第37話 わたしのせい

 小学校の三年生のときだった。

 お母さんが病気で入院して、わたしはしばらく隣の家で一緒に住むことになった。真奈美さんの好意だ。たしか一ヶ月ぐらい。


 わたしはそのときこと、あんまり覚えてない。というか、無理やり忘れたんだと思う。嫌で嫌で、怖くて、辛かったから。あとで聞いたら、わたしは毎日めそめそ泣いてたみたい。

 家にはいつも誰かしらいた。泰一や、まだ小さい凪ちゃん。泰一とは部屋が一緒だった。

 泣き顔を見られるのが嫌で、ちょくちょくひとりで家を出ていった。

 そのときもここに隠れていた。隠れて泣いてた。そのときのことだけは、今でも鮮明に、はっきり覚えてる。


 あの日は、晴れてたのに急に雨が降ってきて、土砂降りになっちゃって。帰ろうにも、出ていけなくなった。ひとりでこの狭い場所に閉じ込められた。

 わたしは膝を抱えて、じっとうずくまっていた。もう涙も枯れていた。

 時間がたつにつれて、まわりがどんどん暗くなって、目の前もほとんど見えなくなって。しだいに強い雨の音しか聞こえなくなって、自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのかもわからなくなって……。


 もうどこにも戻れないと思った。世界に自分ひとりだけみたいな気がした。

 そして忘れ去られたわたしの存在は、雨の音にかき消されて、このまま、暗闇に飲みこまれてしまうんだと思った。

 けれど。

 声がした。




「何やってんのお前」


 行き着いた先は、近場の公園だった。

 隅っこに二つ並ぶ、土管を模した遊具。その赤く色付けされたほうの中。

 トンネルの中央で、膝を抱えてうずくまっているアホを発見した。アホはわりとすぐ見つかった。わざわざスマホを貸してもらった凪には悪いが、俺にはほとんど確信があった。


 かたわらにチャリを止め、身をかがめて中に入っていく。みつきははっと顔を上げた。が、すぐに顔を隠すように、袖で目元を拭った。どのみち暗くて表情はよく見えなかった。


 いつか見たような光景だった。俺にしては珍しく忘れてなかった。なぜなら前回は、見つけるのにすんげえ苦労したから。だから今度はこの場所にすぐ来れた。また見つけることができた。


「まったくなんでここなんだか……土管入ってくとかマリオかっつうの、ど下手くそのくせに。ドラマの見すぎだろ、しかも古くさいやつ」


 ぶつくさ言いながら、隣に腰掛ける。

 外は徐々に雨脚が強まってきている。まだかろうじて小雨だが、今にも強く降り出しそうだ。

 トンネルのはしっこから徐々に泥水が侵食してきていて、ここが濡れるのも時間の問題だろう。


「ほら帰るぞ」


 特にかける言葉がなかった。というか思いつかなかった。

 力がどうたら言うのも、やっぱり深雪さんの買いかぶりだ。俺はなにか特別なことをした覚えはない。

 ただかわいい子とお隣さんになって、カッコつけようとしてスカしたことを言ったかもしれない。クソお寒いことを言ったかもしれない。そのときの俺がなにを言ったのかなんていちいち覚えてない。全部黒歴史なのは間違いないから。


 うつむく頭に手を乗せてみる。髪は少し濡れていた。軽く撫でてやると、みつきは首を振って手ではねのけてきた。あら反抗的。


「……お母さんが具合悪くなったの、わたしのせいだから」

「そんなわけねえだろ」


 即答するが、絶対に違うとも言い切れないのが難しいところだ。

 深雪さんは俺の前ではいつもの調子を崩さないが、あれでかなり繊細な部分がある。原因に少なからずストレス的なものもあるだろう。みつきもそれに感づいているようだ。


「わたしのせいで……お母さんは、何も悪いことしてないのに……」

「さっきから何言ってんのお前。俺さっき深雪さんと会ってきたけど、全然余裕そうだったぞ?」


 みつきの消え入りそうな声を、でかい声で遮ってかき消す。


「それよりガチで降ってきそうだから行こうぜ? そんなに濡れ透けサービスシーンしたいのか?」


 聞いているのかいないのか、みつきは身動きひとつしない。黙ったまま、じっと足元を見ている。

 だんだんと目が慣れてきて、体の輪郭が浮かび上がってきた。

 みつきはTシャツ一枚にハーフパンツ。部屋着みたいな格好だ。実際部屋着のまま病院に行って、そのままなんだろう。昼間なら問題ないが、それなりに気温は下がってきている。寒くないのか。


