第36話 ダメな母親
二十分ほどで病院に到着する。
こんなにチャリを本気こぎしたのは久方ぶりだった。
部屋は真奈美に聞いていたので、受付とか何やらは全スルーしてそのまま病室に特攻した。実はこの病院は初めてじゃないし、勝手はよく知ってる。
階段を駆け上がって看護婦さんに怒られつつ、目当ての病室に到着。
四人部屋の一番端っこ、と真奈美には言われたが、どこも端じゃねえかよと頭の中でツッコミながら、仕切られたカーテンをそろりとめくる。
「深雪さん!」
姿を見て思わず呼びかける。
ベッドでは上半身だけを起こした深雪さんが、驚いたように目をぱちぱちとさせる。患者用のそんな病人みたいな服を着て、おいたわしや……。
静かに佇むさまは、さながら薄幸の美少女のようである。それは言い過ぎか。いや言い過ぎではない。
半分放心状態でベッドに近寄る。
深雪さんはおもむろに手元のタブレットの画面を見せてきた。
「見て見て泰一くんこれ、すごいでしょ。全部作ったの」
「……ん?」
画面はとてもきらびやかである。何かのシュミレーションゲームっぽい。
島がすごい繁栄している。どこかで見覚えがあると思ったら真奈美がやっているゲームと同じだった。
「これ押すとホラ見て、くまさんが踊るの」
「……かわいいですね」
「でしょ? それでこっちは……」
深雪さんは楽しそうに画面をタッチして、あれやこれやと見せてくる。
完全にいつもの深雪さんだった。
「……なんか、大丈夫そうですね」
こっちもいつもの感じで言うと、深雪さんは少し恥ずかしそうに笑った。
「みんなして騒ぎすぎなの。大丈夫よ、なにもなければたぶん明日の夕方にはうちに戻ってるだろうし」
「いや、騒ぎますよそりゃ」
「……うん、ごめんね。わざわざ来てくれてありがとう。心配かけちゃった?」
「するに決まってるじゃないですか」
深雪さんなりの照れ隠しらしい。
俺を心配させまいと、わざとこういう態度を取っている可能性もある。この人は本当に読めない。
深雪さんにすすめられ、かたわらの椅子に腰掛ける。俺は一息ついて、あたりを見回す。
「あれ? そういえばみつきは?」
「みつきは帰ったわよ? 真奈美さんと一緒に。会ってない?」
「え?」
真奈美の口ぶりだとてっきり病院にいるのだと思っていた。いや俺の早とちりか。我ながらムダに焦っていた。
けれど帰ったとき、みつきが家にいる気配はなかった。どこかに出かけたのか、居留守されたのか。
「なんか最近みつき元気ないなぁって心配してたら、私のほうがこれだから。そういうのすぐ体調に出ちゃうみたい。もうやんなっちゃう」
深雪さんは笑った。
俺が今の家に越してきて一年もしないうちに、深雪さんはけっこうでかい病気をして入院した。そのときに見舞いに来たときも、こうやって笑っていた。
「あの子さっき、軽くパニックになっちゃって。大丈夫って言ってるのにずっと慌ててね。帰るときはだいぶ落ち着いたけど……真奈美さんがいてくれて助かった」
同じだった。口にするのは自分のことよりみつきのこと。そのときも、「みつきは元気? 泣いてない?」とそればっかりだった。
「最近なんだかすごく落ちてるみたい。調子悪いっていうから学校休ませてたけど……何か知ってる?」
深雪さんの口ぶりからすると、はっきり風邪で熱がある、とかそういうわけではないらしい。
思い当たるフシがまったくないといえば嘘になるが、ここで深雪さんに余計な心配をかけたくはない。
「いや、俺も全然わかんないっすけど。ただの生理とかじゃないっすか」
「……もう、そういうの冗談でも言ったらダメなんだよ? 一言多いって言うの」
深雪さんは笑いながら握りこぶしを作って、こつんと叩く仕草をする。うまくごまかして一安心……かと思いきや、深雪さんは急に笑顔に陰りを見せた。
「……泰一くんに何か知ってる? って、ほんと、ひどいわよね。母親失格よね」
「え? いや、それは……」
「こういうとき、もし父親がいたら、って思ったりもするんだけど……」
「あ、あぁ、ち、父親ねぇ~……」
さっきから変な相槌しか打てない。まずい、経験値が低すぎてこういうときなんて返したらいいかわからん。というか父親の話はタブーだと思っていた。
つっこんで聞くか迷っていると、深雪さんはひとりでに冗談めかしてしゃべりだした。
「……それでなんかね、こっそり会ってた愛人のほうに気がいっちゃったらしくて。向こうは申し訳ない申し訳ないって、そればっかでもう、なんか馬鹿らしくなっちゃって。家も譲るし必要なぶんは払うって言うから、もういいかって」
話を聞いていると、つまるところ離婚は旦那さんの浮気が原因らしい。ちょっとした会社を経営していて、お金は潤沢にあるという。逆に言えばお金で決着がついたということらしいが。
「ちょうどそれとかぶる時期にね、みつきが小学校の受験に失敗して……落ち込んでたの。もともとおっとりしてるところがあるから、あんまりそういう競争? とか向いてないのよね。がんばり屋ではあるんだけど」
それも初耳。場合によってはみつきも社長令嬢だったってことか? イメージに合わない。
