第38話 0点の目覚め
よく晴れていた。懐かしの小学校。
校舎の時計は正午過ぎを指していた。昼休みだった。
校庭はあっちこっちでがやがやわいわい。騒がしい。
一階の教室に面したベランダに視界が向く。女の子がひとり、小さいじょうろで植木鉢の花に水をやっていた。見覚えのある後ろ姿。
頭の上で一ヶ所結んだ髪型は、たぶん出会ってすぐの頃だ。女の子は花の前にしゃがみこんで、ぶつぶつと何事か話していた。俺は近づいていって声をかけた。
「へーお前、学校で友達いねえの? ダメ人間な」
「ダメ人間じゃない!」
振り返りざまものすごいキレられた。禁句なのかもしれない。
「お花がお友達だもん。わたし、お花とお話できるから」
そしていきなりわけのわからんことを言っていた。真顔で。
「あいたたた……。じゃあその花なんて言ってんの?」
「え? それは、んーと……『おはよう、今日はいい天気だね』」
「それめっちゃ気まずいやつとの会話じゃん」
「そんなことないよ」
「じゃあそのつぎは? なんて言ってる?」
「つぎ? つぎはえっと……『今日は、あったかいね』」
「それもネタないやつじゃん」
だいぶ不思議ちゃんだった。今も若干そうかもしれないがその比ではない。
「そんぐらいなら俺だって話せるよ」
「じゃあやってみて」
「『あーだるっ、今日あっついわー。ごちゃごちゃ言ってないでさっさと水よこせよな』」
「そんなこと言わないもん」
「『お、パンツ見えたラッキー』」
「言わない!」
遠くで観察していても、誰にも話しかけない。話しかけられない。
ずっと一人でいるってことは、やっぱり変なやつなんだと思った。
だけど初めて会ったとき、ひと目見てかわいいと思った。学校でこんなふうだとは全然思わなかった。
なにが違うんだろうって、わりと真面目に考えた。すぐに答えが出た。たぶん表情が死んでるからだ。深雪さんの前では笑うくせに、それ以外ではにこりともしない。
「もっと笑えよ。笑ったらまあまあ、かわいいんだからさ」
「べつに、笑うこととか、ないし」
じゃあ、と俺がいくら渾身のギャグをかましてもにこりともしない。ムカついて実力行使に出る。
両手を伸ばして、ほっぺたをつまんで引っ張って吊り上げた。そうして無理やり笑わせた。
最初は拒否反応がすごかったが、俺はめげずに何度も引っ張った。それからというもの、むすっとしていると、しょっちゅう頬を引っ張っては吊り上げた。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしかあいつは笑うようになっていた。気づいたらニコニコ笑っていた。俺が手を触れるまでもなく。
目が覚めたのは朝の五時前だった。
変な夢だかなんだかよくわからんものを見たせいで、わけのわからん時間に起きた。
一階に下りていくが当然誰もいない。閉め切っていて真っ暗。
起きるには起きたがなんだか体がだるい。いつものだるさとはちょっと違う。もしかして昨日の雨のせいで軽く風邪でも引いたかもしれない。しょうもない。
適当にパンをかじって着替えをして、自分の支度を済ませた。真奈美が昨晩の余った米とあわせて、多めにおにぎりを作りおいていたので弁当箱に詰めた。
それから戸を開けて明かりを入れると、縁側に出て、座して待つ。スマホが使えないと、時間が経つのがやたら長く感じる。俺は何をするでもなく外の空気を吸い込みながら、朝日を浴びた。存外に悪くない。
当然ながらみつきがやってくる気配はなかった。どのみちまだ時間は早いが。
やがて物音がして、何者かが起きてきた。凪だった。ほぼ毎日真奈美に叩き起こされているくせに、今日はこれまた珍しい。
凪は俺を華麗にスルーし、戸棚をガサゴソとやる。中からアンパンマンメロンパンの袋を取り出した。凪のお気に入りだ。自分で食い始めるのかと思いきや、無言で手渡してきた。
「なんだよ?」
「みつきちゃんに」
「いいのか?」
凪はこくりとうなずく。
なんだかよくわからんが、持ってけってことか。
庭から隣の家へ。正面の玄関へ回り込む。
俺は堂々と合鍵で玄関を開けて、中に侵入した。持っててよかった合鍵。
物音をたてないようにこっそり靴を脱いで……いや盗人ではないのだからその必要はない。どたどたと足音を立てて階段を上り、みつきの部屋へ。荒々しくノックをする。返答なし。
ドアを開けて入っていく。かすかに甘い、いい匂い。みつきの部屋に入ったのはいつぶりか。覚えてない。
部屋はカーテンで締め切られていた。隙間からこぼれる光を頼りに、ベッドの近くへ。みつきは背中を丸めて眠っていた。かたわらの卓上時計に目を走らせる。いつもなら絶対に起きている時間だ。どうやら今日も学校に行く気がないらしい。