 おもむろに横から手を伸ばして、ほっぺたを引っ張ってみる。無反応。

 鼻をつまんでみる。無反応。

 そのままぎゅっと鼻をふさいでいると、みつきはぶるぶると首を振った。呼吸はしているらしい。


「黙ってたらわかんねーだろっての」


 声が反射してやたら響く。変に優しい声音になっててキモい。やっぱ苦手だわこういうの。

 するとやっとのことで、みつきが少しだけ目線を上げた。


「……もう、いいよ。大丈夫だから」

「あっそ。じゃ帰るぞ」

「一人で帰れる」


 そうは言うが一向に動き出す気配がない。

 らちが明かないので、無理やり二の腕をつかんでひっぱる。が、みつきはぐっと腕に力を込めて拒んでくる。


「いやさ、なにをひねくれてんの?」

「別にひねくれてない」

「もう言い方がひねくれてますがな。ていうかお前、なに学校も休んでんだよ」

「体調悪いもん」

「じゃあなおさらだよ。なんでこんなとこにいるんだよ、家帰って寝ろ」


 返事はなかった。俺の声だけが虚しく響く。

 その間も、だんだんと外で水の跳ねる音が大きくなっていく。


「だからもうわかったからさ、お願いしますって。服とか雨でベットリで気持ち悪いんだから」


 そうやって言うと、みつきはようやくのろのろと腰を上げた。

 よろけそうになった腕を取って、体を支える。手が冷たい。

 チャリを公園の隅っこに移動させて鍵をかける。これはあとで取りに来ることにした。


 しとしとと雨が降る中を、みつきの手を引きながら早足で歩いた。お互いなにも言葉を発しなかった。濡れながら五分ぐらい歩いた。近場でよかった。

 家の玄関先までやってくると、みつきは俺の手をほどいて、自分で鍵を開けた。扉を開けて、するりと自分だけ中に入ってしまう。俺は閉まりかけたドアを手で押さえて、みつきの背中に言う。


「一回風呂入れよ。それか一緒に入るか?」


 みつきは靴を脱ぎながら、ふるふると首を振る。


「今日は俺が一緒に寝てやってもいいぞ」


 また首を振る。全拒否。

 しまいには振り返って扉を閉めてきた。俺は家の外に押し出された。

 すぐに目の前でがちゃんと鍵が閉まる音がする。ずいぶんと嫌われたもんだ。




 晩飯を食い終わる。真奈美が一応一人分多く作ったが、みつきは来なかった。

 スマホが使えないので俺はやらせ丸出しのくそしょうもないドッキリ番組を見ていた。真奈美はキッチンで洗い物。凪はソファに寝そべってスマホで動画を見ている。


「凪ちゃんちょっとスマホかして」

「ぜったいにやだ。ぜったいにだ」

「みつきに電話するから」


 すさまじい拒否反応だったが、みつきの名前を出すと凪はおとなしくスマホを渡してきた。

 まさか俺がみつきのスマホに電話をかけることになろうとは。不思議な気分だ。もしかして初めてなのではと一瞬思った。ちょっと緊張。

 アプリを立ち上げて発信。なんコールかしたのち、通話状態になった。


「もちもち? みつきちゃん? なぎだよ~」


 凪の声真似をして第一声を発するが、声音も口調も全然似てなかった。隣でじっと様子を見ていた凪が腹を殴ってきた。

 一発で俺だとバレたのか、早くも通話が切られそうな気配がしたので、


「ちゃんとご飯食べたか?」

「……食べた」

「あのさ、明日起きられないかもしれないから朝起こしに来て」

「やだ」

「なんでや」

「もう来なくていいって言ったじゃん」

「明日は来て」


 通話は切れていた。というか切られた。

 さすがに一日単位の契約は難しいようだ。明日さえ乗り切ればなんとかなりそうだと思ったんだが。

 かたわらに控えていた凪にスマホを返す。凪は俺の顔を見つめてきて、


「だめ?」

「だめっていうか……まあ」


 真奈美から聞いたのかしらんがこいつはどこまで把握しているのか。何となく察してはいるのか。心配してはいるようだが……。

 俺は一つ案を思いつく。


「ちょっとお前かけてみて」

「……や」


 凪はぶるぶると首を振って、ソファに身を投げた。また動画鑑賞に戻る。

 なぜか恥ずかしがっている。よくわからんやつ。

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