「みつきはね、お父さんが離れてったのが、自分のせいだって思ってるみたいなの。本当は全然関係ない理由なんだけど……つまるところ、私のせいなんだと思うけど」
「そ、そんなことはないんじゃないっすかね……」
「ううん、そうなの。私なんて見た目だけで選ばれたような女だから。こっちも玉の輿狙って、パーティにでかけてって……お互い様なの」
深雪さんは視線を外して、自嘲気味な笑みを漏らした。
なにか気の利いたことを言おうと頭がぐるぐるしている俺をよそに、続ける。
「本当はもう今の家に住む理由もなくて。引き払って実家に戻ろうかなって思ってたんだけど……泰一くんたちが引っ越してきてね。隣にいるだけで、なんだかパワー与えられてる気がして……たまにご飯お呼ばれするのも楽しくて、ついハメ外しちゃったり」
毎度やけに浮かれてるな、とは思った。
あのしょうもない食事会も、深雪さんにとっては大切な集まりだったらしい。
「ごめんね。ほんとはこんなこと、泰一くんにする話じゃないんだけど……。でも泰一くんたちには、本当に感謝してるから。ずっと力、分けてくれてるなって……」
「いや、そんなたいそうなもんじゃないですよ」
俺は遮って言った。
ずっと曖昧な相槌ばかりしていたが、ここは強い口調で言った。
「真奈美はクソババアだし凪はクソガキだし、親父はうだつのあがらないリーマンだし、俺は頼れるナイスガイだし。そんな力与えるとかたいそうなこと考えてないです、たまたまです」
結局深雪さんに対し、俺のようなクソガキが言えることはなにもなかった。
が、これだけはきっちりはっきり言える。というか別に、背伸びしてカッコつけたことを言う必要なんてない。さんざん醜態を見せてきて、なにを今さらだ。
俺なりに思ったこと、正直に言えばいい。いつもどおりでいいだろ。それにあんまり褒められるのは性に合ってない。
「でも結局、今も泰一くんたちに頼りっきりで……私、ダメな母親だから」
「全然頼ってもらってもいいですよ。深雪さんは俺の母親になってくれるかもしれなかった女性ですし」
「なにそれ」
「つまり頼り頼られの関係……わかってますよね?」
見返りに赤ちゃんプレイを要求したのだが伝わっただろうか。
深雪さんはぽかんとした顔で俺を見つめた。俺は真剣な顔で深雪さんをじっと見返した。
お互い無言で、見つめ合う。深雪の熱っぽい瞳が、次第に潤んでいく。
もしかしたら今ので惚れられたかもしれない。イケるかもしれない。片時もそらさず、まなざしを向けていると、
「ぶふっ……」
深雪さんは突然吹き出した。うつむいて口元を抑えて、笑いが止まらなくなる。
対する俺はあくまで真顔を貫く。深雪さんは俺の顔を指さしてさらに笑った。結局耐えきれず、俺も一緒になって笑った。
憂いを含んだ儚げな表情もいいが、やっぱり美人には笑顔がお似合いだ。
小雨の降りしきる中、病院から急ぎ自宅まで舞い戻る。
途中みつき宅の門の前にチャリを止めて、呼び出しボタンを十連射ぐらいするが、何の反応もない。物音すらする気配がない。やはりみつきは家にはいないようだ。
深雪さんによるとみつきは真奈美と一緒に車で帰ったはず、という。一度自宅に戻って真奈美に聞くと、
「今日はうちでご飯食べて泊まりなって言ったのよ。でも『もう子供じゃないから大丈夫』って言って聞かないからさ」
家の前でみつきと別れたという。てっきり家に帰ったのだと。
真奈美がスマホでみつきに電話をかけるが、出ない。
「やっぱり家にいるんじゃなくて? 自分の部屋で寝てるとか」
真奈美は言うが俺はそうは思わなかった。直感だ。
「そういえば鍵あったよな?」
「ん? あー……たしかタンスの中。一番上」
俺はめったに開けないタンスの一番上の引き出しを漁った。中から変なキーホルダーのついた鍵を取り出す。これはなにかあったとき用のみつき宅の合鍵だ。この鍵は「女性だけだと何かと心配でしょう、男手が必要であればいつでも言ってください」と親父がカッコつけて作った。こいつワンチャン深雪さん狙ってんだろと思ったが、今は親父GJと言っておく。
取って返して隣の家へ。鍵を使って侵入する。
家の中は暗かった。電気をつけて、一階のリビング、風呂、トイレ。二階にあがってみつきの部屋、寝室と全部屋をのぞくが、やはりもぬけの殻だった。
家を出て施錠すると、俺はうちの庭に戻ってまたもチャリにまたがった。外はずっと小雨が続いている。本降りにならなければいいが。
道路に出ていこうとすると、行く手に真奈美が立ちふさがった。タオルとスマホを差し出してくる。
「なんだよ邪魔」
「頭だけでも拭きなよ濡れてるでしょ。あとこれ、凪のスマホ持ってきな。見つかんなかったら電話しなよ」
「は? いらねえよ」
「いいからポケット入れときな」
無理やり押し付けられる。
スマホ大好き凪が人に貸すとは珍しい。まあ強引に取り上げたのかもしれんが。
どちらにせよ真奈美に頼るような真似をするつもりはない。俺は腰をサドルから浮かせ、強くペダルを踏み込んだ。
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