」
そのとき、みつきの唇がかすかに動いた。
ん? 今がんばれ、って言ったこいつ? いや頑張れじゃなくて……。
混乱していると、ゆっくりとみつきの目が開いた。今度ははっきりと、ささやきかけてくる。
「泰一ほら、頑張って」
「え?」
「こういうとき、真人間はどうするの?」
そう、こういうとき真人間は……やっぱりやるしかないのか。
落ち込んだ幼なじみを、安心させるために。公衆の面前で、みんなの注目を浴びながら、仲直りのキスを。
いやでもそれが真人間なのか? そんなことするのがまっとうな人間なのか? わからなくなってきた。
……ん? ちょっと待った。いま真人間はどうするのって……?
俺は思わずみつきの顔を見た。
みつきはすっかり目を開いていた。優しい目で俺を見返して、くすりといたずらっぽく笑った。
「泰一はダメ人間なんかじゃないよ。わたしが落ち込んだときは、こうやって絶対助けてくれるんだもん。自信もって」
いつもの笑顔だった。いつもの口調だった。いつものみつきだった。もとに戻っていた。
「みつき、もしかして、お前……」
「泰一がもっとちゃんとしようって頑張ってるの、ほんとは知ってたから」
「……お前、落ち込んでたんじゃなかったのかよ」
「ううん、全然? もうそんな、子供じゃないんだから」
「じ、じゃあなんで……」
「今回は、泰一がもっとまともになるための試練を与えました」
「は?」
「ちょっと最後は詰めが甘かったけど、一応、合格です! やったね! おめでとー! 泰一は真人間に一歩、近づきました! ぱちぱちぱち!」
ニコニコで拍手をする。すっかりけろっとしている。
これって、ということは、もしかして……? 俺はずっと、泳がされていた……?
みつきは俺の変化に気づいていて、あえて今まで通りを装っていたというのか? ずっと俺の成長を見守っていたというのか? 俺を試すために落ち込みムーブかましてたというのか?
たしかによくよく思うと急すぎる。のほほんとしてたのにいつの間にか重たい感じになってたし。ギャグ漫画が急にバトル漫画になっちゃったみたいな。
「な、なんだよマジ焦ったわ~! そういうことか! 深雪さん倒れたところからなんかおかしかったよね? 急にシリアス展開っぽくなってマジどうしようって思ってとりあえず勢いでやってたけど出口見えんかったし、みつきちゃん闇落ちみたくなってて怖かったし!」
「うんうん怖かったね~。ごめんね~」
「あ~よかった~!」
みつきがよしよしと頭を撫でてくる。この実家のような安心感。
首をうなだれされるがままになっていると、周囲が笑いとも拍手とも罵倒とも取れない騒ぎになる。いや期待を裏切った反発か、わりと罵倒が多い。
「何だよ童貞かよ!」「一生やってろ!」「どけ俺がやる!」「死ね!」
誰だいま童貞って言ったやつ。あとシンプルに死ねやめろ。
「そうやって言うのやめなよかわいそうでしょ~?」「先生呼んでくる?」「ちょっと男子静かに~!」
一方でちょっと男子静かに女子まで出てきて、だんだんと騒ぎが収まっていく。円陣も徐々に解散。俺に向かって消しゴムとか輪ゴムとか薄いゴムとか飛んできたが気にしない。
俺は改めてみつきの顔を見て言う。
「まあこれでわかっただろ? 俺もやればできるわけよ」
「そうだね、泰一はやればできるもんね。いつのまにかかわいい女の子とも仲良くなってたし」
「おう、モテモテで困るわ」
「うんうん、女の子とも仲良くなって」
「真人間はモテモテだからな! 任せろ!」
「そっかぁ。えっとね……」
ニコニコだったみつきが、急に真顔になった。
「そういうのは、いらないから」
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