第27話

 セレスタの奇襲を受けて、ドラゴンの全身に溢れていた活力は瞬時に喪失した。

 広大な面積を誇る両翼ははためくことをやめ、頭部から真っ逆さまに地表に落ちていく。


「うそだッ! こんなッ! この僕がッ! 飛べッ! 飛びたまえッ!! おい待てッ!! 落ちるッ!! 落ちる――――!!!」


 もはや本人の口から発せられたとは思えない情けない断末魔の声をあげて、ジェイドは生気を失って落下するドラゴンの翼の隅を掴み、守護者ガーディアンとともに落ちていく。

 しかし、それを笑っていられる場合ではなかった。

 カズヤにしても、あと数秒もせぬうちに地面に叩きつけられる状態なのだ。

 だというのに、生死の境目に在るといっても過言ではない状況にも関わらず、カズヤの心境は使命を遂げた充実感で満ちていた。


 ――まあ、ここで死んでもいいか。


 セレスタに協力してもらったとはいえ、国を守る騎士でさえも大半が逃げ出すような化け物相手に、逃げないどころか勝ってみせたのだ。

 身近な人間が抱えている間違いを正したいというカズヤのお人よしな願いは、言い換えれば他人に対する救済欲求だ。

 自分の周囲の者たちだけでも救えるようになりたいと願っていたカズヤが、場所が異世界とはいえ大勢の人々を国ごとまとめて救ってみせたのだ。

 それは、カズヤにとってすれば望外の幸福といえよう。

 『ここで死んでもいい』というのは、諦めから生じた感情ではなく、本心からの気持ちだった。


 ――だけど、


「カズヤーーッ!」


 ドラゴンの脳天に剣を突き刺して、重力で加速しながら降下してきたセレスタが、仰向けで落ちていくカズヤに追いついて手を伸ばす。

 カズヤもまた、空中で向かい合ったセレスタの手をとろうと腕を差し出した。

 主人と従者の手が、落下する景色のなかで繋がった。

 そして、カズヤはもう片方の手も薄闇の空に掲げて、


 ――まだ、応援していたい奴がいるからな。


 カズヤを対象と定めて手元に戻ってきたクラウソラスの柄を掴むと、地表スレスレのところで落下速度を相殺する推力を発生させた。

 身体がふわっと浮き上がったのちに尻餅をつくといった無様な恰好で、カズヤは詰所の演習場に着地した。

 続けざまにカズヤを緩衝材とするようにして、セレスタも彼に被さって着地する。

 その直後、一切の減速を行えぬまま誰もいない演習場の隅にドラゴンが墜落して、大気を震わせるほどの衝撃音と周囲一帯を覆うほどの土煙をあがった。

 巻きあがった砂塵が徐々に晴れていくと、威圧的な存在感を放っていたドラゴンが、両翼を萎ませて完全に力尽きて倒れていた。

 ドラゴンの身体からは透過した白色の粒子が無数に溢れており、光の粒は天に還るように空へのぼっていく。

 やがて、最強と称される漆黒のドラゴンの巨躯は弾けて霧散して、静かに世界の彼方へと旅立っていった。

 カズヤとセレスタは頷きあって、ドラゴンが倒れていた箇所に残った若い男のそばに歩み寄っていく。

 落下時の度を越えた恐怖によって気を失っているようだったが、激突時の衝撃はドラゴンが全て肩代わりしたらしく、彼の命に別状はなさそうだった。


「守護者としては、立派と称賛すべきですわね。とても好きにはなれませんけど」

「俺もそうだろ? おめぇを助けてやったじゃねぇか」

「わたくしが飛び降りたのは、あのドラゴンがカズヤだけでは手に負えなかったからでしょう。主人の力を頼るようでは、まだまだ半人前ですわ」

「いやいや、ちと評価が厳しすぎねぇか……」


 ジェイドが事件の真犯人であることを知った際の狼狽ぶりはどこへやら。

 すっかり日常の態度に戻ったセレスタは、守護者に命を救われたジェイドの手元に転がっていた邪悪な輝きを放つ宝石に視線を落とし、歩み寄る途中で拾った自分の剣を逆手に握った。

