エピローグ

 城塞都市バルドルを震撼させたカルマの大規模襲撃、および召喚騎士ジェイドによる騎士団詰所の制圧事件から3日が経過した。

 前代未聞レベルの大事件であったこともあり、犯人のジェイドを倒したセレスタとカズヤから話を聴きたがる者たちが、団内だけでなく別の都市からも連日のように訪れていた。ふたりにとっては、押し寄せる訪問者の相手をする忙しい日々が事件後から今日まで続いている。

 連日似たような話ばかりを求められて飽き飽きとしていたカズヤは、本日分の残りの応対を未だに嬉々として事件のことを得意気に喋るセレスタに任せて、息抜きをしようと詰所の最上階にあるバルコニーにやってきた。


「あれ、カズヤじゃん。お偉いさんの相手しなくていいの?」

「俺が嫌々やらねぇでも、楽しそうに喋る奴がいるからな」

「セレスタさんですね。誇らしげに思うのは当然でしょう。和也くんも、もっと胸を張ればいいのに」

「おめぇらがいなけりゃあ、俺たちがジェイドを捕らえたとしても都市は守れなかったかもしれねぇんだ。そんな奴らに言われて胸を張れるほど俺は能天気じゃねぇよ」

「私たちを助けたのは和也くんなんですから、素直に喜んでいいと思いますよ」

「カズヤってめんどくさい性格してるねー」

「おめぇには言われたくねぇな」


 バルコニーにいたマリナとアヤネがそろって囃し立ててくるが、訪問者の相手をするのはうんざりだといわんばかりに、カズヤは疲れた顔で受け流した。

 すっかり平和で自然な景観を取り戻した地平を眺めてから、カズヤは思いついたように傍らのマリナに目を向けた。


「そういや、別の詰所に異動するんだってな」

「そうなんだよねー。ま、それはいいんだけど、慣れた生活を変えなきゃならないのはめんどーだなぁ」

「しゃあねぇだろ。国もおめぇらの反則級の力を野放しにするわけにはいかねぇんだろうよ」

「あーあ。こんなことなら本気なんて出すんじゃなかったなー」

「ごめんなさい、マリナちゃん。私がやりすぎちゃったから」

「いやいや、気にしなくていいって。あれはあれで爽快感あったし!」


 少年のような屈託のない顔で、マリナは沈みかけたアヤネに笑いかける。

 それでアヤネの曇った表情が明るくなると、ふたりはカズヤに背を向けた。


「じゃ、ぼくたち引越しの準備があるから」

「またね、和也くん」


 マリナは手を振って、アヤネは一礼して、ふたりが並んで階段をおりていくのを見送ってから、誰もいなくなったバルコニーでカズヤはふと空を見上げた。


 ――この空を、どこかでこまっちゃんも見ているかもしれない。


 ――……ってのも、ありえねぇんだな。


 ここは異世界だ。

 カズヤが果てしない恋心を抱く少女・伊藤小町のいる世界とは、どこまで行っても地平は繋がっていない。

 理不尽極まりない理由で飛ばされて、戻る手段を知る者は誰もいなかった。

 憧れの人と会う術はなくなり、生きる理由にまでなっていた伊藤小町の活動を応援し、見守ることもできなくなってしまった。


 ――もう、元の世界に戻れないのなら……


 その可能性が、カズヤの胸にひとつの想いを生じさせる。


 ――こっちにも、こまっちゃんのように応援したい奴を見つけちまったからなぁ……


 不器用で、生きるのが下手くそで、向う見ずな性格には頭を抱えたくなることもあるが、正しい行為を凛とした勇気をもって振りかざすことのできる少女。

 短い時間ではあったが、その少女と協力して強大な困難を乗り越えたことで、カズヤは己が忘れていた最も大切なことを知ることができた。

 カズヤは、その少女に救われたのだ。

 少女が目指す頂は遥か彼方。終点へ至るには、まだまだ少女は実力不足だろう。

 歩き出したばかりの少女が、いったいどこまで行けるのか。

 辿り着いた先で、何を見せてくれるのか。

 その未来を、カズヤは少女のそばで見守っていたいと思い、

 その助けにもなってやりたいと思い――


 ――推し変、か……。


 もう戻れないかもしれない世界の少女を忘れて、新しい世界で出会った少女を応援して生きていこう、という考えが意識の片隅に芽生えた。

 伊藤小町を知ってからのカズヤは、一瞬たりとも自分がほかの誰かに推し変するなど想像したこともなかった。

 心に根を張ろうとしている初めての感情を、カズヤはジッと見下ろして、

 小さな小さな芽をがっしりと鷲掴みにすると、


「――んなもん、できるわけねぇだろぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 叫ぶと同時、根っこから引き抜いて心の深淵に投げ捨てた。

 こだまして返ってきた未練の声を聞いて無限の虚しさに苛まれるカズヤに、バルコニーに続く通路から近寄ってきた人物が怪訝そうな顔で喋りかけた。


「わたくしの守護者ガーディアンともあろう者が、こんな快晴の昼間から発狂なんてしないでくださいます? まったく、恥ずかしいですわね」

「……うるせぇ、ほっといてくれ……」

「そうもいきませんわ。カズヤはわたくしの守護者なんですもの」


 感傷的になっているカズヤに気を遣うそぶりもなく、空気を読まずにセレスタは容赦なく苦言を呈する。普段から遠慮するタイプではないが、今日は拍車がかかっている気がした。大方、訪問してきた位の高い奴に事件のことを称賛されて舞い上がっているのだろう。カズヤはそう冷静に察した。