俺はねぼすけ野郎の肩を揺すった。
「朝だぞー起きろー」
なかなか起きないので、ゆっさゆっさと体を転がさんばかりに揺する。
それでもみつきはぎゅっと目を閉じたまま、目覚める気配がない。これで起きないとか、寝たフリをしているとしか思えない。
「起きろ、起きるんだみつき!」
脇腹をつんつんしてやると、べしっと手をのけられた。やっぱ起きてた。
みつきは俺に背を向けるように、むくりと上半身を起こした。俺は尋ねる。
「どう? 何点?」
「……0てん」
ぼそりと言う。
俺の起こし方は0点らしい。そういう口をきく気力はあるらしい。
「のどかわいた? なんか飲む?」
「……ぎゅうにゅう」
部屋を出て一階のキッチンへ。冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出し、コップになみなみとついで部屋に戻る。
みつきに手渡すと、コップをかたむけてこくこくと喉を鳴らしだした。
「もういらない」
「おお、多かったか」
突き返された牛乳の残りを俺は一気に飲み干す。
正直牛乳はあんまり好きじゃないというか嫌いなのだが言ってる場合でもない。
さて次は、と凪にもらったパンをみつきの顔の前にかざす。
「ほら、メロンパン食べる?」
「いらない」
「凪からの差し入れだぞ」
そう言うと、みつきはおとなしく袋を開けて食べ始めた。静かにパンをもくもくと口にする。急に素直だ。
待っている間、若干寝癖のついたみつきの髪をくしでとかしてやる。すぐにさらさらになった。くんくんしてみるといい匂い。ちゃんと風呂には入ったらしい。
しかしいつにもまして食べるのがゆっくりゆっくりなので、かなり時間が押している。早く着替えさせないと遅れる。
ハンガーにぶらさがっていたブラウスとスカートを抱えて、そばに控える。パンを食べ終わったあとも、みつきはベッドの上に座ったまま動き出す気配がない。
「早く着替えないと脱がせちゃうぞぐへへ」
無視された。みつきはぼうっと正面を見ている。
ならマジで脱がせたろかとパジャマのボタンに手をかける。ひとつ、ふたつ。ボタンを外すと、胸元がはだけてピンクのブラジャーが顕になった。それでもリアクションがないのでちょっと怖くなってきた。
「あ、あとは自分で着替えてよね!」
制服を押し付けて逃げる。俺は部屋を出てドアを閉めた。その後五分ぐらいして、おそるおそる出戻る。
みつきはちゃんと制服に着替えて、ベッドの縁に腰掛けていた。よかった。
俺は机の上に置いてあるカバンに近づき、中を確認する。
「ちゃんとノートとか入ってるかな? 替えのパンツとかも」
無言でカバンをひったくられた。みつきは立ち上がっていた。よしこれで行く気になったな。
みつきの腕を引きながら階段を降りる。
「トイレは? 大丈夫?」
そう言うとみつきは無言でドアを開けてトイレに入っていった。その前で立っているわけにもいかず、先に玄関前へ。
これ鍵を閉められてトイレに引きこもられたら終わるな、と一瞬思ったが、少ししてみつきは素直にトイレから出てきた。
今日はチャリではなく、みつきといっしょにバス停に向かう。どのみちチャリは公園におきっぱだ。
水たまりを避けて歩く。今日の天気はうってかわって晴れてはいるが、空気がじめじめして湿った匂いがする。もう梅雨に入ったか。
なんとか遅刻ギリギリのバスに間に合った。空席にみつきを座らせ、傍らに立つ。空いてる席は他にあったが、俺はみつきのそばを動かなかった。
かと言ってお互いなにか話すわけでもない。それにしてもすっかり無愛想で無口な子になってしまって参った。
けど思い返すと、昔はもともとこういうやつだった。そう考えると、もうなんとも思わなくなった。
「お昼はおにぎり持ってくからね~。まあお前が昨日食わなかったぶんだけど」
みつきは聞いてるのかいないのかほとんどリアクションがない。それも気にせず、俺は昨日見たテレビがいかにつまらなかったかを力説した。
バスを降りると、いつもの混雑に見舞われた。半歩前に出て道を作りながら、俺は隣を歩くみつきの顔色をうかがう。
「大丈夫か? ぷにぷにしていいぞ」
手を差し出してみつきに握らせる。みつきは俺の手のひらの肉をなんどか押したあと、ぽいっと放った。あんまりぷにぷにじゃなくてお気に召さなかったらしい。
「じゃあね~」
みつきのクラスの前で立ち止まって手を上げる。
みつきはかすかに小さくうなずいて、ゆっくりと教室に入っていった。席についたのを見届けると、俺は自分の教室に向かった。
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