 柄に片方の手も添えると、彼女は禍々しい宝石に鋭い剣尖を振り落とした。

 ガラスが割れるような高い音を立てて暗黒の宝石は砕け散り、同時に、詰所を覆っていた薄闇の結界の至るところに亀裂がはしり、一瞬ののちに似たような音を立てて破砕した。

 演習場で身動きをとれずにいた騎士団員たちは結界の崩壊によって解放されて、次々と立ち上がっては手足の感触を確かめるように身体を試運転させる。

 しばし試行して拘束が解かれたことを確信した団員たちは、セレスタとカズヤの姿を見るや続々と集まってきて、ふたりを中心に置いて輪を作った。


「セレスタたちが助けてくれたのかっ!」

「すごいっ! 貴方まだ入団して間もないのに!」

「あれ? そこに倒れてるのはジェイドか?」

「ジェイド様? どうして? もう拘束は解かれてるのに」

「待てよ。てことは、まさか、ジェイドが!?」

「えっ!? 信じられないけど、だとしたらセレスタたちがジェイドを倒したってことか!?」


 わいわいと暢気に喧しく騒ぎ立てる同僚たち。

 初めはセレスタも和やかに誇らしげな顔で周りを見回していたが、輪の中心で地平の彼方を指差すと、彼女は厳しい眼差しで騎士団員たちを見つめた。


「歓喜するにはまだ早いですわ。あちらをご覧なさい。この街はいま、カルマの大軍に攻められておりますの。まずは、わたくしたちの務めを果たさねばなりません。そうでしょう?」


 セレスタに促されて、団員たちは一斉に彼女の指が示す正門の位置する方角を見る。

 彼らも国を守るべく志願した騎士団員だ。自国が危機に瀕している状況を知るや一息に顔つきを厳しくして、隣の団員たちと視線を交わして意志を確認しあった。


「凄い数だ。大勢の応援が必要だろう」

「早くいかなくちゃ! さっきからずっと戦ってるんでしょっ!」

「セレスタたちは休んでて。あとは俺たちの仕事だ」

「ですが……」

「おいおい! 騎士団を救って、このうえまだ手柄をあげるつもりか? 俺たちの分も残してくれよ!」

「そうよ! ここは先輩の顔を立てなさいよねっ!」


 口々に捲し立てて、途中割り込んだセレスタの咎める声も退けるや「いくぞ!」と誰からともなく高らかに号令して、団員たちは正門に続く丘のほうへ飛び出していった。


「……なんつーか、大丈夫そうだな」

「え、ええ。ですが、ここから正門までは距離があります。間に合えばよいのですが」


 ただ一つ残っていた不安を声にして、セレスタはいまも果敢に戦い続けているであろう正門の騎士たちを案ずる。


 突如、セレスタとカズヤの頭上を巨大な影が覆った。


 ――まさか……ッ!


 電撃が脳内を駆け抜けて、カズヤの身体と神経が緊張する。

 まだ、生きていたのか。

 カズヤは驚愕に見開いた瞳で頭上を仰いだ。

 陽が沈みかけて微かに赤みがかった空を、漆黒の巨躯が覆っていた。

 滞空している巨大な陰から、眼下を覗き込むようにして背中にのっている人物が顔をみせた。


「カズヤっ! セレスタっ! すごかったよふたりとも! 今度はぼくたちの番だ! いくよっ、アヤネっ!」


 主人であるマリナに命じられて、ドラゴンに変身したアヤネが、カズヤたちのいる地上を一瞥して急上昇した。

 表情の変化に乏しいドラゴンではあるが、カズヤにはアヤネが笑っているように感じられた。

 天高くそびえる詰所を遥かに超える高度まで舞い上がった漆黒のドラゴンが、骸骨の化け物から苛烈な攻撃を受けている戦地を目指して飛び立っていく。

 丘を駆け下りて行軍する騎士団員たちの頭上を越えて、

 民家や商店が並ぶ街の中心部に影を落として、

 あっという間に正門の上空まで到達したドラゴンが、身体を大きく逸らして顎を天に突き上げた。

 掲げられた口元からは太陽と見紛うほどの鮮烈な光が四方に散らばって、

 茜色の空よりも紅い、美しさを兼ね備えた劫火が敵地に向かい吐き出されて、地平を占拠していた黒の軍勢はことごとく焼き尽くされた。

 

 あまりにも違いすぎる“本物”の力を目の当たりして唖然とするセレスタとカズヤ。

 もはや必要なくなったと知り、行軍を中止する増援の騎士団員たち。

 長時間死闘を繰り広げていたローラやブレイズたちもまた、マリナとアヤネの接近を察知して戦線から急ぎ退き、苦戦していた敵軍が一瞬にして灰と化す光景を外壁の上から見守るなか、


 フリッグ小国を襲った未曾有の危機は、呆気ない結末で終焉を迎えた。

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