「お偉方の応対はもういいのかよ」

「訪問してくださった方は、すでに王城へと帰られましたわ」

「王城? 王城っつーと、国のトップの使者でも来てたのか?」

「ええ。ルナフランソ様の命により、このわたくしに会いにきたと申しておりましたわ! 自国への甚大な被害を未然に防いだわたくしに、ルナフランソ様は深く感謝しているそうですの! ルナフランソ様に初めて感謝された日として、今日という日をわたくしは永遠に忘れませんわ!!」


 ――なるほどな。


 雲の上の存在から個人宛てで礼を伝えられたのだから、気分が舞い上がってしまうのは当然だろう。

 カズヤとしても、伊藤小町から名指しでレスを返されたら、1週間くらいはその喜びだけで飲まず食わずの生活をできる自信がある。


 ――もう、レスを期待することもできねぇんだけどな……。


 自滅気味に自分を追い詰めて、相棒が最上の喜びに浸っている傍らでカズヤの心には対照的に雲がかかった。


「――それもこれも、カズヤのおかげですわね」

「ん……?」


 思いも寄らぬ発言が飛び出して、絶望に暮れていたカズヤは目を丸くする。


「といっても、カズヤを召喚したのはわたくしなのですから、これはわたくしの功績でもありますわね。わたくしはカズヤに感謝しておりますが、カズヤもわたくしに感謝すべきでしてよっ!」

「なんだそりゃ。珍しく素直に褒めたと思ったら、とんだ勘違いだったな」

「カズヤ。あなた、自分の真の実力を知ったせいか、ちょっと傲慢になっているのではなくて? 騎士たる者、もっと慎み深い態度であるべきだと思いますわよ」

「おめぇには言われたくねぇよ」


 最初に会ったときから己が絶大な力を有していると信じて豪語していたセレスタに、控えめな姿勢でいろと指摘されても従う気になどなれるはずもない。

 だが、このまま腐らせるのも、宝の持ち腐れだろう。


「……せっかく手に入れた力だ。おめぇが目標を目指すなら、とりあえずは引き続き手伝ってやるよ」

「当然ですわ。カズヤは、高貴なるわたくしに相応しい従者なのですからっ!」


 純真な瞳で朗々と宣言して、セレスタは通路に振り向いた。


「さぁ、次の仕事に行きますわよ。わたくしたちは、多くの者たちから望まれる存在になったのですから、こんなところで悠長にしていては天罰が下りますわ」


 国の窮地を救った英雄には、暢気に感傷に浸る暇など与えられないらしい。

 客への応対も含めて、しばらくは忙しなく様々な仕事に従事する羽目になるのだろうと、カズヤは薄々感じていた。

 それらは、騎士の名を許された者に相応しい、清廉とした正しい行いなのだろう。

 カズヤがかつて願った、人々が抱える間違いの是正も、その行動には含まれている。

 随分と拡大解釈された形で願望が叶えられてしまったが、元の世界に戻ることができないならば、戻る手段が見つかるまではこの世界で勇者として過ごすのも悪くない。


 異なる世界。


 憧れた存在が不在の世界。


 そんな世界で、カズヤは少女と出会った。


 同じ願いを持った彼女との生活は、きっとこの先も多くの教訓と幸福をもたらしてくれるだろう。

 ときには苦難もあるだろうが、彼女とならば乗り越えて、高みを目指し続けていけると確信さえ抱いている。


 そして――


 すべての試練をこなして元の世界に戻る頃には、自分自身もまた、憧れの女性の隣を歩くに値する価値ある人間になってみせよう。

 異なる次元で今日も努力を重ねているであろう推しアイドルに向けて、カズヤは勇ましい心を携えて宣誓した。


「――あら?」


 不意に、晴れやかな気持ちになったカズヤの耳に、セレスタの疑念が届いた。

 何事かと振り返ると、最上階の通路に荒々しい足音が喧しく反響していた。

 音は一直線に、カズヤの立つバルコニーを目指して駆けてくる。


「そういえば、今日は新人騎士が一名入団すると聞きましたわ。先の事件を受けて、騎士になることを決断した立派な者だそうです」

「おめぇの初めての後輩っつーわけか」

「カズヤにとっても、ですわよ。このわたくしの一番の後輩になれるのですから、まったき幸福ですわね!」

「ついさっき『慎み深い』とか言ってた奴の言葉とは思えんな……」


 尊大な態度の主人の横を、儀式の間から飛び出てきた人物が駆け抜ける。

 その人物の後ろから、騎士甲冑をまとった団員が慌てた様子で追いかけてきた。


 ――つーことは、こいつは召喚されたほうか。


 カズヤが状況を分析している間にも、今しがた召喚されたと思しき人物はカズヤの隣も抜けて、バルコニーの欄干に手をついて驚愕に染まった叫び声をあげた。


「な、なによこれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 ――――――!?


 その声色は、カズヤの記憶に焼きついている、彼が最も好きな音と寸分違わず一致した。

 想像もしなかった衝撃に声も出せないまま、カズヤは青空に嘆きを叫んだ人物に目をやった。

 視線に気づいてか、それとも偶然か。

 欄干に手をついたまま、その人物も首をまわしてカズヤを見た。

 ふたりの瞳が、互いの存在をたしかに認識する。

 目の前に立つ人物の登場に、カズヤは改めて思った。


 この世界は、紛れもなく異世界であったのだと。

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「推し」のいない世界~異世界にお嬢様騎士の守護者として強制召喚されてしまいました~ のーが @norger

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